308 / 332
番外編 重ねる日々
兄と義姉と恋人
しおりを挟む
バッシュが退勤の挨拶をしようとサイラスのところに顔を出したとき、彼は居間にいて、ミシェルとともにタブレットで過去の写真を見ているところだった。
フォト用のプリンターも用意されていて、印刷された写真が数枚、テーブルに広げられている。
写真の入れ替えをしていたようだ。
居間のあちこちに乱立している写真立ては、家族がそれぞれ担当を持っていて、自分の好きなものを飾ることになっている。季節やイベントに合わせて変えたり、お気に入りのものは年中目立つところに置いたりするのだ。
執務室から中継される国王のテレビ演説で、いつも小道具的に映っている写真も、ここからエドゥアルド自身が選んでいる。
「失礼いたします」
声をかけると、ミシェルに手招きされた。
「お疲れさま。就業時間?」
「はい」
あの忌々しい出来事のあと、ミシェルは夫の侍従であるバッシュを、エリオットの恩人という特別なカテゴリーに分類して親しく声をかけるようになった。まだふたりの関係については秘密にしているが、バッシュがエリオットの信頼を得ているらしいということは知っている。
「時間があったら、ちょっと見ていかない? ラスとエリオットの子どもの頃の写真なの」
それは気になる。
主人の写真は資料としてさまざまな年齢、シチュエーションのものを飽きるほど見てきたから、特に目新しいものはないだろう。しかしエリオットの写真となれば話は別だ。サイラスやフェリシアの後ろに隠れていようが見切れていようが、彼が写っているものはすべて目に焼き付けておきたい。
サイラスが「早く帰れ」といいたげな目でこちらを見ているが、誘ったのはミシェルだ。
「拝見します」
バッシュはすました顔で、夫婦が座る長椅子のそばからテーブルの写真を覗き込んだ。
「ほらこれ、このソファで撮ったのよね?」
「あぁ、生後三日目くらいだったかな」
ミシェルがまず手に取ったのは、まさにこの場所で撮られた写真だった。
二十三年前の幼いサイラスが、長椅子に座ってミノムシのような赤ん坊を不器用に──しかし満面の笑みで──抱っこしている。
柔らかそうなおくるみに包まれた、新生児特有の赤いしわくちゃな顔。ふわふわと薄く生えている白っぽい髪と、ちょっと尖った唇は、いまも変わらない。間違いなくエリオットだ。
文句なしに可愛い。
はぁ、とミシェルがうっとりしたため息をつく。
「赤ちゃんって、見るだけで自然と笑顔になるわよね」
「生き物としての生存戦略だな」
「情緒がないわよ。あなただってすごく笑ってるじゃない」
「あぁ」
サイラスが、ちらりとバッシュを見て得意げにうなずいた。
「母の侍女が抱いているとホニャホニャ泣いていたのに、わたしに渡された途端に泣き止んだんだ。兄としての矜持を刺激されるだろう」
「それは間違いないわね」
ミシェルが真顔で応じる。
なるほど、彼のブラコンはここから始まったのか。
まんまと生存戦略にハマってんじゃねーか、とエリオットのつっこみが聞こえてきそうだ。
「これは?」
次にミシェルが拾い上げたのは、ツナギのようなカバーオール姿のエリオット。一歳前後だろうか。床に座り込んで、一緒に写っている後姿のサイラスに両手を伸ばしている。この構図に、バッシュは見覚えがあった。
「エリオットさまが、初めて歩いた日ですね」
「わたしに向かって二、三歩だけ歩いて、座り込んだ後の写真だな」
つまりエリオットが初めて歩いたのは、サイラスのもとへ行くためだったと。
ミシェルの頭上で、バッシュはサイラスと視線を交わす。「自慢してますね?」「被害妄想じゃないか?」
誕生翌日、病院前でのお披露目は当時の映像が何度も放送されているし、初めて歩いた瞬間を撮影したポートレートも、メディアに提供されたデータを見たことがある。だがここにあるのは、国民に公開されるそれらから少し外れた、家族だけの思い出だ。
