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浮遊都市・ルフトヘイヴン
45.儚い希望
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「写真で見たよりも……大きい……」
彼らが降り立った門と思わしき場所からは、色のない石の都がしっかりとよく見える。
目の前に広がる光景に、アーリィが思わず感嘆を漏らした。
そこは、視界の端と端を越えてもなお広がる石造りの遺跡群。
無数の柱が聳え立ち、ところどころ欠けた石壁が迷路のように右へ左へ伸びている。蔦の這った壁はルフトヘイヴンでも同様に見かけたが、それよりも侵蝕の度合いが違う。半分以上が枯れた緑に沈むその姿は、そこがヒトの手を離れてすでに久しいことを表していた。
その中でも何より目につくのは……その遺跡の最奥に聳える巨大な建築物だ。静謐で澄んだ空気が漂う中、その周りだけが霞がかったように朧げな輪郭を際立たせている。
「凄い……何年前に建てられたものなんだろう?文様的には第二霊鳥期の様式に似ている気もするけど柱の並び方を見るとそれ以前の意匠も見える気がする。これだけの大きさなのに打ち捨てられてるという事は、争いの中で文明が失われてしまったのだろうか?それとも、そもそも儀式のためだけの建造物なのか?前者なら時期的に考えられるのは920年前の第七次天地大戦くらい───」
ディクシアが間近の柱に恐る恐る触れながら、聴きとれないほどの早口でぶつぶつと呟いている。その目は生き生きと輝き、そこに刻まれた模様を上へ下へ何往復もなぞっていた。
恐らく、彼の見たことある資料の中には出てくることもなかった場所なのだろう。こうなったディクシアにもう声は届かない。
「面倒だとは思うのですが、あの建物までは徒歩で向かいます」
「なんでよぉ?わざわざ歩かなくても飛んでけばいいじゃない。迷路みたいで面倒そうだし」
「飛んで行けたなら良かったんですが……母なる島上空はここの浮遊石の干渉で、飛行に向かない風向きをしていますので。遺跡内部ならまだ風もないので飛べるのですが」
「えぇ~……面倒ねぇ。だからここで降りたワケ?」
「ここがちょうど境界なんです。これ以上行って、変に飛ばされでもしたらどうなるかわかりませんので」
徒歩と言われ、嫌な顔を見せるレッセ。よほど飛んでいたのがお気に召したようだ。
門から下へ続く階段を降り遺跡の内部へと足を踏み入れると、周囲の景色は石壁に遮られもはや方向感覚を見失いそうにさえなる。
「迷路みたいだね」
「侵入者避けといわれている。どれだけヒトが来にくい場所といえ、何よりも大事な浮遊石がある島だ」
きょろきょろと周囲を眺めるアーリィへ、ディランが簡単な説明をする。
「正しい道は祭司しか知らない。非常用ということで、どの道も中心へと通じてはいるらしい。けど、間違った道には面倒なトラップが張り巡らされているから、くれぐれも衝動で道を逸れないように」
「───だ、そうだ」
「なんであたし見て言うわけ?」
「“衝動的に”動くんだろ?」
呆れたようなクロスタに、返す言葉もなかった。そこまで考えなしのつもりはないが、衝動的云々を言い出したのはシリス自身のため弁明もできない。それに、絶対にそうしないと自分でも言い切れないのだから頭が痛い話である。この性分を変えるつもりは特にないけれど。
時に階段を上り、時に下り、目印のない分かれ道を曲がる。暫くディランに従い、代り映えのない通路を進んだ。
「つまんないわねぇ」
口火を切ったのはレッセだった。
「これ、ちゃんと近づいてんのぉ?同じとこグルグル回ってるようにしか思えないんだけどー」
口調こそ変わらないが端々にはイラつきが感じられた。彼女は腰に手を当て、不満を隠そうともしない。
ディランが苦笑しながら首を横に振った。
「何もないという事は、正しい道を征けているという事です。気楽にしていただいて大丈夫ですよ」
「気楽にもなにも、つまんないんだってば」
「もうすぐ中間地点に着きます。そうすれば景色も少しくらいは変わるかと」
