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肆 刻まれし罪

《二》非道な神の導き【起】

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小窓から差し込む陽ざしに、色素の薄い髪がいっそう透けて見えた。

「……来月には寄宿舎に入られるのですね、兄上」

ため息と共に、うつむく。

列強に負けぬ心身を養うために。優秀であればこそ、進む道だ。
それが解っていながらも、素直に兄を送りだせないのは、この邸で自分を真に理解する者を失うつらさからだろう。

「……そうだね。でも」

カップをソーサーに置く音がして、向けられた視線を感じ顔を上げる。

「たとえ側に居なくとも、僕はいつでもお前の味方だよ、小百合」

やわらかな眼差しと、微笑み。
そして、優しい響きの呼びかけ。

───まぎれもなくそれが、自分の【本当の名前】。
失った記憶の正体は、忘れてはいけない大切な人と、自らの名だったのだ。


       *


「兄上……」

思いだしたと同時にあふれた涙が、闇につつまれた百合子の視界を一瞬ぼやけさせた。
直後、思いきり眉を寄せる。

「───なんだ、ここは」

暗闇というには語弊があった。

覚醒したはずの百合子の視界は、真っ暗で何も見えないにもかかわらず、己の身体だけは目に映るという不可解さであった。

この感覚には覚えがある───“陽ノ元”に召喚され、コクと初めて会った時と同じ。
いきなり、別の次元と空間に、落とされたとでもいえばよいのか。

「コク、いるのか?」

探るように闇向こうを見やったが、やはり何も見えない。
天も地も、漆黒に染まった世界。

(私は、夢を見ているのか……?)

覚醒前の記憶は、犬耳の“眷属”とのやり取りの最中、激しい頭痛に襲われたこと。

ところどころ抜け落ちていた記憶はいま、百合子のなかによみがえっていた。

───優しく聡明なはずの兄の凶行も、家族と婚約者の無惨な姿も。

「……っ……」

百合子は吐き気を覚えたが、それを押し止め、もう一度あたりを見回した。

すると、小さな星の瞬きを思わす光が、ぽつんと存在していることに気づく。

導かれるように歩み寄ると、やがて光の粒は大きくなり、百合子の身をいつの間にかつつみこんでいた。

「───しばし邪魔をするぞ、黒い“花嫁”」

闇から光のなかに取りこまれたため、まぶしさに目がついていかない。
そんな百合子の耳に、威丈高な若い男の声が入ってきた。

目をすがめて声のしたほうを見ると、黒髪をみずらに結った二十代半ばくらいの青年がいた。

麻の貫頭衣を身にまとい、手に白木の杖を持つ姿は、昔読んだ日本神話の登場人物を彷彿ほうふつとさせる。

「汝の前には、ふたつの道がある」

百合子を見つめる瞳の色は赤く、その者が【普通の人間でないこと】を物語っていた。

「ふたつの道……?」

夢か現実うつつか判らぬ状況のまま、おうむ返しに尋ねる。

「ひとつは、このまま黒い“花嫁”として在り続ける道。もうひとつは」

男は手にした杖を、円を描くようにくるりと振った。
とたん、まばゆいばかりの白い空間が、どこか見覚えのある室内へと変わる。

「汝が生まれた世界で【生を全うすること】」

辺りをよくよく見れば、百合子は、生まれ育った洋館の廊下に立っていた。

壁に掛けられた絵画に、床を覆う絨毯じゅうたんに、懐かしさがこみあげる。

「……ここは……私の……」

───が、次の瞬間。

「兄上っ……」

切羽詰まった声が聞こえ、目をやると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

黒髪の女学生が、血を流し仰向けで横たわる海軍士官の青年の側に、かがみこんでいる───あれは。
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