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 八月八日。昭の出発日がやってきた。竹槍の訓練所に使われた空き地には、たえ子以外に誰も見送る人間はいなかった。軍用車両で列車の駅まで行き、飛行訓練所へと向かうらしい。二人以外には、上司らしき中年男性の軍人が一人いるだけだった。以前、『私には家族がいないから』と言っていたのをたえ子は思い出して、少し悲しくなった。

「行ってらっしゃいませ、昭さま」
「あぁ、たえ子も疎開するんだろう?」
「はい、明日発つ予定です……駅まで行けず、申し訳ございません」
「気にしていないよ。無事に着くといいな」
「はい。昭さまも、どうか、ご無事で……これを」

 たえ子は昭に、寅の絵を象った千人針を手渡した。

「夜なべして縫いました。必ず、帰って来てくださいませ……」
「ありがとう、たえ子。そうだ、私の名前を呼んでくれないか?」
「え……? あ、昭さま……?」
「違う、『女の私』の名前だ」
「……っ!!」

 昭の言葉に、たえ子は目を丸くして昭を凝視した。昭が微笑んで頷けば、たえ子は瞳にまた涙を溜めて、敬礼する。

「行ってらっしゃいませ、昭子さま……!」
「ありがとう、たえ子。きっと、帰るよ」
「お待ちしております、いつまでも」

 たえ子は涙で酷い顔をしているだろう、ちゃんと笑えていないかもしれない。しかし昭はたえ子に笑顔で敬礼を返した。

「不肖中川昭子、もとい昭、このたび名誉の召集令状を受け、入隊いたします。入隊のあかつきには、天皇陛下に一命を捧げる覚悟で戦地にて戦って参ります」

 これまで誰もが宣言した定型文。しかし、昭もたえ子も、この言葉を告げて散った兵士たちを沢山知っている。先日は大きな爆弾が広島を焼け野原にした。この時期の入隊が何を意味していたか、なんて、わざわざ口に出さなくとも気付いていた。

「たえ子」

 昭はたえ子の身体を引き寄せ、強く抱き締めた。

「し、昭子さまっ? 駄目です、兵士が見ております」
「なんだ、たえ子は見られて興奮しないのか」
「っこ……!? し、しません! 離してくだ……っ」
「帰るから」
「っ!」
「待っていて」

 一瞬、唇に柔らかい何かが触れた気がした。しかし確かめる余裕もなく、『昭子』だった彼女はまた『昭』に戻っていた。

「万歳! 昭さまバンザーイ!」

 男性軍人と共に車に乗り込んだ昭に、たえ子は万歳をしながら叫んだ。窓を開けてこちらに手を振る昭が見えなくなるまで。

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