不貞腐れた顔でそっぽを向くレッセ。着いてくると決めたのは彼女自身なのになんとも身勝手である。
逆にほぼ強制的についてくることになったディクシアは、進むたび内装の至るところで新たな発見をしては興味をそそられ楽しんでいるようにも見えた。ついにはメモまで取り出し始めている始末だ。
陽の光が入らない遺跡。不思議と薄明るい内部は歩くのには困らないが、時間感覚を失わせるには十分だ。
苛立ちに比例して大きくなるレッセのヒールブーツの音が、これ以上ないほど耳障りになり始めてようやく一同は足を止めた。
「ここが中間地点です。もう少し奥へ行けば目的の建物に着きます。そうすれば、あとは下るだけです」
「下りですか?」
「基本的に、浮遊石は土壌に含まれるものですから。切り開いた地下空間にそのまま安置してるというのが正しいかもしれません。なにしろあまりに大きくて、持ち出すのも囲うための建物を作るのも大変でしたでしょうから」
そういえば、この世界に訪れた直後に浮遊石が土壌に含まれるものだと説明された気がする。
ディランの答えに、シリスは思わず床に視線を落とした。
景色はたしかにここからガラリと色を変えていた。
色のない石壁の基盤は変わらない。しかし壁に絡み、這っていた蔦はそこを境に綺麗になくなり、柔らかく明滅する何かが蒼い光を放っている。
「もしかして、これも浮遊石……?」
「そうです。正確には原石の破片ですね。小さすぎるのでこれも充填しなければ使えませんし、恐らくヒトを浮かび上がらせる力もないでしょう」
「これは……触れても?」
「構わないと思いますよ。もはやただの壁の細工と変わりませんし」
「ふわあぁ……綺麗だ……」
ディランが頷くのを確認してからディクシアが光にそっと手を添える。触れた指先が仄かに照らされるのを眺めながら、彼は思わず吐息のような声を漏らした。
「へぇ~……いかにも権力見せつけてる場所って感じ?」
「これだけ削り出してもなお、1番巨大な浮遊石を抱えているという力の誇示だったそうです」
「でしょうねぇ。ま、たしかに綺麗だけど」
あまりにディクシアが顔を輝かせているものだから、レッセも特に今は文句を言うつもりもないようだった。ディランの宣言通り、景色も変わって気分も切り替わったのだろう。
シリスはディクシアと同じようにそっと壁に触れてみる。
光を放つからか、仄かに暖かさを感じるような蒼。その光の中に、不貞腐れた弟の顔が浮かぶようだった。
「ヴェルは上手いことやれてんのかな」
今ここで心配したって無駄だろうが。それでも不意に思い出さずにはいられなかった。
「シリス」
静かな声に名を呼ばれて振り返ると、クロスタが顎をしゃくって彼女の視線を促した。そちらを見れば、ディランを先頭に更に進もうとしている背中が目に入る。
どうやら、特に休憩などもなくそのまま進むらしい。声はかけてくれたのだろうが、気付かなかったようだ。
「ありがと」
短く礼を述べると、クロスタは更に顔を別方向へ向ける。つられてシリスも顔を向ければ、立ち止まったまま地面に視線を落とすアーリィがいた。
「アリィ、疲れちゃった?」
到着したときの興味津々な様子を消し、険しくなったアーリィの顔をシリスが覗き込んだ。
「あっ……大丈夫!大丈夫だよ」
意識がどこかに飛んでいたのか。一拍遅れて目を見開いたアーリィは慌てた様子で頷いた。
大丈夫だとは応えながらも、ディランと同じ金の瞳は何かを求めるかのように彷徨う。
「パパの痕跡が、何か残ってないかなと思って」
「そっか。アリィのお父さんもここに来たんだもんね」
「……何か理由があって帰ってこれないなら、何でもいいから残してくれてないかなって」
"帰ってこれない"
決して"生きていれば"と口に出さないアーリィが、その言葉に含む諦めと僅かな希望。
人気もない、そもそもヒトが生活していけそうな基盤もない。そんな遺跡内を眺めながら、アーリィは一縷の望みに縋りたいのだろう。
それが、如何に脆いものだとしても。
ひとしきり視線をあちこちへ向けたあと、アーリィは笑みをシリスへと返す。
