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第四章 クラウディアを得んと暗躍する者達。
既に動いていたアンナ。
しおりを挟むシュヴァリエお兄様の執務する姿を拝見しようと出掛けた筈が…?
ただお茶を飲み、クラウディア好みのお菓子をいくつも食べ、大変楽しくお喋りをして、そろそろ頃合いかと帰るという―――
何のことはない、いつもと変わらない時間を兄と過ごしてきただけである。
な、なんていう事…!
ちょっといつもよりお茶の時間が長くないかい? と、不安を感じ、ここは私がしっかりと誘導せねばと、兄に仕事をさせようとすれば、既に終わっていると言われる始末。
執務室に出向いた意味…!
クラウディアの薔薇の蕾のような可憐な唇からそっと溜息が出る。
中身は少々残念仕様ではあるものの、外側はその美貌で皇帝を骨抜きにした側妃に瓜二つである。
いや、ひとつひとつのパーツは側妃よりも整っているのではないか?
何が言いたいかというと、黙っていれば大変美しいお姫様なのである。
色々と残念仕様ではあるのだが。
アンナがささっと着替えさせているのにも、考え事で頭がいっぱいのクラウディアは、面白い程に全く気付いていない。
手際よく脱がされると、装飾の少ない軽い服を着させられている。
(何だかんだと楽しかったからいいんだけど。目的はソレじゃなかったんだけどなぁ。執務に真剣に励む姿が見たかったのに。そうよ、いつも見慣れた姿ではない姿こそ見たかったのに。)
…いつもと違うといえば、ひとつあったな。
と、クラウディアは先程のあの瞬間を思い返す。
そういえば、シュヴァリエの貴重な生腹筋を見れそうなチャンスがあったではないか! と。
そして、今更に思い返し、しまったー! 勿体ない! と悔しいのである。
あの瞬間、コンマ一秒あったのか? と謎なくらいの早さでアンナに目を塞がれてしまい、チラリとも見る事は叶わなかったけれど。
(その後のアンナとシュヴァリエお兄様の会話が恥ずかしくてたまらなかったな…。)
そんな事をぼんやり考えていたら、お昼寝の時間になってしまったらしい。
いつの間にか軽くて動きやすい部屋着に着替えさせられていた。
「さ、姫様。少しお休みしましょうね。」
アンナにベッドに促されるままに、おとなしく横になる。
(アンナは凄い優秀だよ、何でもそつなくて無駄がないもの。)
着替えさせられているというのに、全く気付かなかった。
何か周囲の空気が動いてるなくらいの感覚だったので、びっくりである。
アンナの事はいいとして…。
何か忘れているような?
アンナに至急どうにかして貰わないといけないと思ってた事があったのだけれど…。
――なんだっけ?
中々思い出せないが、思い出さないと絶対ダメな事だけは分かるので、必死にそのモヤッとしたものを考えつつ横になっていた。
「あ……!」
やっと、その内容を思い出したのだった。
(確かにすぐアンナに言わなければいけないやつだった!)
お昼寝前の最終確認だとシーツを綺麗に整えていたアンナに「アンナ! あのね、お願いしたい事があるの!」と、横になった体をまた起こして呼びかけた。
「お願い、ですか?」
コテリと首を傾げ微笑むアンナは、いつ見ても慈愛を司る女神様のように美しい。
「うん、ほら、私達がお兄様の執務室へ行く時に――「ああ、それならもう手は打ちましたので、問題ありません。」」
勢い込んで話すクラウディア。余程気が急いているのか、表情には焦燥感が滲む。
それを言い終える前にアンナが遮り、心配の種はもうないのだと言葉にしたのだった。
「えっ、手を打った…? 本当に? いつ?」
唖然としながら疑問を並べるが、アンナは微笑んで頷くばかり。
「もう、アンナったら! 気になるじゃないの!」と、クラウディアは口を尖らせアンナに強請る。
「姫様が陛下とゆっくりとお過ごしになられている時に、姫様が憂う事のないよう掃除をしておこうと思い立ちまして。影に要件を伝え、そのままとある者に動くよう指示しただけですよ? 今頃は、綺麗に掃除を済ませた後の筈ですよ?」
アンナがアンナではないような、やけに艶っぽい笑みを浮かべた。
クラウディアは喉をコクリと鳴らす。
この先を訊いてみたいような、訊きたくないような…。
「とある者…?」
「ええ、大小様々な―――社会に蔓延る害虫駆除は勿論、様々なゴミの掃除を請け負い、まるで始めから無かったかのように綺麗にするのが掃除屋のお仕事です。
その掃除屋に、ゴミ掃除を頼みました。
よくわからないといったお顔をされていらっしゃいますね?
