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2話 防水防塵友禅フロシキ

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 その夜、フィニは重い荷物を抱えて、よろよろと帰宅の途にあった。
 物理的に重たいだけではない。心が重い。重すぎる。
 考えまい、忘れようと思っても、クビ、という厳しい現実が胸に冷たい風を生む。
 結局、三回提案を出し直したけれど、すべてレリアに却下された。クビだと改めて言われたわけではなかったけれど、私物を全て持って、誰もいないショールームを出てきたのだ。

 ハンターとしては引く手数多のフィニだが、コーディネータとしてはまるで人気がない。ハンターの依頼をきっかけにして、提案までは見てくれる客は多いのに。
 理由はわからない。
 いや、度々客にもレリアにも指摘されている。
 フィニのコーデは、うるさい、のだそうだ。
 今の妖魔界は、シンプルで上質が尊ばれるご時世。時の流れに乗っていないために、人の心を掴まないのだろうか。けれど、ちょっと雑然とした雰囲気が好きな人だっているはずだ。

「そうよ、応援してくれる人もいるもの」

 身元の知れない、高貴なレディがひとり、フィニのコーデ案を丸ごと採用してくれたことがある。
 その時のフィニは思ったものだ。自分の信じる道を行けば、こうしてわかってくれる人もいる。わかってくれる人と出会うまでは、貫かなければ、と。フィニはその人に採用してもらったことだけを頼りに、十年、頑張った。
 けれど、そんな彼女からも、実は二度目の連絡はない。高貴な身の上のレディが、駆け出しの娘を応援する意図で、チャンスをくれただけ。そういうことだったのかもしれない。
 ずしり、と負った荷物が重さを増した。

 妖魔界の輝かしい首都パンデルモンには、人工的な昼夜と季節しかないが、至高の不死のお方、いわゆるエンシェントヴァンプのはじめの一人が、大変なこだわりで。首都には、茹だるような暑さの日から、凍える氷雪の降る日まで再現される。おおむね一年のスケジュールに沿うのだが、少し前までは、担当者がうっかりしたのかと思うほどの、いきなりの寒さが続いていた。
 それがこの一、二週間は、パンデルモンは終始ウキウキした陽気だった。永い生に倦んで厭世的な眠りを好む、至高の不死のお方が、長い微睡から覚めたとしきりにニュースで騒いでいたのが、関係するだろうか。

 日が落ちて空が暗くなっても、都の高きに浮いている国の中枢パンデモニウムは不夜城の如く輝き、月を霞ませて都を照らしている。
 もうすぐ、年に一度の大祭の日だ。
 二十年ほどは大人しかった祭りだが、至高の不死のお方の目覚めを祝して、今年は二日間盛大に執り行うらしい。祭の前後には、月を入り口に異世界への扉が開くので、異世界好きの妖魔たちは、ソワソワしている。
 フィニの目あては、別のもの。故郷、森と原野の都に住む両親が、彼らの若かりし時代、それこそ数百年も昔の大祭の話を聞かせてくれたのを、フィニはよく覚えていた。
 大祭の締め括りには、Trick & Treatという、それはもう刺激的で愉しいショーがあるそうだ。妖魔界の流行の流れはゆったりとしている。二十年前のショーと同様のものを、きっと今年も見られるはずだ。

「絶対、彼氏を作って、Trick & Treat、一緒に見るんだから!」

 けれど彼氏になりそうだった人は、先日家に招いたら、お茶を飲んだだけでそそくさと帰ってしまって、以降避けられているのだった。
 仕事も、私生活も、フィニを丸ごと否定してきている気がする。
 こういう時は、何をしてもきっとダメ。落ち着く家に帰って、ゆっくり過ごそう。
 重たい荷物を揺すり上げたら。
 急に背中が軽くなって、嫌な予感にフィニは路上で一人わたわたと手を動かした。
 異世界産の防水防塵フロシキという美麗な布で、手当たり次第にまとめていた荷物が、ほろほろと崩れ落ちて、フィニの手をすり抜けた。

 悪い時には、悪いことが重なる。でも時が過ぎれば、今度はいい事もあるし、取り返しがつくこともある。
 それは、よく知ってる。でも、やっぱり悲しい。

 フィニが、普段はキリッと上がり気味の目尻を、くにゃりと下げた時。
 落ちていった荷物が、地面に落ちる前にふわふわと浮いて、空中で行儀良くまとまった。

「フィニ、お疲れ様!」
「アイン!」
「今日もお仕事して偉いね。フィニはいつも真面目だ。ほんとに偉いよ」

 どこから来たのか、パッと現れてフィニに擦り寄ってきたのは、フィニの肩ほどの背丈の黒髪黒眼の少年だ。パンデモニウム城付きの少年侍従にもいないような整った顔を、にこにこと笑みの形にして、フィニを見上げている。その指はフィニが落とした荷物を指していて、少年がこの浮遊の技を使っているのだとわかった。

「アイン、あなた魔法がとても上手なのね、すごい。ありがとう」

 心の中に立ち込めていた暗雲が、さっと薄まるのを感じながら、フィニは少年にお礼を言って、フロシキで浮いていた荷物を全てくるんで閉じ込めた。

「僕、今夜は家の誰もが祭りの準備だとかでいなくてさ、つまんないから遊びに来ちゃった。家からね、試作のかぼちゃプリンも持ってきたよ。早く帰ろう」

 屈託なく話すアインを見ていると、いろんな悲しみが遠くなる。
 いつの間にか、フィニの口元は緩んでいた。

「じゃあ、フィニはこっち」

 かぼちゃプリンが入っているという、家からのお持たせにしては上品な箱を渡され、代わりにフロシキを取られる。この箱、使えそう。フィニが好きだとわかっていて、こういう箱を選んでくれたのだろう。

「アイン、あなたって、子供なのにほんと気遣いが上手よね。甘えてていいのよ、もうちょっと」
「何度も言うけど、僕はもう、百はとっくに超えてるからね! フィニの方が、まだまだオタマジャクシだ!」
「それを言うなら蛹でしょう! カエルより蝶になる方がいいわ」
「蛹だって、蝶とは限らないよ」
「ひどい」
「嘘だよ、フィニは霧の森の貴婦人もす・らより綺麗だよ」
「光栄だけど、言い過ぎよ!」

 いつもの軽いやり取りをしながら、一緒に家に帰る。
 フィニの荷物はかぼちゃプリンのみ。責任は重大だが、心は翅が生えたようだった。
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