僕のみる世界

雪原 秋冬

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一章

31.間違い

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「さっき伊織が言いかけてたことってなんだ?」

 散らばったプリント類を整頓しながら、話の続きを促す。

「…………。言うな、ってこと、らしい……」
「……? どういうことだ?」

 状況をよく理解できないまま、伊織の発言を肯定するかのように、プリントが一枚舞い踊った。

「俺が和樹に伝えたかったことを、伝えられない」

 ひらひらと舞うプリントを静かに手で取りながら、そんなことを口にする。
 ……何らかの意思が働いて、伊織を口止めしているということだろうか。いったい何が、何のために?

 もやもやとした気持ちを抱えたままではあるが、どうやら時間が来てしまったようだ。部室棟を出て伊織に別れを告げる。相変わらず何かを言いたげにしていたものの、口止めの件があるからなのか、それを言葉にすることはなかった。

 ――最近、須納の――……伊織はそう言いかけていた。ここだけで判断すれば須納にまつわる話になるのだが……、彼にメッセージを入れて様子を見るべきだろうか。けれど、もしかしたら須納には知られることなく、俺だけに伝えたかった可能性もあるわけだ。

 結局のところ、話の内容が分からなければ身動きのとりようがない。

 今ほかに考えられることは、先ほど浮かんだ追体験だろうか。なにもピンポイントで再現する必要はなくて、現状可能な範囲で追ってみるだけでも、何らかのヒントになるかもしれない。

 そう、たとえば、当時の伊織たちとよく遊んでいた場所とか。昔は「伊織が通っている小学校の近く」という程度の認識ではあったが、幸いにも昨日、その学校名を知ることができた。花狐森学園だ。

 名称さえ分かってしまえば、場所を探すのは容易い。廊下の適当な場所を陣取り、床に荷物を置いて壁に背を預ける。それからスマートフォンで地図を検索すると、伊織の家からなら比較的近いと思われる場所だが、俺の家から見ると少々遠い位置にあることが分かった。

 小学生の足でよく遊びに行っていたなと思ったが、幼さゆえの冒険心で遠出も厭わなかったのかもしれない。昔の俺がオカルト好きだったというのなら、なおさらだ。

 ……そうこうしているうちに、窓から差し込むオレンジ色が増していることに気づく。
 そろそろ図書室へ向かってもいいだろう。そう思い、床に置いていた荷物を持って歩き始めた。
 校舎内は異様なほど静かだ。そのせいで、俺自身の足音がいやに響き渡る。

「…………」

 ただまっすぐに、目的地だけを見据えて進もう。俺の目には普段と何ら変わらぬ校舎しか見えない。

 明鏡止水の心で図書室前までたどり着いたとき、思わずノックをしかけていた。なんの物音も聞こえてこないが、閉館の札はまだかかっていない。
 なるべく音を立てないよう気を付けながら扉を開けると、カウンターにいた宇佐見先輩と目が合う。

「もっと早い時間に来てもよかったのに」
「……すみません、人目がないほうがいいと思って」
「誰もそこまで見てないよ。どうせすぐ書庫に入るんだし、騒ぎ立てるわけじゃないんだから」

 それに、と言いかけて先輩は口をつぐむ。

「まあいいや。それほど長い内容じゃないし、さっさと読んじゃってよ」

 書庫へ案内され、昨日と同じように鍵を開けて資料を俺に渡す。


 ――イザナイさんについて 望苑学園版

 イザナイさんとは、この望苑学園を含めた複数校に存在する七不思議である。
 注釈:現在は望苑学園のみで確認可能

 この存在は眉唾物ではないと、宮原家と久門家が保証する。

 学校によってイザナイさんと接触する方法は異なるようだが、望苑学園では「丑の刻、一人で一号館の三階から四階の踊り場に設置されている鏡の前で『イザナイさん、聴いてください。イザナイさん、お願いします』と発言したあと、願いを連ねる」というのが正しい方法のようだ。

 巷で流布しているものでは「誰にも知られることなく」といった追加条件もあるが、これは間違いで、実際には関係なく聞き届けられる。
 しかし、この部分を訂正する必要はない。

 イザナイさんは夜間、学園敷地内の管理も可能であることと、七不思議尊重のため、警備の類は一切契約していない。
 校舎閉館を過ぎても帰宅せず、夜間まで滞在し続けた場合の安全保障はできないことを留意されたし。

 望苑学園の担当は宮原家である――


 ……これが書かれていた内容だ。

 教職員に向けて作られたものだろうか。昨日新たに知ったことも含めて、それらの情報を裏付ける内容になっている。

 その中でも俺が知らなかった部分は「『誰にも知られることなく』は間違い」であることと、「望苑学園の担当は宮原家」というあたりか。

「それほど面白い情報はないでしょ?」

 確かに目を見張るような情報はない。守芽植先輩が知っていたことを鑑みても、それほど秘匿性はないものなのだろう。

「……この内容について質問してもいいですか?」
「まあ、答えられる範囲でなら」
「望苑学園の担当というのは?」
「文字通りだよ。この学園の担当。昔はここ以外にもイザナイさんはいたからね。ただ、担当といっても直接的な関わりはほとんど持ってないけど」

 それくらい推察できるでしょ、とでも言いたげではあったが、先輩は答えてくれる。

「……、ありがとうございます。じゃあ、誰にも知られることなく、が間違いというのは……?」
「それも文字通り。校舎に入れて、イザナイさんのいる鏡のところまでたどり着ければ問題ない。でも侵入できるのは基本的に一人……、のはずなんだけどね」

 何か思い悩むように、声のトーンが落ちる。俺がグループで侵入できたことを指しているのかと思ったのだが、どうも違うように見えるというか……、心ここにあらずという風に感じるのは気のせいだろうか。

 返された資料をしまっている彼の背に向けて、さらに質問を投げかける。

「誰かに知られてもいいのなら……、俺たちにあんなことが起こったのはなんでなんですか」
「……前にも少し話したけど、僕や宮原の者でも把握していない何らかの変化がイザナイさんに起こってるんじゃないかな」
「どうしてそんなことが……」

 しまい終えた彼がこちらに向き直る。

「さあ。たまたまそう変化した……という説は僕にとって納得のいかないものだから、何かきっかけがあったんだろうけど……」

 思案する先輩の表情が、苦々しいものに変わった。何か思い当たる節でもあったのだろうか。

「まさか……、いや、でも……」

 どうしたんですか、と声をかけそうになったが、邪魔しないほうがいいと判断してすんでのところで押しとどめる。手持無沙汰になった俺は、窓のほうへ目を向けた。外はもうほとんど日が落ちており、地平線付近にオレンジ色が残っているくらいで、紺色が大半を占めている。

 校舎に滞在できる時間も、もうそれほど残っていないだろう。
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