境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

77.プログラム:NPC

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「ちょっと聞きたいんすけど、最近この辺りで鏡像を見たって話を聞いたことはないっすか?」
「鏡像……。最近、息子が黒い布を被って"ごっこ遊び"をするんですよね」
「え……?あ、そうなんすね。鏡像について何か聞いたりしなかったっすか?」
「鏡像といえば、うちの息子が黒い布を被って真似事をするんですよ。他の人に見せられなくて困ってしまいます」
「───えっと、話を聞きたいんすけど」
「昨日、干していた靴下が片方なくなってしまって。鳥に取られたんでしょうかね?」


 細められた目元には、明らかな隈。
 しかし彼女は疲れなど何ひとつ見せない顔で
にこやかに笑うのだ──────。








「ダメっす、全然ダメ」

 どれだけ吐き続けられるのか、計っておきたいくらい長く深いため息。
 座り込めるところがあるならばすぐに座り込んでしまうだろう程に脱力したシルヴィアが、傍らの家屋にもたれかかる。

 彼女が話しかけるのを止めた途端、中年の女は役割は終わりと言わんばかりにさっさと洗濯を再開し始めた。こんな夜中に洗うものでもないだろうに、さも当然と行動を始める女にヴェルは薄気味の悪さすら感じる。

「シルヴィアさんがコミュニケーションに困っているなんて初めて見ましたねぇ」
「暖簾に腕押しじゃ、私だってどうしようもないよ……」

 彼女の性格ならば、確かに現地民と交流を図るのは容易だろう。しかし今まさに直面する現実は、そう簡単なものではなくて。

「シルヴィア殿、そちらはどうだ?」
「アルヴィンさんの言う通りっすよ。そっちは?」
「同じく、な。この人間どもは一体どうしたというのだ……」

 別の人間に対話を試みようと別れていたエルフたちも次々と集まってくる。沈んだような、辟易したようなその表情から察するに、彼らも会話の成立しなさに困惑を抱いたのは一目瞭然だった。

「誤魔化している様子……ではないな。だが、全く会話が噛み合わん」
「ね、ね?おかしいんです。鏡像のことも聞けなかったし、今だってあの小屋の中の事なんて全く知らぬ存ぜぬで……うぉ"ぇっ」

 またである。思い出して再び嘔吐えずくすがたを見るのももはや慣れてきた。

───しばらく、小屋とか思い浮かべるだけでもダメかもな、

 合流早々、横で胃をまろび出しそうな男に先程感じた格好良さを忘れそうになった頃。ヴェルは自ら思い浮かべた言葉で、、とこの違和感の理由に気付く。
 そうだ。言語化するならそういうことだ。

「ヴェル?」

 様子に気付いて手を差し出すシルヴィア。
 あまりに慣れて手際のいい様子に、ヴェルは感謝と共に決まりの悪さも覚えてしまう。そんなに自分は分かりやすい顔をしているのだろうか、と。
 首を振って誤魔化しつつ、もう慣れてしまった彼女との"会話"に向き合う。


───プログラムみたいじゃね?
「プログラム……?」

 先ほどの女との会話を脳内で反芻する。
 誤魔化している様子はなかった。求めていたものは返ってこなかったといえ、彼女は"鏡像についての話題"という意味では間違いなく答えを返しているのだ。同じ話題を、2回も。

 では、なぜ同じ答えを?
 それを考えた時、ふと思い至ったのがその答えだった。

───アルヴィンさんがさっきの話を持ち出すたびにゲロ吐くじゃん。
「言い方」
───それと似てるんじゃね?って思ったんだけど。

 要は、特定のワードに対する反応がだいたい決められてるという感覚。そう伝えれば、大きく見開いた瞳は感心したように数回瞬く。

「確かに……言い得て妙っすね」
「ヴェル殿はなんと?」
「こっちの出した話題に対する反応が決められてるみたいって。現に、私たちが話したヒトは鏡像については同じ返事しかなかったっす」
「……あぁ、我々の方でもそうだった」

