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春を閉じ込める紐

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 メギナルの注文は、魔術師らしい抽象的なものだった。
 春を閉じ込める紐が欲しい。
 国で一番大きな組紐工房だって、そんな紐を組んだことなどないだろう。それくらいの、新しく、突飛で、そして超難解な注文だった。
 断っても恥にはならないはずだったが、仲立ちをしてくれたのは工房の大口の客だったから、女親方はフォルセに、できるところまで力を尽くしてみてほしいと、担当を命じた。
 フォルセにとって、これは望外の幸運だった。
 紐の進捗を見に、たびたび工房に顔を出すメギナルに、担当職人として認識され、視線が合えば優しく微笑んでもらって。
 幸せに、息が止まりそうだった。

 それでも、フォルセの欲求は収まらない。
 いや、人の目のある工房でしか近づくこともできず、紐に関する話しかできない状況が、かえってフォルセを飢えさせた。
 もっと、メギナルに認められたい。もっと見つめられたい。褒めてもらいたい。何か役に立って、せめて名を呼んでもらいたい……。
 そのためには、なんとしてでも期待に応えなければ。
 そうして打ち込んで、何本も何本も、試作した。

 春の色は、何色だろう。
 思い描くのは、萌え出でる緑、淡い雲の溶けた空、春告げ小鳥の青と黄の羽。
 いや、魔術師の思う春とはなんだろう。魔素四色という特別な色があると学んだことが在る。日の黄、水の青、火の赤、大地の緑。春は、この魔素たちが踊り始める時期かもしれない。

 メギナルは、その試作の紐を手にすると、珍しく目を見開いて、素晴らしい、と呟いた。
 フォルセの胸を歓喜の嵐が吹き荒れた。
 太陽の下でもう少し見てみたい、と工房の表に出たメギナルを追いかけると、陽光に煌めく銀糸を辿っていた濃紺の目が、真っ直ぐにフォルセへと向けられた。

「フォルセ」

 名を、呼ばれて。フォルセの魂が、ぶるりと震えた。

「こうして話すのは、久しぶりだね」
とメギナルは言った。
「すごく腕のいい女職人がいると聞いて来たときは、まさか君に会えるとは思わなかったな。それに、腕がいいのは確かだ。見事な綾紐だ。……フォルセ、頑張ったんだね」

 紐の試作が受け入れられたと聞きつけた親方が来たので、会話はそこで止まった。
 いや、常々、客と職工との距離感にうるさい、母代わりのような親方は、無用な騒動を恐れて、あえて二人の邪魔をしに来たのかもしれない。
 だがフォルセは、メギナルに名を呼ばれ、認識され、そして二人の美しい思い出も共有できていたと知り、幸せに満ち満ちて爆ぜそうな心をぎゅっと抱き締めているのに精一杯。
 親方の気がかりそうな視線にも、仲間たちの眉を顰めたひそひそ声にも、気がつく余裕などなかった。

 そんな春の霞のようにふらふらと浮き足だった日々は、すぐに終わりを告げた。




 試作した紐を、本格的に作って欲しいという依頼に応えようと、一心に紐を組んでいたある日。
 時折工房に立ち寄っては、ナッツ入りの焼き菓子や、蜂蜜和えなど、かつて商家の令嬢だったころに好んでいた菓子を差し入れてくれていたメギナルを追いかけて、春風のような令嬢が工房にやってきた。

「まあ、ここが、メギナル様のご贔屓の工房ですのね?」

 淡い金の髪、春草色の目。そして明るい輝かんばかりの笑顔。決して大口を開けて笑うわけではないのに、全身で喜びと幸せを表現する天真爛漫さ。
 着ているものは上品で流行に合わせた外出用のドレス。手入れの行き届いた顔と手の肌を見れば、彼女が貴族であることは容易にわかる。

「皆様、突然申し訳ございません。どうしても、見学がしたいと我が儘を申しました。私、メギナル様の婚約者、プリアですわ」

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