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本編
第五章 降嫁予告(1)
しおりを挟む「はああ? けっこん??」
盛大に顔を歪めた瑠璃に、丹波は深々と頷いて見せた。
「けっこん……」
「左様にございます」
「血の痕じゃな?」
「違うと分かってて仰ってますな?」
長火鉢を挟んで互いに睨み合う。
家老座上から話がある、と言うので部屋を覗いてみれば、出し抜けに聞かされた言葉がそれである。
「阿呆の瑠璃様にもよく分かるように申さば、婚姻でございますな」
「今、阿呆と申したか」
「いいえ、婚姻ですと申し上げたのですぞ」
何が「いいえ」なのか、しっかり阿呆呼ばわりしたことはさらりと流し、丹波はとんでもない大筒を放った。
誰と誰が、の部分はまだ訊ねていないものの、当然瑠璃自身の婚姻話だと察するのは易い。
「うーん……それは嫌じゃのう」
「嫌とかそういう問題ではございませんぞ? これは丹羽家の存続に係る重大事でございますからな?」
立場上、そう言われてしまえば従わざるを得ないのが哀しいところだが、黙って従うつもりも毛頭ない。
「して、相手はどこの馬の骨じゃ?」
「う、馬の骨!? ちょっ、ば……! 滅多なことを申されますな!」
「今もしかして馬鹿って言おうとしたか丹波殿」
「いやいやいやいやハッハッハ! 空耳でございましょう!」
既に阿呆呼ばわりはしているくせに、丹波は空々しく否定する。
「あー、それでそのお相手ですが、一柳家の御子息を養子としてお迎えしたいということですのでな。これはやはり一の姫君たる瑠璃様と婚姻を結ばれるのが宜しかろうという話が──」
「はーん。で、歳は?」
「今年、十三だとか」
「ふーん…………って十三!?」
十三歳といえば、先だって一番弟子の座を競った岡山篤次郎と同い年である。
瑠璃より四つも年下だ。
何となく篤次郎と重ねてしまい、あのちょっとばかり小憎らしい笑顔を思い描く。
何故か瑠璃と張り合い、銃太郎にべったりな子だ。
腕を競うことは吝かでないが、別に師匠を巡って張り合う気はさらさら無いというのに。
「いや十三ってそなた、四つも下じゃろ! まだほんの子供ではないか!」
「まあまあ、瑠璃様もそう変わりませんぞ」
「えっ……?」
「ん?」
さらっと至極自然に言い返され、何を言われたかすら瞬時には解せなかった。
大体、まさに十三歳の子に文字通り噛みつかれたばかりで、今も腕に歯型が薄っすら残る。
「いやいや丹波殿! 十三歳とはな、これこういうことじゃぞ!?」
ぐいと袖をたくし上げ、瑠璃は丹波の眼前に歯型のついた生身の腕を突き付ける。
「まさに! 十三歳の兄弟弟子に噛みつかれた痕じゃ! こーんなことを平気でやらかすのが十三歳ぞ!?」
「ほほー、これはまた元気の宜しい歯型ですな」
「ほほーじゃないわ! 何を感心しとるか!」
「まあ、大谷が知ったら血を見る事態かと」
「あっそうか……! 丹波殿、このことは鳴海には──」
うっかり失念していたが、多分激怒する。
そしてきっと、砲術道場へ通うことそのものを阻止されるに違いない。
そんな危惧を覚えた瑠璃に気付いてか、丹波はにやりとする。
「黙っておいて欲しい、というお顔ですな?」
「そなたはほんとになんじゃ、丹羽家が選ぶ嫌な家老第一位として名を残したいのか……?」
「ちょっと確認しただけではございませんか。何ですかその不名誉極まりない名の刻み方は」
丹波は苦笑しつつも、やはりその目は笑っていない。
微細な変化を汲み取らねば、この男の腹の中を読むことは難しい。
普段は揶揄の押収に終始するが、今この時においてはいつもとは些か雰囲気に陰がちらつく。
婚姻の話のせいなのか、それとも別な何かのせいなのか。
「瑠璃様」
「なんじゃ」
「単刀直入にお伺いする。家中に降嫁するおつもりはございますかな」
「──は?」
瑠璃は今度こそ耳を疑った。
たった今、十三歳との婚姻がどうのという話をしたばかりだというのに、舌の根も乾かぬうちに降嫁とは。
「丹波殿、その歳で呆けるにはちと早くはないか……? どこをどうしたらそういう話になるのじゃ」
「なに、瑠璃様もそろそろお年頃。若君との婚姻に難色を示されるのであれば、そういう道もございますぞ」
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