今宵、愛を飲み干すまで

夏目みよ

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03.無臭の痕跡

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 ノエルにたっぷりと愚痴を聞いてもらい、部屋を出た頃には、既に午前三時を回っていた。
 元々、ウェルズの始業時間は夕方の五時からだ。夕方の五時から日付が変わる零時まで授業があり、それ以降は自由時間になっている。特に消灯時間は決まっていないが、ほとんどの生徒は三時ぐらいまでには食事と入浴を済ませ、部屋に戻る。
 ちなみにウェルズで部活動をする場合は授業が始まる前に集まることが多い。リックは何処にも所属していないため、入浴を終えたあとは授業が始まる午後五時まで自由時間だ。たっぷり寝ても、勉強をしていても、誰も咎めない。

(アイツ、ちゃんと部屋、綺麗にしてんだろうな……)

 リックは風呂から上がったばかりで、まだ半乾き状態の頭をタオルドライしながら廊下を歩く。
 もうこの時間になるとあまり生徒は出歩いておらず、時折部屋の中から笑い声がする程度だ。リックも出来ればレイと馬鹿笑いする程度には仲良くなりたかったが、あの性格を思うと前途多難である。そもそも生活が成り立つ気がしない。
 どうかレイが眠っていますように、と期待を込めながら部屋の扉を開いたら、リックの祈りが届いたのか、既にレイはベッドの中にいた。
 部屋を出る前まで物が散乱していた床は綺麗に片付けられており、心なしか部屋全体も綺麗になっている気がする。埃や塵ひとつ落ちていないようにも見え、この短時間で掃除までしたのだとしたら大したものだった。

(俺が追い出すとか言ったからか……?)

 だとしても、片付けまでで良かったんだが、とブツブツ呟きながらベッドの淵に腰掛ける。
 レイの方を見ると、彼は電池が切れたロボットのように美しい寝顔、美しい寝相で眠っていた。レイの作り物のような顔を見ていると、なんだか気持ちが落ち着かない。女子だったら良かったのになー、と下品なことを考えてしまって、リックは気を紛らわすように頭を振った。

「俺も寝るか……」

 レイとのことは明日、考えればいい。それに、レイも編入してきたばかりで気が立っていたかもしれないし。
 なるべく穏便に済ませることにして、リックもベッドに入る。
 その日はなかなか寝付けず、手持ち無沙汰に何度も離れたところにある美しい横顔を眺めた。





 次の日、昼過ぎに目覚めると、既にレイは居なかった。

「どこ行ったんだ、アイツ……」

 ふわぁ、と大きなあくびをひとつ零して窓際に立つ。
 カーテンを開くと、真夏の日差しが部屋に降り注ぎ、リックの赤茶色の髪をより明るくさせた。
 生まれつきリックの髪の毛は赤毛に近い茶色で、目の色も茶色っぽい。他の弟妹たちは母と同じブロンドの髪で、瞳の色も青だった。リックだけが父譲りなのか、弟妹たちとは似ても似つかない色になってしまった。そのことを母はとても心配しており、リック自身も気になってはいる。
 だが、ウェルズはそんな髪の色や瞳の色など関係なく、多種多様な生徒が通っている。出自や境遇に関係なく受け入れているため、リックの風貌など大して目立つものでもなかった。

「さて、課題でもすっかなぁ……」

 数日前に、数学の課題が大量に出ていたことを思い出し、リックは顔を顰める。ちょうどそのタイミングで、コンコンと部屋の扉をノックされた。

「はい」
「あ、ノエルだけど、入っていい?」
「どーぞー」
「お邪魔しまーす」

 昨日のリックとは違い、律儀にノエルが声を掛けてから部屋に入ってくる。そういうところがいい奴なんだよなぁ、とリックは改めてノエルを心の中で褒めた。
 ノエルはリックの弟妹たちと同じく、金髪でブルーの瞳だ。小柄で声も少し高く、女子に見間違えるぐらい可愛い顔をしているが、やるときはやる男であることを知っている。
 入学早々、ガラの悪い奴に絡まれていたが、ノエルはリックが助けに入るよりも早く一網打尽にしていた。暴力でもって暴力に立ち向かうというよりは、のらりくらりと拳をいなしていたら、いつの間にか勝っていたパターンだ。ノエルは絡んできた奴を一掃すると、次に絡んできたら容赦はしないと吐き捨てていた。
 そんな普段はほんわかおっとりしているが、実は芯の強いノエルは、リックのよき友人であり相談相手だ。だからこそ昨日、ノエルに泣きついたわけだが、やはりカッコイイ奴というべきか。ノエルは部屋に入るなり、編入生は? と低い声で尋ねてきた。

「大丈夫? イジメられてない?」
「イジメられてねーよ。あと、アイツは起きたらいなかった」
「そう……」

 ノエルが、レイの私物やベッドがあるスペースを凝視する。部屋に入った瞬間から、ノエルはあまりいい顔をしていなかった。

「どうした? なんか気になるものでもあったか?」
「いや……なんでもないよ。ただちょっと変な臭いがするっていうか……」
「変な臭い?」
「……なんでもない。それより、数学の課題やった?」

 ちょうど手を付けようとしていた課題のことを聞かれて、リックはふるふると首を振る。どうやらノエルもまだ手を付けていなかったようで、一緒にやろうと誘いに来てくれたらしかった。

「おー、やろやろ。ここでやる?」
「できれば図書室がいいかな」
「りょーかい」

 机の上に広げようとしていた教科書やノートをまとめ、ついでにそのまま授業に出れるよう、必要な物を鞄に詰める。
 ノエルは終始眉を顰めたままだったが、リックにはノエルの言う変な臭いとやらが分からなかった。


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