そこに割り込みたいと思うほど、不遜ではないつもりだった。
たとえサイラスが「羨ましかろう」といわんばかりの態度だったとしても、それはエリオットが「これがいい」と自分から欲しがったものに対する嫉妬で、根底には弟への愛情がある。
十年近く離れて暮らし、とっくに成人した弟とのことをここまで詳細に覚えているのがその証拠だ。
もっと本人に分かりやすく可愛がってやればいいのに、とは思うものの、それは両親がやるだろうから自分は別の守りかたをしようという、サイラスなりの責任感なのだとも感じている。
なんだかんだ、エリオットもサイラスを尊敬して頼りにしているところはあるのだし。
だがしかし、バッシュもいびられてばかりではない。
「妃殿下、実は先日カルバートンへ参りまして、ルードのシャンプーをなさるエリオットさまを撮影したのですが」
「本当?」
ミシェルの顔がぱっと輝き、サイラスの片眉がぴくりと上がった。
「その写真も飾るわ! あ、でも勝手に飾ったら嫌かしら」
「これから所用でエリオットさまのところへ伺いますので、わたくしから確認しておきます」
「じゃあ、エリオットがいいっていったら写真を送ってちょうだい」
「承知いたしました」
会釈すると、サイラスに睨まれた。「いまからでも残業させてやろうか」「わたしを待っているエリオットが残念がりますね」「いい度胸だ」「ありがとうございます」
視線で軽くやりあったあと、バッシュの主人は諦めたように片手を振る。
「では、失礼いたします」
「アレク」
「はい、殿下」
「……ほかにもあるなら送れ」
バッシュは丁寧に頭を下げた。
「エリオットさまのご了承がいただけましたら」
フォト用のプリンターも用意されていて、印刷された写真が数枚、テーブルに広げられている。
写真の入れ替えをしていたようだ。
居間のあちこちに乱立している写真立ては、家族がそれぞれ担当を持っていて、自分の好きなものを飾ることになっている。季節やイベントに合わせて変えたり、お気に入りのものは年中目立つところに置いたりするのだ。
執務室から中継される国王のテレビ演説で、いつも小道具的に映っている写真も、ここからエドゥアルド自身が選んでいる。
「失礼いたします」
声をかけると、ミシェルに手招きされた。
「お疲れさま。就業時間?」
「はい」
あの忌々しい出来事のあと、ミシェルは夫の侍従であるバッシュを、エリオットの恩人という特別なカテゴリーに分類して親しく声をかけるようになった。まだふたりの関係については秘密にしているが、バッシュがエリオットの信頼を得ているらしいということは知っている。
「時間があったら、ちょっと見ていかない? ラスとエリオットの子どもの頃の写真なの」
それは気になる。
主人の写真は資料としてさまざまな年齢、シチュエーションのものを飽きるほど見てきたから、特に目新しいものはないだろう。しかしエリオットの写真となれば話は別だ。サイラスやフェリシアの後ろに隠れていようが見切れていようが、彼が写っているものはすべて目に焼き付けておきたい。
サイラスが「早く帰れ」といいたげな目でこちらを見ているが、誘ったのはミシェルだ。
「拝見します」
バッシュはすました顔で、夫婦が座る長椅子のそばからテーブルの写真を覗き込んだ。
「ほらこれ、このソファで撮ったのよね?」
「あぁ、生後三日目くらいだったかな」
ミシェルがまず手に取ったのは、まさにこの場所で撮られた写真だった。
二十三年前の幼いサイラスが、長椅子に座ってミノムシのような赤ん坊を不器用に──しかし満面の笑みで──抱っこしている。
柔らかそうなおくるみに包まれた、新生児特有の赤いしわくちゃな顔。ふわふわと薄く生えている白っぽい髪と、ちょっと尖った唇は、いまも変わらない。間違いなくエリオットだ。
文句なしに可愛い。
はぁ、とミシェルがうっとりしたため息をつく。
「赤ちゃんって、見るだけで自然と笑顔になるわよね」
「生き物としての生存戦略だな」
