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 オルギールが戻ってくる。

 私は頭の中で反芻した。
 ということは、今はアルバにいないのか。それとも比喩的な意味で、近くにはいるのだけれど、いずれ「私の傍に」戻ってきてくれる、ということなのか。

 「……ルードもまだまだのようだな」

 ユリアスは私の肩に置いた手をそのままに、まあ俺はもっとそうか、と自嘲気味に呟いている。

 わけがわからない。
 シグルド様のことは、今はいい。
 戦争には勝ち、ご無事で戻ってこられるならそれを待つだけだ。
 でも、オルギールは何をしているんだろう?

 「ねえ、ユリアス。できれば、教えて頂きたいのだけれど」
 「何なりと、姫」
 「オルギールはどこにいるの?何をしているの?」

 緑柱石の瞳を見上げて私は思ったことを口にした。

 「まあ、知りたいだろうな」

 ユリアスは微苦笑とともに言って、軽く置いていた手を滑らせ、私の肩をそっとひと撫でした。
 
 すいぶん、一晩で距離が近くなったものだな、と思うけれど、まあいい。
 細かいことは気にしないことにしたのだ。ぼんやりしていたけれど、昨晩のレオン様とユリアスのやりとりは覚えている。私が三公爵の共有の妻になること。そして、レオン様は何度も「いずれは」と言っていたけれど、どうやらその時期は早まるらしい。決定事項らしいから。

 それより、オルギールのことを知りたい。彼に聞こうにも今はいないし、レオン様とは致す暇はあってもゆっくり話す暇もないし。

 「……オルギールはアルバにいたりいなかったり。まあ、猛烈に多忙にしている」
 「何をしているの?」
 「地盤固めやら引継ぎやら」
 
 何それ。さっぱりわからない。
 
 首を傾げつつさらに質問しようとしたのだけれど、不意に、唇にそっと指が置かれて面食らってしまった。
 ユリアスの指が、私の唇に。

 何これ。もっとわからない。

 「何なりと、と言っておいて悪いが今俺が言えるのはここまでだ」

 あっけにとられた私の機先を制して、ユリアスは言った。
 私に質問を許さないようにか、やんわりとはいえ唇に触れる指はなかなか外してもらえない。

 やだ、ユリアス。と、小声で言ったつもりだけれど、聞こえなかったのか聞こえていて無視したのか、ユリアスはお構いなしに乗せた指をゆっくりと左右に動かして……つまり、指で私の唇を撫でている。
 振り払おうと身を捩ってはみたものの、捩った先、背けた先に指がついてくるだけ。

 せめてもと憎たらしい緑瞳を睨んでやったのだけれど効果なし。それどころか、穏やかで静かに凪いでいた筈の瞳に妖しい光が灯ったようで、たじろいでしまう。

 「詳しくは俺から言うべきではない。言える話なら初めからオルギールがあんたに話しているはずだ」
 「……」
 「あいつにとっても生き方を変える相当なことだ。戻ったら何でも話してくれる。それまで待っていればいい」
 「……」
 「言うべきではないし、俺からは言いたくない、口にしたくない、ということもある」

 そこまで言うと、あとは黙っていつまででも私の唇を撫でている。

 ……だんだんムカついてきた。

 謎かけみたいなことしか言わないからさらに混乱するだけだし、艶めいた目で(そう。真昼間から認めたくはないが、妖しい光、というのはまさにそっちの方面のことだ)ひとの唇を撫でまわしているし、何が言いたいのだ。

