境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

56.ディラン

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 この世界が嫌いだ。





金鷲人ハーピィの恥晒しめ」

 罵声と共に脚が飛ぶ。
 まだ小さかった身体は、大の大人からの蹴りでいとも容易く吹き飛んだ。

 背中に走る衝撃は痛みよりも疑問を溢れさせては脳内を満たす。どうして?どうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないんだろう?
 いくつもの金の瞳が、この小さな翼をなみしては罵倒する。

「他の有翼種でもこんな弱い翼はそうそういないわ」
「地落ちどもと仲良くしてるなんて……」
「あいつらが本当に我々と対等になれると思っているのか?」

 物心ついた時から、プライドだけは高かった親族たち。
 特に金鷲人ハーピィなんて指先ひとつまともに存在していないのに、飛べることばかりに固執して裏では無翼種を嫌っていた。

 強靭な翼を持ち、空を正しく有する一族。
 それが大多数の金鷲人ハーピィが自分たちに持つ見解だ。おそらく他の有翼種も、自分たちの種の突出する点を挙げてそういうのだろう。

 たとえば、空翼人アラサリは澱みを見る目を持っている。だから「空を飛び、澱みを見分ける自分たちこそが天にふさわしい」と考えていることも知っている。


 全ての有翼種がそうではない。けれど少なくない数の有翼種が、心の底では飛べないヒトを見下している事は公然の事実だった。


 そんな世界の中で、そんな種族の中で、ほまれを持たない個体が産まれればどうなるかなんて、子供にだって理解できる。
 どうしようもない生まれつきのものを、努力ではどうにもできない部分を、親にすら否定される。

 ボクは、ボクだ。金鷲人ハーピィのくせに高く飛べなくても、それがボクなんだ。


 この世界が、嫌いだ。





「さすが祭司様!我々みたいに翼を持たぬ者の苦悩も、大変良くご理解下さって……」

 大袈裟なほど頭を下げる、翼のない隣人。
 他の有翼種ではなかなか頭が回らない格差や不公平。けれど、翼が貧弱であるからこそ彼らの悩みに寄り添うことも可能だった。

 初めて必要とされた気がした。
 初めて偏見を持たれずに生きれると思った。

「あいつ、あんまり飛べないから俺たち無翼に擦り寄ってんだってよ」
「鳥頭だから、そんくらいしか生きる方法が見つからねえのさ。どうせ心の底では俺たちのこと見下してんだろ」
「これ見よがしに羽を見せつけて……私たちとは違うって暗に言ってるのよ」

 的外れな憶測は、見えないところで繰り広げられた。裏で交わされる意見という形をとりながら、明らかに耳に入るような形で聞こえてくる。

 自分たちが突出する点を持ち上げては、陰で自分たちを見下す有翼種を蔑む。
 結局は彼らも同じだ。
 全ての無翼種がそうではないと理解はできるも、一度期待を持ってしまうと落胆も大きかった。

 ここでもボクはボクという個人ではなく、ただの有翼種という括りでしか見られない。

 この世界が、嫌いだ。







「ディラン、見て!」

 無邪気に飛んでくる従妹は、いつもそうやって穢れなど寄せ付けない顔で笑っている。
 
 急いだのか薔薇色に上気するふっくらした頬、金鷲と称される金鷲人ハーピィよりも梟にも似た丸い瞳、そして何より───産まれた瞬間に他の親族が思わず感嘆を漏らしたという美しく力強い翼。
 どれを取っても、愛されて生きていることがわかる彼女がボクに飛び付いた。

「アリィ、危ないから飛びつくなって前も言ったよな?」
「えへへ、ごめん。だってディランったら副祭司になってから、全然顔も見せてくれなくなっちゃったんだから」

 いつもそうだ。幼いときからこの従妹は、他の親族と違ってボクを嘲ることはしなかった。歳の近い金鷲人ハーピィがいない所為もあるのかもしれないが、彼女の親も同様に珍しくボクを見下さない金鷲人ハーピィだった。
 そんな環境で育ち、無邪気に、無遠慮に慕ってくる従妹の存在は煩わしくもあり───どこか、心地よかったのも事実だ。

「忙しいんだから仕方ないだろう?それより、何を見て欲しいって?」

 悪びれもせず言う彼女が、思い出したかのようにポケットから紙を引っ張り出した。厚みがあってしっかりした翼では細かな動きはなおさらに難しく、落ちてしまったそれを代わりに拾う。

「これはね、浮石車エアモーバーと同じくみんなが空を飛べるようにするための羽なの!浮遊石を使わないんだよ!」

 愛らしい声。喜色を滲ませた口調。


 久々に会って少し凪いでいた心が、一気に崖下に突き落とされた気がした。

「あのね、浮遊石って儀式に依存したエネルギーでしょ?」
「今までは大丈夫でも、いつか儀式が上手くいかなかった時が怖いなと思って……」
「これなら、魔力があるヒトなら自力で空を飛べるんだよ!」

 翼のないヒトが、空を飛ぶ?
 浮遊石の恩恵も要らず、翼もないのに、大した苦労もせず自力で有翼種の領分を侵す?