「情緒がないわよ。あなただってすごく笑ってるじゃない」
「あぁ」
サイラスが、ちらりとバッシュを見て得意げにうなずいた。
「母の侍女が抱いているとホニャホニャ泣いていたのに、わたしに渡された途端に泣き止んだんだ。兄としての矜持を刺激されるだろう」
「それは間違いないわね」
ミシェルが真顔で応じる。
なるほど、彼のブラコンはここから始まったのか。
まんまと生存戦略にハマってんじゃねーか、とエリオットのつっこみが聞こえてきそうだ。
「これは?」
次にミシェルが拾い上げたのは、ツナギのようなカバーオール姿のエリオット。一歳前後だろうか。床に座り込んで、一緒に写っている後姿のサイラスに両手を伸ばしている。この構図に、バッシュは見覚えがあった。
「エリオットさまが、初めて歩いた日ですね」
「わたしに向かって二、三歩だけ歩いて、座り込んだ後の写真だな」
つまりエリオットが初めて歩いたのは、サイラスのもとへ行くためだったと。
ミシェルの頭上で、バッシュはサイラスと視線を交わす。「自慢してますね?」「被害妄想じゃないか?」
誕生翌日、病院前でのお披露目は当時の映像が何度も放送されているし、初めて歩いた瞬間を撮影したポートレートも、メディアに提供されたデータを見たことがある。だがここにあるのは、国民に公開されるそれらから少し外れた、家族だけの思い出だ。
そこに割り込みたいと思うほど、不遜ではないつもりだった。
たとえサイラスが「羨ましかろう」といわんばかりの態度だったとしても、それはエリオットが「これがいい」と自分から欲しがったものに対する嫉妬で、根底には弟への愛情がある。
十年近く離れて暮らし、とっくに成人した弟とのことをここまで詳細に覚えているのがその証拠だ。
もっと本人に分かりやすく可愛がってやればいいのに、とは思うものの、それは両親がやるだろうから自分は別の守りかたをしようという、サイラスなりの責任感なのだとも感じている。
なんだかんだ、エリオットもサイラスを尊敬して頼りにしているところはあるのだし。
だがしかし、バッシュもいびられてばかりではない。
「妃殿下、実は先日カルバートンへ参りまして、ルードのシャンプーをなさるエリオットさまを撮影したのですが」
「本当?」
ミシェルの顔がぱっと輝き、サイラスの片眉がぴくりと上がった。
「その写真も飾るわ! あ、でも勝手に飾ったら嫌かしら」
「これから所用でエリオットさまのところへ伺いますので、わたくしから確認しておきます」
「じゃあ、エリオットがいいっていったら写真を送ってちょうだい」
「承知いたしました」
会釈すると、サイラスに睨まれた。「いまからでも残業させてやろうか」「わたしを待っているエリオットが残念がりますね」「いい度胸だ」「ありがとうございます」
視線で軽くやりあったあと、バッシュの主人は諦めたように片手を振る。
「では、失礼いたします」
「アレク」
「はい、殿下」
「……ほかにもあるなら送れ」
バッシュは丁寧に頭を下げた。
「エリオットさまのご了承がいただけましたら」
29
お気に入りに追加
436
あなたにおすすめの小説
昔のオトコには負けません!老朽喫茶店ふたり暮らしの甘々な日々~マイ・ビューティフル・カフェーテラス2~
松本尚生
BL
(あ、貴広?俺)は?ウチにはそんな歳食った子供はいない。
オレオレ詐欺のような一本の電話が、二人の甘い暮らしを変える?気が気でない良平。貴広は「何も心配しなくていい」と言うが――。
前編「ある夏、迷い込んできた子猫を守り通したら恋人どうしになりました~マイ・ビューティフル・カフェーテラス~」で恋人同士になったふたりの二年後です。
お楽しみいただければ幸いです。
もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、騎士見習の少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる