境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

58.鳥頭蛇尾

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「先輩……っ」

 好きではなかったが、死を願うほどに憎んだわけでもなかった。だからといって、悼む時間などありはしない。



 シリスがアーリィを抱えて横に転がったのと同時に、クロスタはディクシアを抱えて跳んだ。装着したままのが広がり、その体を一気に上空へと持ち上げる。
 直後、鏡から弾丸のように飛び出した黒い巨体が、先ほどまでシリスたちのいた空間を踏み潰して突進していった。

「あははハハははっ!!」

 何度も何度も振り下ろされる足は肉の色。皮膚のない、筋肉が剥き出しの足は鳥同様の形状をしながらも爪先はヒトの手にも似ている。
 黒い羽毛に覆われた体躯から幾本も生える尾は、蛇。体躯と変わらぬ色ながら、とぐろを巻くその姿はてらてらと光沢を放ち、見ているだけで嫌悪が込み上げる。

「アはハはは……、あは?」

 その蛇の尾が、一斉に赫い瞳をシリスたちへ向けた。途端に笑いながら地面を踏みしだいていた足はぴたりと動きを止める。確かめるように自分の足元を覗き込む鳥の頭。そこにあるのが地面だけだということを、ようやく認識した黒い嘴が大きく開いた。

「がぁ」


 鳴き声と共に4枚の黒い翼が激しく暴れる。頭だけでもヒトの大きさほどあるその体躯が広げた翼は尚更に巨大で、羽ばたくたびにかき混ぜられた空気が荒れ狂う。

「ちっ……」

 巻き起こる暴風に、クロスタが舌打ちしてをしまい込み着地した。
 彼が地に足をつけると同時、ディクシアはその腕から素早く降り、杖を敵に向けうたう。

「"目に映るものだけを視よ、愚かしき傲慢がその命火を掻き消すまで。穿つは槍"───放て、疾風の螺旋スピラーレ!」

 身を打ちつける暴風を織り込んで旋風が渦を巻き、不可視の槍を構成する。ディランが行使したよりも素早く、空を切り裂く音を立てて、暴れる翼に向かって飛んだ。
 正確に先鋭に、黒翼を捉えんとした風の魔術。しかしそれが翼に触れる直前、黒い体は大きく身を捻ってその全てを躱した。
 鈍重に見える巨体には似つかわしくないほどの素早さだ。この場所が狭いならまだしも、上下左右に広くくり抜かれた空間では、あの巨体ですら悠々と飛ぶことを許容できてしまう。

「あ、あ、あんなに大きいのも、鏡像……?ディランは───」

 アーリィの言葉は途中で途切れる。シリスが彼女を抱えた姿勢のまま大剣を振るったからだ。
 赤い軌跡が口を大きく開けて迫った蛇の1匹を断頭する。地に落ちたその頭は、水に打ち上げられた魚のようにのたうち回った。空を劈く悲鳴が上がる。

「あの鏡像、多分、尻尾も頭になってる!」
「とても単純明快で見てわかる説明をありがとう!」
「それ褒めてないよね!?」
「馬鹿言ってないで動け!」

 ひとしきり短いやりとりを交わし、各々駆けた。
 尾の方の視界でシリスたちを認識していたことから、瞳は飾りではない。今の悲鳴を聞くに、痛みは共通しているのだろう。だとすれば、頭が複数個あるということだろうか?体の主導権は鳥の頭が持っているのであれば、注視すべきはそちらの方だろうか。
 思考を巡らせるが、この場で考えるのは元よりシリスの役割ではない。

 アーリィを抱え直し、ディクシアの元へ。
 1番近くに居たからか、目に付くからか、その後を追って尾が迫る。蛇行を交えながら走るが、思った以上に速い鏡像の動きにそのままでは足を取られるのも時間の問題だ。だが。

「させるか」

 鋭い爆発音。 
 後ろを振り返る余裕もなかったが、振り向く必要などないという信頼があった。背後に迫っていた圧力が遠のいた気配がする。
 ひたすらに目的の場所へ。サポートはおそらく、クロスタがしてくれると信じていた。

