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始まりの町・リンデンベルグ
25.「死なないよ」
しおりを挟む「「……最ッッ悪……」」
ヴェルとシリスの声が重なった。
開けた視界の先は、昼間はヒトで溢れかえり賑やかで華やかな大通り。そこは今や絶叫と怒声、嘆願と叱責が飛び交う地獄と化していた。
魔導人形たちが楽器を、フラッグを振り回して無作為にその場の人間に襲いかかっている。何も持たない人形は目に入った人間を素手で殴打し、もしくは体を締め上げていた。魔術核を持っていると聞いたとき、ヴェルは兵器かとシリスに聞いたが……まさに、たった今それは現実となっていた。
パレードで光の粒子を振り撒くだけだったはずの魔術経路は火の粉を振り撒き、露店のテントや看板───果ては逃げ回る人間を炎で包んでいる。
地下に侵入したとき以上に別世界だった。
それも、これ以上ないほど悪い意味で。
何やら大声で言葉を交わしながら自警団達が攻撃を加えているが、魔術核を持つ人形たちは少々の損傷で止まることはない。人形の数は多く、押されて徐々に後退している様子だ。町を守るはずの人間がそんな状態であるからして、住民を守る余裕があるはずもない。
「やめとくれ!来るんじゃない!」
路地を出た直ぐ脇。座り込む女性に対して人形が今まさに、折れて鋭利になったフラッグの先端を振り下ろそうとしたところだった。
1番距離の近かったシリスが咄嗟に反応した。大きく曲げられた膝が伸び切る勢いで打ち出された体は、人形がフラッグを女性に叩きつけるより先にその女性へ到達する。
「っ!」
速度と体重。その2つが加算された勢いは女性にぶつかっても止まることなく、シリスは座り込む体を抱え滑るようにレンガ道の上を転がった。
振り下ろしたフラッグが足先を掠めて、靴底のゴムをほんの少し抉る。後方で聞こえる、硬いレンガを貫く鋭く尖った音。
シリスの後を追うようにして地を蹴ったヴェルの低い姿勢からの刺突が、人形の首関節を的確に捉えた。当身と同時に跳ね飛んだ首は、ぶつかった衝撃で大通りの奥へと転がっていく。
転がった勢いそのままにシリスはトルクを利用して上体を起こした。両手で抱える女性は唐突な衝撃と視界の転回に、ただただ目を丸くしている。
「あ……あんた、昨日の……」
「話は後です」
恰幅のいい体を震わせて話す女性を制するシリス。既に女性から離れ、その手には赤い刀身を携えていた。
「───グレゴリーさん!」
広範囲に棘を生やし、人形だけを正確に貫くグレゴリーへ向けてシリスが叫ぶ。
「指示下さい!あたしとヴェルじゃこの状況、相性悪い!」
───それは、グレゴリーも十分に理解していた。
2人は魔術を得意とするわけではない。使えないこともないが、多数へと影響を与えられるグレゴリーのような術を実践レベルで使うことは現実的ではない。更に、近接を得意とする彼らでは、広範囲に散らばる住民を守りながら同じほど居る魔導人形と戦うのはそれこそ不可能に近かった。明らかに手が足りない、殲滅力で言えば圧倒的に足りないのだ。
難渋。まさにそんな表情をグレゴリーは浮かべる。
「確かにこの場は俺が請け負った方がいい。だが……」
この場は、ただ防衛戦を行えばいいというものではない。
大通りは海にまで繋がり、グレゴリーとて動かずにその全てを一気にカバーできるほどの力は持っていない。大通り以外にも人形が入り込んでいたからには、守らなければいけない範囲は思う以上に広い。
極め付けは、エミリオの存在。
「ポータルを使って、他の守護者……それこそ養成所外へも救援を求めにいく必要がある。だが情けない話、町の人間を庇いながら1人でヒト型と戦える力は俺にはない」
グレゴリーは決して弱くはない。指導員を担うほどには実力があり、経験もある。それでもどうしようもないのが、得手不得手というもの。
例えば、溢れんばかりのモヤ型を一気に倒すほどの力を持っていても、華奢なニーファに不意をつかれて昏倒するほどに、グレゴリーは肉弾戦にめっぽう弱い。身に纏う純粋な筋力とはまた違う、己の肉体で戦うための技術を彼は持っていないのだ。
シリスがグレゴリーの筋肉をハリボテと呼んだ所以はそこにある。
そんなグレゴリーが町の人間を守るために魔術を駆使しながら、モヤ型よりも遥かに強いヒト型の鏡像を相手に出来ようものがなかった。
「奴がヴェルの推察通り、町への憎しみから生まれた鏡像でこの事態の元凶ならば───」
「間違いなく、グレゴリーさんが町の人間を守るのを邪魔してくるだろうな」
救援は必要だ。だから誰かはこの場を離れる必要がある。
町の人間を見捨てるなんて選択肢は、元より無い。だから、グレゴリーは町を回って住民を守る必要がある。
残りのひとつ、必要な役割は。
「……ヴェルはポータルへ向かって救援を。シリスは残ってエミリオ───鏡像の足止めだ」
喧騒で煩かった大通りに、一瞬だけ訪れた静寂。
実際には相変わらず怒号が飛び交い、襲いかかる人形への嘆願が溢れ、悲鳴が響き渡っている。
グレゴリーも易々と倒せない、ヒト型の鏡像。
それを、まだ外の世界にも出たばかりの見習いが足止めに回るなんて、それこそ死力を尽くさないと、否、死力を以てしても無理かもしれない。
グレゴリーが言いたいことを、ヴェルは明確に理解した。
「死ねって言ってんのかよ……!?」
