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王都6

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「なんの謂れもなく魔女呼ばわりとは。緑の使徒……」

 聞き慣れない名を口にすると、気に入りの味が苦く感じられて、サリンガー侯爵は顔を顰めた。
 目の前でグラスを回していた娘婿が、無言で頷き、酒を口に含む。
 若い。
 侯爵からすれば、公私で関わる男どものうち、半数ほどは若造であり、半数ほどは棺桶に片足を突っ込んだ老いぼれであり、わずかなそれ以外は、ひたすら面倒な奴らだ。それ以外はない。
 この娘婿だって、取るに足らない若造だ。
 特に嫁にやる予定もせず、好きな様に過ごすのを許していた下の娘を、ある時さっと掠め取り、そのまま一年で、遠い辺境の地に連れて行く、鬼の様な若造である。
 掠め取られて初めて、自分が娘たちをずっと手元に置いておくつもりだったことを自覚した。
 上の娘は跡取りだ。それこそ、ずっと手元にいる予定だ。王宮で奮闘するのはやや心配だったが、最近は貫禄と呼べそうなものもついてきた。その夫も、頼りないところはあれど、驚くべき特技で領地経営において活躍し、婿の立場を磐石にした。二人とも、所詮は若造ではあるが、今後が楽しみでもある。
 問題は。精霊の箱庭の作り手として名を馳せる様になった下の娘。目から鼻に抜ける様な賢さや、人を惹きつけ思いのままに動かす魅力があるわけではないが、常に背中に暖かな手を当ててくれている様な、安らぎを振りまく娘は。
 いずれ、気立の良い婿を迎えて、上の娘に爵位を譲るときには、夫婦一緒に領地に付いて来させ、田舎でのんびり、穏やかに暮らしてもらおうと。
 いや、婿なしでもよいから、一緒に暮らそうと。
 そう、当然の様に考えていたのに。

「むう……」

 つい、唸り声が漏れた。あと、多分殺気の様なものも。
 ちらりと娘婿が視線を上げ、うっすらと目元を緩ませた。空色の目は、辺境伯家の特徴だ。先代の辺境伯は、もっと線が細く、儚い印象もある男だったと記憶している。今代のこの若き辺境伯は、若造でありながら辺境の軍も率いる強き騎士であるという。
 とすれば、自分の様な衰えつつある中年貴族が発する殺気など、児戯のようなものだろう。
 だが、万が一の時には、負ける気はしない。戦いは、剣を交わすことだけではないのだ。
 くくく、、、と想像して酒を舐める。うむ、なかなか旨い。

「失礼いたします。お二人とも、大変お待たせいたしました」

 常になく慌て気味に扉を叩いて、上の娘、アリアルネが入ってきた。今夜は晩餐に招かれ、夫婦で出席していたのだ。
 アリアルネの娘婿、フェイリントンも、その後ろに続いてきた。長らく娘婿といえばフェイリントンしかおらず、婿とだけ呼んでいたが、この度娘婿がもう一人増えたので、名前呼びに変わった。やむを得ない昇格である。
 相変わらず、アリアルネの顔ばかり見て、こちらへの挨拶もおざなりだ。これでなぜこの二人は結婚直前にああも揉めたのか、きっかけをつくってしまった本人でありながら、サリンガー侯爵にはいまだに飲み込めていない。
 ミリアンネが不在ではあるが、部屋に揃ったのは家族である。
 サリンガー侯爵は身軽に立ち上がり、二人のために新しく酒を注いだ。

「さて、では揃ったところで、これまでの成果を、緑の使徒とやらのことと合わせて、詳しく聞かせていただこう」

 荒ぶりすぎる気持ちは美味い酒で抑えつつ、いっそいかに華麗に見事に敵を潰すか、家族で考えようではないか。
 


 若い娘婿の説明を、若い姉娘夫婦が吟味して理解する間に、サリンガー侯爵は半分上の空だった。
 率直に言って、成果は見事だ。襲撃が西地区に由来することが、はっきりとわかるようになった。縦城壁を封じた効果もあるだろう。
 サリンガー家としても、西地区に震源があることは薄々察していた。けれど、あらゆる事態を想定し把握したい性質のアリアルネや自分では、とてもここまで徹底して西地区に狙いを絞ることは出来なかっただろう。
 これが武人の判断か。運も強いのかもしれない。さらには、彼らは昼夜ほぼ休むことなく動いていたと聞いている。その恐るべき機動力。
 娘の相手として散々調べた相手ではあり、その高い能力は聞き知っていた。けれどそれを目の当たりにすると、やはりぞくりと背筋が冷えた。