 ボクが唯一、彼らに優っているアイデンティティまで奪われてしまう可能性に愕然とした。

「ディラン、あんまり長く飛べないことを気にしてたでしょ?これが実用化されたら、自分の翼も使いながらもっとたくさん飛べるようになるよ!」



 分かっている、彼女の言葉に悪意など微塵もないことを。
 それでも、少しでも飛べるようにとかつて頑張ったボクの気持ちは。飛べなくても認められたいと今の地位まで上り詰めたボクの努力は。

「……そうか、頑張って、実現するといいな」

 嫌いだ、嫌いだ。
 わずかな救いと思っていたものすら、ボクを傷つける。
 この世界が、嫌いだ。







「えー、私たちの世界ガイア?」

 その女は爪を磨く手を止めることもなく、面倒臭そうに目線を向けてきた。
 会う頻度こそそう多くはなかったが、立場上関わることがあった際にふと聞いてみたくなったのだ。

 殆ど守護者しかいないと聞く彼女たちの世界。ガイアというらしいそこは、おそらく有翼種なんていないだろう世界。
 空を飛ぶ必要のないそこはどんな場所なのだろうと。

 女は爪に息を吹きかける。赤い紅に彩られた唇から零れたのは意外な返答だった。

「つまんないとこ。しっくりこなかったし、私は嫌い」
「……え?」
「だーかーらー、嫌いなのよね。わざわざ面倒な外の勤務選んだのもその所為だし」

 ともすれば、忌々しいとでも言わんばかりに顔が歪む。質問に対する不快というよりは、質問によって思い至った事に対する反応にも見えた。

「まぁ、守護者に生まれて良かった点よね。自分の世界が気に入らなきゃ、別の場所に行けば良いハナシなんだから」

 息を呑んだ。まるで、ボクの内心を知ってるかのような答えだったから。
 女はボクの反応に何か思い当たったのか、瞬間、とても厭らしい笑みを向けてきた。

「でもぉ、別の世界に行くのって他の種族にとっちゃ大変なことだもんねぇ?サポーターになれるならチャンスもあるけど、碌な力もなけりゃ難しいわよね~」
「……っ」
「不満があっても環境変えれないのは辛いわよねぇ、あっははは!まぁでも私はそのうち金のある良い男捕まえて、ガイアに戻って悠々自適に好きな生活送るけどね」

 心底馬鹿にしたような笑いが耳につく。
 ここから逃げられないボクの存在を、まざまざと突きつける不快な音色。

 嫌いだ。

 嫌いだ。
 嫌いだ。

 嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。
 嫌いだ!!

 この世界が、嫌いだ。








「外の世界に、行ってみたいと思いませんか?」

 それは突然もたらされた救いだった。

「どう、して……ですか?」
「どうしてと言われると……まぁ、年の功もあって貴方のようなヒトを何人か見てきましたから」

 戸惑うボクの前に差し出される、黒いモノ。
 水晶球にも似たそれは全く透き通らず、代わりに曲面に映ったボクの顔を歪めて反射する。どこか背筋が粟立つようなほどに深い漆黒。恐る恐る伸ばした翼にずしりとした重さが伝わった。

母なる島エンブリオスの鏡と共鳴させなさい。さすれば、こことは違う世界への道が開かれるでしょう」
「そっ……それは……、何で、どうやって……!?」

 世界を渡るのは守護者の"血"だけに与えられた特権だ。
 それ以外に方法があるのならば、とっくに白の世界は今より開かれたものになっていただろう。わざわざサポーターなんて役割で守護者に血を分け与えられなくても、各々が好きな場所へと行けるはずだ。

 次の言葉を紡げないでいるボクに、柔らかな微笑みが向けられる。

「そこは秘密で容赦して下さい。ですが、実際に貴方は求めているのでしょう?この世界から飛び立つ方法を」

 間違いなかった。ボクがこのボクであることを認められたい。この世界でそれが難しいのは分かっていたから、いつかはその方法を模索したかった。

 それが、こんな唐突にもたらされるなんて。

「……ボクは母なる島エンブリオスまで至れる翼を持っていません」
「しかし心当たりはあるのでしょう?」

 ───このヒトは、どこまで知っているのだろう。

「向かったとして、今年の選出者……叔父たちをどう躱せばいいか……」
「今年選出された祭司は、貴方と同じ悩みを抱える女性の父です。きっと、力になってくれるでしょう。如何でしょう?迷う要素はもうありませんか?」


 上手くいき過ぎている実感はあった。

 それでも……今まで届かなかったものが、手を伸ばせば届くところに落ちてきた。それに、釣られない者が果たしてどれだけいるというのか?

