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第四章 ── 槇原 実砂子 ──

彼にだけ、感じるのはなぜ?【2】

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どきどきし続ける自分をごまかすように、瑤子はうつむいていた。

そこへ、尚斗の真剣な瞳がのぞきこんでくる。恐る恐る、こちらの反応を窺うように。

瑤子は視線を上げかけ、途中でやめてしまう。

まっすぐな眼差しをまともに見返せないでいる、自分がうらめしい。

横を向いて、素っ気なく言った。

「怒ってないわ」

歩きだす。
照れ隠しと同じだった。

瞬間、尚斗が瑤子の前にまわりこみ、二の腕をつかんできた。

「本当に?」

真正面から嘘のない瞳で見られて、立ち止まったまま、動けなくなる。

息をのんで、ようやくひとこと、告げた。

「……怒ってないから、手、放して。痛いわ」
「あっ、ごめん!」

無意識に行ってしまったのだろうか。ひどくあわてたように、瑤子から手を離す。

「怒ってるなら、謝ろうと思って……」

しかられた仔犬を思わせるように、肩を落としている。

瑤子のほうも、困ってしまった。
指を上げ、そっと、尚斗の肩口に、手を伸ばす。

「本当に……怒ってないわ」

今度はさきほどよりも、やわらかく呼びかけた。

少しかげりのある尚斗の瞳が瑤子を捕える。
まだ、気にしているようだ。

「───おなか、すいてない? これからうちに、食べに来て欲しいの。
……だめ、かな?」

機嫌をとるように、甘えた声をだす。久しぶりに誰かに言った我がままだった。

驚いたように、尚斗は大きく首を振り、うわずった声で答えた。

「全然、ダメじゃないよ。食べに、行く」





二人が瑤子の家に着いたのは、20時近かった。

遠慮がちに家に上がる尚斗に、両親の不在を告げ、堅くならないように言う。

けれど逆に、
「いいの?」
と、上目遣いに訊かれ、瑤子は笑ってみせた。

「一人の食事ってつまらないし。
……それより、尚斗くんのお家のほうは、大丈夫?」
「ああ、えーと……連絡入れとけば、うるさく言われないから」

他に何か思惑があったらしく、尚斗は目をおよがせた。

(二人っきりって状況が、気になるのかしら)

尚斗の態度に、そんなことを思う。瑤子にしてみれば、深い意味はなかったのだが。

(ないわよ、全然)

自分の思いつきに、心臓が鼓動を速めた。

尚斗に悟られないよう、ダイニングへと案内する。

「何か飲む?」

これから食事を作るので、間をもたせるために尋ねた。

冷蔵庫をのぞきこむ。
清涼飲料水と牛乳、それからジュース類がいくつか。

尚斗に選んでもらおうと、振り返りかけた。

(───えっ……)

気配を感じたと思ったら、背後から抱きしめられていた。

驚いた弾みに手が離れ、冷蔵庫の扉がゆっくりと閉まる。

「……オレのこと、避けてない?」

耳もとで、ささやかれる。

思いつめたような響きの声音と、息苦しさを覚えるほどの抱擁ほうよう

「どうして? 今日だって、一緒に帰って来たしそれに、いまから食事しようって───」
「そういうことじゃなくてっ」

乱暴にさえぎられた。
少しいらだったような言い方。

自分自身に、矛先が向いているような……それは、瑤子の気のせいだろうか。

「そうじゃなくて……神田先輩、オレのことまっすぐに見てくれないよね? すぐに目、そらすし」
「それは……」

そこまで言って、続きを言いよどむ。

後ろめたさから視線を合わせないのではない。
だからこそ、余計に言い分に困ってしまう。

(ドキドキしちゃって、見られない、なんて)

気恥ずかしくて、言えるわけなどなかった。

現に、こうして尚斗に抱きしめられている今も、これでもかという早さで心臓が動いている。
めまいがしそうなほど。

(気づかないのかしら、そういうの)

裕美の気持ちすら、単なる幼なじみのおせっかいだと思っているくらいだ。

表面上は冷静を装える瑤子の、隠された想いを察するのは、難しいのかもしれない。
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