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第一章 32歳~

番外編01 病室にて 32歳

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 遠慮気味なノックの音がしたので、蓮はドアの方を振り返った。
「工藤先生…。消灯時間過ぎてますけど。」
「まあ、職員ですから。」
 ふう、と息をついて蓮はくだけた表情になる。
「なに、当直?」
「ああ。」
「それはそれで自分の病棟離れちゃダメじゃん。」
「どうせ何かあったらコレにかかってくるんだから、どこにいたっておんなじだよ。」
 大志は職場から持たされている、胸元のケータイを忌々しげに持ち上げる。
 パイプ椅子にギシリと音を立てて大志が座り込んだ。
「青山さん、調子はどうですか?」
「先生みてえ。」
「先生だよ。」
「科が違うじゃん。」
 くくくっと2人、小声で笑う。
 外からの月明かりだけでは蓮の顔色は正確にはわからない。ただ頬がこけているのは明らかだった。
「“元気そうですね”とか言わねえの?」
「医療職相手にテキトーなこと言うのもなあ。」
「まあね。ここの病棟のスタッフもやりづらいだろうなと思うよ。医療職だし。同僚なわけだし。」
 蓮は休職扱いでまだこの病院に籍を置いている。“まだ”というのも切ない言い方だが。
「俺のカルテ見た?」
「いや、さすがに。個人情報だし。」
「律儀だね。」
「仕事はな。」
「プライベートは?」
「めちゃくちゃ」
「ハハッ。…あーあ、しっかしこんなことになるとはね。全く人生予想外だよ。」
「紗栄子と結婚できて可愛い子供ができたじゃねえか。大当たりだ。」
「だからバチが当たったのかなって思ったりもする。幸せすぎるよ。…科学的根拠のない思い込みは医療職らしくねえか。」
「まったくだ。」
「子供達さあ、紗栄子の子だから可愛く見えるだろ?」
「おまえらの子供だから可愛く見える。」
「じゃあ、この先頼むな。あいつら、“大志くん”のことが大好きらしいから。」
 一瞬妙な沈黙になった。病床にある友人を前にふざけてみせるのはキツイ時もある。
「俺なんかに大事な紗栄子と子供達を任せていいのかよ。セフレに流されて紗栄子を捨てるような男だぞ。」
「遠距離の紗栄子と近距離のセフレで距離に負けただけじゃんか。ハタチそこそこなんてヤりたい盛りだし。」
「まあ…確かにそうだけど。」
「今、紗栄子はすぐ近くにいる。」
 天井を仰いで蓮が、はああ、と溜息を吐いた。
「厄介な女を好きになったよな、お互いに。」
「ああ、めちゃくちゃ厄介だ。」
 紗栄子にとって一番大事な男になれたけれども命の期限が近い男と、紗栄子の一番にはなれなかったけれども恐らくこれからも近くにいられる男。
 大志にとって紗栄子は今でも大事な存在だ。それをその夫相手に隠しもしない。夫もそれと聞いて不快に思いもしない。
「お前は今後紗栄子といい感じになって、俺の影に苦しめばいいんだよ。」
「高校生の頃に散々苦しんだからもういいよ。俺と紗栄子がどんなに物理的にいちゃついても、乗り越えらんない絆みたいなもんがずーっとあったろ、お前たちの間には。」
「そうだったんだろうな。俺は俺でお前たちの直接的で物理的な繋がりに妬いてたけど。」
 “今後”の話をする蓮に対して、大志は“縁起でもない”とか“そんなこと言うな”とか、悲しんだり怒ったりしない。そんな大志の態度が蓮には心地いい。
「変な関係だな。」
「全くだ。」
 フーッと息を吐いて蓮は目を閉じた。…疲れているのだ。
「ちょっと眠ってもいいかな。」
「もちろん。邪魔して悪かった。」
 ギシリ、とパイプ椅子が音を立てる。
「お忙しいのにお越しいただいて、ありがとうございます、先生。」
「気持ちがこもってねえな。」
「ふん。」
「…おやすみなさい。」
「お疲れ。…ありがとな。」
 病室を出て大志は大きなため息をついた。
 自分は蓮の前でちゃんと楽しそうに振舞えただろうか。いつもの調子でふざけてみせることができただろうか。
「工藤先生?」
 この病棟の看護師だ。夜勤の見回りらしい。
 疲労の色を隠し、調子のいい“工藤先生”の顔で笑ってみせる。
「お疲れさま。邪魔してごめんね。今夜当直でさ。」
「お疲れ様です。…青山さんとお知り合いなんでしたっけ。」
「うん。大事な友人なんだ。」
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