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結婚式の十日前。~彼の立ち位置~

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 葡萄月の一日、日没近く。

 私は眼前の生徒、もとい、この場合兵士達に、今日の訓練は終了すること、かつ、十日後はそれぞれの持ち場において顔を合わせることを楽しみにしていること、を告げた。

 結局、私の親衛隊員はとりあえず六十名。二十名ずつ三交代、というかたちでスタートした。
 諸般の事情により選考は難航を極め、結構時間を要したけれど、ようやく六十名までは選抜を終えて現在に至っている。ゆくゆくはとりあえず百名前後まで必要、と公爵様方やオルギールとは打ち合わせをしている。

 選ばれたものから次々に公爵様方の親衛隊に組み込まれ、見習いとしてそれぞれ厳しい訓練を受け、それを終えると今度は私自身が兵士の個々の特性を確認し、鍛える。その繰り返しと、新設の情報室長としての仕事をしているうちに、あっという間に時は流れ、季節は巡って今は秋。十日後、すなわち葡萄月の十一日には私と三公爵、オルギールとの結婚式だ。

 祝いの言葉に加えて、あらためて今後一層、誠心誠意職務に励みたいとそれぞれから熱烈な挨拶を受け、彼らを見送って踵を返すと、自然、ほうっと小さくないため息が零れた。

 不安や疲れによるものではなくて、充実した時を過ごしたことに対する満足感。兵士達の習得が速くておみそれしました、という感嘆のため息のようなものだ。

 「……お疲れですか、お姫様」

 最後まで居残って傍らに控えるアルフが、耳ざとくそれを聞きつけて声をかけてきた。

 そう。彼は結婚式当日に正式に発足する私の親衛隊長として、このところ日中はずっと私の傍にいる。

 「大丈夫、アルフ」

 二人きりになると、途端に口調はざっくばらんなものになった
 誰かいるときには「互いに」猫を被ることを約束した上で、他に誰もいなければこんな感じで話をしている。

 私がそう頼んだのだ。そして、最初だけ難色を示した彼も、結局は応じた。
 ……嬉しそうに。

 「いよいよだな、と思っただけ」
 「そうだな」

 目を見かわすと、アルフはうっすらと笑った。

 以前は目立っていた直情径行気味なところはその片鱗もない、と言っても過言ではない。
 私に向けられるやわらかくて包み込むような眼差し。出会ったときと変わらぬ長い黒髪、美しい紅玉の瞳。野性的な褐色の肌とは対照的に、細面の影のある美貌は、ひとたび剣を抜けば鋭く光る黒い鋼のようだと評され、彼は今や過去の悪い評判を見事に払拭し、お城のご婦人、侍女たちに絶大な人気を誇っていると聞く。 

 「もう支度はすっかり終わってるんだろ?」
 「まあね」

 私は椅子の背にかけていた上衣を羽織った。
 今の時期、日没とともにどんどん涼しくなってくる。汗をかいたあと、何も着ないでいると肌寒い。

 「当日までは何を?」
 「ゆっくりさせて頂いて、ひたすらお肌を整えるの」
 「……それ以上綺麗になってどうすんだよ」
 「念には念を入れるの」

 このところずっとだったけれど、特に今晩からは全身エステのスペシャルメニューだ。
 普段から肌の手入れはしているし、民族的特長というべきか、私のお肌はありがたいことにもともとなめらかでしっとりしているけれど、やはり結婚式といえば人生で「たぶん」一度きり。精一杯きれいになりたい。

 にっこりすると、アルフは一瞬何とも言えない表情をして、それから「当日、楽しみにしてる」と言ってくれた。

 「私も楽しみにしてる。アルフ、親衛隊長の礼装でしょ」

 彼は結婚式当日から親衛隊長として私の傍に控えることになっている。
 三公爵、オルギール。そして、アルフ。美貌の彼らが礼装をする当日は、私にとっても一世一代、脳内妄想祭りである。

 ニマニマしていると、アルフはやれやれ、と言わんばかりの顔をしてから、ふと、おもてを引き締めた。そして、すいと私の足元に跪く。
 久々の彼の突発的行動にびっくりして、跪いた彼のつむじをまじまじと見下ろしてしまう。

 「?……あなた、どうしたの?」
 「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ姫」

 おそらくはきょとん顔の私を振り仰いだアルフは、顔も声も恐ろしく真剣だった。

 「……そしてまもなくグラディウス公爵夫人。いついかなるときも、俺の生涯をかけてあなたを守り、俺のすべてをあなたに捧げることを誓う」

 彼は剣を鞘から抜いて刃を自分に向けて柄を差し出した。

 ……騎士の神聖な「剣の誓い」だ。

 オルギールとレオン様、シグルド様、それにユリアス。彼らからは既に「剣の誓い」を受けている。

 アルフの想いはずっと聞いていたし、今さら拒否するものではないのだろう。
 ただ、騎士が女性にこれをしてしまうと、他の女性を伴侶としては娶らないことをも意味するという。
 市井では形骸化している、とも聞くけれど、本来はそのくらい神聖なものなのだ。
 実際、彼の今の台詞ときたら、結婚式の誓いの言葉のようにも聞こえる。
 どうしよう、と、一瞬、躊躇してしまう。

 「……言っただろう?お姫様は俺が惚れた‘最初で最後の女’って」

 言葉遣いだけを崩して、けれど綺麗な姿勢はそのままにアルフは言った。

 「あんた、もしかしてまだ、俺があんた以外の女に惚れるかも、って思ってるのか?」
 「いや、そんなわけじゃ」

 そうではない。そうではないのだが私は口ごもる。
 彼の気持ちを疑っているのではない。今や公爵様方やオルギールにも迫る勢いで人気急上昇中の彼、アルフ・ド・リリーともあろうひとが、進んで私という枷に捕らわれることがどうなのかと思ってしまうのだ。数日後、四人もの夫を持つことになる私に「剣の誓い」など。

 私の躊躇いを正確に読み取ったのだろう。アルフは甘く笑んで、

 「律儀だな、お姫様。……あんた以外、女はいらない。欲しくないんだ。仮初の女も、恋人も、妻も」

 以前もそう言ったよな、と彼は続けて、さあ早く、邪魔が入らないうちに、と急き立てた。

 「せめて剣くらい受け取ってくれよ。……頼む、お姫様」

 最後は、懇願だった。

 これを無碍にできるほど私は意志が強くないし、そもそも「彼のため」を思うと躊躇してしまうだけで、こんなにも真っ直ぐに気持ちを向けられて嬉しくないはずがない。

 私は習った作法どおりに剣に軽くくちづけて、柄を彼に向けて返した。
 そして彼を立ち上がらせて、傷だらけの大きな手を握る。精一杯の、感謝と親愛の握手のつもりで。

 お姫様、と綺麗な紅い目を見張ったアルフは、一瞬、唇を噛みしめて何かをこらえるような顔をしてから私の手を握り返し、額にあて、唇を押し当てた。 やわらかく、湿った唇の感触。……彼に許されるぎりぎりの、最大限の私への愛情表現。

 「俺のお姫様」

 ちいさなちいさな、絞り出すような声。
 きっと今も天井裏にいるであろう‘影’でさえ、絶対に聞き取れないくらいの。
 対面の私ですら、耳を傾けてやっと聞こえるくらいの密やかな声。

 「愛してる。愛してる、リア。……幸せに」
 「有難う、アルフ」

 それ以外の言葉は不要だろう。

 私は短く応じて、私の手を放そうとしない彼の手をそっと解かせ、部屋を後にした。
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