「……お父様、ちょっと気が抜けておられません?」

 おっと、ここにも油断のならない若者がいた、と侯爵はニヤリと片頬を歪めた。
 鋭い指摘の通り、大切な娘のこと、そして怒りの冷めやらぬ案件であるにも関わらず、どこかしら、呑気な気持ちである。作戦の主軸は、彼らに任せられる。そう、信じているからだろう。
 ますます、酒がうまい。あとで妻とも酌み交わそう。

「いやいや、大事なことは聞いているとも。
 詐欺、冒涜ときて、魔女呼ばわりと、流れには沿っているようで、決定的に違ってきたようだ」
「攻撃の対象が、箱庭ではなくて、ミリアンネになっています」
「今まではかろうじて我が家門を直接蔑めることは避けていたのが、急に先鋒化したものだ。潰すには、そのくらいの方が都合がいいが。あまりに小さな芽のうちに潰すと、結局は繰り返すことになるだろう。もう少し育てて潰すべきだろうが。……うむ、自分でもどのくらい耐えられるかわからんな」

 そうですね、とアリアルネが返す言葉は平坦だが、この子は妹を大変可愛がっている。
 自分同様、据わった目をしているので、今後も同じ調子で箱庭を弄するものは、後悔することになるだろう。

「ところで婿殿は、その市街での騒ぎの際に名乗ったということは、もう身を隠すのはやめたということかね」
「ええ、セーヴィルの名を名乗りましたので、潜伏は切り上げ、そのまま王都の本邸に入りました。おかげで今夜は、こうして伺えたわけです。
 本日以降の西地区の巡回は、警備隊が特別編隊をもって受け持ってくれることになっています。今後ひと月は、厳しく取り締まるはずです」
「本邸に入られたならば、貴方が王都入りしたことはすぐに噂になるでしょうね。……責めるつもりはありませんが、作戦上よかったのでしょうか。この十日で、襲撃犯は出尽くしたでしょうか? さすがに、当のセーヴィル辺境伯が王都にいると知って、のこのこと出てくるわけはないでしょう?」

 アリアルネは懸念を口にするが、そもそも、奴らがそんな常識的な判断をできる輩かどうか。むしろ貴族であれば比較的容易に手に入れられる情報を、手にできない身分かもしれない。
 ゆえに、同様の襲撃は今後も続く可能性がある。だが……。

「襲撃が続くか続かないかによらず、すでに末端の実行犯の種類・・は、およそ把握したと思っています。これ以上は数しか増えない。捕らえたいのは彼らではなく、彼らを操る誰かです」

 こちらの心を覗いたかのように、娘婿が断言した。
 これが自分であれば、断言はしないだろう。可能性は常に無限にあり、その中から一つを選び取るにしても、沈黙しながらひっそりと摘み上げるはずだ。
 婿の、武人らしさと言えるか、若さゆえの早まった断定となるか、すべては結果次第だ。
 ともあれ、賊らはどいつもこいつも、身分や影響力はなく、箱庭そのものを見たことのないままに、箱庭を異端と決めつけ、けれどその判断理由を説明することはできないときている。
 木端どもだ。掘り下げても、何かが出てくる可能性は低いことは認める。
 知りたいのは、背後の存在だ。

「……はじめに攻撃的になった噂を聞いた時。儂はくだらぬ誤魔化しだと思った。冒涜だの、神の欠片だの、あからさまに神殿関係のような振りをして。
 教典を一度でも読んでいれば、理解力の程度に関係なく、誰でもわかる。教典に『精霊』という言葉はひとつもない。教典に『神が認めていない』という記載がないものを、誰が神を代弁できるというのか。あり得ない。
 ゆえに、あからさまな言葉で神殿の関与を疑わせようとする、浅はかな誤魔化しだと考えたのだ。とすれば、教典を必ず学ぶ神官や貴族以外が疑わしい、と」
「私もお父様と同じ考えです。けれどここにきて、またしても教典にない『魔女』呼ばわりをする緑の使徒とやらは、はっきりと神殿の人間だったわけですね」

 娘婿は、そこは慎重に言葉を選んでいるように、しばし黙した。

「……神殿というよりは、小神殿の人間と言うべきでしょう。彼らは若く、まだ見習いのようでした。それこそ、これまでに捕らえてきた者たちのように」

 苦いものを飲み込んだような顔をしてしまったのは、仕方がない。
 所属が神殿なだけで、木端の数が増えただけだったのかと、つい思ってしまうのだ。
 それに、ふ、とかすかに娘婿が笑いを落としたようだった。