 と、いうことは里の人間が皆、プログラム的な返答しかしないということか。

「ぉぇ……で、でも何で?そもそも、こんな夜中の行動にしては洗濯とか畑仕事とかしてるし、こ、ここここのヒト達みんな、どうしちゃったんだろう?顔色も悪いし……」

 
 それに対する答えは、闇に沈んだままだ。

 腑に落ちない疑問を抱えたままの、重苦しい沈黙。
 聞こえるのは、今の時間聞にはおかしい生活の営みの音だけ。
 時刻はすでに夜半を大きく回り、傾き始めた月は再び湧き出た雲で見え隠れを繰り返している。

 考えあぐねたヴェルが視線を彷徨わせ───表情の抜け落ちたヘイの横顔が、目に留まった。






 笑みでもない、困惑でもない。
 細い指を同じく細い顎に添えながら、薄く開いた金の瞳が何処でもない場所を見つめている。驚いたときに見せたような笑顔を消しただけではなく、ただ、表情だけが欠落した"無"の顔。
 




 微動だにしなかった瞳が瞬きとともに突き刺さる。そこに乗った感情の色は全くないと言っていいのに、普段見慣れない縦割れの瞳孔に映されると何故だか肩が跳ねた。
 一瞬で身体に力を込めたヴェルを見て、彼はすぐに普段通りの笑みを貼り付けた。こちらの警戒を誘うような、胡散臭い笑みだ。

「あぁ、失礼しました。睨んだわけではないのです」
「……」
「そう怖い顔しないで下さい。僕だって、おかしいと思えば考え込んだりすることもありますよ」

 それとも他に何か言いたいことが?そう言ってヘイは白い手のひらをヴェルに向けて差し出した。まるでシルヴィアの行動を真似るかのように。
 無駄な警戒は不要だと言わんばかりに無防備に差し出された手。けれど、言われるままに指を滑らせるのはどうしても嫌だと思えてしまって、結局ヴェルは小さく首を振ってはぐらかした。

───何を考え込んでたんだ?

 湧き上がった疑問を押し殺して。

 いま考えるとすれば、人間の様子がおかしい理由についてくらいだ。わざわざこの男の"手を使って"聞かねばならないほど愚かなつもりはなかった。



「人間どもがこの様子では、埒があかんな」

 延々と答えを出せない問いに、とうとう終止符が打たれた。

「鏡像に関しては一先ず不問とするが、子を奪った疑いについては変わらんままだ。───ヴェル殿」

 急に名前を呼ばれ、ヴェルは微かに俯かせていた顔を上げる。

「其方はエリンを攫った者の顔を見たと言った。それがこの里にいる者か判別は付くか?」

 オーベロンの問い。
 期待を浮かべたエルフ達の瞳がヴェルへ一斉に向けられていた。


 耳の奥で音が遠ざかり、思考までもが自らの自由を奪われる感覚。
 また、だ。いい加減、慣れなくては。

 流石に2回目ともなると先程よりも身体は動く。ヴェルは頷き、辺りを見回すフリをして纏わりつく視線から無理矢理目を逸らした。視線は変わらず突き刺さろうと、見えていなければまだマシだ。


 周囲にいる人間は、相変わらず自分たちの里でたむろしているエルフ達が見えていないかの如く振る舞っている。
 穏やかに、ときににこやかに営まれる日常を送る彼らの顔には、シルヴィアが話しかけた女同様に隈が浮かび顔色も悪い。それは夜半という時間によって落ちた影だけが原因ではないように思う。



「どうっすか?」
───いない。



 そもそも、ヴェルが相対した男はポータルを使って逃走した。この里の人間ではない可能性だって大いにあるし、考えたくはないが───守護者やサポーターである可能性だってあるのだ。見た目だけで言えば人間に似た種族なんてごまんと存在する。

 人間が怪しいのだといった根拠のない確証でなし崩しにこの場まで同行し、声なき故に血気立つエルフらに水を差すことができなかった。
 しかし今ならばどうだろう?



