19 / 101
第二章 禁忌の称号
夢の先にある影【2】
しおりを挟む
ぎゅっと、ひざ上で拳を握りしめ、未優は泣きだしそうな自分に気づく。
響子がテーブルに置かれたタバコを取り上げ、火をつけた。
未優を見ながら吸いこむと、彼女の顔に煙を吹きかける。
咳きこんで、未優は顔を背けた。
「……これで解ったかい? 自分がいかに愚かな夢をみてたかってことがさ。
なぁに、知っちまえば良い社会勉強だったってことで済む。知らないことを知る、それが大事なんだからさ」
「……なります」
「は?」
未優のか細い声に、響子はくわえタバコで眉を寄せた。未優が言った。
「あたし、“歌姫”になります!」
キッと響子を見据え、未優は今度はハッキリと宣言する。
響子は薄ら笑いを浮かべた。……やっぱり、そうきたか。
「──口ではなんとでも言えるって、言ったろう? お嬢ちゃん。
こっちだって、あんたがそう簡単に引き下がるなんて、思っちゃいないさ。
そこのドアの向こうに、アタシが呼んだ男がいる。まずはそいつと、寝てもらおうか。
あんたの覚悟が本物だって言うならね」
未優の座るソファーの後方を指す。
どくん、と、未優の心臓が強く脈打った。
(……男と、寝る……)
キスですら、したことのない自分が。
見ず知らずの男と、経験のないあれこれをするのかと思うと、訳もなく泣きわめきたくなった。
(留加……)
触れて欲しい相手は別にいるのに。
それでも、なんの愛情ももてない男と身体を交わすのが娼婦なら、そうするしかないだろう。
──本当に、“歌姫”になりたいというなら。
だが、未優は立ち上がれなかった。
無理だ、そんなこと。自分の身体を売るなんて、そんなこと、できない。
(留加、あたし……!)
ぎゅっと目をつぶって、歯をくいしばる。
留加は、廊下で待っているはずだ。
自分が“歌姫”になるのをあきらめたと言ったら、彼はどんな顔をするだろう?
軽蔑する? 落胆する? 嘆く?
──いや、そのどれにも当てはまらないはずだ。
留加は、未優が“歌姫”を目指しているから、未優と関わってくれているのだ。
未優が“歌姫”にならないのなら彼の道と自分の道は、これから先、交差することはないはずだ。
──無関心。
それが、未優に対する留加の態度となるだろう。初めて会った、あの日のように。
(そんなこと、耐えられない……!)
せっかく、少しずつではあるが留加が自分に歩み寄ってきてくれていたのに。
それを、手放してもいいのだろうか……?
『君のために、弾こう』
かけがえのない、未優の行く手を照らす、光のような言葉。そして、それによってもたらされる、至福の時間。
留加と共に奏でる旋律は、未優をどこまでも高みへと連れていく。
──それを、自分は。
未優は大きく息を吸い、吐いた。
ゆっくりと立ち上がり、響子に言われたドアを開ける。
壁ぎわに置かれた長椅子と、床に散らばり脱ぎ散らかされた衣服。鏡台は整然としていたが、あとはひどい有様だ。
……誰も、いない。
(……覚悟を、試されたの……?)
