上 下
7 / 10

記憶との決別

しおりを挟む
「フォルセさん、お買い物ですか?」

 馬車から手招きをするプリアは、あの日と違って心優しい女性に見えた。

「なんだか顔色が悪いわ。ちょうど貴女の工房の方向に用があるの。乗っていけばいいわ」

 ふわり、と漂う花の香りが、フォルセの警戒心を溶かしてしまう。
 厚意に甘えて、馬車に同乗して、そして、ごめんなさい、と呟いた。

「あら、どうしたの?」
「私、あの、プリア様にあまりよい態度を取っていなくて。なのに……」

 ふふふ、とプリアは春風のように笑った。

「そうだったわ、今私は、心をほぐす香りを付けているのだったわね。でも貴女、本当に素直ね。気に入ったわ。いいのよ、気にしてない。でも、どうしたの? この間までは、毛を逆立てた猫のようだったのに」

 少し、軽く扱われてはいるけれど、そこに敵意がないことにフォルセはほっとした。

「わかりません。記憶が少し混乱して。前世なんて、まやかしなのに」

 こんなことを話しても、頭のおかしな人間だと思われるだろうに、自分の口が止められない。だがプリアは、笑い飛ばしたり、冷たい目で見たりしなかった。

「わかったわ。あなたの混乱は、きっと私のせい。……見て、この魔法の薬。これは魔術で抜き取ってもらった、私の前世。中に、浮かぶ、鍵となる言葉が見える?」

 プリアが隠しから取り出した、透明な瓶に入った奇妙に煌めきのある濃紺の液体。
 促されてのぞき込めば、見慣れない字体で文字が浮かんだ。

 淡い金の髪、目は春の色。愛しいラフォルセーヌ。

「私とあなた、どちらも当てはまるわね。私は春草の色、あなたは春の花の色だけど。――メギナルは、前世で別れることになった恋人、つまり私の前世らしいのだけど、彼女に執着していてね。彼女の面影のある人には、この記憶を植え付けたくなるそうなの。
 きっと私がこの記憶を取り戻せたら一番いいのだろうけど。でも、私は今世で彼としっかり結ばれたいから、これを飲みたくはないの。彼のためにも」

 ごめんなさいね、巻き込んで。
 悲しげに謝罪をしてくるプリアに、巻き込まれただけのフォルセが何を言えただろう。
 偽りの記憶は、メギナルと関わりがなくなり時間が経てば風化するという。
 もしも日常生活に支障があれば、メギナル以外の魔術師に診てもらえるよう手配するとまで言われて。

「こちらこそ、あの、記憶をもらってしまって」

 あの、子犬のように見上げてくる、真っ黒な髪と目の少年の記憶は、フォルセの記憶ではなかった。それが、とても、とても悲しくて。

「彼に会いたかったんです、私。彼が、好きだった。ごめんなさい、ごめんなさい」

 フォルセは工房に着くまで、涙を流し続け、偽りの初恋に別れを告げた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

でしたら私も愛人をつくります

杉本凪咲
恋愛
夫は愛人を作ると宣言した。 幼少期からされている、根も葉もない私の噂を信じたためであった。 噂は嘘だと否定するも、夫の意見は変わらず……

元ヤンが転生したら悪役令嬢だったんだけど。喧嘩上等!?

猫又
恋愛
元ヤンキーのあたし、真理亜。今は更生して父親と弟三人の世話を焼いて暮らしていたんだけど、どうも死んだらしい。気がついたら借り物の乙女ゲームの世界の中に転生してた。どーなんの? 令嬢とか絶対無理っしょ。 皇太子の婚約者? 無理……え? 婚約破棄された側? なんかヒソヒソ言われてるし無性に腹立つんですけど!

【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
 もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。  誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。 でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。 「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」  アリシアは夫の愛を疑う。 小説家になろう様にも投稿しています。

正妃である私を追い出し、王子は平民の女性と結婚してしまいました。…ですが、後になって後悔してももう遅いですよ?

久遠りも
恋愛
正妃である私を追い出し、王子は平民の女性と結婚してしまいました。…ですが、後になって後悔してももう遅いですよ? ※一話完結です。 ゆるゆる設定です。

契約を破った愚か者の話

広畝 K
恋愛
タイトル通りです。

捨てられた侯爵夫人の二度目の人生は皇帝の末の娘でした。

クロユキ
恋愛
「俺と離婚して欲しい、君の妹が俺の子を身籠った」 パルリス侯爵家に嫁いだソフィア・ルモア伯爵令嬢は結婚生活一年目でソフィアの夫、アレック・パルリス侯爵に離婚を告げられた。結婚をして一度も寝床を共にした事がないソフィアは白いまま離婚を言われた。 夫の良き妻として尽くして来たと思っていたソフィアは悲しみのあまり自害をする事になる…… 誤字、脱字があります。不定期ですがよろしくお願いします。

【完結】夫の健康を気遣ったら余計なことだと言われ、離婚を告げられました

紫崎 藍華
恋愛
モーリスの健康を気遣う妻のグロリア。 それを疎ましく感じたモーリスは脅しのために離婚を口にする。 両者とも退けなくなり離婚することが決まった。 これによりモーリスは自分の言動の報いを受けることになる。

処理中です...