境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

60.腐っても、有人

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 は始め、地震にも似た衝撃だった。

 大地が震え、地鳴りのような音が轟く。
 立っていられないほどではなく、しかし轟きは徐々に大きさを増して雷のようなものへと変化する。風のないはずの地下で確かに空気が蠢き出した。
 2年、溜め込まれ続けた力の奔流が地下の空間に満ちる。目には見えずとも溢れんばかりの存在感に、ただの岩壁は限界をむかえた。
 ぴしり、ぱきり、耐えきれなくなった部分から少しずつ瓦解の音が聞こえる。

「やはり、何事もなくというわけにはいかないか……っ!」

 ディクシアは自責の念に歯噛みする。
 出来る限り最善策を選んだつもりだったが、結果としてレッセは殉職し、この事態を収集させられるディランも既にい。
 彼女のことも彼のことも、ディクシアの干渉できる範疇を超えた上で生じたことだったとしても───そもそも、この場に行くことを決めたのが間違いだったのかもしれない。

「無理にでもシリスを止めていれば……!」

 鏡の存在は知らぬままだったとしても、レッセも死ななかっただろう。守護者が行かなければディランもここへは来れなかったと言っていた。
 彼が持っていたあの黒い玉が、あの巨体を呼び寄せたのは明白だ。原理はわからないが、状況から考えればそう判断せざるを得ない。

 事をややこしくした元凶を一瞥すれば、彼女は自らの武器を構えながらも酷く顔を歪めて鏡像を凝視していた。

「まさかとは思うけど、あの鏡像……」
「今はそんな場合じゃないだろう!?さっき予測したように、下手をするとこの場所が潰れるよ!」
「言われなくても見れば分かるよ!」
「いいや、分かってない!たとえ、アレが君の想像したとおりでも奴らはただの偽物で、本物の人格と記憶を模しているだけに過ぎない!!」

 明確に、アーリィの父親の鏡像であるという可能性は口にしなかった。それを言ってしまったところで、アーリィが再び茫然と動けなくなるとディクシアには目に見えるようだった。

「躊躇うくらいなら、アーリィさんを連れて少しでも離れてくれ!」

 叱咤すればシリスは構えを解いて素直に頷いた。心には響いたようだが、翡翠の瞳は苦しげに細められている。



「君が深く考えず彼女を手伝った結果だろう!?だから僕は、君のそういうところが嫌い───ッ」

 苛立ちのままに、口走ってはいけない事を言おうとしたことに気付きディクシアはハッと自らの口を手で塞いだ。

 気まずい沈黙が流れる。

「……ごめんね。ちゃんと後でしっかり頭下げるから」

 先に沈黙を破ったのはシリスの方だった。彼女はそのまま、鏡像を避けた先で座り込むアーリィの元へ向かう。

「……」
「ディク、どうした」

 眉根を寄せて俯くディクシアの横を通ってクロスタが前に出た。
 彼には先ほどの話の仔細は聞こえていなかったらしい。

「……なにもないよ。それより、この状況をどうにかしないと」
「どうするつもりだ?」

 正直、彼がシリスについて行くと決めた事も要因の一端ではあるのだが、ここで友人たちに苛立ちを向け続けていても仕方がない事も理解していた。
 ひとつ大きく息を吸って、吐く。少しだけ頭が冷えた気がした。

「……試してみようと思う方法がひとつだけある。どの道、この様子だと表に逃げるまでの時間は足りない気がする」
「分かった。俺はトドメを刺す」

 任せる、そうディクシアが頷こうとした時だ。

「きゃぁあ!!」

 甲高い悲鳴が、耳朶を打った。

 弾かれたように振り返れば、さっきよりも離れた位置に倒れ込むアーリィ。彼女は今まさにそこに倒れてしまった様子で、慌てて身を起こしていた。
 そして彼女の目線の先、先程まで座り込んでいたはずの場所には複数でとぐろを巻き、ひとつの大きな塊にも見える蛇の姿。

