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第一部
21 小動物 (貴志視点)
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自分がこんなに獰猛な生き物だったなんて知らなかった。
闇の中の彼女の前では俺の中から理性という単語が消え失せる。そうしてそこに残るのは、まるっきりの、動物。
彼女のほうはといえば、そんな俺の前ではいたいけな小動物のようになる。例えてみれば―――うさぎ、というところだろうか。理性を忘れ去ったただの動物に過ぎない俺にとっては、かっこうの獲物、というわけだ。
うさぎは必死で逃げるけれども、すぐに捕まってしまう。押さえつけるのは簡単だ。他愛もない。
捕らえた後、時間をかけてじりじりと追いつめていくうち、うさぎは苦しいのかそうでないのか判別しがたい鳴き声で鳴く。涙を流すことさえある。とどめを刺すことをためらわせるように。
ついにとどめを刺した俺はうさぎの味の良さをよく知っているので、それはもうじっくりと味わう。腹がすいているくせに、なぜか耐えられる。いやむしろ、がっついてしまうのはもったいない。そうして得るのは信じられないほどの満足感。
※
―――暑い。
現実に戻ると、自分が掻いている大量の汗に驚く。額を乱暴にぬぐうと、手のひらから肘に向かってつーっと滴り落ちた。前髪をかきあげて横に目をやると、シーツにしがみついたままの彼女が息をひどく乱している。
「…大丈夫?」
俺の問いかけにうっすらと目を開けたものの、視線がこちらに向くことはなく、彼女は力なく首を横に振った。
彼女の髪に唇を落とし、暗闇の中をゆっくりと起き上がってハーフパンツを身につける。
キッチンに行って冷蔵庫を開け、ドアのポケットにある飲み物に手をかける。伝わってくるのは、金属のふたとガラス瓶の感触。これはガス入りのミネラルウォーターだ。今は普通のミネラルウォーターがいい。奥のほうのペットボトルに手をかけると、自然とその奥の容器が目に入る。
大き目のティーバッグが放り込まれたままの容器。水出し麦茶なんて、今まで買ったことがない。彼女と付き合いだすまでは。
『ペットボトルの飲み物ばっかり買ってちゃもったいないですよ。ゴミも増えるし。』
たいそう地に足のついた現実的なことを言う彼女に、がっかりするどころか俺はほっとしてしまった。それにしても、自分の生活の中にこれほどまでに女性の影が入り込んでいるのは生まれて初めてだ。
―――彼女と一緒に暮らしたい。
湧き上がるたびにこの考えを否定する。同じ会社に勤めていて、いつばれるとも限らないのに、そんな大胆なことはできない。第一、古風な飛鳥さんが首を縦に振るとも思えない。
―――暑い。
喉の渇きは癒えたけど、ほてりは冷めない。洗面所にいって、冷水で顔を洗う。びしょびしょになった髪もぬぐって寝室に戻る。
パチン。
ミネラルウォーターを持っているのとは反対の手で照明のスイッチを入れると、飛鳥さんが飛び上がらんばかりの勢いで起き上がった。メガネをかけていない目を凝らし、俺の姿を確認して肩の力を抜く。
「あ……着てたんだ。」
ん?……ああ。何も着てないと思ったのか。
彼女の勘違いがおかしくて、俺は笑いながらペットボトルをシーツの上に置いた。
「俺、そんなだらしないことしないよ。」
「そ、そうだと思うけど、着てるとこ見てなかったから…。」
ああ。そんな余裕なさそうだったもんな。
そうさせたのが自分自身だと再確認してほくそ笑む。
‘飲む?’と言うようにペットボトルを差し出すと、彼女は胸元を押さえたまま素直に受け取った。ほんの少し口に含んで、飲み込むとともに気持ちよさそうに息を吐く。
俺に比べればちっとも汗をかいていない彼女だけれど、さすがに喉が渇いていたらしい。2,3度同じように繰り返し、“ありがとう”の言葉と共にペットボトルを返してきた。もう十分喉を潤した俺は、それをサイドテーブルに置き、電気を消した後ベッドに身を預ける。
仰向けに横になったあと、思い直したように腹ばいになりつつ、彼女への距離を近づける。そっと肩に触れると、彼女はそれをびくっと震わせる。
このリアクションに口元が緩む俺はどうかしているんだろうか。
「もうしないよ。」
極力優しく発音した俺の言葉に安堵したのか、彼女は過度に入った肩の力を抜く。
「…今日、殺されちゃうかと思った。」
「ずいぶん怖いこと言うんだな。」
鼻で笑うような俺の様子に、彼女が恨みがましい視線を寄越す気配がする。軽く唇をかんでいるに違いない。
―――殺されそうになるのは俺のほうだ。いつだって。
飛鳥さんの目から声から放たれる麻薬に侵されて、くらくらする。いつだって。
「おいで。」
広げた両手に、素直に従う彼女。彼女が上から覆いかぶさってくると、黒髪が顔を撫でる。
―――君はまだまだ甘い。
彼女の背中にまわした両手ににわかに力をこめてみる。
「貴志さ…!」
慌てて体を起こす彼女だが、誰が逃すもんか。
