境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

82.失意の底

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「それから、光が収まる頃には樹の中に黒き者たちが雪崩れ込んで来たのです。皆一様に面をつけ、異様な風体でした」
「子らがその者たちに操られていたということか……!?他の者はどうしたのだ!?」
「他の者は子どもを振り払うことに手一杯で……。私だけが怪我で碌に動けぬだろうからと捨て置かれ、その隙をついたのです」

 警戒しながら歩いた往路と、急いで駆け抜ける復路では当たり前だがかかる時間が圧倒的に違う。
 守り番の男はアルヴィンに背負われながら、これまでの経緯を話す。体格のある男を背負いながら走るもなお息を切らせないアルヴィンもアルヴィンだが、小さくない傷でここまで状況を伝えに来た男も男である。
 傷口からナイフが抜かれていなかったことは幸いだ。動くのに支障はきたしただろうが、失血がまだマシなおかげか会話ができるのだから。

「申し訳ありません、申し訳……っ!守り番を
任されていながら、1人で逃げるという体たらくを……!!」
「っ……もうよい。相手が複数であれば其方だけで対処できる事ではなかったはずだ。それよりもその傷でよく伝えに来てくれた」
「それでも、申し訳ありません……!エリン様もまだ、そこに……」

 後ろへ後ろへと忙しなく流れていく景色の中に懺悔が溶けていく。
 男の言葉に理解と納得を示しながらも、オーベロンの口端は歪んでいた。




「着いた、っすけど……」

 風は、凪いでいた。
 葉擦れも虫の声もない妙な静寂の中、聞こえるのは休みなく走って乱れた複数の息遣いだけだ。

「もぬけの殻、ですねぇ」
「へ、ヘイ君。もっと言葉を考えて」

 咎める声。だが無配慮なヘイの言葉を嗜めるアルヴィンもまた、静けさに不安な顔を隠せなかった。

 ただの木に戻った水晶樹はポッカリと大きな口を開けている。
 照明魔道具が転がり、端の破れたクッションが転がる形跡は明らかにここで何かが起こったという証拠。けれど、それだけだ。
 子どもはおろか、大人の姿も見えない。傷付けられるか、あるいは最悪の可能性として物言わぬ状態にされている事も考えたが、目に見える血痕は入口くらいだ。それはきっと、守り番の男が刺されたという時のものだろう。
 件の男はすべてを伝えると糸が切れたかのように気を失い、今は地面に寝かされている。


「狙いは、子だけではなかったということ、か……?」

 誰もいなくなったの中を呆然と見つめながらオーベロンが膝から崩れ落ちる。
 近場にいたエルフの女が慌てて彼の身体を栄えようとしたが、脱力し切ったオーベロンが再び身を起こす様子はない。



「族長、気を確かに!連れ去られたかもしれないということは、まだ生きている証拠ではありませんか!」
「それが、1番気掛かりなのだっ!」

 女が彼の剣幕にたじろいだ。女だけではない。その場の者はごく一部のエルフを除いて皆、オーベロンの形相に思わず動きを止める。
 頭を垂れたまま吼えたオーベロンは、しかしすぐにハッと醒めた顔を上げる。

「……すまぬ、若い其方そちに怒鳴っても仕方がないことは理解している。だが、かつて生きたまま連れ去られた同胞が受けた仕打ちを───忘るる事など出来ぬのだ」
「族長……」
「このようなことを言いたくはないが、子は価値が高い。制圧するにも労力をそこまで必要とせぬ。だからかつて人間どもが我々を奴隷に貶めんと争いが生じた際にも、奪われた子らはその殆どが無事に終わった。しかし、それ以外は……!!」

 口に出すのも憚られると言わんばかりに彼はそれ以上の言葉を紡ぐことはしない。

「人間にとっては数世代前の、語りでしか聞かぬ単なる歴史のひとつだろう。しかし永き時を生きる我々にとって、あれは間違いなく実際にあった記憶なのだ」

 再び顔を歪め、歯軋りをするオーベロンが搾り出すような声を漏らした。
 彼の言うとおり、寿命の長いエルフにとってかつてあった争いはただの伝聞などではなく、事実その身で経験したものなのだろう。長寿がもたらすのは、なにも喜びだけではない。

「ああ、エリン……。私はあの子たちにどう詫びれば良いのだ……」




 沈黙。
 誰もが下手に声を出すのを躊躇っている。
 

 そんな静けさを、飄々とした声が打ち壊す。

「一度体勢を立て直しては如何です?」
「ヘイ殿、族長の話を聞いておられましたか?大人も拐われたとあってはなおのこと、時は一刻を争うかもしれないのですよ!?」
「ですが探す手立てが無いのが現実でしょう?それに、ほら、族長であるオーベロンさんが憔悴され切ってるとあっては……」