「尻尾だけでも生きているのか……!?」

 主導権は鳥の方にあるものの、身体は共有していると思っていた。だが尾だけで自立している姿を見ると、そもそもが別個体であった可能性が浮上する。



 蠢く黒の隙間から見知った金が覗いていた。



「っあ……!」

 途端に、さっきまでの怒りが霧散した。

 脳裏にレッセの最期が蘇る。彼女の時には感じ得なかった焦りが、ディクシアの胸中を満たす。

 自分がアーリィの元へ行けと言ったから、素直に彼女は従った。苛立ちもあったが配慮のつもりだった。鈍った刃を以て相手に立ち向かうのは、ディクシアにとって自殺行為にも見える愚行だからだ。
 だがその結果、シリスが喰われた。

 一瞬にして友人を失った後悔と、それ以上の絶望感が思考を鈍らせる。顔から一気に血の気が引いて、指先が氷のように冷たく感じた。

 分かっていたはずだ、自分でも言っていたじゃないか。彼女なら身を挺してでもアーリィを守ると。
 この場に至るまでの、かつての記憶が一気に駆け巡った。走馬灯が死にゆく者の見る記憶だとするならば、死を見送る側の記憶はなんというのだろう?



 ───ヴェルに、なんと言えばいいのだろう?最期の交わした言葉が、あんな喧嘩みたいなもので良かったはずがない。



「しっかりしろ、ディクシア!」

 間近で聞こえた銃声が思考を現実に引き戻した。

「まだ生きてる!よく見ろ!!」

 立て続けに鳴り響く銃声に負けぬほどクロスタが声を荒げた。
 彼が放った弾丸が1匹の首を弾けさせ、さらにもう1匹の胴体を貫く。最後の1発は命を奪うに至らず、1匹の目を潰すのみだった。そうやって開かれた隙間から覗く、見知った金色。併せてちらちらと閃く、血とは違う赤色。

 言葉にできない安堵が、体から力を奪いかけた。

「先に行く。お前は方法とやらを試せ」

 しかし、続くクロスタの言葉がそれを許さない。
 ハッと表情を引き締めて、ディクシアは杖を握り込んだ。

「鳥もまだ残ってる。すぐ戻る。いいな?」
「───わ、かった」

 躊躇いはあった。治癒ができる自分も行ったほうが確実に彼女の生存率は上がるだろう。けれど、そこだけに目を向けていたら全員纏めて生存できないかもしれない。
 岩壁に奔った亀裂は、今や地面にまで伸びていた。
 今からやることが成功する確証はないが、この状態でなにも手段を取らないままであることが如何に愚かか。

「任せるよ。僕は……僕はをなんとか止めてみせる」
「出来るだろ、ディクなら」
「正直なところ自信は8割程度だ」

 クロスタの口元が緩んだ。

「それでこそお前だよ」

 離れ際、呟かれたのは皮肉だったのかもしれないが今この瞬間、そんなのものはどうでもいい。
 鳴り響く銃声を聞きながら、ディクシアは瞳を閉じて静かに呼吸を整えた。




─── 必要なのは"力をコントロールする技術"って話でしょお?

 脳内で、レッセの苛立ち混じりの声が反響する。

─── エーテル操作に近いものって話だったわよ。カラダひとつでやれるってねぇ。

 ねっとりとした甘やかな声。ディクシアの苦手とする耳にこびりつく音。今はそれが有り難くも思える。



 エーテル操作は、大の得意だ。
 なぜなら彼はれっきとした"魔術師"なのだから。


「ちょっとくらい勝手が違っても、ノウハウが近いならきっと……僕なら、やれる」

 この場を託した彼に恥じぬように。
 皆で帰還して、また今回のことを文句も交えながら語れるように。


 そして、友人に面と向かって謝罪ができるように。


 水平に構えた杖の先端に、ディクシアの瞳と同じ夏空色の光が灯った。
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