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2.トクベツじゃない

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 きめ細かく白い肌は、水と混ざり、一体化しているかのようで。水飛沫の音さえ小さく、滑るように夏澄は泳いでいた。
 彼なら大海原でイルカと共にどこまでも泳いで行くだろうと思わせるようななめらかで美しい泳ぎだった。
 ザバァ
 最後にやっと、水音を立ててプールから顔をあげる夏澄。
 「はいカットー!!」
 監督の声がプールサイドに反響する。
 医療もののドラマなのに、主演2人が揃う初シーンは、プールでの撮影となっていた。
 幼馴染で仲が良く、それでいてライバル関係にある2人の若手医師の毎日のルーティーンのひとつが、出勤前のプールでの競泳。
 理由はなんでもいいのだ。つまりは、モデルあがりの蓮介の肉体美を見せるサービスカットである。
 だが、プールの端に辿り着き、顔を上げた夏澄の隣に蓮介はいなかった。
 はるか後方に飛沫を上げながら豪快に泳いで来るその姿が見える。まだ泳ぎを続けている蓮介の耳には監督のカットの声も届いていない。
 遅れること数秒、やっと夏澄の隣に辿り着いた蓮介は勢いよく顔をあげ、状況に気づいた。
 顔をしかめて、濡れた髪をかきあげる。

 夏澄はまた、にこりと微笑んでみせた。

 「カスミちゃん!もうちょいゆっくり泳いでもらわないと!2人一緒に画面に撮れないよ!」
 プールサイドの監督から声がかかる。
 「ごめんなさーい!テイク2はもう少しゆっくり泳ぎまーす!」
 このテイクがNGになることを夏澄はわかっていた。夏澄は運動神経がいい。走るスピードも泳ぎのスピードも並の人よりは速い自信がある。

 なーんだ、コイツもトクベツ、じゃないね。

 夏澄はふふふと笑いながら、プールから上がった。
 その背中に、声がかかる。
 「次も本気でやれよ」
 プールサイドに立って、振り返ると蓮介がこちらを睨んでいた。
 プールサイドとプールの中。
 夏澄は蓮介を見下ろして、にこりといつもの笑顔を見せた。
 「りょーかいっ!」

 50mのプールを2人、並んで歩いてスタート地点に戻る。夏澄は鼻歌を口ずさみ、蓮介は自らの腹筋を拳で軽く殴っていた。

 「本番よーい!ハイ!」

 ふたり、飛び込む。
 柔らかく、加速する夏澄。
 ふたりの距離はまた、離れる。

 蓮介は、泳ぎ切った瞬間、「もう一本!!!」と叫んだ。
 先にプールサイドに上がっていた夏澄はにこりと笑う。

 余裕のなくなる男を見るのは、好きだ。

 遠藤が横に来て、夏澄の華奢な肩に触れる。
 「カスミちゃん、頼むよぉ。もう次のシーンいかなきゃなんだから。ね?次は、さ」
 「わかってますよ~」
 そう言って、ウインクを返した。
 
 3度目の飛び込み。
 夏澄は息継ぎをしながら、隣のレーンを泳ぐ蓮介の存在を確認した。
 少しペースを遅らせ、一度蓮介に抜かれる。
 そしてまた、少し速度をあげ、追いつきそうになったところでスピードを緩めた。
 先に壁についたのは蓮介の手だった。
 夏澄は水面から顔を上げて言うのだ。
 「速すぎ。ちょっとは緩めてよ」

 「ハイ!OK!!バッチリよー!」

 監督の声にかぶるように、蓮介が水面を殴った。
 勢いよく水飛沫が夏澄の顔にかかる。

 気にせず、プールサイドに上がった夏澄。
 その右手首が後ろから掴まれた。
 振り返ると、目の前に分厚い胸板があった。
 見上げた瞬間、
 ガッ!
 左頬に鈍い痛みが走った。

 殴られたと気づくのに、3秒かかった。

 あーあ。

 「嘘ついてんじゃねえよ!!!!」
 プールサイドに蓮介のややハスキーな太い声が響く。
 嘘...?
 夏澄は思わず、笑ってしまった。
 「笑ってんじゃねえよ!お前、最後手ェ抜いて泳いだだろ!それで、速すぎって?嘘いってんじゃねえよ!」
 夏澄はじんじんと痛む頬を持ち上げ、白い歯をのぞかせる。

 「これが演技で、これがセリフ。これが僕の生きる道で、生きてきた道だよ」

 どこかで雫がひとつ、落ちる音がした。
 それが鼓膜に響くほどの静寂があった。

 「嘘をついてるんじゃない、演じてるんだ。獅子堂くんには、きっと...できないだろうね」

 言葉に表れてしまった刺々しさよりも、夏澄の思いは幾分か純粋なものだった。台本を覚えることさえすれば、セリフを読めるようにはなるだろう。だけど、獅子堂はきっと、演じられない、と夏澄は思う。
 演じるには、恵まれすぎてる。

 掴まれた右手首が痛い。
 あまりの圧迫に血流が止まり、骨が軋んでいる様な気がする。
 蓮介の左腕にピクピクと浮かび上がる血管がエロいな、と夏澄は下品な思考を築き、その痛みから意識を飛ばした。
 もう一度握られた蓮介の右拳に、夏澄は反射的に体を硬くする。
 が、その拳は二度は降ってこなかった。
 ふわりと手首を掴んでいた手を離した蓮介。浅黒く無駄のない筋肉のついたその背中は、足速に遠ざかっていった。
 スタッフが氷を持って駆け寄ってきた。

 困った様な顔をした遠藤と目が合い、夏澄はペロリと舌を噛んで肩をすくめてみせた。
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