僕のみる世界

雪原 秋冬

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序章

11.不自然

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 静寂に包まれる中、図書室の窓から出て送迎用ロータリーのほうへ向かう。というのも、先導する伊織がそちらを目指しているようだから、俺たちはそれについて行ってるだけなのだが。
 こうして外を歩いていると、先ほどまでのことが嘘のように思えてくる。聞こえてくるのは、道中にある芝生や整備された歩道を踏みしめていく足音と、息遣いだけ。誰も、なんの言葉も発しなかった。

 ロータリー用の出入口となる門のそばまで来たところで、伊織が立ち止まって「少し待っていてほしい」というような仕草をしたあと、スマートフォンを取り出して画面を確認し、俺たちから少し離れた場所へ移動していく。
 もしかして画面が戻っているのか? そういえば校舎内にいたときも、どこかへ連絡しようとしていたな。

 どうしようかと少し悩んだあと、俺は東雲を須納に任せて、伊織のところへ向かう。
 こちらに背を向けている伊織は、やはり誰かと通話をしているらしく、静かな敷地内に伊織の声が染み渡っていた。しかし、何を言っているのかまでは判別できない。
 盗み聞きをするのはよくないだろうと思いつつも、相手が誰なのかということと、その内容が気になってしまう。

「――――が近くに?」

 もう少し近寄ってみると、聞き取れるほどになっていた。俺がそばまで来ていたことに気がついたらしく、ちらりとこちらを見るが、咎められることはなかった。

「……みんなのことを任せるよ」

 俺から見ても少し分かりづらいが、伊織は少々困っているように見受けられた。現状に関してではなく、電話によって知らされたこと――誰か、もしくは何かが近くにいることに対して、だと思われる。
 それから二言、三言ほど通話の相手と言葉を交わしたあと、スマートフォンを耳元から離す。どうやら通話は終わったようだ。

「戻ろう」

 自由に話せるようになってからも、俺が近くまで来ていたことには触れずに一言だけ発すると、二人がいるほうへ歩き出していた。その後ろをついて行こうとして振り返ったところで、須納と東雲がいるはずの場所に、人影が増えていることに気がつく。

 一瞬、胸がざわついたが、姿をはっきりと確認できるほどの距離になると、十中八九生きた人間であると判明し、一抹の不安を残しながらも安堵した。

「……あ、えっと……何かあったの?」

 俺たちよりも年下だろうか。東雲はずっと座り込んでいるから想像でしかないが、おそらく背は彼女よりも高いくらいで、顔つきも比較的幼いと言える。重々しい空気をまとっている須納や東雲とは裏腹に、眼鏡をかけた彼は戸惑いながらも、明るい面持ちで話しかけてきた。
 須納や東雲にも同じように問いかけていたのだろうが、二人は答えられる余裕がなかったか、納得できる回答が得られなかったのだと思う。

「……誰?」

 思わず漏れた俺の言葉に、見知らぬ彼は答える。

「ああ、ごめん! 僕は宇佐見悠斗。この学校の生徒だよ。近所に住んでるんだけど、なんだか騒がしかったから、気になって様子を見に来たんだ」

 この学校の生徒というのはさておき、ここへ来た理由がどうしても引っかかった。俺たちは「何か」……イザナイさんと思しきものに追われて逃げてきたから、見つからないようにしていたのと、先ほどのショックから静かすぎるくらいだったはずだ。

 深夜で街が静かだから音が響きやすいと仮定しても、それで臆せずに一人で様子を見に来られる胆力も驚きだ。所詮、野次馬精神というものなのかもしれないが、どうしても不自然だと思わざるを得なかった。

「迎えが来る。あなたは帰って」
「……そう。つまり、大丈夫だから関わるなってことが言いたいの?」

 相手を説得するにしては、明らかに足りていない伊織の言葉を、しっかりと理解していることに驚いた。もっとも、伊織は普段から近寄るな、関わるなといった雰囲気を醸し出しているから、その部分から読み取った可能性もあるけれど。