 この世界が嫌いだ。
 誰とも分かり合えない。誰も分かってくれない。

 孤独だった。独りは嫌だ。

 だから、ボクはここから飛び立ちたかった。









 こんなつもりじゃなかった。
 アリィと同じく「翼が弱いから」とボクを罵らない優しい叔父なら、頼みを聞いてくれると思った。だから、諭すように拒絶されて、どうしようもなく苦しくて。

 気が付いた時には新たな鏡が入っているはずの布袋は地に落ち、じわじわと広がる赤に浸食されていた。

 祭司の男の怯える声と、浅く乱れた叔父の呼吸。無意識に魔術を放っていた口は戦慄わなないて言い訳すら許してくれない。

「ア、りぃ……」

 掠れた叔父の声が、従妹の名を呼んだ。
 未だ鎮座する古い鏡にその姿を映し、そしておそらく彼は気付いたのだろう。

「……どうし……あの子、を、独りに……してし、ま……」

 腹に風穴を開けた自分の命が、もうすぐ消えようとしていることに。

「ぁ……ぁ、あ。ごめん、ごめ……、もう、寂……しい思いは、させない、と」

 悲壮、悔恨、絶望。
 叔父の今際の姿が、ボクに犯した罪を突きつける。思わず一歩下がったその目の前、鏡面がどろりと揺れた。

 けら、けらけら。

 背筋を冷たくさせる嗤い声。ひとつ落とされたが耳に届いたのを皮切りに、鏡面が激しく波を立て始める。

 黒が、溢れ出す。

 脇目も振らずに飛んだ。祭司の男も一緒だった。
 まだ続く叔父の謝罪を耳から振り払い、彼のことを残して。

 ただ、逃げた。





「戻ってきたという事は、ダメだったようですね……」
「ぼっ……ボクは悪くない!!おじさんが……っ、おじさんがあんまりにボクの願いをわかってくれないから、つい……!!」

 息も絶え絶えに戻って、懺悔をするかのように跪く。こびりついた叔父の声が、延々と耳の奥で響いては止まない。

「ボクはこれから、どうすれば……」
「来年、同様のことをするというのが順当な考えですね。お渡ししたものはまだお持ちなのでしょう?」
「だっ……だけど、叔父さんの所為で鏡像が出てきてしまって……!」
「ふむ……、経路になってしまったのですね」

 拙い説明を不思議と的確に把握して、柔らかな笑みを湛えた顔が頷いた。

「では、来年は守護者の方々をともとして連れて行くのはどうですか?彼らなら、貴方が行動を起こすまで鏡像から守ってくれるでしょう」
「守護者を……!?確かに彼らは鏡像に対して有用ですが、そもそも儀式には有翼手以外が向かう事は……」
「それを今から考えましょう。幸い、貴方がヴィクターを置いてきてくれたおかげで、粗方の筋書きは考えられます」

 悠然と構える威厳のある佇まい。まるで、今の状況ですら織り込み済みだと言わんばかりの態度。
 灰がかった碧眼は優しげなのに、どうしてか身震いするような恐ろしさを感じた。

「あとは貴方のこころ次第です。今回のことで怖気付いたのであれば、諦めるのも一つの手でしょう。けしかけたのは私ですから、この事で貴方に火の粉が飛ばないようにはして差し上げます。しかし───貴方は、それでいいのですか?」

 気遣わしげな声音が、脳裏に叔父の姿を思い起こさせる。
 恐ろしくないと言えば嘘になる。こんな、誰かを傷つけたいわけじゃなかったから。それでも心が変わったかと言われれば答えは「否」の一択だった。

 ボクの悩みをよく知っている叔父でさえ、ボクの望みよりも他人の生活をとったのに……これ以上、どんな希望を持ってこの世界を生きていけばいいのか。

「いいえ。……ボクはまだ、諦めてはいません
。ただ───」

 驚きもしたし後悔したのも確かだ。それでも、それが歩みを止める理由にはならない。けれどひとつだけ、知っておきたいことがあった。

「ただ……なぜこんなにボクに協力しようとするんですか?ボクが成功すれば、浮遊石を使えなくなった無翼どもが何かにつけて衝突してくるはずです。貴方は困らないのですか、



祭司長」

 目の前の空翼人アラサリはふくよかな手を胸に当て、いつもと同じく柔和な笑みを浮かべた。



「私も例に漏れず、嫌いだというだけですよ。


地を這うだけの虫ケラたちが」
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