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本編

第三章 砲術師範(5)

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「だいたい、今朝はそなたが稽古をばっくれたんじゃないか」
「!! ぅほわわ私は今朝不意に寝込みを襲われてですな!? ついうっかり時を過ごしてしまっただけで──」
「ハァ!? 襲われたのか!? 何に!?」
 鳴海を襲うなどという命知らずがいようとは夢にも思わず、喧嘩の勢いは何処へやら。ぎょっとして鳴海の腕を捕まえる。
「大事ないのか?! 怪我は!?」
 鳴海の腕や肩をぺたぺた触れて確かめるが、負傷したような様子はない。
 それでも念を押して鳴海の顔を覗き込むと、その両の黒目がすうっと横へ逸れていく。
「だ、大丈夫、なのか……?」
「イエ、だいじょばなかったから朝稽古に出向けなかったのですぞ……」
「いや、だから……怪我はなかったのじゃな?」
「ぇええ、まあ……」
 歯切れが悪い。
 咄嗟に出た言い逃れに違いない。嘘を吐くのが下手くそなのは元々知っていたが、酷い狼狽え方だ。
「まあ何かに襲われたとて、そなたなら返り討ちにするのは朝飯前じゃろうが……。まぁ怪我が無いなら良かった」
 ほっとしてうっかり笑いかけてしまったものの、鳴海の視線は明後日の方向にお出掛けしたまま一向に戻ってこない。
「お、襲われたのは本当の事ですぞ! ただその……」
 ごにょごにょ口の中で呟く、蚊の鳴くような声はよく聞き取れない。
「だから何奴だったのじゃ、その命知らずは」
「…………そっそれはその、ですな……、す、睡魔が」
 辛うじて拾い上げた回答を聞くと同時に、瑠璃の平手が鳴海の上腕をぴしゃりと叩き払った。
「阿呆か!! そんなもんただの寝坊じゃ!! 心配して損したわ!!!」
 近頃は不穏な気配も色濃く、城下にも他国からの出入りが多くなっている。
 そんな折に襲われたなどと聞けば、背筋も凍り付く。
 それが寵愛する家臣なら尚の事である。
「申し訳もございません」
 鳴海は素直に詫びたが、お陰で口喧嘩の憤りもすっかり冷め切ってしまった。
「ですが瑠璃様。即座に激昂を忘れ、御心を乱さんばかりにこの身を案じて下さろうとは、やはり瑠璃様の腹心はこの鳴海を置いて他には居りませんな!」
「なんじゃ突然」
 今まで気まずそうに目を泳がせていたのが、今度は少々口の端を持ち上げたまま、ちらちらと瑠璃の背後を見遣っている。
 瑠璃が背後を振り向けば、銃太郎が顔を曇らせてじっとその場に控えていた。
「あー……」
 とんと抜け落ちていたが、銃太郎にしてみれば実にどうでも良い茶番を見せられている気分だろう。
「銃太郎殿、申し訳なかっ──」
「ちょっと瑠璃様に砲術をねだられたくらいで良い気になるなよ小僧……!」
「やかましいぞ鳴海」
「べっ別に私は良い気になってなど──」
「瑠璃様に何かあればこの私が叩き斬ってくれる!! 肝に銘じておくがいいわ!!」
 鳴海にしてみれば、瑠璃を妹のようなものと思っているのだろう。
 瑠璃が幼少の時分から、身近に控えているのだ。
 それも当然と言えば、当然かもしれない。
「はー、分かった分かった。小言が言い足りぬなら、後で私が聞いてやる。だから銃太郎殿を責めないでもらえるか」
 またぞろ銃太郎を口撃し始めた鳴海に辟易して、瑠璃はどっと肩を落とした。
 こちらが折れたと分かると、鳴海もやっと鼻を鳴らして憤りを収めた。
「もー、姫様いつまでもそんなとこで何なさってるんですかー」
 漸く場が収まろうかというところで、門の奥から瑠璃を呼ぶ声がした。
 じゃりじゃりと砂を鳴らす音と共にこちらへ向かってくるのは、瑠璃の帰りを待ち兼ねた侍女の澪であった。
「姫様も鳴海様も、さっきから城中に丸聞こえですよ。こんな時分にきゃぴきゃぴしないで頂けます?」
「だってだな! 瑠璃様が事もあろうに、銃太郎と二人きりでお戻りに……! 不埒千万とはこのことよ!」
「ですから大谷殿はどうしてそう、私を狼扱いしたがるんですか……」
「もー、鳴海様も素直じゃないですね」
 そう言いながら、澪はぷっと噴き出す。
「鳴海様は銃太郎様に腹心の座を奪われやしないかとヤキモチ焼いてるだけなんですよ」
「!!! ちょっ、違……!!」
「違いませんよー」
 澪の言葉に僅かばかり首を傾げてから、瑠璃は鳴海の顔を凝視する。
 それが図星で照れているのか、はたまたこれも篝火のせいなのか、鳴海の顔は夜目にもはっきりと紅潮している。
 瑠璃は、にんまりと怪しく微笑んだ。
「ほほーぉ? 鬼の鳴海にそんな可愛げがあったとはのう?」
「何だ、そんな事で私を目の敵にしておられたのですか……」
 ほっとしたような、納得のいかないような複雑な声音で、銃太郎が言った。
「安心せい、鳴海はこれからも私の師じゃ。まあ、今後は専ら砲術に精を出す予定だけど」
「わっ私の稽古にも勿論、出られるのでしょうな!?」
「そなたが寝坊しなければな」
 そうしてこれより、逐一鳴海の悋気が瑠璃と銃太郎に降り掛かるのであった。
 
 
 【第三章へ続く】
 
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