 重苦しい空気を気にもしないヘイに、オーベロンを支えるエルフの女が鋭い叱責を飛ばす。しかし、その怒りすら意に介さず肩を竦めるヘイはほら、とオーベロンを手で示す。
 項垂れる彼は反論が出来ないほどに消沈していた。

 張り詰め、張り詰め、高まった緊張と押し殺していた焦燥でなんとか長としての体裁を保ちながら動いていたのかもしれない。それが空回った今、疲れ切った表情をする彼には相応の老いが感じられた。

「焦る気持ちもわかりますが、この状況で無闇に動くのも得策ではないでしょう?状況を明確にして思考を巡らすためにも、短時間でもいいので休息は取るべきかと」
「……ぼ、僕もヘイ君の言うとおりだと思いますよ。皆さん、あまりにお疲れが見えていて、このままだと途中で倒れてしまいそうです……」
「くっ……」

 言い返すことが出来なかったのか、女が下唇を噛む。

 実際、人間の里まで向かい、そこで思いがけず鏡像に襲われ彼らの同胞が犠牲になった。目星をつけていたそこでは成果もなく、更には万全の守りを施して残したはずの里はもぬけの殻。
 士気はこれ以上なくどん底に近かった。

「そう、ですね。確かにこのまま我武者羅に動いても同じ轍を踏むだけでしょう」

 やがて女はため息をつきながら他のエルフへ視線を投げかけた。周りで事の成り行きを見守っていた彼らは、その視線に各々で頷く。

「族長、よろしいですか?」
「───あぁ……」

 オーベロンはもはやそれ以上の返答をしなかった。長い髪が濃い影を落とし、夜の闇も相まってその顔色は途轍もなく悪い。


「アルヴィンさん、人間の皆さんの事はどうするっすか?」
「そうだね……今はあまり戦力を分けたくないから、状況を伝えて応援を要請するよ。あっちにも鏡像の被害が出てるし、担当の子がちゃんと確認してるのかも気になるし。あ、ヴェル君、受信端末返してもらっておくね」

 そういえば預かったままだったと、ヴェルはエーテルリンクを指から外してアルヴィンに差し出す。彼はその指には絶対に嵌まらないサイズのリングを指でつまむと、いそいそとペンダントを取り出して再び懐にしまった。
 いちいち取り出すのは面倒そうだ。それなりのサイズ展開があったはずだが、限界はあるのかもしれない。

 自分も気を付けなければ。太る気は全くないのだが。



「一応、その、考えたくないけど……襲撃に備えて不寝番はいた方がいいよね?き、鏡像もまだ倒せてないし」
「では僕が見ていましょう。種族柄、夜の方が身体に合っているので」
「じゃあヘイの次は私がやるっす。アルヴィンさんは、連絡があったときにすぐ動けるように───」

 次々と方針を固めていく3人。話せないヴェルは指示を待つ事しかできず暇を持て余していたが、不意に止まったシルヴィアの言葉に首を傾げる。
 可笑しさに気づいたのはヴェルだけではなかった。


 彼女の沈黙の理由を察した彼らは間髪入れずに身構える。

「皆さん、後ろに下がって!」

 アルヴィンが叫ぶと同時に、ヴェルは具現化した剣を下から大きく切り上げた。

 

 確かな手応えとともに、鞭のように伸びた口吻の僅か先端だけが宙を舞った。



「あ、ア"ははあぁぁァァぁ"あ"」



 笑い声にも似た悲鳴が木々の間に木霊する。

 初手をしくじった事は理解したのか、直ぐに身を引いた鏡像の胴体に、シルヴィアの拳は届かない。

「っ、ほんと無駄なところで運がいいんすから」

 彼女も深追いはしない。
 攻撃を外したと理解した瞬間、身体を反転させて近くの木を大きく蹴る。前線に立つヴェルの横に降り立ったシルヴィアが先ほど足場にした木は、数秒の差で鏡像の長い胴に砕かれた。
 逡巡に間を要していれば、木と一緒くたに粉々になっていたかもしれない。

 しっかりと姿を現した鏡像は、無数に生えた脚を自在に動かして森の中を素早く移動し始める。

「タイミング良く来てくれるっすね。これでとりあえず、人間むこうの事は気にしなくて良いかな」
「───えぇ、本当に。まさかこんなタイミングで来るなんて」

 構えたシルヴィアに応えるかのように、小さな呟きがヴェルの耳に届く。

 だがそれは、彼女の言葉に同調するというよりも些か不満を滲ませた声音。その声は小さすぎて、恐らくしっかりと言葉を拾えたのはヴェルだけだっただろう。
 きっと呟いた本人も、誰かに聞かせようと思って呟いたのではないはずだ。

 意図を問うための声も出なければ暇もない。
 微かな違和感を残しながらも、ヴェルは鏡像に向かって地を蹴ったシルヴィアとヘイに続いた。
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