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決着をつけましょう(リウト)1

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 会ったら終わりだ。リウトは自分を知っている。
 顔を合わせて、紅茶色の目と目を見合わせて、その可憐な口から声を聞いてしまったら、もう抗えない。
 だから、避けるしかない。
 そうだ、においのことだってある。これは決して逃げているわけでも先延ばししているわけでもなく、お互いのためだ。
 シャルフィの近くには寄らない。
 ――だが、逃がさない。



 気がつけば、屋敷に戻ってから何日も過ぎているようだった。
 日々、いつの間にか書類が目の前にあって、執務室の窓際で、露台のカーテンの影で、廊下で、階段の脇で、必要とされる判断だけ下して。そんな状態でどうにかこうにか執務を回して来れたのは、この二年で構築してきた仕事の分担が機能し始めたからだろう。
 二年間の苦労を自分で褒めたいし、優秀な執事や侍従たちにはいつか落ち着いたら、必ず報いよう。
 おかげでリウトは、思考の大半をシャルフィに向けることができていた。
 医師から聞き出した妊婦にとってよい生活、食事、運動のために、思いつくあらゆることを実行してきたし、自分でもどうかと思うほど、いつもシャルフィのことを考え、シャルフィの姿を探して屋敷をうろついている。
 自分の目でシャルフィの様子を確かめるため。
 そして、会わないように避けるためだ。

 妻を軟禁しつつ、こそこそと隠れて見守る当主を、屋敷の使用人たちはかなり生温い目で見てくるが、リウトにはもう、そんなことを気にしている余裕がない。
 今は夫婦の仲を見守る体の彼らだが、古い使用人たちはいつ、幼い頃から仕えているシャルフィを優先するかわからない。
 リウトは、躊躇いなく、彼らの行動制限の措置をとった。シャルフィの周りには彼女が安心できる馴染みの者たちを。その周囲を自分だけの部下で固めて、多少手荒にする必要があれば許すとして、外部との接触を断つように命じた。

 家令だけは、リウトにも制限を徹底することができない。もとより、婚姻証明書を結ぶ場にも同席をし、前子爵夫妻の信頼も厚く、使用人といえど別格だ。
 だが、家令はリウトの行動に何も言わない。
 互いに、うっすらとした緊張感の中で主従関係を続けていた。



 その家令が、シャルフィに客ありとリウトに耳打ちをした。
 すでに応接室へ案内し、シャルフィは支度中だという。いつもならシャルフィがまだ部屋で過ごしているはずの時間だったために、把握し損ねていた。
 このところ大人しく規則的な生活を続けていたシャルフィだが、どうも無理をしているような様子だった。ついに耐えきれず、誰かを招いたのだろうか。
 だが、外への連絡はリウトの許可なしには通らない。

「誰だ」
「大奥様でございます」

 大奥様と家令が呼ぶのは、シャルフィの母、前子爵夫人のことだ。先触れの伺いもないまま、突然娘夫婦の暮らす屋敷に訪れるような人柄ではない。しかもあの二人は母娘ながら、互いに二人きりで対面するのを避けている節があったはずが。

「私めが、お呼びいたしました」
「何?」
「私の家系は、代々この子爵家に仕える身上。子爵家の存亡に関わる事態においては、大変おこがましく僭越なことながら、主家の御為に行動する覚悟がございます」
「シャルフィのためか。シャルフィを実家へ逃がそうと」

 いえ、と家令は飄々と白い髭を緩ませた。

「これから産まれるお子様のためでございます」

 リウトは反射的に険しい顔になるのを止められなかったが、家令は眉一筋も動かさなかった。

「まだ豆ほどもない大きさだと。女医の報告に書いてある。それを、気の早いことだ」

「旦那様、私ほどの年になりますと、一日は瞬きする間に過ぎますので、気が早くてやっとちょうどよいのです。大切な時間は流れ去り、二度と戻っては来ませんので」

 返事をしないリウトに、丁寧な礼をして家令が去る。
 リウトは、悪態をついて拳を額に打ち当てた。

「そんなことは、知っている」

 知っているから、目が離せない。
 目が離せないのに、見たくない。
 見たくないのに、傍にいなければ生きていけない。

 もう、シャルフィには命が宿っている。その命を終わらせることは、いかにシャルフィ第一のリウトでも、躊躇った。ましてシャルフィを傷つけずに行えることではないのだ。
 始まりの鐘は鳴ってしまった。
 シャルフィは、無邪気に自分の命を懸けてしまった。

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