アマノジャク

藍川涼子

文字の大きさ
上 下
32 / 35
第二部

03 同期会、もどき(樹里視点)

しおりを挟む
 今日は久し振りに貴志に会える。
 気合いを入れて新しい洋服を買って行こうかな、と一瞬思ったけど、やめた。
 ウチの会社の、同期で集まる飲み会。突発的に数人が集まる会は、正式な同期会というにはあまりにもこじんまりとしすぎている。
 そんな感じだからこそ、転職してしまった貴志のような人がふいに参加したりするわけで。
 貴志がウチの会社をやめて一年以上たった。別れたのは、もっと前のこと。



『別れよう。』
 何度も足を踏み入れた貴志の部屋。その日もそこにいつものように招き入れてくれたのに。
 正直、突然のこと、ではなかった。残念ながら明らかな兆候はあった。仕事が忙しいからと、デートの約束を取りつけることすら、彼は拒みはじめていた。少しの時間でもいい、当日ダメになっても構わない、と言っても駄目だった。
 別れよう、のひとことに、当然私は食い下がった。
『仕事が忙しいんなら、落ち着くまでデートだって我慢するよ?』
『そういうことじゃない。』
『他に好きな人ができたの?』
『違う。』
『…嫌いになったの?私のこと。』
『嫌いになったとか、そういうんじゃない。』
『じゃあ、別れない。別れる理由がない。納得できない。』
『樹里に対しての愛情がないんだ。』
 貴志はオブラートに包む、ってことを知らないんだろうか。
『な…に、それ…。』
『好いてくれるなら応えたいと思って付き合ってみた。樹里は美人だし性格もいいと思う。でも、ごめん。惚れられなかった。』
 褒められるということがこんなにも意味のないことだなんて。むしろ褒められている分、悲しくなる。
 だって、それでも駄目って、もうどうしようもないということじゃない。
『あんなにいっぱい、…抱いてくれたのに。』
 女の私の口からこんなことを言うなんて。はしたなくも押し付けがましい、こんな言葉を。
『…罪悪感からだった、と思う。』
 かああっと顔が熱くなった。身体が目当てだったと、行為が目当てだったと言われた方がまだマシだった。
 自分が幸せな気持ちで満たされていたいくつもの夜は、貴志にとっては全く違うものだったんだ。
『ひどいよ…。』
『俺もそう思う。だからこそ、もう続けちゃいけないと思ってる。』
 貴志は恐ろしい人だ。こうも率直に相手に物を言えるなんて。
 気付いたら、涙が頬を伝っていた。それを確認して、貴志が目を細める。
 きっと覚悟していたのだろう。貴志は泣いている私を前に、辛抱強く待った。慰めようとしたり、距離を縮めようとする様子はなかった。

 これ以上駄々をこねてもダメなんだ…。

 よろよろと立ち上がり、玄関の方へと向かう。
『樹里。』
 呼ぶ声になにがしかの期待をして振り返ると、貴志は左手の掌を大きく開いてみせた。
『鍵を返してくれ。』
 恥ずかしかった。散々打ちのめされて、それでもなお、小さな小さな希望を捨てきれずにいたなんて。
 革を使用したキーホルダーを取り出してガチャガチャと外しにかかったけれど、手が震えてうまくいかない。
 見かねた貴志が立ち上がり、易々と鍵を外す。
 チャリンと音を立てて、少しだけ軽くなった鍵の束が掌に落ちてきた。
 その音はとても大きく鼓膜に響いた。終わりなんだ、と思った。