 「俺とともにいても、ルードの話をしていても、今のあんたの頭の中はオルギール、か」

 ユリアスは独り言のように言う。
 ずっと一緒にいたもの。当然でしょう?と、私は声に出さずに応じる。

 「レオンも複雑だろうよ。昨晩の様子からすれば」

 勝手に納得して勝手に喋るのは止めてほしい。  
 我慢がならなくなった私は、反撃に出ることにした。暴力をふるうのではないから問題ない。

 「えい!!」
 「!?った……」

 がぶり!とユリアスの指に噛みついてやったのだ。
 もちろん、大した力は込めていない。でも十分不意打ちにはなったはずだ。

 「ざまあみろ、よ、ユリアス!」

 予想通りの反応。慌てて指をひっこめたユリアスに、私は意気揚々と言い放った。
 昨晩の鼻先にちゅうのときも思ったけれど、公爵様は不意打ちに弱い。御貴族様ですからね。
 あ、レオン様は別、だけれど。あの方は舐めてかかるとえらい目に合う。
 でも、実はほんの少しだけ、ユリアスに対しては舐めてかかっているかもしれない。ユリアスは反応が余裕綽々じゃないところが若さがある、と思う。
 
 「奥歯に物が挟まった話し方しかしてくれない。自分だけ納得して喋る。感じ悪いわ、ユリアス」
 「……」

 今度はユリアスがだんまりになった。
 私に噛まれた指を見、私を見、唇を引き結んでいる。
 
 ちょっと怒らせたかな?と心配にはなったけれど、歯型が付くほど噛んだわけではない。
 いきなりひとの唇なんて撫でるからだ。

 「思わせぶりな事を言わないで。結局なんにもわからない。それどころかもっと混乱させられた」
 「……」
 「ユリアス、何かお返事は?」
 「……」

 悪かった、とか、なんとか一言でも言ってくれればそれでよかったのだ。
 でも、ユリアスは黙ったままで。

 それどころか、なんと私に噛まれた指を口に含み、紅い舌を見せつけるように伸ばして舐めている!

 「ちょっ……!?」

 衝撃の映像に息を呑むと。
 ユリアスは指を舐めながら薄く笑った。
 悪い笑み。……色っぽくて、邪な。

 「悪かった、姫」

 指を咥えたまま、ユリアスはニタリ、と笑った。
 こんな顔もできるのか、ユリアスは。
 
 冷たい汗が背中を伝う。
 調子に乗ったか?私。……ちょっと、ほんのわずか、噛みついただけだが……

 「いいぃ、いえ、もうお詫び、けっこうです」

 本能的な恐怖心にかられ、私はへんてこな丁寧語と共に震え声で言った。
 
 「それよりユリアス様、ずいぶん長居をしてしまいました、私そろそろ失礼を」
 「ユリアス、だ」

 彼はこんな状況下でもしっかりと訂正を要求した。
 
 肩を撫でていた手は、いつのまにか腰に回されていた。舐めていた指を離し、そちらの手も同様に。ようは両手で退路を封じられ、ユリアスに囲い込まれ。

 ──明るい空中庭園の一角。知らない花の香、鳥のさえずり。こんなにも麗らかで気持ちの良い午後なのに。

 私は個人的に緊迫していた。
 ユリアスは凄みのある笑みを浮かべたままどんどんその整った顔を近寄せてくる。

 「ユリアス、だ、姫」
 「ユリアス」
 「今日は空けておいたと言ったろう。ゆっくりしていけばいい。……夜まで」
 「いや、それは……夜まで!?」
 「……一緒にいてほしい」
 「はあ!?」

 最後はまさかの懇願になって、私は素っ頓狂な声を上げた。
 怒涛の押せ押せに転じたユリアスは至近距離で奇声を発した私に怯む様子もなく。

 「ちょっと!?……ユリアス、ユリアスってば!!」

 ぎりぎりまで近づいたユリアスの顔が、不意に沈んだ。
 
 ──私の胸に。正確には、胸の谷間に。昨日ほどの胸あきの衣裳ではないとはいえ、しっかりとそこが強調された私の胸元に。

 くちづけされるのかと思ったのだけれど、ユリアスの鋭く整った美貌は唇をスルーして私の胸の谷間を直撃したのだった。  
  
 昨晩に引き続きこの仕打ち。
 お胸大好きユリアスは谷間フェチだったらしい。
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