笑っているはずのその表情はとても力無く、今にも壊れそうなほど儚く見えるのだった。
彼らが降り立った門と思わしき場所からは、色のない石の都がしっかりとよく見える。
目の前に広がる光景に、アーリィが思わず感嘆を漏らした。
そこは、視界の端と端を越えてもなお広がる石造りの遺跡群。
無数の柱が聳え立ち、ところどころ欠けた石壁が迷路のように右へ左へ伸びている。蔦の這った壁はルフトヘイヴンでも同様に見かけたが、それよりも侵蝕の度合いが違う。半分以上が枯れた緑に沈むその姿は、そこがヒトの手を離れてすでに久しいことを表していた。
その中でも何より目につくのは……その遺跡の最奥に聳える巨大な建築物だ。静謐で澄んだ空気が漂う中、その周りだけが霞がかったように朧げな輪郭を際立たせている。
「凄い……何年前に建てられたものなんだろう?文様的には第二霊鳥期の様式に似ている気もするけど柱の並び方を見るとそれ以前の意匠も見える気がする。これだけの大きさなのに打ち捨てられてるという事は、争いの中で文明が失われてしまったのだろうか?それとも、そもそも儀式のためだけの建造物なのか?前者なら時期的に考えられるのは920年前の第七次天地大戦くらい───」
ディクシアが間近の柱に恐る恐る触れながら、聴きとれないほどの早口でぶつぶつと呟いている。その目は生き生きと輝き、そこに刻まれた模様を上へ下へ何往復もなぞっていた。
恐らく、彼の見たことある資料の中には出てくることもなかった場所なのだろう。こうなったディクシアにもう声は届かない。
「面倒だとは思うのですが、あの建物までは徒歩で向かいます」
「なんでよぉ?わざわざ歩かなくても飛んでけばいいじゃない。迷路みたいで面倒そうだし」
「飛んで行けたなら良かったんですが……母なる島上空はここの浮遊石の干渉で、飛行に向かない風向きをしていますので。遺跡内部ならまだ風もないので飛べるのですが」
「えぇ~……面倒ねぇ。だからここで降りたワケ?」
「ここがちょうど境界なんです。これ以上行って、変に飛ばされでもしたらどうなるかわかりませんので」
徒歩と言われ、嫌な顔を見せるレッセ。よほど飛んでいたのがお気に召したようだ。
門から下へ続く階段を降り遺跡の内部へと足を踏み入れると、周囲の景色は石壁に遮られもはや方向感覚を見失いそうにさえなる。
「迷路みたいだね」
「侵入者避けといわれている。どれだけヒトが来にくい場所といえ、何よりも大事な浮遊石がある島だ」
きょろきょろと周囲を眺めるアーリィへ、ディランが簡単な説明をする。
「正しい道は祭司しか知らない。非常用ということで、どの道も中心へと通じてはいるらしい。けど、間違った道には面倒なトラップが張り巡らされているから、くれぐれも衝動で道を逸れないように」
「───だ、そうだ」
「なんであたし見て言うわけ?」
「“衝動的に”動くんだろ?」
呆れたようなクロスタに、返す言葉もなかった。そこまで考えなしのつもりはないが、衝動的云々を言い出したのはシリス自身のため弁明もできない。それに、絶対にそうしないと自分でも言い切れないのだから頭が痛い話である。この性分を変えるつもりは特にないけれど。
時に階段を上り、時に下り、目印のない分かれ道を曲がる。暫くディランに従い、代り映えのない通路を進んだ。
「つまんないわねぇ」
口火を切ったのはレッセだった。
「これ、ちゃんと近づいてんのぉ?同じとこグルグル回ってるようにしか思えないんだけどー」
口調こそ変わらないが端々にはイラつきが感じられた。彼女は腰に手を当て、不満を隠そうともしない。
ディランが苦笑しながら首を横に振った。
「何もないという事は、正しい道を征けているという事です。気楽にしていただいて大丈夫ですよ」
「気楽にもなにも、つまんないんだってば」
「もうすぐ中間地点に着きます。そうすれば景色も少しくらいは変わるかと」
不貞腐れた顔でそっぽを向くレッセ。着いてくると決めたのは彼女自身なのになんとも身勝手である。