 シリスが辿り着いたその瞬間、ディクシアが練り上げていた魔力が刹那で構成された。

「"退がれ。ここから先は不可侵の境界となる"───守護結界プロテス!」

 黄金色に輝く半透明の球体が彼らの周囲を覆った。
 追いついた尾がけたたましい音を立てて結界の壁にぶつかるが、内部には衝撃すら皆無だ。怒りの声を上げながら鳥の頭が飛来し、鋭利な嘴で綻びを作ろうと試みる。しかしディクシアの作り出した魔術には、一切の傷を作ることができなかった。

「さすがディク。あれだけ短い詠唱なのに、硬すぎ」
「まあね、と、言いたいところだけれど……。割とキツいかもしれない」

 よく見れば、彼の端正な顔は鏡像の攻撃と共に僅かずつではあるものの歪んでいく。

「フェール先輩も捕食されてしまった───思っている以上にあの鏡像は成長しているはずだ。今ので破られなかっただけ褒めて欲しいけれど、このままだと長々とは持たない」

 つまり、彼が絶えず魔力を注いでいないと維持できないほどに、与えられる衝撃が強いということ。ただのケモノ型とは大きさだけではなく、単純な膂力も桁違いと暗に言っているのだ。
 いくらディクシアとて、魔力の量には限界がある。先程まで鏡像の群れを相手取っていた事も考えれば、決して余裕というわけではないのだろう。このまま続ければ、魔力切れで押し切られる未来は否定できない。

 シリスはアーリィをそっと地面へ下ろす。
 あまりに様々な情報を一度に詰め込まれた彼女の瞳には混乱と恐怖が浮かんでいたが、シリスは敢えてその瞳を近くから覗き込んで口を開く。

「いい、アリィ?



ディランさんはもう───いない」
「ぁ……」
「あのヒトが言った事が何処まで事実かも、もう確認できない。でも今わかるのは……ここでじっとしてたらあの鏡像に喰われるってこと」

 びくり、とアーリィの体が震えた。シリスはそんな彼女の肩をしっかりと両手で掴み、言い含めるように静かに、低く、告げる。

「喰われたらそこで終わり、何もわからないまま。でも生きてたら考えることができる。今までに何があったのかも……これからどうすればいいのかも」
「あ、ワタシ……」
「無理にいま、色々考えなくてもいい。ただ、ディクたちの側にいて。そこが1番安全なようにするから」

 彼女が頷くかどうか、確認する必要はなかった。
 シリスはアーリィを置いて立ち上がる。鏡像ががむしゃらに結界を踏み付け、その度にディクシアが杖を握る手に力を込め直していた。

「行動指針は?」
「あの鏡像を排除したい。放っておくには些か危険だ、少なくとも母なる島エンブリオスから出すべきじゃない」
「鏡はどうするの?経路になっちゃってるけど」
「現時点では後回しだ。溜め込まれた力とやらを解放せずに割った場合の予測がつかない」
「下手するとここが潰れるとか?」
「それで済んだらまだいいけれど。……少なくともそうなったら、僕らは巻き込まれて終わりだろうね」

 考えたくもない話だ。捨て置いて世界丸ごと消えるほどの危機ならいざ知らず、命を散らすにはまだ早い。
 シリスは頷いてディクシアの前に出た。

「了解。クロスタ、援護頼める?」
「……あぁ」

 振り返れば、クロスタもディクシアのすぐ側で魔導銃エンチャントブラスターを構える。彼が切れ長の瞳で一瞥を送るも、シリスは笑って前に向き直った。

「気を付けて。成長してるのは単純な力だけじゃない可能性もある。負担をかけたいわけじゃないけど、前衛は君だけだ」
「分かってる。先輩の仇討ちもしないといけないっしょ」
「……死なないでくれよ。ヴェルにそんな報告をするのはごめんだ」

 ディクシアなりの心配であり、激励だということはすぐに分かった。いつもよりも比較的に素直な言葉にシリスは苦笑し、対するディクシアは少しだけムッとした表情を浮かべた。

「人が気遣ってるって言うのに」
「ふふ、ごめん。だってお互い様なんだもん。これでもあたし、ヒト型と渡り合ったんだよ。それに───」

 赤い刀身を構え、腰を低く落とす。



「魔術はディクに負けるとはいえ、それ以外の実技成績は良かった方なんだから」


 踏み込みと共に打ち出された体は、結界が消えると同時に鏡像の真下へと潜り込んだ。
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