――姫様は会う事もないでしょうが…掃除屋は裏の者です、姫様。」
(裏の者…裏稼業の方?…いやいやいや、これ以上はやめておこう。背筋のぞくぞくが止まらなくなってきた。)
これ以上突っ込まない方がいいとクラウディアの第六感めいた直感が危険だと伝えてくる。
厄介な空気がアンナから伝わってくる事からも、私の直感は間違っていない!
(世の中には知らぬ方が幸せな事があるのだ。よし、もう何も訊かないぞ!)
クラウディアはひとつ賢くなった。
クラウディアは賢くなったが、アンナの発言は止まらない。
「ゴミ…は、姫様が陛下の執務室へと移動中、回廊の床に落ちておりましたよね?
姫様の護衛騎士であるエリアスは、その時、非常に重要な職務の真っ最中でございました。その邪魔をし、重要な職務での集中力を、私的な事で削がざるを得なくさせただけでも、大変赦し難いというのに、そのゴミはしつこく付き纏い、とうとうお優しい姫様の歩みをも止めさせた。いつ如何なる時にも隙を与えてはならない場で、ゴミは大変な愚行を犯しました。」
ゴミと連発されているが、それはもしかしなくても、あの令嬢のことだろうな…。
クラウディアは黙って訊いている。
「あんなゴミだというのに、身分は侯爵令嬢なのですよ、上位貴族…貴族の身分では、上から二番目の侯爵家―――どのように教育すればあのような令嬢になるのか不思議で不思議で。」
ククッとアンナが嗤う。
(アンナさん…怖い。)
アンナが話す度に、段々と女神のようなご尊顔が修羅の顔へと変わっていく。
その変化の様子を見て、ビクビクしながら余計な事は言うまいと口を噤むクラウディア。
しかし、返答を待つかのようにアンナに見つめられ、何か一言だけとクラウディアは当たり障りのない言葉で「こ、侯爵家のご令嬢なのですね」と返した。
「はい。私と同じ爵位の令嬢ではありますが、家格はこちらが上ですので、何か吹っかけられても返り討ちにする事は可能ですが―――。
面倒なので今回は掃除屋にお願いしました。
同じ爵位とは信じられない程に教養が無いおん、お方でありましたけど。」
(おん…?)
「姫様のお気に入りであるエリアスは伯爵家次男なので、侯爵家であるあの令嬢から格上の力技で来られると、後に少々面倒な事になると思い、今回即介入させて頂いたのですよ、姫様。」
「えっ、エリっ、お気にっ、ええっ!? 何で…バレ?」
わたわたと慌て、発言がカミカミになる、バレバレなクラウディア。
「最初に仰っていましたよ? 選定の時。今の態度で確信を得ましたが。
もう妙な気はあのオン…ご令嬢もなさる事はないでしょう。
ご安心下さいね。ああ、姫様がお望みでしたら、もう少し強めの掃除プランにしますが…?」
コテリと首を傾げるアンナ。
「ええっ!? いやいやいや! いいですっ、もう十分ですっ、プランっ!? もう掃除終わったんだよね? 追加はいいです! もうっ、アンナ! そんな悪い顔しちゃって、あの令嬢に一体何をしたのおお!? 」
絶対ろくでもない掃除に違いない。
知りたくはないが、でも知りたい。そんな乙女心である。
「太古の昔からある女の幸せをご提供しただけですよ。
特にあのご令嬢は結婚願望がお強いようでしたので。
素晴らしい縁談を(ご令嬢ではなく、そのお相手にとっては)ご用意させて頂きました。きっと泣きながら(悲嘆にくれて)神に祈りを捧げ(引きずられながらでも)嫁がれる事でしょう。」
(副音声が聴こえるのは気のせいでしょうか…。)
「そう…縁談が。」
「ええ、素晴らしい縁談を結ばれる事になったようですから、もうエリアスの事を思い出す暇すらないでしょう。姫様も憂いが無くなり一安心ですね。
ささ、お話はこれくらいにして、姫様は少しお休みくださいませ。
ぐっすり寝られますよう。」
素晴らしい縁談と話した時のアンナは、悪い顔で嗤っていた。
どうみても令嬢にとって素晴らしい縁談ではないように思う。
その縁談を用意したというのも裏の人…。
そこまで考えて、まぁいっか! とクラウディアは考えるのを止めた。
エリアスが変な事に巻き込まれなかっただけ良かったと思おう。
あの令嬢、絶対訊く耳持たないタイプだったし。
仕事中に何度も突撃されれば、エリアスの騎士としての査定的なのに影響するかもしれないしね!
うんうん、忘れた忘れた!