 そう、逆にヴェルの言葉に皆が集中し、人間への疑いに揺らぎが出始めた今であれば、この厄介なコミュニケーション方法でも静かに耳を傾けるのではないか。

 ヴェルはシルヴィアの手のひらに指を滑らせた。


───俺の見た奴、黒い仮面を付けてて───




「待て、貴様!!」

 突如、割り込んできた鋭い声が響き渡る。
 ヴェルに注がれていた視線が一気に剥がれ、声の主を振り返った。

 奥に見える家屋脇から2人、今まさに角を曲がって此方へと駆けてくる影が照明魔道具の光に浮かび上がる。

「その者を止めてくれ!1人だけ挙動が違うのだ、頼む!」

 後を走るエルフの男が必死の形相で声を張り上げる。かたや男を窺いながら走る影は、男の言葉に呼応するように屯する一団へと振り向く。

「ッ、あいつ!私が会った奴!!」
「ひィっ……!」

 か細い悲鳴が目と鼻の先で止まった。

 恐れ慄くように震える体と、進退を決めかねて地面を何度も前後に擦る足。その表情は恐らく、目の前に集まるエルフと助力者の一団への驚愕に溢れているのかもしれない。
 かもしれない、というのは他でもない。見えないのだ、相手の顔が。


───シルヴィアが言ってたのって、これか。

 頭からつま先まで、ボロと言っていいほど貧相な衣服。ローブのように頭をすっぽり覆っているといえ、顔まで隠されているわけではない。しかし、相手の顔は何故か靄がかかったように朧げで、そう遠くない距離でも明確な輪郭を捉えることはできなかった。


「ど、どうし……なんっ、なんで、エルフは里から出ないんじゃ……!」
「───確かに、これなら何か知っていそうだ」

 警戒を宿したオーベロンの声に、エルフ達もそれぞれ武器を構える。

 影の震えがピークを超えた。

「わ、わ…………わ"あ"あぁぁぁあぁぁ!!」


 絶叫。
 喉の奥から迸る叫び声が夜を切り裂き森中に木霊する。

「捕らえよ!」

 オーベロンの指示が飛び、幾人もが影に向かって飛びかかった。

 刹那。



「まままま待って止まって!!」

 影が、落ちる。

 アルヴィンの言葉が届くより早く。
 背筋に嫌な気配を感じたヴェルは、横をすり抜けて飛びかかろうとしたエルフの女の襟首を咄嗟に掴んだ。
 だが、さらにその横をすり抜けて駆け抜けたエルフの男にはどう足掻いてももう届かない。

 それでもなお伸ばした指の先。

 届かなかったその距離の先で、男の脳天に"何か"が突き刺さった。




「ぁ°」

 音ともいえない、空気ともいえない、そんな中途半端な声。
 身震いをひとつだけ残し、男の背中が定規を当てたようにまっすぐ伸びる。

 喩えるなら───そう、柔らかいゼリーを勢いよく啜るような。
 そんな湿った音に合わせて響く、耳を塞ぎたくなるような軋轢あつれき音。

 

 ずずず、ぼき、ぼきっ。



 音が鳴るたびみるみる男の身体は 萎しぼみ、凡そヒトであると言い難いほどの薄さへと変容していく。

 時間にして数秒。けれど、硬直した思考には何十分とも思えるに等しい時間。

 干した野菜のように萎んだ身体はこれ以上小さくなる余地を残していないのに、無慈悲にも突き刺さった"それ"は抜けることもなく男を吸い上げる。
 やがて、限界を迎えた男の身体は、とうとう"それ"に合わせて姿を変えた。

「ぁ、あぁ……」

 どこかで掠れた悲鳴が上がる。

 吸いきれなかった肉が、骨が、《ストロー》の縁にこそげ落とされてびちゃびちゃと地面に染みを作る。
 広がった残骸は、備蓄庫で見た"破片"そのものだった。


「べ、べべべぅ君、気を付けて!こ、こいつが例の鏡像だよ!」

 あらかた吸い尽くして満足したのか散らばる破片には目もくれず、突き刺していた"それ"をくるくると巻きつけるように仕舞い込む。

 アルヴィンの言葉に呼応するかのように、ギチギチと耳障りな音を立てて頭をもたげた鏡像が、虫のような複眼に新たな獲物を映しては

「ぁは」

 と、嗤った。
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