奇妙な安堵と、さきほどまでの苦悩が交錯し、未優はその場にへたりこむ。寿命が縮んだ……。
瞬間、パタン、と、扉の閉まる音がした。次いで、目隠しをされる。
「だーれだ?」
完全に絶たれていた気配と、無邪気な明るい声。
そして、このような行動をとる人物には、一人しか心当たりがない。
「……薫でしょ」
「当たり! やだな、未優。ひょっとして、僕にずっと会いたかったんじゃない? そんなにあっさり答えちゃってさ」
ふふっと笑って、薫は後ろから未優を抱きしめる。
ムッとして未優は、その腕を振り払った。
「ちょっと、何すんのよ、あんた! 放しなさいよ!」
「……なに言ってんの、未優。この部屋に、なんのために入って来たの?」
片方の手首をつかまれ、未優はびっくりして薫を仰ぎ見た。
「……冗談でしょ?」
「こういうの、役得っていうのかな?」
響子がテーブルに置かれたタバコを取り上げ、火をつけた。
未優を見ながら吸いこむと、彼女の顔に煙を吹きかける。
咳きこんで、未優は顔を背けた。
「……これで解ったかい? 自分がいかに愚かな夢をみてたかってことがさ。
なぁに、知っちまえば良い社会勉強だったってことで済む。知らないことを知る、それが大事なんだからさ」
「……なります」
「は?」
未優のか細い声に、響子はくわえタバコで眉を寄せた。未優が言った。
「あたし、“歌姫”になります!」
キッと響子を見据え、未優は今度はハッキリと宣言する。
響子は薄ら笑いを浮かべた。……やっぱり、そうきたか。
「──口ではなんとでも言えるって、言ったろう? お嬢ちゃん。
こっちだって、あんたがそう簡単に引き下がるなんて、思っちゃいないさ。
そこのドアの向こうに、アタシが呼んだ男がいる。まずはそいつと、寝てもらおうか。
あんたの覚悟が本物だって言うならね」
未優の座るソファーの後方を指す。
どくん、と、未優の心臓が強く脈打った。
(……男と、寝る……)
キスですら、したことのない自分が。
見ず知らずの男と、経験のないあれこれをするのかと思うと、訳もなく泣きわめきたくなった。
(留加……)
触れて欲しい相手は別にいるのに。
それでも、なんの愛情ももてない男と身体を交わすのが娼婦なら、そうするしかないだろう。
──本当に、“歌姫”になりたいというなら。
だが、未優は立ち上がれなかった。
無理だ、そんなこと。自分の身体を売るなんて、そんなこと、できない。
(留加、あたし……!)
ぎゅっと目をつぶって、歯をくいしばる。
留加は、廊下で待っているはずだ。
自分が“歌姫”になるのをあきらめたと言ったら、彼はどんな顔をするだろう?
軽蔑する? 落胆する? 嘆く?
──いや、そのどれにも当てはまらないはずだ。
留加は、未優が“歌姫”を目指しているから、未優と関わってくれているのだ。
未優が“歌姫”にならないのなら彼の道と自分の道は、これから先、交差することはないはずだ。
──無関心。
それが、未優に対する留加の態度となるだろう。初めて会った、あの日のように。
(そんなこと、耐えられない……!)
せっかく、少しずつではあるが留加が自分に歩み寄ってきてくれていたのに。
それを、手放してもいいのだろうか……?
『君のために、弾こう』
かけがえのない、未優の行く手を照らす、光のような言葉。そして、それによってもたらされる、至福の時間。
留加と共に奏でる旋律は、未優をどこまでも高みへと連れていく。
──それを、自分は。
未優は大きく息を吸い、吐いた。
ゆっくりと立ち上がり、響子に言われたドアを開ける。
壁ぎわに置かれた長椅子と、床に散らばり脱ぎ散らかされた衣服。鏡台は整然としていたが、あとはひどい有様だ。
……誰も、いない。
(……覚悟を、試されたの……?)
奇妙な安堵と、さきほどまでの苦悩が交錯し、未優はその場にへたりこむ。寿命が縮んだ……。
瞬間、パタン、と、扉の閉まる音がした。次いで、目隠しをされる。
「だーれだ?」
完全に絶たれていた気配と、無邪気な明るい声。
そして、このような行動をとる人物には、一人しか心当たりがない。
「……薫でしょ」
「当たり! やだな、未優。ひょっとして、僕にずっと会いたかったんじゃない? そんなにあっさり答えちゃってさ」
ふふっと笑って、薫は後ろから未優を抱きしめる。
ムッとして未優は、その腕を振り払った。
「ちょっと、何すんのよ、あんた! 放しなさいよ!」
「……なに言ってんの、未優。この部屋に、なんのために入って来たの?」
片方の手首をつかまれ、未優はびっくりして薫を仰ぎ見た。
「……冗談でしょ?」
「こういうの、役得っていうのかな?」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる