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壱 オトコの正体
どこにもない『居場所』【前】
しおりを挟む夏の始まりを告げる耳鳴りのようなセミの鳴き声が、辺りに響いていた。
木陰が多いせいか、暑さはそれほど感じない。走った分だけ汗はかいていたが。
(本当に……ここどこなんだよ)
電柱がない。
ということは、電気が通っていないことになる。
「痛ッ……!」
裸足のまま屋敷を飛び出したため、美穂の足は草の葉や小石によって傷つけられたが、別に構わなかった。
(だって、あたしは死んだはずだった)
祖父母が亡くなったのち、今度は母方の叔母の家に引き取られた。
しかしその叔母は、姉である美穂の母と若い頃に恋愛のいざこざがあったらしく、ことあるごとにそのことを持ちだしてきた。
そして、住む所と小遣いは用意するが、それ以上、自分に迷惑をかけるなと言われた。
また、自分のひとり息子に色目を使うなとも。
(風呂のぞかれて気味悪い思いしたのは、こっちだったけどね)
中学生という年頃のせいか本人の性嗜好かは知らないが、下着を物色された形跡もあった。
(……マジで気色悪い親子だったな)
ふるり、と、嫌な記憶を払うように首を振る。
瞬間、サァーッ……と、木々を揺らし冷たい風が吹き抜けていった。
風が吹いてきた方向へ、なんとはなしに歩いて行く。
「あ……」
透明な水の流れる、沢があった。
木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりとせせらぎが響くだけの空間。
「気持ち、いい……」
水温は低いようで、屋敷から裸足で歩いてきた足を冷やすには、ちょうど良かった。
岩場に腰を下ろし、目を閉じて顔を上げた。
なぜだか、祖父母の家で暮らした夏の感覚がよみがえってくる。
───自由ではあったが、孤独ではなかった。
あるがままの美穂を、受け入れてくれたふたり。
「帰りたいな……」
自然とこぼれ落ちた本音。
十七年間暮らした世界へ、ではない。あの頃に、帰りたかった。
その時、かさりと枯れ葉を踏むような音がした。
美穂は、あの『男オンナ』が自分を迎えに来たのだと思い、キッとそちらをにらみつけた。
「“召喚”相手間違えましたって、いまさら謝ったって遅───」
言いかけた美穂の目に映ったのは。
「…………サル?」
「はっ。お、お初にお目にかかりやす、あっしは猿助と申しやす。
セキ様にお仕えしてからというもの、いつ“対の方”様にお会いできるのかと、思い描いて幾星霜。
ゆうべ滞りなく儀式を終えられたと聞き、ホッとした次第でござんす。
であるにも関わらず、美穂様にごあいさつが遅れたこと、面目もございやせん!
しかしながら、あっしもセキ様も、美穂様がいらしたことにはいたく感激しており───」
「話、長っ! しかもしゃべれるとか!
……って、他にも突っ込みたいトコだけど、まぁいいや。ここ、いろいろヘンな世界みたいだし。
で、あたしになんの用なワケ? つか、なんでそんなに隠れてんの?」
木の幹の陰から、顔だけのぞかせたニホンザル。
機関銃のごとき話しっぷりに、美穂はそこでようやく口をはさんだ。
「……あ、あっしのことは、恐ろしくないんですかい?」
おそるおそるといった様子で姿を現した猿助は、赤い法被を着ていた。
美穂を見ながら、前足の指先を落ち着きなく絡ませている。
「なにあんた、あたしのこと襲うつもり? 喰っても美味くないよ、あたし」
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