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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章
8.ミッション開始
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侍従たちが手配した最初のデートは、小さな美術館だった。
首都の中でも王宮を中心とする景観保護区の一歩外側。エリオットが生まれる前、世界的な経済危機のあおりを受けて倒産した紡績工場のあたり一帯は、ここ数年で再開発が進んでいる。
訪れた美術館も、施設の老朽化を理由に解体が決まっていた。しばらく企画展などは行われず、所蔵品だけをひっそり展示するそこは、夏休み中にも関わらず老夫婦や幼い子供の手を引く家族が数組、昼間の暑さをしのぐ場所を求めて来館するだけだった。
この日はバッシュが南国の太陽を連れて帰って来たのかと思うほど日差しが強かったが、平べったい石造りの建物は黒っぽくて、覆いかぶさるようにうなだれるブナの木の影で、どこか陰気な雰囲気が漂っている。母のフェリシアが後援をしているガラル美術館──ロビーが吹き抜けのガラス張りで、外装は白いタイル──とは大違いだ。
来館者は、入り口で待っていたキャロルとスーツ姿の女性警護官が何者かを知らなくても、車から降りたエリオットと周囲を睥睨する警護チームを見て、一様に目と口を丸くした後、連れの肩や腕を叩いて囁き合った。若い夫婦に、遠くからスマートフォンを向けられるのを視界の端に確認してから、エリオットはキャロルに挨拶した。
「お待たせ」
「ちっとも、と言ったほうがいい?」
「デートっぽいね」
エリオットはキャロルを上から下まで見て、彼女の身長がそう高くないことに気付いた。
ステージの上では真っ赤なドレスで存在感を放っていたし、カルバートンに乗り込んできたときはヒールの高い靴を履いていた。きょう改めて目の前に立ったキャロルの目線は、底の薄いサンダルのせいか、エリオットより十センチ以上低い。
「その服、似合ってるよ。ミリーが着てそう」
白地に細かな植物がプリントされた、フラワーメドウのようなワンピースを指して言うと、なぜだか盛大なため息をつかれた。
「エリオット、いまの相手を大事にした方がいいわよ。あなた、女にモテないから」
「えっ……」
立ち尽くすエリオットに、キャロルはスカートのすそをつまんでお辞儀をした。
「仰る通りです殿下。いまや、ミシェルはわたしたちのファッションアイコンなの。彼女が着た服はどのブランドでも即日完売よ。この服は、同じものが手に入らなくて似たデザインを探したの。ご満足?」
「あ、えっ……け、経済回してるんだな?」
「あなたって本当……」
なに?
なにか間違えたのかと見回せば、キャロルだけでなくその警護官までが笑っていた。
とぼけたつもりもないのに。
ひやりと胸が冷えて、エリオットは思い出した。ここはフラットやカルバートンではないのだ。侍従たちはエリオットの失態を──内心どう思っていたとしても──笑ったりしないし、ナサニエルのからかいは嘲笑を含まない。バッシュに至っては言わずもがな。散々甘やかされて、自分がおかしな言動をしていないか、顧みなくなっていた。これはよくない。非常に。
どんな些細なことも、笑いのたねにされる。だから子どものころから注目されるのが好きではなかったし、いまもその苦手意識につまずいてしまう。
エリオットがよほど途方に暮れた顔をしたからか、細い腰に手を当てたキャロルは教師のように説いた。
「女を褒めるなら、そのひと自身を褒めなさいってこと。ほかの女を引き合いに出さずにね」
「あぁ……おれが悪かったです」
女性のエスコートがなってないと言われたことより、笑われた理由が分かり、それが正当な主張であったことの安堵のほうが大きくて、エリオットは肩のこわばりを解く。
始まりからして危ぶまれたが、中へどうぞと促すイェオリに助けられて、ようやく「デート」はスタートした。
首都の中でも王宮を中心とする景観保護区の一歩外側。エリオットが生まれる前、世界的な経済危機のあおりを受けて倒産した紡績工場のあたり一帯は、ここ数年で再開発が進んでいる。
訪れた美術館も、施設の老朽化を理由に解体が決まっていた。しばらく企画展などは行われず、所蔵品だけをひっそり展示するそこは、夏休み中にも関わらず老夫婦や幼い子供の手を引く家族が数組、昼間の暑さをしのぐ場所を求めて来館するだけだった。
この日はバッシュが南国の太陽を連れて帰って来たのかと思うほど日差しが強かったが、平べったい石造りの建物は黒っぽくて、覆いかぶさるようにうなだれるブナの木の影で、どこか陰気な雰囲気が漂っている。母のフェリシアが後援をしているガラル美術館──ロビーが吹き抜けのガラス張りで、外装は白いタイル──とは大違いだ。
来館者は、入り口で待っていたキャロルとスーツ姿の女性警護官が何者かを知らなくても、車から降りたエリオットと周囲を睥睨する警護チームを見て、一様に目と口を丸くした後、連れの肩や腕を叩いて囁き合った。若い夫婦に、遠くからスマートフォンを向けられるのを視界の端に確認してから、エリオットはキャロルに挨拶した。
「お待たせ」
「ちっとも、と言ったほうがいい?」
「デートっぽいね」
エリオットはキャロルを上から下まで見て、彼女の身長がそう高くないことに気付いた。
ステージの上では真っ赤なドレスで存在感を放っていたし、カルバートンに乗り込んできたときはヒールの高い靴を履いていた。きょう改めて目の前に立ったキャロルの目線は、底の薄いサンダルのせいか、エリオットより十センチ以上低い。
「その服、似合ってるよ。ミリーが着てそう」
白地に細かな植物がプリントされた、フラワーメドウのようなワンピースを指して言うと、なぜだか盛大なため息をつかれた。
「エリオット、いまの相手を大事にした方がいいわよ。あなた、女にモテないから」
「えっ……」
立ち尽くすエリオットに、キャロルはスカートのすそをつまんでお辞儀をした。
「仰る通りです殿下。いまや、ミシェルはわたしたちのファッションアイコンなの。彼女が着た服はどのブランドでも即日完売よ。この服は、同じものが手に入らなくて似たデザインを探したの。ご満足?」
「あ、えっ……け、経済回してるんだな?」
「あなたって本当……」
なに?
なにか間違えたのかと見回せば、キャロルだけでなくその警護官までが笑っていた。
とぼけたつもりもないのに。
ひやりと胸が冷えて、エリオットは思い出した。ここはフラットやカルバートンではないのだ。侍従たちはエリオットの失態を──内心どう思っていたとしても──笑ったりしないし、ナサニエルのからかいは嘲笑を含まない。バッシュに至っては言わずもがな。散々甘やかされて、自分がおかしな言動をしていないか、顧みなくなっていた。これはよくない。非常に。
どんな些細なことも、笑いのたねにされる。だから子どものころから注目されるのが好きではなかったし、いまもその苦手意識につまずいてしまう。
エリオットがよほど途方に暮れた顔をしたからか、細い腰に手を当てたキャロルは教師のように説いた。
「女を褒めるなら、そのひと自身を褒めなさいってこと。ほかの女を引き合いに出さずにね」
「あぁ……おれが悪かったです」
女性のエスコートがなってないと言われたことより、笑われた理由が分かり、それが正当な主張であったことの安堵のほうが大きくて、エリオットは肩のこわばりを解く。
始まりからして危ぶまれたが、中へどうぞと促すイェオリに助けられて、ようやく「デート」はスタートした。
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