アマノジャク

藍川涼子

文字の大きさ
上 下
21 / 35
第一部

21 小動物 (貴志視点)

しおりを挟む
 自分がこんなに獰猛な生き物だったなんて知らなかった。
 闇の中の彼女の前では俺の中から理性という単語が消え失せる。そうしてそこに残るのは、まるっきりの、動物。
 彼女のほうはといえば、そんな俺の前ではいたいけな小動物のようになる。例えてみれば―――うさぎ、というところだろうか。理性を忘れ去ったただの動物に過ぎない俺にとっては、かっこうの獲物、というわけだ。
 うさぎは必死で逃げるけれども、すぐに捕まってしまう。押さえつけるのは簡単だ。他愛もない。
 捕らえた後、時間をかけてじりじりと追いつめていくうち、うさぎは苦しいのかそうでないのか判別しがたい鳴き声で鳴く。涙を流すことさえある。とどめを刺すことをためらわせるように。
 ついにとどめを刺した俺はうさぎの味の良さをよく知っているので、それはもうじっくりと味わう。腹がすいているくせに、なぜか耐えられる。いやむしろ、がっついてしまうのはもったいない。そうして得るのは信じられないほどの満足感。



 ―――暑い。
 現実に戻ると、自分が掻いている大量の汗に驚く。額を乱暴にぬぐうと、手のひらから肘に向かってつーっと滴り落ちた。前髪をかきあげて横に目をやると、シーツにしがみついたままの彼女が息をひどく乱している。
「…大丈夫?」
 俺の問いかけにうっすらと目を開けたものの、視線がこちらに向くことはなく、彼女は力なく首を横に振った。
 彼女の髪に唇を落とし、暗闇の中をゆっくりと起き上がってハーフパンツを身につける。
 キッチンに行って冷蔵庫を開け、ドアのポケットにある飲み物に手をかける。伝わってくるのは、金属のふたとガラス瓶の感触。これはガス入りのミネラルウォーターだ。今は普通のミネラルウォーターがいい。奥のほうのペットボトルに手をかけると、自然とその奥の容器が目に入る。
 大き目のティーバッグが放り込まれたままの容器。水出し麦茶なんて、今まで買ったことがない。彼女と付き合いだすまでは。
『ペットボトルの飲み物ばっかり買ってちゃもったいないですよ。ゴミも増えるし。』
 たいそう地に足のついた現実的なことを言う彼女に、がっかりするどころか俺はほっとしてしまった。それにしても、自分の生活の中にこれほどまでに女性の影が入り込んでいるのは生まれて初めてだ。
 ―――彼女と一緒に暮らしたい。
 湧き上がるたびにこの考えを否定する。同じ会社に勤めていて、いつばれるとも限らないのに、そんな大胆なことはできない。第一、古風な飛鳥さんが首を縦に振るとも思えない。
 ―――暑い。
 喉の渇きは癒えたけど、ほてりは冷めない。洗面所にいって、冷水で顔を洗う。びしょびしょになった髪もぬぐって寝室に戻る。
 パチン。
 ミネラルウォーターを持っているのとは反対の手で照明のスイッチを入れると、飛鳥さんが飛び上がらんばかりの勢いで起き上がった。メガネをかけていない目を凝らし、俺の姿を確認して肩の力を抜く。
「あ……着てたんだ。」
 ん?……ああ。何も着てないと思ったのか。
 彼女の勘違いがおかしくて、俺は笑いながらペットボトルをシーツの上に置いた。
「俺、そんなだらしないことしないよ。」
「そ、そうだと思うけど、着てるとこ見てなかったから…。」
 ああ。そんな余裕なさそうだったもんな。
 そうさせたのが自分自身だと再確認してほくそ笑む。
 ‘飲む?’と言うようにペットボトルを差し出すと、彼女は胸元を押さえたまま素直に受け取った。ほんの少し口に含んで、飲み込むとともに気持ちよさそうに息を吐く。
 俺に比べればちっとも汗をかいていない彼女だけれど、さすがに喉が渇いていたらしい。2,3度同じように繰り返し、“ありがとう”の言葉と共にペットボトルを返してきた。もう十分喉を潤した俺は、それをサイドテーブルに置き、電気を消した後ベッドに身を預ける。
 仰向けに横になったあと、思い直したように腹ばいになりつつ、彼女への距離を近づける。そっと肩に触れると、彼女はそれをびくっと震わせる。
 このリアクションに口元が緩む俺はどうかしているんだろうか。
「もうしないよ。」
 極力優しく発音した俺の言葉に安堵したのか、彼女は過度に入った肩の力を抜く。
「…今日、殺されちゃうかと思った。」
「ずいぶん怖いこと言うんだな。」
 鼻で笑うような俺の様子に、彼女が恨みがましい視線を寄越す気配がする。軽く唇をかんでいるに違いない。
 ―――殺されそうになるのは俺のほうだ。いつだって。
 飛鳥さんの目から声から放たれる麻薬に侵されて、くらくらする。いつだって。
「おいで。」
 広げた両手に、素直に従う彼女。彼女が上から覆いかぶさってくると、黒髪が顔を撫でる。
 ―――君はまだまだ甘い。
 彼女の背中にまわした両手ににわかに力をこめてみる。
「貴志さ…!」
 慌てて体を起こす彼女だが、誰が逃すもんか。
 再び理性が飛びそうな気配はもうすぐそこまで迫っている
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫
恋愛
婚約者と姉が自分に隠れて逢瀬を繰り返していると気付いたイルーゼ。 婚約者を諫めるも聞く耳を持たず、父に訴えても聞き流されるばかり。 このままでは不実な婚約者と結婚させられ、最悪姉に操を捧げると言い出しかねない。 婚約者を見限った彼女は、二人の逢瀬を両親に突きつける。 貴族なら愛や恋よりも義務を優先すべきと考える主人公が、自分の場所を求めて奮闘する話です。 R15は保険、タグは追加する可能性があります。 ふんわり設定のご都合主義の話なので、広いお心でお読みください。 24.3.1 女性向けHOTランキングで1位になりました。ありがとうございます。

