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15 まどうひと 七

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 それもそうだろう。ミリアンネは、今日も馬糞の始末から始めていたのだ。乗馬用のズボン姿も、埃とワラにまみれ、到底、貴婦人の姿ではない。騎士たちがここに控えていることで、ようやく、ミリアンネと悟ったのだろう。
 驚きの表情が、やがて、侮蔑のそれへと変わっていく。

「呆れたな。他にやるべきことも多いだろうに、馬丁の真似事か。酔狂にもほどがある。まして新婚早々放置されきっているというのに、呑気にわがまま放題とは。クラークめ、なぜこんな嫁を取ったものか。おそらくは奴も、早速後悔して、王都から戻れなくなっているのだろうよ」

 ミリアンネは、驚いた。
 無骨で不器用な印象のジェイが、ここまで口がまわり、悪口をすらすらと言えることに。そして、驚くほど的確に、人の心を抉れることに。

「奥様」

 いつの間にか、騎士たちがミリアンネの両脇に近寄ってきていた。ひとりは、ぎりぎりと剣の柄を握っている。

「ジェイ様といえど、あまりに、無礼。代理で決闘を申し込むことをお許しください」
「ゼファ、熱くなりすぎだ」
「しかし」

 騎士たちの言葉にも驚いて、返事もできないでいると、ふふ、と笑い声が、場を引き寄せた。
「忠義だこと。さすが、クラーク様の信任のお厚いふたりね。ジェイが、ごめんなさい。走ってきたせいで、疲れているのよ。馬たちと同じくね。早く、休息が必要だわ」

 ジェイは、謝罪はおろか視線も寄こさず、さっさと馬を降りて近くの馬丁に押し付けるように預けると、そのまま屋敷へと歩み去った。アメリも悠然と、そのあとを追う。
 彼女が謝罪をしたのは、夫の無礼について、騎士たちにであって、ミリアンネには、一言もなかった。
 先日とは違い、明白に示される態度。隠す必要もないのだろうか。彼女たちは、ミリアンネに対して、敵意か嫌悪か否定のこころを持っていて、それを隠す様子はない。
 ーーいや、アメリとジェイは、同じようでいて、違う。
 ジェイからは、嫌悪と拒絶を感じるが、彼はミリアンネがクラークとすでに婚姻したことを常に前提としているようだ。しかしアメリは。彼女は初めて会ったミリアンネを旧姓で呼び、訂正して以降は、頑ななまでに名のみで呼んでいる。ミリアンネが、まるでクラークといまだに婚姻を結んでいないかのように。
 そこまでの拒絶とは、なんだろう。
 アメリとクラーク、ロジエンヌの乳姉妹であるからには、クラークとの距離も、そう遠くはなかったはずだ。二人の関係は、どんなものなのか。
 もやもやと、胃にくすぶるものがある。
 けれど、それに飲まれるわけには、いかない。
 ミリアンネは、ベラにギュッっと額を当て、何度か深呼吸をしてから、その首筋を叩いて、今日の別れを告げた。
 黙って、屋敷へ歩き出す。
 依然、乗馬後は足が萎えてしまうが、今日はしばらく立ち尽くしていたためか、いつになく足取りはしっかりしていた。


 物言いたげな顔をしながらも、無言で騎士たちがついてくる。
 茶髪の青年が、決闘を申し出てくれたゼファであり、灰色に近い髪と見上げる長身がルークだと、もう覚えていた。これまで、必要なやりとり以外で親しく話す機会もなかったのに、確かに、彼らは忠義者だ。