「酷なことを言っている自覚はある。だがいまこの状況ではそれが最善だ」
食ってかかろうとたヴェルの前に、すっと手が差し出される。露店を舐める火の粉は海風に煽られ、踊るようにその指の横を掠める。それでもシリスは動じない。
「間違い無いですね、了解」
浮かび上がる炎を映す翠。
一切の不満も拒否も浮かんでいないその瞳に、ヴェルの背筋の方が震えた。
「待てよ!それなら俺でも……!」
「お前の方がシリスよりも足が速い。それに、お前よりも実技で優秀だったのはシリスの方だ。それは自分でもわかっているだろう?」
ヴェルは補講常習者だ。それは実力不足という理由からのものではなかったが、グレゴリーたち指導員としてはそう評価せざるを得ない事をしていたのだと、今になって後悔することしかできない。
それでも、その後悔を抱えたまま素直に指示に従う事はヴェルにはできなかった。
「知るかよ!自分の家族をむざむざ死なせに行く奴居ないだろ!?」
「それを受け入れねばならんのが、我々守護者だ。生まれた時から嫌というほど聞かされてきただろう」
「実際の状況じゃそんなの理想論だ!家族を天秤にかけるくらいなら、ヒトなんて守んなくていい!大体、俺はそんな義務が嫌で……」
「ヴェル」
駄々をこねる子供のようにグレコリーにつって掛かろうとしたヴェルの背に、優しく声がかけられた。渦中の姉の声に、ヴェルは同意を得ようと勢いよく振り向く。
「シリス、お前からも……」
乞うような叫びは、直後強制的に沈黙する。
脳天に落とされた手刀。庇う事も出来ずに直撃した一撃に、ヴェルの視界で一瞬だけ火花が散った。容赦のないシリスの攻撃にヴェルは思わず悶絶する。
「いっっ……」
「ニーファさんに身勝手とか言ってたけど、今の君も大概じゃん」
屈みながら上げた顔の先、ちょうど同じくらいの高さにある自分と似た顔。それが呆れたように片眉をはねさせて彼を見ていた。
「まごまごしてる時間なんてないんだし、いいから指示に従う。そもそも、補講に甘んじてた自分が悪いんだから」
「お前は死ねって言われて素直に頷くのかよ……!?」
同意してくれるだろうと、当の本人は同じ意見だろうと思っていたのに。
絞り出すようなヴェルの言葉に、しかしシリスの同意は返ってこない。
「だって、死なないし」
代わりに返ってきたのは、どこまでも晴れやかな笑顔だった。
「死なないよ。まだやりたい事たくさん残ってるし。それに、ヴェルだったらあたしがマジで死ぬ前に、他の守護者連れてきてくれるっしょ?」
「そういう話じゃ……」
「あたしはヴェルを信じてるんだけど、ヴェルは違うの?」
いつもそうだ。
屈託ない顔を向けられれば、姉に弱いヴェルは何も言えなくなる。
きっと、シリスはそれをわかっている。わかった上で、ヴェルの選択肢を奪う為にそうやって笑うのだ。
ヴェルは強く歯を食いしばり、声にならない声を喉の奥で響かせる。彼の表情を見ても、シリスの表情は崩れないままだ。それがまたヴェルのもどかしさを煽った。
最終的に折れたのはヴェルの方だった。
「死んだら、毎晩枕元に立ってやるからな」
「それを言うなら、化けて出るのあたし……あっ」
シリスの返答を最後まで聞かず、ヴェルは大通りを南に向かって走り出した。路地へ飛び込み、横の小道を抜けて、ポータルのある建物まで、一気に。
背後から追いかけてくる焦燥に追い付かれないように。今だけはただ、無心で夜の町を走り続けた。
*
「……すまないな。俺にヴェルを宥める資格がない所為で、嫌な役回りをさせた」
「嫌な役はグレゴリーさんも同じっしょ?」
グレゴリーの苦しそうな声に、シリスは穏やかに首を振る。
「それだけじゃないぞ。……その、お前に負担を強いることになるが……」
「謝んなくても。本当にあたし死ぬつもりないですし」
シリスの強がりだと思ったのだろうか。
彼女が当然のように答えても、グレゴリーは苦い顔をしたままだ。
確かにそう捉えられても仕方がない事なのだが、シリスとしては本気なのだからあまり申し訳ない顔をされるのも不満である。
「本当ですよ。他の世界にも行ってみたいし、家の近くに新しくできたカフェにも行きたいし、この任務終わって成人って認められたらみんなとお酒飲む約束したし」
指折り数えて挙げられていくシリスの"やりたい事"。それは両手の指を折ってもまだ足りないけれど、途中で数えるのをやめてシリスは笑う。
「前向きに死ぬ算段つけるには、勿体無いじゃないですか」
死ぬかもしれないという役割を与えられたとて、その気持ちが変わることはない。どれだけ希望が少なかったとしても、そこで諦めて自棄になる気も毛頭ない。彼女の瞳から力が失われる事もない。
ヴェルの走って行った大通りを見つめるシリスの横顔を見て、グレゴリーはただ神妙な顔で頷いた。
「わかった。お前を信じよう」
「ありがとございます!───じゃあグレゴリーさん」
海側の大通りを見ていたシリスとグレゴリーの視線が逆へ向き、その先に立つ存在を視界に収める。
宵闇にひとつだけ飛び抜けてシルエットを浮かび上がらせるそれは、黒く暗く、ただただ不気味に鎮座していた。
「ああ……人形を放つにしても、町の様子を眺めるにしてもあそこだろう。
向かってくれ、時計塔に」
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