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第七章 ── 関谷 尚斗 II ──

残るのは、恋慕の情だけ【3】

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身体が震えそうになった。

熱くなった身体が急激に冷えて、尚斗の言葉が、瑤子の心からも熱を奪っていく。

「ごめんね」

小さく告げる。その続きの言葉を迷う。

(これが、チャンスかもしれない……)

過ちを話すための。
……いま、この場でなら、尚斗に言えるかもしれない。

「オレ…ろなんか、気に障ること、した……?」

腕から力を抜き、探るように見てくる尚斗。

瑤子は切りだし方が見当たらず、栗色の瞳から逃れるように首を振った。

「そうじゃ、なくて……」

この状況下で断わられる理由は尚斗には見つからないだろう。

瑤子にしろ、本当なら拒む必要はなかった。

黙っていれば済む問題、と、片付けても良いはずだ。

少なくとも大多数の人間は、そうして日々を過ごしている。
……いらない波風は立てずに。

それに、瑤子がいま、尚斗を好きなこと。
そのこと自体は、嘘偽りない真っすぐな気持ちだった。

(だけど、私が知っている)

自分の過ちの罪深さを。その愚かさを。

知っていながら何もなかったような素振りで、このまま尚斗に抱かれることは、瑤子にはできない。

(言わなきゃ……)

とまどったような眼差しが返ってくる。
瑤子の次の言葉を待って。

「私───」

声が、出てこない。
のどの奥のほうで、言葉にする力が消えていく。

(怖い)

そう思った。

いままで培ってきたこの時のための勇気が、瑤子のなかで急激にしぼんでしまう。

尚斗に、自分のなかに残っている汚れた思い出を、さらけだすことができない。

きっと……軽蔑けいべつされる。それが、たまらなく怖かった。

ぎゅっと目を閉じた。
うつむいてから、思いきって顔を上げる。

尚斗の視線をやや外して───嘘を、つく。

「私、いま……女の子の日なの。
だから、ごめんね」

「───へっ?」

間の抜けた反応。
知らない国の言葉を聞いたような。

数秒後、急にあわてたように、瑤子を見る。

「えーと……あの、ごめん。
一瞬、意味が解らなくて……姉貴はもっと、ロコツにいうから。
───って! オレ、なに言ってんだろ……そうじゃなくて」

「ごめんね……」

もう一度、告げる───嘘を、ついて。
問題を先送りしただけの、つまらない嘘……。

「謝られると、オレも困るし。
瑤子さんのせいでもないと思うから……だから」

そっと瑤子の身体を離して、頭を下げる。

「オレのほうこそ、ごめん。
───あせってた、気がする」

ゆっくりと顔を上げて、尚斗は苦笑いを浮かべた。

「瑤子さんと……斎藤さいとう先輩のこと、知ってるし。
だから、よけいに。
早く追いつきたかったのかもしれない。先輩に」

伏せられた瞳。
初めて、蒼とのことを口にだされた。

それなのに……不快な感じは受けなかった。
改めて、実感する。

(正直なんだから……上にバカがつくくらい)

悲しくなるほど真摯しんしな態度。

尚斗の両頬に手をそえながら、視線を合わせた。

「私は、ここにいる、尚斗くんが好きなのよ?」

ふっ……と、やわらかく尚斗は笑う。
初めから知っていた答えを聞いたように───。

(あなたが立ち直れないほど傷ついたとき、私が側にいられたら、いいのに……)

頬に伸ばした両手が、尚斗の指につかまれる。

(でも、そんな傷つけ方をするのは)

瑤子の手を外しながら、尚斗は頬を傾ける。

近づいた唇が重ねられ、押しあてられた唇の熱さに、胸がしめつけられた。

交錯する、『喜』 と『哀』の感情。

(きっと……私だ)

来たるべきときは、確実に近づいている。

いつまで自分は、『憐の喜び』を保っていられるだろうか。

その日の訪れが、一日でも長く延びてくれることを、瑤子は切実に願っていた……。




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