「ゼファ、ルーク、さっきは、ありがとう」

 屋敷に入る前に、振り返り、二人の顔を順に見て、小さいがはっきりと礼を言う。すると二人、はっとした視線を向けてきた。

「せっかく守ってくれているのに、不甲斐なくてごめんなさい。とっさに、反応できなかったわ。決闘までは、しなくていいけどね。私も、少しは言い返せばよかったわよね」

 好戦的な物言いが意外なのか、ルークが面白そうに片眉を上げて、騎士のお辞儀をしてくれた。ゼファは、空気を両手で包むような仕草をして、わたわたとし始めた。

「お、奥様! 話しかけてくれた!」
「……そんなに、珍しいこと? 今までだって、お礼を言ったりはしてたじゃない」
「いやいやいやいや、ものすっごい距離を感じてましたよ! 俺ら、愛想のある方じゃないんで、やっぱ怖いかな、とか張り付いてて負担なのかな、とか、ちょっと悩んじゃったりしてました。うわ、うわ、嬉しいです!」
「ゼファって、そんなに喋る人だったのね」
「え、いや、そんな。せっかく話しかけてくれたのに、引かないで、奥様」

 やや後ずさり気味なミリアンネに、ルークが同僚の肩を掴んだ。

「言ったろ、俺たちを見極めてらっしゃるのだろうと。意外と、強かな方だと思うぞ」
「ルーク、そういうのは、私のいないところで言うことじゃない?」
「そうですか? 気をつけます。ーーそれで、我々は、合格でしょうか」

 冗談に紛れて問いかけてくるルークの表情が、思いがけず真剣で、ミリアンネは長く会えていない夫に、改めて感謝の念を送った。本当に、よい騎士をつけてくれたのだ。

「見極めていたわけではないのよ、クラーク様があなたたちをつけてくださったんだし。そこに不信はないわ。ただ、これまで自分のことで手一杯だったし、状況に戸惑っていることもあって。でも、貴女たちが、私を奥方として扱ってくれるから。私も、もうそろそろ進まないと、と思ったの。
 改めて、クラーク様の妻として、あなたたちを、信じて、頼ります。ーーねえ、ゼファ、早速教えてほしいのだけど。
 このあたりの女性は自分の馬を必ず持つ、とお義母様がおっしゃっていたけど、その女性たちは、馬の世話を自分でするの?」
「えー、良いお家のご令嬢や奥様方ですよね。まさか、しませんよ」
「じゃあ、私はどうして、ベラの世話をしていたのかしら。てっきり、マーズ様がそのように取りはからったのだろうと思っていたわ」
「えーーー!」

 いちいち騒ぎながらも、ゼファは、乗馬に向かったはずのミリアンネが急に厩役からフォークを受け取り、馬房の掃除を始めたので驚いたのだと訴えた。それに、ルークも同調する。騎士の見習いとなれば別だが、領主に連なる家の者で、それも奥方や娘たちが、厩で馬の世話をすることなど、ないらしい。

「大奥様だって、されたことはないはずですし、まして、大奥様は奥様が寝込まれたことを心配して乗馬を勧められたのですから、厳しい肉体労働を強いるはずはないと、そう思います」
「では、あなたたちも、あれは私が進んでやっていたと思っていたの?」
「まあ、厩の者たちにしたら、正直に申し上げれば、足手まといだと思いましたから」
「なんてこと。私は、私の肉体改造のための強化訓練かと思ってたわ」

 ぶは、とゼファが吹き出した。

「強化訓練! 前向き過ぎですよ」
「自分を鼓舞してたのよ。われながら、頑張ったと思うわ」

 手のひらを見ながら言えば、ふと、騎士二人が静かになった。

「わあ、痛そう。……そりゃ、そうなりますよね。奥様、頑張りましたよ。本当に」
「はい、騎士見習いになれそうでしたよ」
「あ、ありがとう」

 率直に褒められて、ミリアンネは少し、赤くなってしまった。

「でも、私はまんまと騙されていたわけよね。気づくこともできたはずなのに、誰にも確認せず、疑いを見ないふりして。あの人たちに揶揄されるだけで済んで、よかったと思う。もしかすると、知らぬ間にセーヴィル家の恥になってたかもしれないのだもの。気がつかせてくれて、よかったわ。ーーこのお礼は、きちんと、伝えなくてはね」

 二週間に及ぶ悪戦苦闘のおかげで、ベラとの間に、確かに価値のある絆ができたような気がする。けれど、馬の世話は今日でおしまいだ。
 ミリアンネは、決して、騎士見習いになりにここに来たわけではないのだ。


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