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本編

第五章 降嫁予告(4)

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 何しろこちとら生まれてこの方城住まい。
 掃除や薪割りくらいは出来るかもしれないが、膳や風呂の支度などしたことはない。
「そ、そうか……それは、砲術よりもむつかしいのかの……?」
 ぷるぷると打ち震えつつ、瑠璃は呆れ顔の助之丞を見上げた。
「さあ? 俺もよく分かんねーわ。けど、やり慣れてないとそうそう簡単に出来るもんでもないだろ」
 うちも大体使用人がやってるし、と言い添えると、助之丞はやや俯いてぽりぽりと項を掻く。
「あー……もし二男でもいいんなら、俺とか──」
「はっ!! そうか! 出来るようになればよいのじゃ」
「……は?」
 今、出来ないことは学べば良い。
 そして、それらを学ぶにちょうど良い家がごく身近にある。
 そう、今ならば──。
「おいこら、そこの姫君!! いつまで油を売ってるんだ! 真面目にやらんとご家老様に言い付けるぞ!」
 射撃場を挟む森の木々までざわめくような大音声で、銃太郎が怒鳴る。
 さっきの恐縮ぶりは何処へ消えたものか、今やすっかり厳しい師匠の顔である。
「助之丞、ありがとう! また弟子入り先が増えそうじゃ!」
「………」
「早くしないと姫君の順番飛ばすぞ!」
「今行く! ちょっとは待てというに!」
 銃太郎らの待つほうへ駆け出した瑠璃の背後で、助之丞は項に当てた手をするりと降ろし、人知れず吐息する。
 が、それに気付く者は一人としていなかった。
 
   ***
 
 青山助之丞、二十一歳。
 用人・青山助左衛門、二百五十石取りの二男である。
 青山家の家督を相続するのは兄であり、二男以下は他家の養子となるか、自ら独立するかのどちらかでしか身を立てることは出来ない。
 これはどの家でも同様である。
 故に助之丞もまた文武の両道において研鑽を積み、小銃射撃の腕はそれこそ銃太郎と一、二を争うほどだ。
 ほんの数年前、藩主上覧の射撃大会では僅差で銃太郎に敗れたが、その後に銃太郎が江戸へ出たために未だ勝ちを譲ったままであった。
 その日、射撃場から木村道場へ戻る瑠璃に付き添って行くと、役宅の土間では夕餉の支度の最中だったのだろう。
 竈に火が入り、炊煙が漂っていた。
 木村貫治六十五石取り。加えてそこに新たに四人扶持を賜る嫡男銃太郎。
 使用人こそあれど、暮らし向きは決して楽なものではないだろうと想像する。
 この家は、まずないだろう。
 家老座上丹羽丹波が、一体どこまで本気で降嫁などと進言したのかは定かでない。
 だが、先程の瑠璃の様子を見るに、本人は若君に添うより家中に降嫁することを選びそうである。
「銃太郎殿、ちょっと良いか?」
 役宅の冠木門を潜ると、前庭を挟んで開いた平屋建ての母屋の戸口の奥で、土間で立ち働く家人の姿が窺える。
 瑠璃が銃太郎を呼び止めると、銃太郎は他の少年たちの帰宅を見送りながらちらりと瑠璃のほうを見た。
「何だ?」
「突然のことですまぬが、そなたの母君に弟子入りしたい」
「はあ、そうか。母に弟子入り……ぉあ!?」
「うん、私はどうやら家中に押し付けられる定めにあるらしくての。どこへ行っても困らぬよう、母君に家事の切り盛りとやらをご教示願いたいのじゃ!」
 母君に会わせて欲しい、と、きっかり腰から深々と頭を下げる瑠璃。
「針仕事はまあまあ出来る! 薪割りも何とかなる! 琴だの華だのもやれぬことはない! しかし膳の支度と風呂の支度、あとは掃除の仕方なんかも手練の母君に弟子入ってだな……!」
「ちょちょちょちょお待ちください!! わけが分かりません!!」
 身近な、下士中士の家の主婦。というわけで銃太郎の家を当たるだろうとは、助之丞も何となく予想していた。
 瑠璃のこうした突拍子もない、且つ思い付いたら一直線な猪のような性格も、随分昔から変わっていない。
 が、銃太郎にしてみれば更なる霹靂に思えることだろう。
 銃太郎に頼み込んでも返事は待たず、瑠璃は悠然と母屋の戸口を潜って行く。
 銃太郎も前庭の砂で足を滑らせながら踵を返し、大慌てで瑠璃を追った。
「姫君!? ちょっと待って、なに勝手に入っ……!」
「たのもーーーう!!」
「たのまないでくれ、頼むから!!」
「母君ィー! 弟子にしてたもれー!!」
「おおおい青山! お前もなんか、手伝え! 何なんだこの姫君は!!」
 不用意に瑠璃に触れるわけにもいかず、右往左往しながら助けを求める銃太郎。
 助之丞は今日何度目かも知れぬ吐息を漏らし、思わず苦笑した。
「やっぱ可愛いんだよなぁ、こういうとこ」
「かわいい!!? 気は確かか!? こんなウリ坊みたいな姫君、私は見たことないぞ!?」
「むっ! 銃太郎殿、私はウリでなく瑠璃じゃ! いい加減にちゃんと呼んで貰えんか!」
「そんなとこだけちゃんと聞かないで頂きたいな!?」
 その日、無理矢理に木村家の台所へ押し入った瑠璃はしっかり夕餉まで馳走になり、また付き添い役の助之丞もちゃっかり相伴に預かったのであった。
 
 
【第六章へ続く】
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