境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

26.惑わされるべからず

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 途中、住民を襲う人形を蹴散らしながら、シリスは時計塔までの道を一気に駆け抜けた。

 魔導人形たちは鏡像と違い、そう易々と生み出せるものでもないだろう。既に破壊されているものも散見でき、間違いなく数は減っているはずである。


「……はぁっ……はぁっ……」

 ペース配分を考えずに走り、人形を切り捨て、蹴り散らし、燃やし、息は大きく乱れる。夜になり気温は下がったとて初夏の夜風は湿気を含んで生暖かいが、そんなのは些細ささいな事だ。

 大事なのは今この場にという事に他ならない。

 汗ばむ首をグローブで拭い、シリスはたったいま扉から姿を見せた男に対峙した。

「あ、ああ、守護者様……!大変なのです、人形が急に暴れ出して……」

 血色の悪い顔。モノクルは昼間見た時のままヒビが入り、髪は少しマシになったとはいえボサボサ。上等な仕立ての服だけは汚れのないものに着替えられ、そのアンバランスさが目に付く。
 エミリオは慌てた様子で大通りの方へ向かおうとする───が、行く手を遮るように差し出された腕にピタリと足を止めた。

「な……何を」
「この状況の原因、時計守のエミリオさんなら何か心当たりあります?人形が急に暴れるなんて、今までにありますか?」
「いえ……ですが、なんとかして止めないとと思い」
「それは貴方に出来ることなんですか?エミリオさんは、人形を相手に戦えるんですか?隠れていてもらった方が、あたしたちにとっても都合がいいんですが」

 強い疑念。
 詰問きつもんするかのような声音と鋭い視線は、ただエミリオを後退させる。戸惑う様な視線を向けてくるだけのエミリオに、シリスはふとヴェルの推察が間違っていた可能性も考えた。

 考えたが───すぐに心の中で頭を横に振る。

「……惑わされるべからず、その形はただ遺棄された残骸である……」

 間違っていた場合は後でひたすら頭を下げれば良い。指導員グレゴリーも納得して取っている行動だ、自分がやらなければいけないことは迷うことではないと。

 シリスがエミリオを警戒したまま、大通りの奥にちらりと目を向ける。戦えないような住民はもう側におらず、2人の自警団員が1体の人形を今まさに破壊したところだった。
 彼らは肩口で息をしながら、他の人形が居ないか周囲を見回し───時計塔の前で動きを止めているシリスとエミリオに気が付くと慌てて駆け寄ってくる。

「エミリオさん!?どうしてここに……お身体は大丈夫なのですか!?」

 さすが自警団と言うべきか。町長であるエミリオに気が付いた彼らは、その名を呼んで心配そうに両脇についた。

「……ああ、すまないね。心配をかけた」

 対するエミリオは表情を変えないまま、まだ戸惑った様子だ。シリスは再度迷い───迷った末に、年若い自警団の青年へと声をかける。

「エミリオさんを塔内へ案内するので、貴方がたは"私"と一緒に入り口の守りをしてくれますか?」
「……あの、貴女は?」

 突然、見ず知らずの女に隠れろと言われれば、誰しもが同じような反応を返すだろう。シリスは一度咳払いをし、自らの胸に手を当てる。

「守護者です。我々はすでに状況を把握し、住民の避難にも手を貸しています」

 グレゴリーの話し方を思い出しながら、素直に聞いてくれるように威容いようを正す。凛として強く、堂々と。
 別れる前、グレゴリーに守護者を名乗っても良いことは確認しているので、もう躊躇いもない。今は急を要する状況だ。
 青年は名乗られたその正体に、驚愕の声を上げた。

「し、守護者様ですか!?」
「はい。鏡像が相手ではないにしろ、現状を収めるには我々が適任と判断しました」

 青年の頓狂とんきょうな声に、一方の壮年そうねんの自警団員も目を丸くしてシリスを見た。その瞳には「こんな子供が?」という疑念が読み取れないわけでもないが、嘘を言っているわけでもないのでシリスは堂々とした姿勢を崩さない。

「安心して下さい、じきに落ち着きますから。ですから───貴方がたはまず、エミリオさんを塔内へ。町の人間であり町長である彼を守るのが、貴方がたの責務ですよね?」
「っはい、承知しました!」

 突然の状況に混乱しているだろうに、自身らが優先しなければならないことを忘れてはいないようだ。青年がハッキリとした声で返答し、エミリオを誘導しようとする。平穏に浸った町だとて、ヒトの質は良いのだろう。それは、エミリオの家で見つけた嘆願書からも明らかだった。
 初めは渋っていたエミリオもさすがに複数人に言われては反論できないのか、諦めたように瞳を伏せた。
 その様子を確認して、普段は他人にしないような物言いに気疲れしたシリスは少しだけ息をつく。

 あとはエミリオが塔内でジッとしていてくれるならば、懸念けねん材料は無くなるのだが。

「───それじゃ、困るんだよなぁ」

 ぼそり、と呟かれた言葉の内容を認識するよりも、咄嗟の悪寒で青年の腕を引いた方が早かった。

「あ、あああ痛いっ!」

 シリスに思い切り腕を引かれて転倒した青年。しかし、彼が思わず声を上げたのは転倒による痛みではなかった。

「本当に邪魔だなぁ……」

 青年の左頬は耳にかけてザックリと深く切り込まれ、決して浅くない傷からはせきを切ったかのように赤い血が溢れだす。青年は叫びを上げて、傷を押さえた。
 そんな様子を無感動に見下ろし、エミリオは表情の抜け落ちた顔で右手を払った。付着した僅かばかりの血がぱたぱたとレンガにシミを作る。
 鏡面のように光沢を帯び、肘の辺りから指先に向かってねじれ作られた螺旋らせん。槍のような形状に変形していた右手はその一振りで、人間のものと同様の形へと姿を変える。

 シリスの胸が嫌な音を立てて跳ねた。

 そうだ。心のどこかでは、ヴェルの推察が間違っていて欲しいと思ったのは事実だった。何かのトラブルで人形が暴れ、それを鎮圧するだけで終われば良いのに、と。
 今、その淡い願望は音を立てて崩れていく。

「邪魔、邪魔、本当に邪魔。そもそもなんでこの時期に来るかなぁ、もう」

 髪を掻きむしり、ボサボサの頭がさらに乱れていく。苛立ちを隠そうともしない様子はヒトのそれと同じだが、その瞳だけは先程までのエミリオとは明らかに違っていた。

「あっ……あ……エミリオさん、じゃない……?じゃあ、もしかして……あれは」

 壮年の自警団員の声が震えた。
 エミリオの姿をしながら、明らかに人間ではない芸当を見せた"モノ"。ヒトの姿を模しながら、ヒトではないもの。黒いモヤのような姿とは違うが、ゆえに更に厄介なもの。

 彼らはヒトを喰らい、ヒトに成り変わる。
 ヒトを模した彼らは、本来の姿を現すときだけは瞳の色を血の色に染める。

 シリスは奥歯を噛み締めた。緊張した頬の筋肉が歪み、引き攣った笑みに似た形を作る。

「やっぱヴェルの言ってたこと、ドンピシャだったってわけか……」

小さく呟かれた言葉を受けて、赫々あかあかと鈍く光るその瞳が憎々しげにシリスを|
睨《ね》め上げた。

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