モブだった私、今日からヒロインです!

まぁ
恋愛
かもなく不可もない人生を歩んで二十八年。周りが次々と結婚していく中、彼氏いない歴が長い陽菜は焦って……はいなかった。 このまま人生静かに流れるならそれでもいいかな。 そう思っていた時、突然目の前に金髪碧眼のイケメン外国人アレンが…… アレンは陽菜を気に入り迫る。 だがイケメンなだけのアレンには金持ち、有名会社CEOなど、とんでもないセレブ様。まるで少女漫画のような付属品がいっぱいのアレン…… モブ人生街道まっしぐらな自分がどうして? ※モブ止まりの私がヒロインになる?の完全R指定付きの姉妹ものですが、単品で全然お召し上がりになれます。 ※印はR部分になります。

【R18】らぶえっち短編集

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)  R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。 ※R18に※ ※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。 ※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。 ※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。 ※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜

藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。 __婚約破棄、大歓迎だ。 そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った! 勝負は一瞬!王子は場外へ! シスコン兄と無自覚ブラコン妹。 そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。 周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!? 短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

【完結】もうやめましょう。あなたが愛しているのはその人です

堀 和三盆
恋愛
「それじゃあ、ちょっと番に会いに行ってくるから。ええと帰りは……7日後、かな…」  申し訳なさそうに眉を下げながら。  でも、どこかいそいそと浮足立った様子でそう言ってくる夫に対し、 「行ってらっしゃい、気を付けて。番さんによろしくね!」  別にどうってことがないような顔をして。そんな夫を元気に送り出すアナリーズ。  獣人であるアナリーズの夫――ジョイが魂の伴侶とも言える番に出会ってしまった以上、この先もアナリーズと夫婦関係を続けるためには、彼がある程度の時間を番の女性と共に過ごす必要があるのだ。 『別に性的な接触は必要ないし、獣人としての本能を抑えるために、番と二人で一定時間楽しく過ごすだけ』 『だから浮気とは違うし、この先も夫婦としてやっていくためにはどうしても必要なこと』  ――そんな説明を受けてからもうずいぶんと経つ。  だから夫のジョイは一カ月に一度、仕事ついでに番の女性と会うために出かけるのだ……妻であるアナリーズをこの家に残して。  夫であるジョイを愛しているから。  必ず自分の元へと帰ってきて欲しいから。  アナリーズはそれを受け入れて、今日も番の元へと向かう夫を送り出す。  顔には飛び切りの笑顔を張り付けて。  夫の背中を見送る度に、自分の内側がズタズタに引き裂かれていく痛みには気付かぬふりをして――――――。 

処理中です...