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第二部
03 同期会、もどき(樹里視点)
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今日は久し振りに貴志に会える。
気合いを入れて新しい洋服を買って行こうかな、と一瞬思ったけど、やめた。
ウチの会社の、同期で集まる飲み会。突発的に数人が集まる会は、正式な同期会というにはあまりにもこじんまりとしすぎている。
そんな感じだからこそ、転職してしまった貴志のような人がふいに参加したりするわけで。
貴志がウチの会社をやめて一年以上たった。別れたのは、もっと前のこと。
※
『別れよう。』
何度も足を踏み入れた貴志の部屋。その日もそこにいつものように招き入れてくれたのに。
正直、突然のこと、ではなかった。残念ながら明らかな兆候はあった。仕事が忙しいからと、デートの約束を取りつけることすら、彼は拒みはじめていた。少しの時間でもいい、当日ダメになっても構わない、と言っても駄目だった。
別れよう、のひとことに、当然私は食い下がった。
『仕事が忙しいんなら、落ち着くまでデートだって我慢するよ?』
『そういうことじゃない。』
『他に好きな人ができたの?』
『違う。』
『…嫌いになったの?私のこと。』
『嫌いになったとか、そういうんじゃない。』
『じゃあ、別れない。別れる理由がない。納得できない。』
『樹里に対しての愛情がないんだ。』
貴志はオブラートに包む、ってことを知らないんだろうか。
『な…に、それ…。』
『好いてくれるなら応えたいと思って付き合ってみた。樹里は美人だし性格もいいと思う。でも、ごめん。惚れられなかった。』
褒められるということがこんなにも意味のないことだなんて。むしろ褒められている分、悲しくなる。
だって、それでも駄目って、もうどうしようもないということじゃない。
『あんなにいっぱい、…抱いてくれたのに。』
女の私の口からこんなことを言うなんて。はしたなくも押し付けがましい、こんな言葉を。
『…罪悪感からだった、と思う。』
かああっと顔が熱くなった。身体が目当てだったと、行為が目当てだったと言われた方がまだマシだった。
自分が幸せな気持ちで満たされていたいくつもの夜は、貴志にとっては全く違うものだったんだ。
『ひどいよ…。』
『俺もそう思う。だからこそ、もう続けちゃいけないと思ってる。』
貴志は恐ろしい人だ。こうも率直に相手に物を言えるなんて。
気付いたら、涙が頬を伝っていた。それを確認して、貴志が目を細める。
きっと覚悟していたのだろう。貴志は泣いている私を前に、辛抱強く待った。慰めようとしたり、距離を縮めようとする様子はなかった。
これ以上駄々をこねてもダメなんだ…。
よろよろと立ち上がり、玄関の方へと向かう。
『樹里。』
呼ぶ声になにがしかの期待をして振り返ると、貴志は左手の掌を大きく開いてみせた。
『鍵を返してくれ。』
恥ずかしかった。散々打ちのめされて、それでもなお、小さな小さな希望を捨てきれずにいたなんて。
革を使用したキーホルダーを取り出してガチャガチャと外しにかかったけれど、手が震えてうまくいかない。
見かねた貴志が立ち上がり、易々と鍵を外す。
チャリンと音を立てて、少しだけ軽くなった鍵の束が掌に落ちてきた。
その音はとても大きく鼓膜に響いた。終わりなんだ、と思った。
※
「悪いな、遅れて。」
貴志が来るというのを聞きつけて、今回は参加者が多い。らしい。
らしい、というのは私自身そう高頻度にこの会に参加していない証拠だ。
声を聞いただけなのに。体中の皮膚がザワザワと波立っている。
チラリと見てみると、そこにいたのは以前より少し痩せた彼だった。
やっぱり、かっこいいな。…嫌になっちゃうな。
早めに着いた私は奥の席で、遅れてきた彼は入り口に近い席で、お喋りに忙しかった。
私の背中はずっと彼の気配を伺っていたけれど。
そして、彼がようやく席を立ったので、少しの間を置いて私は追いかけた。会話の区切りが強引になってしまったから、一緒にいる子は私の目的を容易に察することができただろう。
「ああ。…元気?」
手を洗ってトイレから出てきた貴志の表情も、言葉も、あまりにもさらりとしている。
ひと言めに何を言おうかウジウジ悩んでいた自分が、可哀想になる。
「元気だけど…貴志は?」
「まあ、普通に元気だよ。」
「…新しい彼女はできた?」
これはどうしても聞きたかった。こちらの気持ちをあんな風に木端微塵にしておいて、また同じような感覚で彼女を作っていたら許せないから。
「うん。……ちゃんと好きな子が出来たから。」
まるでこちらの意図をわかっているかのように、貴志がたっぷりの間を置いて付け足す。
いい加減な気持ちだったら許せない、と思っていたくせに、いざこうなると寂しくなるのはどうしてだろう。
「どんな人?」
「素直じゃない人、かな…。」
照れたような貴志の顔。A化粧品との飲み会で会った一人の女性の顔が浮かぶ。
しっとりとした黒髪に、白い肌。派手ではないけれど美しい顔立ちに、とてもよく似合っている眼鏡。
さつきちゃんや直美ちゃんは、高橋さんという名の、姉御肌風の人を貴志の新しい彼女として疑っていたようだけど、私はそうは思わなかった。
あの女性の穏やかな凛とした美しさは、貴志の心をとらえるに違いない、と確信している。
とらえられなかった私が言っても説得力ないか…。
「羨ましいな、その人が。」
「…何言ってるんだよ。」
「私には最後までできなかったもの。あなたの心をつかまえること。」
「お前に参ってる奴なんて腐るほどいるだろう。」
「フォローならいらないわよ。」
と、貴志が微かに眉をしかめる。
「少なくとも笹山はいつだってお前の力になりたいと思ってるぞ。」
わかってる。この飲み会に貴志が来ることを一番に私に教えてくれたのは彼だ。
いつだって私のことを気にかけてくれてる。貴志への未練が私の中にベタベタとへばりついていることを承知の上で、だ。
「軽い気持ちで付き合うの、嫌なんだもの。笹山くんはいい人だから尚更よ。貴方とのことで学習したの、私。」
「…耳が痛い。」
肩をすくめる貴志の様子がおかしくて私は思わず笑い出す。すると、貴志もつられて笑い出した。
どちらからともなく歩き出すと、心配そうな顔をした笹山くんが現れた。私達の姿を目に留めて、一瞬ギョッとする。
その様子がおかしくて、私と貴志はさらに声を上げて笑った。
気合いを入れて新しい洋服を買って行こうかな、と一瞬思ったけど、やめた。
ウチの会社の、同期で集まる飲み会。突発的に数人が集まる会は、正式な同期会というにはあまりにもこじんまりとしすぎている。
そんな感じだからこそ、転職してしまった貴志のような人がふいに参加したりするわけで。
貴志がウチの会社をやめて一年以上たった。別れたのは、もっと前のこと。
※
『別れよう。』
何度も足を踏み入れた貴志の部屋。その日もそこにいつものように招き入れてくれたのに。
正直、突然のこと、ではなかった。残念ながら明らかな兆候はあった。仕事が忙しいからと、デートの約束を取りつけることすら、彼は拒みはじめていた。少しの時間でもいい、当日ダメになっても構わない、と言っても駄目だった。
別れよう、のひとことに、当然私は食い下がった。
『仕事が忙しいんなら、落ち着くまでデートだって我慢するよ?』
『そういうことじゃない。』
『他に好きな人ができたの?』
『違う。』
『…嫌いになったの?私のこと。』
『嫌いになったとか、そういうんじゃない。』
『じゃあ、別れない。別れる理由がない。納得できない。』
『樹里に対しての愛情がないんだ。』
貴志はオブラートに包む、ってことを知らないんだろうか。
『な…に、それ…。』
『好いてくれるなら応えたいと思って付き合ってみた。樹里は美人だし性格もいいと思う。でも、ごめん。惚れられなかった。』
褒められるということがこんなにも意味のないことだなんて。むしろ褒められている分、悲しくなる。
だって、それでも駄目って、もうどうしようもないということじゃない。
『あんなにいっぱい、…抱いてくれたのに。』
女の私の口からこんなことを言うなんて。はしたなくも押し付けがましい、こんな言葉を。
『…罪悪感からだった、と思う。』
かああっと顔が熱くなった。身体が目当てだったと、行為が目当てだったと言われた方がまだマシだった。
自分が幸せな気持ちで満たされていたいくつもの夜は、貴志にとっては全く違うものだったんだ。
『ひどいよ…。』
『俺もそう思う。だからこそ、もう続けちゃいけないと思ってる。』
貴志は恐ろしい人だ。こうも率直に相手に物を言えるなんて。
気付いたら、涙が頬を伝っていた。それを確認して、貴志が目を細める。
きっと覚悟していたのだろう。貴志は泣いている私を前に、辛抱強く待った。慰めようとしたり、距離を縮めようとする様子はなかった。
これ以上駄々をこねてもダメなんだ…。
よろよろと立ち上がり、玄関の方へと向かう。
『樹里。』
呼ぶ声になにがしかの期待をして振り返ると、貴志は左手の掌を大きく開いてみせた。
『鍵を返してくれ。』
恥ずかしかった。散々打ちのめされて、それでもなお、小さな小さな希望を捨てきれずにいたなんて。
革を使用したキーホルダーを取り出してガチャガチャと外しにかかったけれど、手が震えてうまくいかない。
見かねた貴志が立ち上がり、易々と鍵を外す。
チャリンと音を立てて、少しだけ軽くなった鍵の束が掌に落ちてきた。
その音はとても大きく鼓膜に響いた。終わりなんだ、と思った。
※
「悪いな、遅れて。」
貴志が来るというのを聞きつけて、今回は参加者が多い。らしい。
らしい、というのは私自身そう高頻度にこの会に参加していない証拠だ。
声を聞いただけなのに。体中の皮膚がザワザワと波立っている。
チラリと見てみると、そこにいたのは以前より少し痩せた彼だった。
やっぱり、かっこいいな。…嫌になっちゃうな。
早めに着いた私は奥の席で、遅れてきた彼は入り口に近い席で、お喋りに忙しかった。
私の背中はずっと彼の気配を伺っていたけれど。
そして、彼がようやく席を立ったので、少しの間を置いて私は追いかけた。会話の区切りが強引になってしまったから、一緒にいる子は私の目的を容易に察することができただろう。
「ああ。…元気?」
手を洗ってトイレから出てきた貴志の表情も、言葉も、あまりにもさらりとしている。
ひと言めに何を言おうかウジウジ悩んでいた自分が、可哀想になる。
「元気だけど…貴志は?」
「まあ、普通に元気だよ。」
「…新しい彼女はできた?」
これはどうしても聞きたかった。こちらの気持ちをあんな風に木端微塵にしておいて、また同じような感覚で彼女を作っていたら許せないから。
「うん。……ちゃんと好きな子が出来たから。」
まるでこちらの意図をわかっているかのように、貴志がたっぷりの間を置いて付け足す。
いい加減な気持ちだったら許せない、と思っていたくせに、いざこうなると寂しくなるのはどうしてだろう。
「どんな人?」
「素直じゃない人、かな…。」
照れたような貴志の顔。A化粧品との飲み会で会った一人の女性の顔が浮かぶ。
しっとりとした黒髪に、白い肌。派手ではないけれど美しい顔立ちに、とてもよく似合っている眼鏡。
さつきちゃんや直美ちゃんは、高橋さんという名の、姉御肌風の人を貴志の新しい彼女として疑っていたようだけど、私はそうは思わなかった。
あの女性の穏やかな凛とした美しさは、貴志の心をとらえるに違いない、と確信している。
とらえられなかった私が言っても説得力ないか…。
「羨ましいな、その人が。」
「…何言ってるんだよ。」
「私には最後までできなかったもの。あなたの心をつかまえること。」
「お前に参ってる奴なんて腐るほどいるだろう。」
「フォローならいらないわよ。」
と、貴志が微かに眉をしかめる。
「少なくとも笹山はいつだってお前の力になりたいと思ってるぞ。」
わかってる。この飲み会に貴志が来ることを一番に私に教えてくれたのは彼だ。
いつだって私のことを気にかけてくれてる。貴志への未練が私の中にベタベタとへばりついていることを承知の上で、だ。
「軽い気持ちで付き合うの、嫌なんだもの。笹山くんはいい人だから尚更よ。貴方とのことで学習したの、私。」
「…耳が痛い。」
肩をすくめる貴志の様子がおかしくて私は思わず笑い出す。すると、貴志もつられて笑い出した。
どちらからともなく歩き出すと、心配そうな顔をした笹山くんが現れた。私達の姿を目に留めて、一瞬ギョッとする。
その様子がおかしくて、私と貴志はさらに声を上げて笑った。
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