「悪いな、遅れて。」
 貴志が来るというのを聞きつけて、今回は参加者が多い。らしい。
 らしい、というのは私自身そう高頻度にこの会に参加していない証拠だ。
 声を聞いただけなのに。体中の皮膚がザワザワと波立っている。
 チラリと見てみると、そこにいたのは以前より少し痩せた彼だった。
 やっぱり、かっこいいな。…嫌になっちゃうな。
 早めに着いた私は奥の席で、遅れてきた彼は入り口に近い席で、お喋りに忙しかった。
 私の背中はずっと彼の気配を伺っていたけれど。
 そして、彼がようやく席を立ったので、少しの間を置いて私は追いかけた。会話の区切りが強引になってしまったから、一緒にいる子は私の目的を容易に察することができただろう。
「ああ。…元気?」
 手を洗ってトイレから出てきた貴志の表情も、言葉も、あまりにもさらりとしている。
 ひと言めに何を言おうかウジウジ悩んでいた自分が、可哀想になる。
「元気だけど…貴志は?」
「まあ、普通に元気だよ。」
「…新しい彼女はできた?」
 これはどうしても聞きたかった。こちらの気持ちをあんな風に木端微塵にしておいて、また同じような感覚で彼女を作っていたら許せないから。
「うん。……ちゃんと好きな子が出来たから。」
 まるでこちらの意図をわかっているかのように、貴志がたっぷりの間を置いて付け足す。
 いい加減な気持ちだったら許せない、と思っていたくせに、いざこうなると寂しくなるのはどうしてだろう。
「どんな人?」
「素直じゃない人、かな…。」
 照れたような貴志の顔。A化粧品との飲み会で会った一人の女性の顔が浮かぶ。
 しっとりとした黒髪に、白い肌。派手ではないけれど美しい顔立ちに、とてもよく似合っている眼鏡。
 さつきちゃんや直美ちゃんは、高橋さんという名の、姉御肌風の人を貴志の新しい彼女として疑っていたようだけど、私はそうは思わなかった。
 あの女性の穏やかな凛とした美しさは、貴志の心をとらえるに違いない、と確信している。
 とらえられなかった私が言っても説得力ないか…。
「羨ましいな、その人が。」
「…何言ってるんだよ。」
「私には最後までできなかったもの。あなたの心をつかまえること。」
「お前に参ってる奴なんて腐るほどいるだろう。」
「フォローならいらないわよ。」
 と、貴志が微かに眉をしかめる。
「少なくとも笹山はいつだってお前の力になりたいと思ってるぞ。」
 わかってる。この飲み会に貴志が来ることを一番に私に教えてくれたのは彼だ。
 いつだって私のことを気にかけてくれてる。貴志への未練が私の中にベタベタとへばりついていることを承知の上で、だ。
「軽い気持ちで付き合うの、嫌なんだもの。笹山くんはいい人だから尚更よ。貴方とのことで学習したの、私。」
「…耳が痛い。」
 肩をすくめる貴志の様子がおかしくて私は思わず笑い出す。すると、貴志もつられて笑い出した。
 どちらからともなく歩き出すと、心配そうな顔をした笹山くんが現れた。私達の姿を目に留めて、一瞬ギョッとする。
 その様子がおかしくて、私と貴志はさらに声を上げて笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】鬼上司は今日も私に甘くない

白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。 逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー 法人営業部メンバー 鈴木梨沙:28歳 高濱暁人:35歳、法人営業部部長 相良くん:25歳、唯一の年下くん 久野さん:29歳、一個上の優しい先輩 藍沢さん:31歳、チーフ 武田さん:36歳、課長 加藤さん:30歳、法人営業部事務

孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」 私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!? ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。 少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。 それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。 副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!? 跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……? 坂下花音 さかしたかのん 28歳 不動産会社『マグネイトエステート』一般社員 真面目が服を着て歩いているような子 見た目も真面目そのもの 恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された × 盛重海星 もりしげかいせい 32歳 不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司 長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない 人当たりがよくていい人 だけど本当は強引!?

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集

恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。

若妻シリーズ

笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。 気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。 乳首責め/クリ責め/潮吹き ※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様 ※使用画像/SplitShire様

恋愛コンプライアンス

奏井れゆな
恋愛
ハラスメント対策上、グループ会社内の恋愛は禁止。 ただし、社内マッチングアプリにて成立した場合を除く。 そんな恋愛コンプライアンスは、恋愛に関心のない伊伏琴子にとって打って付けだ。 けれど、それをものともしない男がいた。 その男、里見道仁は創業者一族の出であるせいか社内規程を無視する嫌いがある。 なんとか切り抜けているなか、互いの親しい者同士がマッチングアプリで付き合い始め、琴子はやむなく巻きこまれてしまった。 そこにはある策略があって… 恋愛に関しては男を信用しない彼女(24歳)と、つれない彼女に狩り本能を掻き立てられた不届きな彼(29歳)の、危ういオフィスラブ。 *R18性表現、ちょっとした犯罪要素あり *2022.1/17より一時的に非公開

女の子にされちゃう!?「……男の子やめる?」彼女は優しく撫でた。

広田こお
恋愛
少子解消のため日本は一夫多妻制に。が、若い女性が足りない……。独身男は女性化だ! 待て?僕、結婚相手いないけど、女の子にさせられてしまうの? 「安心して、いい夫なら離婚しないで、あ・げ・る。女の子になるのはイヤでしょ?」 国の決めた結婚相手となんとか結婚して女性化はなんとか免れた。どうなる僕の結婚生活。

処理中です...