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 レオン様の天幕は広い。

 イメージ的には、元の世界の遊牧騎馬民族の移動式住居「ゲル」みたいな感じだけれど、入口から天幕の中全部が見渡せるかというと、そうではない。間仕切りというか、目隠し、というか、かろうじて寝台の前には小さいとはいえ衝立が置いてあった。細い、頼りない衝立だけれど、このときほどその存在が有難いと思ったことはない。

 「レオン様。……リヴェア様はお目覚めですか?」

 衝立の向こうから、けれど、入口からあっと言う間に距離を詰めたらしい。逆に言えば、衝立のすぐ裏から、オルギールの声が聞こえた。

 「起きてる。というより、お前」

 レオン様はふんと鼻を鳴らした。

 「見計らって来たんだろうが」
 「見えてはおりません。……まあ、気配といいますか、リヴェア様のお声は少し」

 冷静に言わないで!恥ずかしい!!!
 穴があったら入りたい。何を聞かれたのか、考えたくない。

 レオン様、あなたのせいですよ!と精一杯の非難を込めてレオン様を睨んだのだけれど、えっちな俺様公爵はどこ吹く風だった。

 「立ち聞きか。いい趣味だな、オルギール」
 「私だから聞こえただけですよ。他の者には聞こえません。……ご心配なさらず、リヴェア様」

 最後のひとことは、私に向けられたようだ。優しい、甘い声。
 どうせ、私の頭の中など掌をさすようにわかるのだろう。
 
 わずかに肩の力を抜いた私をレオン様はちらりと一瞥して、私の足通しに突っ込んでいた手を(今まで突っ込みっぱなしだったのだ)引き抜いた。
 そして、すっかり濡れた手を、薄い、締まった口元にもってゆく。
 愕然として見上げた金色の瞳は、悪戯っぽく、そしてはっきりと色を含んで煌めいている。

 「ちょっと……!!レオン様!」
 
 思わず声を上げてしまった。
 気配を殺していよう、と思ったのだけれど、あまりに卑猥な光景に黙っていられなかったのだ。
 
 びちゃり、と、音を立ててレオン様は自分の指をひと舐めした。
 あり得ない。気を失った後、湯あみもしてないのに……!
 
 「やだ、レオン様、汚い……!!」
 「失礼致します」

 私が血相を変えてレオン様の暴挙を止めようとするのと、オルギールが許しも得ずに衝立の陰から姿を現したのは、ほぼ同時だった。

 黒づくめの甲冑。兜を被っていないだけで、まだまだここが陣中であることを思い出させる恰好だ。
 それを言うなら、不埒な振舞いをするレオン様も武装したままなのだけれど。

 明度を抑えた灯火の中でも、紫の瞳は相変わらず宝石のように綺麗だ。
 その綺麗な双眸が、レオン様に、そして私に、まっすぐに向けられる。

 恥かしくてオルギールに顔向けできない。……レオン様の膝に乗っているだけならまだいい。こういうシチュは初めてではない。けれど、すっかり濡らしてしまった着衣、そしてこの匂い。レオン様は平気で指を舐めているし、なにをしていたか一目瞭然に違いない。
 
 「なんだ、オルギール。……空気を読め」

 私を膝に乗せ、濡れた指を咥えたまま、平然とレオン様は言った。
 眼差しだけは剣呑だけれど、さすが公爵様というべきか、まるで動じない。

 「取り込み中だ」
 「……リヴェア様が嫌がっておられるならお止めするべきかと思いまして」 

 珍しく、オルギールが正統派騎士モードを発動させて言った。……あくまでも、発言の内容だけは。
 眼差しは鋭く、決して親切とばかりは言えない目力に、身が竦む。
 それに、本当の騎士ならここは見ないふりをして立ち去るべきではないのか。

 「なるほど。……イヤだったか?リーヴァ」

 びちゃびちゃ、と舌を鳴らして指を舐めながら、レオン様は言った。

 私にふらないで!