「ふうん……まあ、『宮原くん』がそう言うのなら、そうしようかな」
「…………」

 宇佐見と名乗った彼は、たっぷりと意味を込めるように、とげのある言い方で続ける。そしてどうやら、伊織のことを知っているらしかった。まあもともと、伊織の家が有名だからその関係かもしれないのだが、話しぶりからして、どうにもそれだけではないように感じた。

 深夜帯の暗さで気付いていなかった可能性もあれど、東雲は血まみれで、伊織にも少々血がついている。そんな状況を偶然目の当たりにしたならば、もっと取り乱したり、驚いたっていいはずだ。それなのに平然としているということは、俺たちがこんな状況に陥ってしまった原因、あるいは出来事を、彼は知っているのだろうか。
 何も言わない伊織を睨みつけながらも、宇佐見は去っていった。緊張に包まれていた空気が、少しばかり緩和する。

 それからほどなくして、一台のリムジンがロータリーの出入口で停車した。先ほど伊織が言っていた迎えか。その後部座席のドアが開き、現れたのは――都織さんだった。
 彼女はまっすぐ伊織に……というよりも、校舎のほうへ向かおうとしたようだが、途中で伊織が遮った。

「都織はみんなを」
「どうして? 急ぐでしょう?」

 伊織の瞳が揺れる。思案するような、ためらいのような間があってから、声量を落として続きの言葉が紡がれた。

「見ないほうが……いいから」

 それに、と伊織は続ける。東雲のほうに視線を送ると、都織さんもそれに倣って彼女を視界に入れた。憔悴しきった痛々しい姿を目の当たりにした彼女は、暗く悲しげな表情を浮かべる。どの程度かは分からないが、伊織から話は聞いているのだろう。

「でも……伊織」

 都織さんはまだためらっているようだった。校舎へ赴き、何かを成し遂げようとする気持ちと、東雲を筆頭に俺たちを気遣う心がせめぎ合っているらしい。

「俺は平気だから」

 そこで俺はようやく、ある違和感に気付いた。このまま全員でリムジンに乗り込むはずが、都織さんがただ一人で校舎へ向かおうとするから伊織が止めたものだと思っていたのだが、どうにも伊織からここから離れようとする気配を感じられない。

「……申し遅れました。宮原都織です」

 都織さんはこちらに向き直り、静かに自己紹介をする。俺のことを覚えているかどうかはさておき、主に初対面だと思われる、須納や東雲に向けた言葉だと思われる。

「あ、ああ……」

 急にかしこまった態度を取られて、うろたえる須納。

「一度、みなさんにはうちに……宮原家に来てもらうことになっているの」
「……そうか……」

 須納はてっきり反発するかと思っていたが、それとは反対に、安心したような面持ちに変わっていた。

「和樹くんも、いい?」
「え? まあ……。……伊織は?」

 急に名前で呼ばれて面食らったが、伊織の動向が気になった。

「伊織は……、その、やることがあるから」
「やることって……一人でか? いくらなんでも、危険すぎるだろ」
「弟が来る」

 一人ではないと言いたいのだろうけれども、危険だということに変わりはない。第一、俺たちがいま離れたら、弟が来るまで伊織は一人になってしまう。

「行きましょう。和樹くんと須納くんは、前に停まってる車に乗って。私と東雲さんはこっちに乗るから」

 よく確認してみれば、都織さんが乗ってきたリムジンの前に、もう一台リムジンが停まっていた。

「あれ、伊織がここへ来るときに乗ってきた車なの。帰りは弟が乗ってくる車があるから、大丈夫よ」
「伊織を一人にしていくのか? 弟が来るまでここにいたほうが……」

 都織さんはこの辺りを見渡したあと、校舎をじっくりと見つめる。

「……ひとまず、中に入らなければ大丈夫……だと思う。今回は初めてのことばかりで、イレギュラーが多いから、はっきりと言い切れないけれど……。でもきっと、いざというときは……」

 そう言いながら、伊織のほうへ視線を送った。しかしそれは伊織を見ているというよりも、そこから少しだけ目線をずらして、別の何かを見ているようだった。
 不安はぬぐい切れないものの、今は宮原家に向かうしかないようだ。肺に溜まっている重い空気をゆっくりと吐き出してから了承の意を示し、須納と共に車へ乗り込んだ。
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