「ただ違和感があるのは、彼らが手慣れていたことです。目を引く布を被り、賑やかしの人を雇い、逃亡の際には見事に警備隊を撹乱した。とてもその日初めて市街で貴族に対する中傷だらけの主張をした若者とは思えませんでした」
「……」

 用意周到なやり口は、よほど悪知恵がまわるのか、それとも誰かから教わるか。すくなくとも、自分の主張に酔って周囲が見えない、というわけではないようだ。

「そして彼らは、おそらく本気で隠れるつもりはなかった。警備隊からではなく、あの小神殿の中のことですが。親にいたずらが見つかってはまずいと、そんな様子はあるものの、神殿内で追求されることを恐れているようには見えませんでした」
「神殿が、外部の者ならともかく、神官による異端の主張を放置するとは思えません。過去何度も、そうした異端な解釈をめぐる深刻な争いが神殿内であったことは、秘密でもなんでもないこと。……その若者たちは、知恵もあり、見習いとはいえ神殿で教典を学び。なのにその上で、異端かつ不敬な主張を公然と声高に叫んだ。ーーなのになぜそこまで、呑気に構えられるのか、ですね?」
「……小神殿の在り方故に、ということがあるかも知れません」

 穏やかに口を挟んだのは、フェイリントンだった。

「以前、ある貴族家の経営に関わった時に聞いたことがあります。小神殿は、神殿ーーつまり国にひとつしかない王都の本神殿ですがーーから無作為に神官が派遣され、修行を収めつつ地域との交流をはかる処です。本来、神官の目的は解脱であり、交流は二の次ですので、小神殿に所属する神官は修行期間ごとに入れ替わることになっており、その流動性のおかげで小神殿間に差がないようになっていると。
 神殿へ寄付しようとすると、そのように活動説明を受けるそうで、これは私も直接聞いたことがあります。
 ですが、地域交流に関わっている住民は、小神殿経由で寄付を納めることも可能で、その際には、お気に入りの神官を指名して小神殿に留め置くことなど、ある程度の融通がきくこともあるそうです。実際、その貴族家ではかなりの額の寄進をして、その小神殿に親族の神官見習いを受け入れてもらっていました。神殿で神官見習いとなると、国中どこの小神殿に送られるかわからないそうですから。王都での神官見習い受け入れは、大変な競争率だそうですよ。
 西地区は、地理的に王都では神殿とは一番離れています。西地区の住民は、神殿に用事がある時には近くの小神殿で済ませることが多いとか。地域との結びつきの強さを示す形で、小神殿経由の寄進が特に多いとも聞きます。とすれば、西地区の小神殿は、神殿の厳格な教典主義とは少し違うのかも知れません。
 想像を膨らませるのであれば、そうした異端の教えが芽吹き、密かに成長するのに、ちょうどいい苗床かも知れませんね」

 婿はなるほどと義兄に同意し、監視をつけているので、その苗床の規模も早晩わかるでしょうと言った。

「彼らがどこに繋がっているのか、判明し次第連絡します。かかって数日でしょう。その時にはまた、次の行動をご相談したい」

 屋敷に戻るべく、娘婿が辞した。娘夫婦も部屋へ下がる。
 さて、アリアルネは納得しているようだが。ふむ、とサリンガー侯爵は思案して、グラスに残った酒を呷った。
 神殿は王宮とは違う。一度出家して入れば、家とは縁を切ることになる。集団生活の中で修行に明け暮れ、自由な時間などないに等しい。もし小神殿が神殿より縁故が強く作用するとして。それはそれで、多くのしがらみが行動を制限するだろう。
 要するに、神殿の中のことを探るには、それこそ飼い殺しを覚悟して、目となるものを長期にわたり潜入させるほかはない。情報に重きを置くサリンガー家であっても、そういくつも都合の良い手段を持たないのだが。

「神殿と辺境とに因縁があると聞いたのは、意外と深いものであったのか?」

 さてあの食えぬ男に嫁いだ娘ミリアンネは、その辺境の地で元気にやっているだろうか。
 周囲の感情に敏感で、どことなく自信を持ち切れないのに、開き直れば我が道を行くことができる豪胆さのある娘だ。うまくやらずとも、周りを変え、自分も変わって、うまく調和していくだろうと信じている。
 こちらはこちらで、あの子には不要な憂いを根絶やしにしておくだけだ。
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