逆にほぼ強制的についてくることになったディクシアは、進むたび内装の至るところで新たな発見をしては興味をそそられ楽しんでいるようにも見えた。ついにはメモまで取り出し始めている始末だ。
陽の光が入らない遺跡。不思議と薄明るい内部は歩くのには困らないが、時間感覚を失わせるには十分だ。
苛立ちに比例して大きくなるレッセのヒールブーツの音が、これ以上ないほど耳障りになり始めてようやく一同は足を止めた。
「ここが中間地点です。もう少し奥へ行けば目的の建物に着きます。そうすれば、あとは下るだけです」
「下りですか?」
「基本的に、浮遊石は土壌に含まれるものですから。切り開いた地下空間にそのまま安置してるというのが正しいかもしれません。なにしろあまりに大きくて、持ち出すのも囲うための建物を作るのも大変でしたでしょうから」
そういえば、この世界に訪れた直後に浮遊石が土壌に含まれるものだと説明された気がする。
ディランの答えに、シリスは思わず床に視線を落とした。
景色はたしかにここからガラリと色を変えていた。
色のない石壁の基盤は変わらない。しかし壁に絡み、這っていた蔦はそこを境に綺麗になくなり、柔らかく明滅する何かが蒼い光を放っている。
「もしかして、これも浮遊石……?」
「そうです。正確には原石の破片ですね。小さすぎるのでこれも充填しなければ使えませんし、恐らくヒトを浮かび上がらせる力もないでしょう」
「これは……触れても?」
「構わないと思いますよ。もはやただの壁の細工と変わりませんし」
「ふわあぁ……綺麗だ……」
ディランが頷くのを確認してからディクシアが光にそっと手を添える。触れた指先が仄かに照らされるのを眺めながら、彼は思わず吐息のような声を漏らした。
「へぇ~……いかにも権力見せつけてる場所って感じ?」
「これだけ削り出してもなお、1番巨大な浮遊石を抱えているという力の誇示だったそうです」
「でしょうねぇ。ま、たしかに綺麗だけど」
あまりにディクシアが顔を輝かせているものだから、レッセも特に今は文句を言うつもりもないようだった。ディランの宣言通り、景色も変わって気分も切り替わったのだろう。
シリスはディクシアと同じようにそっと壁に触れてみる。
光を放つからか、仄かに暖かさを感じるような蒼。その光の中に、不貞腐れた弟の顔が浮かぶようだった。
「ヴェルは上手いことやれてんのかな」
今ここで心配したって無駄だろうが。それでも不意に思い出さずにはいられなかった。
「シリス」
静かな声に名を呼ばれて振り返ると、クロスタが顎をしゃくって彼女の視線を促した。そちらを見れば、ディランを先頭に更に進もうとしている背中が目に入る。
どうやら、特に休憩などもなくそのまま進むらしい。声はかけてくれたのだろうが、気付かなかったようだ。
「ありがと」
短く礼を述べると、クロスタは更に顔を別方向へ向ける。つられてシリスも顔を向ければ、立ち止まったまま地面に視線を落とすアーリィがいた。
「アリィ、疲れちゃった?」
到着したときの興味津々な様子を消し、険しくなったアーリィの顔をシリスが覗き込んだ。
「あっ……大丈夫!大丈夫だよ」
意識がどこかに飛んでいたのか。一拍遅れて目を見開いたアーリィは慌てた様子で頷いた。
大丈夫だとは応えながらも、ディランと同じ金の瞳は何かを求めるかのように彷徨う。
「パパの痕跡が、何か残ってないかなと思って」
「そっか。アリィのお父さんもここに来たんだもんね」
「……何か理由があって帰ってこれないなら、何でもいいから残してくれてないかなって」
"帰ってこれない"
決して"生きていれば"と口に出さないアーリィが、その言葉に含む諦めと僅かな希望。
人気もない、そもそもヒトが生活していけそうな基盤もない。そんな遺跡内を眺めながら、アーリィは一縷の望みに縋りたいのだろう。
それが、如何に脆いものだとしても。
ひとしきり視線をあちこちへ向けたあと、アーリィは笑みをシリスへと返す。
笑っているはずのその表情はとても力無く、今にも壊れそうなほど儚く見えるのだった。
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