再び理性が飛びそうな気配はもうすぐそこまで迫っている
闇の中の彼女の前では俺の中から理性という単語が消え失せる。そうしてそこに残るのは、まるっきりの、動物。
彼女のほうはといえば、そんな俺の前ではいたいけな小動物のようになる。例えてみれば―――うさぎ、というところだろうか。理性を忘れ去ったただの動物に過ぎない俺にとっては、かっこうの獲物、というわけだ。
うさぎは必死で逃げるけれども、すぐに捕まってしまう。押さえつけるのは簡単だ。他愛もない。
捕らえた後、時間をかけてじりじりと追いつめていくうち、うさぎは苦しいのかそうでないのか判別しがたい鳴き声で鳴く。涙を流すことさえある。とどめを刺すことをためらわせるように。
ついにとどめを刺した俺はうさぎの味の良さをよく知っているので、それはもうじっくりと味わう。腹がすいているくせに、なぜか耐えられる。いやむしろ、がっついてしまうのはもったいない。そうして得るのは信じられないほどの満足感。
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―――暑い。
現実に戻ると、自分が掻いている大量の汗に驚く。額を乱暴にぬぐうと、手のひらから肘に向かってつーっと滴り落ちた。前髪をかきあげて横に目をやると、シーツにしがみついたままの彼女が息をひどく乱している。
「…大丈夫?」
俺の問いかけにうっすらと目を開けたものの、視線がこちらに向くことはなく、彼女は力なく首を横に振った。
彼女の髪に唇を落とし、暗闇の中をゆっくりと起き上がってハーフパンツを身につける。
キッチンに行って冷蔵庫を開け、ドアのポケットにある飲み物に手をかける。伝わってくるのは、金属のふたとガラス瓶の感触。これはガス入りのミネラルウォーターだ。今は普通のミネラルウォーターがいい。奥のほうのペットボトルに手をかけると、自然とその奥の容器が目に入る。
大き目のティーバッグが放り込まれたままの容器。水出し麦茶なんて、今まで買ったことがない。彼女と付き合いだすまでは。
『ペットボトルの飲み物ばっかり買ってちゃもったいないですよ。ゴミも増えるし。』
たいそう地に足のついた現実的なことを言う彼女に、がっかりするどころか俺はほっとしてしまった。それにしても、自分の生活の中にこれほどまでに女性の影が入り込んでいるのは生まれて初めてだ。
―――彼女と一緒に暮らしたい。
湧き上がるたびにこの考えを否定する。同じ会社に勤めていて、いつばれるとも限らないのに、そんな大胆なことはできない。第一、古風な飛鳥さんが首を縦に振るとも思えない。
―――暑い。
喉の渇きは癒えたけど、ほてりは冷めない。洗面所にいって、冷水で顔を洗う。びしょびしょになった髪もぬぐって寝室に戻る。
パチン。
ミネラルウォーターを持っているのとは反対の手で照明のスイッチを入れると、飛鳥さんが飛び上がらんばかりの勢いで起き上がった。メガネをかけていない目を凝らし、俺の姿を確認して肩の力を抜く。
「あ……着てたんだ。」
ん?……ああ。何も着てないと思ったのか。
彼女の勘違いがおかしくて、俺は笑いながらペットボトルをシーツの上に置いた。
「俺、そんなだらしないことしないよ。」
「そ、そうだと思うけど、着てるとこ見てなかったから…。」
ああ。そんな余裕なさそうだったもんな。
そうさせたのが自分自身だと再確認してほくそ笑む。
‘飲む?’と言うようにペットボトルを差し出すと、彼女は胸元を押さえたまま素直に受け取った。ほんの少し口に含んで、飲み込むとともに気持ちよさそうに息を吐く。
俺に比べればちっとも汗をかいていない彼女だけれど、さすがに喉が渇いていたらしい。2,3度同じように繰り返し、“ありがとう”の言葉と共にペットボトルを返してきた。もう十分喉を潤した俺は、それをサイドテーブルに置き、電気を消した後ベッドに身を預ける。
仰向けに横になったあと、思い直したように腹ばいになりつつ、彼女への距離を近づける。そっと肩に触れると、彼女はそれをびくっと震わせる。
このリアクションに口元が緩む俺はどうかしているんだろうか。
「もうしないよ。」
極力優しく発音した俺の言葉に安堵したのか、彼女は過度に入った肩の力を抜く。
「…今日、殺されちゃうかと思った。」
「ずいぶん怖いこと言うんだな。」
鼻で笑うような俺の様子に、彼女が恨みがましい視線を寄越す気配がする。軽く唇をかんでいるに違いない。
―――殺されそうになるのは俺のほうだ。いつだって。
飛鳥さんの目から声から放たれる麻薬に侵されて、くらくらする。いつだって。
「おいで。」
広げた両手に、素直に従う彼女。彼女が上から覆いかぶさってくると、黒髪が顔を撫でる。
―――君はまだまだ甘い。
彼女の背中にまわした両手ににわかに力をこめてみる。
「貴志さ…!」
慌てて体を起こす彼女だが、誰が逃すもんか。
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