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第二章 紗栄子・高1 

04 特別指導

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「礼子先輩。お願いがあります。」
 紗栄子が三島百合花に遭遇した次の日の、練習開始直前である。
 まだ準備が終わってないじゃない、と言うのを礼子が珍しくためらったのは、紗栄子の表情に、ある種の凄みを感じたからだった。
「紗栄子からのお願いだなんて始めてね。一体なあに?」
「はい。練習メニュー終了後に、自主トレをしたいんです。1人で居残りをしてもいいでしょうか。」
 礼子は一瞬驚いたように目を見開き、やがてうっすらと笑った。表情が示すとおり、紗栄子の申し出が嬉しかったからだ。
「それはいいことね。ただ…。」
 礼子がそう言うので、紗栄子は何を言われるのかとかまえてしまう。
「なにも1人で自主トレをすることはないわ。」
「え?」
「終了後30分、反省点について重点的に指導するわよ。私が。」
 近くにいる部長の石田が眉をひそめた。しかしそんなことなど知らず、紗栄子はむしろ目を輝かせている。
「いいんですか?」
「いいんですか?って…。紗栄子こそいいの?ますます私に泣かされるだけじゃない。」
「本当は、もっと礼子先輩に指導してもらいたいってお願いしようかと思ってたんです。でもさすがに、図々しい気がして遠慮してしまいました。」
 それは礼子に合わせて言っているのではなく、紗栄子の本心だ。実は昨夜、百合花に言われた一言が気になってなかなか寝つけなかった。
『中学のころから、そんなに水泳が好きそうでもなかったのに。』
 そんなことはない。決して、断じて、そんなことはない。
 紗栄子は昔から水泳が大好きだ。自身が泳ぐことも、人が泳いでいるのを見ることも。
 紗栄子が自分の心のうちをペラペラ話さないタイプであり、百合花がろくに知りもしないで決めつけたようにモノを言うタイプだからそんな言葉を耳にする羽目になったのだ。
 しかし紗栄子は、百合花の言葉に傷つくどころか、むしろメラメラとやる気の炎を燃やすことになった。
 自分の中の水泳への情熱を、他人にわかってほしいなんて思わない。
 ただ、自分でもびっくりするくらい熱いこの気持ちを、自身が選手として生かせないなら、今選手として頑張っている部員の力にかえたい。
 礼子に紗栄子の心の内の詳細まではもちろんわからないが、目の色が昨日までとは違うことは容易く見てとれた。
「じゃあ、紗栄子。まずは練習の準備を仕上げましょ。」
「はい!」



「あ~!」
 練習終了後、頭をかきながら軽く吠える拓海の姿を見て、蓮は苦笑した。
「消化不良か。」
「あ?」
「紗栄子っつう愚痴トモがいなくなってつまんねえんだろ。」
 見事に言い当てられ、拓海はさらに頭をかくしかない。
「紗栄子がいないんなら、三島でも呼べよ。とっくに連絡先くらい交換してんだろ?色男。」
 ‘色男’という古臭いはやし立て方に、拓海は鼻でフンと笑った。
「呼び出してまで会いたい女の子じゃねえよな。」
「へえ、そう。すでに喰う気満々かと思ってた。」
「馬鹿にすんなよ。どっかの恋愛マニュアルにでも書いてありそうなテクニックを惜しみなく使うような、あんな安い女は願い下げだね。」
 拓海が百合花を好いていないだろうことはわかっていたが、ここまで悪し様に言うとは思わなかった蓮は、一瞬ポカンとしたあと、ゲラゲラ笑い出した。
「つうかお前が喰えよ。あいつ、どうせどっちでもいいんだろ。」
 拓海は立てた右手の親指で、自身と蓮の胸を交互に指した。
「俺だって願い下げも願い下げだよ。」
「そうだな。紗栄子の方がよっぽどいいよな。」
 軽く笑いながら、拓海の瞳が蓮に探りを入れる。
 拓海も自分勝手に紗栄子に愚痴を聞いてもらっているように見えて、蓮の様子をちゃんと見ているのだ。
 蓮は拓海の無遠慮な視線から逃げることもなく、ニコリと笑って口を開いた。
「よっぽどじゃなくて確実に、だな。」
「へ~え。」
「三島に比べれば、って話だろ。」
「ふ~ん。」
 仲が良いように見えて、実は互いの腹を探りあっている拓海と蓮のことなど知らず、紗栄子は礼子からマンツーマンの指導を受けていた。
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