(それにしてもアンナ、最近いろいろと何か怖いよ? 前に住んでた所に居た時にはこんな顔したことなかったのに…)
そこがちょっと気がかりなクラウディア。
アンナが非情になる事を決意したのはクラウディアの為でしかなく、クラウディアが居る時の態度の方が珍しい訳で、本当の姿は非情な女傑のような人間なのだけれど。
そんな事をクラウディア本人は知らない為、ただ心配しているのだった。
「おやすみなさい、アンナ」
「おやすみなさいませ、姫様。」
クラウディアの頭をそっと撫で、上掛けをクラウディアの喉元まで引き上げる。
そして、クラウディアの胸元をポンポンと寝かしつけるように優しく叩いた。
慈愛に満ちた優しい表情、これだけは昔から変わらない。
クラウディアの瞼が落ちる頃、静かな足取りでアンナは退室したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「お手間をお掛けしました事、大変申し訳ありませんでした。
姫様にもお詫びを――――」
「エリアス、お前が謝罪すれば姫様が気にするだろう。
お前の罪悪感を薄める為の謝罪など自己満足でしかない。
悪いと思う気持ちがあるのなら、より一層、姫様の為にお仕えしろ。」
「はっ!」
「私も陛下も、姫様には優しい世界だけを、たとえ今だけだったとしても、見せておきたいのだ。
何れは、そう甘い事も言っておられなくなるのだろうから。
特にエリアス、お前は姫様のお気に入りだ。その憂い顔を絶対に見せるなよ。」
冷たい眼差しと厳しい口調。
鬼教官の名を欲しいままにする女帝のようなアンナ・ロードヴェイク上官。
その鬼教官も、姫様の事を語る時だけ、少しだけ眼差しが和らいだ。
「承知致しました。」
お気に入りとの言葉に、エリアスは少し頬が熱くなる。
姫様の、お気に入り。それはエリアスの心の何処かを甘く擽った。
「わかったなら、さっさと持ち場に戻れ。」
それを見透かされてしまったのかは分からないが、さらに感情のない声で命令されたエリアスは、両足の踵をカツンと鳴らし敬礼をすると一礼し踵を返した。
エリアスが退室するのを見届けると、アンナはハーッと大きく息を吐き出した。
面倒な事になる前に片付いた事にホッとしてもいる。
そのまま体を椅子の背もたれにどすんと預けた。
まだ最後の報告を訊いていなかったなと、焦点の合わないぼんやりとした目線を上へと向けた。
――しばらくの間をおいて、「どうなった?」と誰も居ない室内でアンナは呟く。
背後の空気だけがグニャリと変化したような雰囲気を感じ取ると、
「恙なく。明日にも令嬢はハイマー男爵へと嫁がれる事になりました。」
男の低い静かな声が淡々と事実を述べた。
それは、姫様に話した影の者の声。
「そうか、流石だ。今回はやけに仕事が早いな。褒美はいるか?」
アンナの背後でフルリと影が震えた気がする。
「…っ! では、姫様が手ずから刺繍を…」
切望した思いを隠しきれぬ声色で告げられた言葉。
その思いをアンナは一言で斬る。
「無理だな。」
「……。」
沈む空気。
もう少し説明するかと、アンナは口を開く。
「姫様の刺繍関連は全て陛下が管理している。
長年姫様を慈しみ仕えて来た私への物だって、姫様が泣きついてごねにごねて許可をもぎ取っていた。最初は一枚渡してくれたのが精々だったしな。
そんなやり取りを数回経て、今ではそれなりの枚数を頂いているが――――
異性だしな……難しいだろう。」
背後に立たれるのは些か気に入らないが、影とはそういうものらしい。
姿こそ見えないが、酷く落ち込み澱んだ雰囲気だけはしっかりと漂ってくる。
「……。」
「……。」
無理だと話しても去る気配が一向にない影の男。
このしつこさから、余程欲しいのだという事が伝わってきて、アンナは少し不憫に思う。
それにしても、何て諦めの悪さだ。仕方ない…と、アンナの口から諦めが詰まった大きなため息が零れた。
「私の分を分けてやるにしても、女性的な模様だが、いいのか?」
「……っ! 充分です! い、いいのですか!?」
アンナは思わず吹き出しそうになるのを堪える。
日頃の冷静沈着で有能なこの男は、声が上擦る程の喜びを感じているらしい。
「いいぞ。数枚持ってくるからその中から気に入ったのを選べ。」
「あ、ありがとうございます…っ!」
何かを思案するような沈黙。
「一枚だけですよね…?」
「一枚も無しでもいいが?」
「いいえ!一枚で充分過ぎる程でありました! 有り難うございますっ!」
アンナの声音に本気を感じて、慌てて言い直した。
「フン、欲を張るからだぞ。ここには無いからな。夜、姫様の就寝後にここで。」
「はい! 必ず!」
弾むような返答をすると、背後にあった影の気配が空気に溶けるように消えた。
「渡す際に言い訊かせなければな。陛下にはくれぐれもバレることのないようにと。」
影達にえらく人気な姫様、そんな姫様へと向けられる他者の好意に、例え相手が女であろうとも嫉妬する陛下。
影は男だという事を思い、面倒ごとをわざわざ引き寄せたかな? と、アンナは苦笑するのだった。
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