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壱 赤い別離

《二》私を、すぐに戻してくれ!【後】

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明朗で快活な口調。
言葉を発しながら自分の考えをまとめるように話した少年の漆黒の瞳が、小百合を捕らえた。

まっすぐな眼だ。
少なくとも、小百合をだまそうとする者には見えなかった。

だとすれば───不本意ながらもこの事象を受け入れなければ、話は進むまい。
小百合はそう結論づけ、口を開く。

「では、私はなぜ、その“ひのもと”なる世界に居るのだ?
いまのお前の言葉を借りると、私は“召喚”されたということになるな。
お前が私をんだということか?」

目の前にいる少年がすべての元凶かと思うと、小百合の語気が荒くなる。

(せめて、兄上だけでも、助けたい……!)

動揺して突き飛ばしてしまった兄。
小百合の家族と婚約者をあやめた事実は消えないが、だからと言って、自分が死に追いやっていいわけがない。

(手当てをしなければ)

小百合が与えた衝撃で、持っていた手斧により、兄が負傷したのは間違いない。

「私を喚んだのがお前なら、私を元の場所に還すのも可能だろう? 私を、すぐに戻してくれ!」

必死に言い募る小百合の前で、だんだんと少年の顔が暗く沈んでいくのが分かった。

「……それは……すまぬが、できぬ相談じゃのう……」
「なぜだ」

鋭く切り返すと、小さく息を吐かれた。言いよどんだのち、少年は真剣な眼差しを向けてくる。

「“召喚”は、大いなる神の導きでな。わしより高位の方の御力によるものなのじゃ。これを覆すには、時間がかかる」
「そんな、馬鹿な……!」

小百合は、体内に流れる己の血が、沸騰しているかのような激しい怒りを覚えた。

握りしめた両の手のひらに、爪がくい込む。勢いにまかせ、床板に両手を打ちつけた。

「なぜ、私をここへ喚び寄せた! なぜ、あの瞬間だったのだ! なぜ───」

興奮が、小百合の思考を狂わせる。
ふたたび、自分の居場所が分からなくなるほどの、めまいを感じた。

(兄、上……なぜ……!)

よみがえる、血の臭い。
吐き気がするほどの、家族らのむごい有り様。

(私は、どうしたら、良かったのですかっ……!)

───尊属殺しは、重罪。それが複数人となれば、極刑は免れないだろう。

(……私のせい、なの……です、か……?)

兄が狂うきっかけをつくったのは。
その自分が、兄の罪を世間に暴き【死をもって償わせるために命を救う】というのか。

(私は、どうしたらっ……)

小百合は、もう、自我を保てなかった。



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