 ……と、心から思ったので、意地悪な質問にはそっぽを向いて答えないことにする。

 「ん?リヴェア、どうだった?」

 うん、甘いな!と何がそうなのか考えたくもないものをしっかりと舐め終え、レオン様は私の顔を追って覗き込んできた。
 私はさらにそっぽを向く。このひと、えっちで意地悪過ぎる。

 「こんな状況ではイヤ」なのであって、その行為そのものがイヤなわけではないのだ。
 久しぶりだし、レオン様のことは大好きだし。気持ちがいいに決まっている。
 だって、潮吹き、してしまったくらいなのだから。
 
 沈黙は金。
 私は、ひたすら沈黙を貫いた。

 「……かわいいな、リーヴァ。恥ずかしいか?」

 ちゅっ、とレオン様の唇が私の頬に触れた。
 
 あたりを憚らぬバカップルっぷり。たぶん、今の台詞はオルギールへのあてつけだ。
 やめて下さい、氷の騎士が怖い。。。
 身をこわばらせる私。絶対に、顔を上げてはいけない。

 「……お嫌ではなさそうですね」

 二つ名のとおり、氷の礫みたいな声で、オルギールは言った。

 オルギールも、意地悪だ。
 というより、いつもいつも「本気でイヤかどうか」という点をやたらに重視する。
 ここで、反論してはいけないのだ。
 言質を取られ、ドツボに嵌る。

 「お嫌でなければ、これは無粋なことを致しました」
 「ああ、まったくだ」

 嫌みったらしくオルギールは言い、レオン様は当然と言わんばかりに頷いている。
 もったいぶって(と、私の目には見えた)一礼して、ようやく去ろうとするオルギールだったけれど、なぜかまた、足を止めた。
 
 早く立ち去ってほしいのに。

 「……それはそうと、リヴェア様」
 「どうした、オルギール」

 私の代わりに、レオン様が返事をしてくれた。

 「まだ何かあるのか」
 「リヴェア様にお聞きしているのですよ、レオン様。……リヴェア様、何かレオン様に言われて、お困りだったのでは?」
 「そういえば」

 そうだったな、とレオン様は言った。
 蒸し返さないでよ!、と私は心中で絶叫した。
 
 思い切り聞いてたんじゃないの。何が、「気配」ですか?ものすごくしっかり立ち聞き、いや、盗み聞きなんかして、騎士の風上にもおけない!
 ……と、脳内でわーわー騒ぐのが関の山の私である。 

 「アルバにいた頃よりずいぶん反応が良くなってるので、誰がこうしたのか聞いてたところだ」

 レオン様はオルギールに目を向け、皮肉気に口元をつり上げた。
 引き続き、物凄くいたたまれない雰囲気である。

 「リヴェアがだんまりなので、ちょっとからだに聞いてみたのだが」
 「ひゃ!」

 ぺろん、とお尻を撫でられた。
 無防備だったので変な声を上げてしまう。
 
 「ちょっと、レオン様!」
 
 うっかり沈黙を破って、私は抗議の声をあげた。

 「ひとまえで、イヤらしいことなさらないで!」

 レオン様は嫣然と微笑むと、またも、ちゅ、と頬にくちづけを落とした。
 引き続き私の抗議は総スルーのつもりらしい。

 「……からだばかりが、素直でな。……で、少々俺もムキになってしまった」
 「やめて、レオン様、他のひとがいるところでイヤらしいこと言ったりしたりしないで」
 「──リヴェア様」

 氷の騎士、いや、氷の魔王が怖くて、私はとにかく「こんなバカップルっぷりは本意ではない」ことを示そうと、レオン様に激しく厳重抗議をしたのだけれど、なんとそれをオルギールは柔らかく遮った。

 「オルギール?」

 妖しく、不敵な笑みを浮かべるオルギール。なぜ、今、そんな顔を?
 首を傾げていたら、次の瞬間、爆弾発言が飛び出した。

 「‘ひとまえ’などとは、あまりに他人行儀。……心外ですよ、リヴェア様。……リア」
 「ちょっと待った!!」
 「リア?……なんだ、それは?」

 レオン様の眉間に、びしりと深い縦じわが刻まれた。
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