アマノジャク

藍川涼子

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第一部

14 初めての感覚 (貴志視点)

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 天気のいい日曜日。
 高速を使えば1時間ほどの距離にある、色々な動物と遊べるレジャーランドに来た。
 特に飛鳥さんは犬が好きらしい。さっきからあっちの犬と、こっちの犬と戯れている。たくさんいる子供たちに遠慮しながら。
 犬の鳴き声と、子供たちのにぎやかな声に押し潰されそうだ。犬も子供も嫌いじゃないが、これだけいるとちょっと参るな。
 でも、飛鳥さんの楽しそうなことときたら。こちらとしては我慢せざるを得ない。
 すぐそこで超音波かと思うような声が上がったので振り返ると、丸々とした赤ちゃんが父親に抱きかかえられていた。振り返った俺の視線が気になったのか、父親のほうもこちらを向く。と、口をポカンと開けた。
 あれ?そんなに非難めいた視線を送ったつもりはなかったんだけど。
「飛鳥……。」
 彼の視線は俺を通り越し、チワワを抱き上げている飛鳥さんに向いていた。
「一真…。」
 2人の間に発生したのは、ある事情を抱えた男女が再会したときに醸し出す、特有の雰囲気。
 …ふーん。そういうこと。
「飛鳥さん、犬。」
「あっ、あっ、ごめんなさい。」
 意識を完全に‘彼’にとられた飛鳥さんの手から、チワワがずり落ちそうになっている。気の毒なほど足をばたつかせるチワワを、どうにか受け止めた。
「知り合い?」
「あ…ええ、ええと…。」
「あっ、すいません。土屋といいます。彼女とは、大学が同じで。こっちは、妻の奈津子です。」
 紹介された女性は、小さく頭を下げる。おそらく俺と同じような心境で。
「佐藤飛鳥です。」
「どうも。塔宮といいます。」
「えーと…?」
 どう尋ねてよいやら土屋さんは考えあぐねている様子だ。‘旦那さん?’と聞いていいものかどうか、ということだろう。
「お付き合いしてる、人なの…。」
「あ…そう、そうか…。」
 きゃーあ、と、可愛らしい声が再び上がる。自分にかまってよ、というように父親の顔を見上げながら。
「お子さん…可愛いわね。」
「ああ、ありがとう。…元気そうで良かった。」
「…あなたも。」
 ギクシャクとした雰囲気のまま、2人はさらに二言三言言葉を交わし、別れを告げた。



 その後の飛鳥さんときたらひどい上の空というか…。犬を抱える様子が先ほどまでとはまるで違う。
「ちょっと、お茶でも飲もうか?」
「え?うん、そうね…。」
 施設の中の軽食コーナーに腰をおろし、紙コップの中のコーヒーに口をつける。テーブルにコップを置いたまま、落ち着かない様子で飛鳥さんは髪をかきあげる。
「お付き合い‘してた’…人?」
「うん…そうね…。」
 正直元カレの話なんて聞きたくもないが、このまま聞かずにいるほうが空気が重くてたまらない。
「同級生?」
「ううん…一つ上の先輩だったの。」
「ふうん…。」
 言ってしまって気が楽になったのか、ようやく飛鳥さんはコップに口をつけた。
 優しそうな印象の人だった。とても感じのいい。
 ―――だからこそ、なのか?
 きっとあの人なら飛鳥さんは真面目に付き合って、…愛し合っていたことだろう。温かな時間を共有しあって…。
 突然、夜の闇の中の飛鳥さんの感触、匂い、声がリアルに脳裏をちらつく。
 自分の中に存在する普段はとても小さな物質が、ある特殊な液体を吸収し、凄まじい勢いで膨張を続けている感覚。
 これは初めての感覚。自分がこんな感覚を持ち合わせている人間だとは知らなかったな。今までの女性にはここまで感じなかったのに。
 ―――嫉妬、っていうんだろ?こういうのは。
 物質の膨張率、膨張速度がはかりしれなくて怖くなる。体の中の細胞が全て侵されていくみたいだ。液体が気体に変化すると体積はうんと大きくなるんだったよな。何倍になるんだったっけ?液体の種類によって違うんだっけ?
 学生時代の化学の教科書を思い浮かべてみる。だけれども錆びついた記憶からは答えなど出てこない。
 でもせめて、こうしてくだらないことに意識を集中させようと努力すれば、物質の膨張速度は少しは低下するはず。…するはず。
 視線を軽食のレジに走らせる。フライドポテトに、ハンバーガー、ラーメンなんかも売ってるのか。ふーん。…ふーん。
「貴志さん?」
 彼女の柔らかな声によってこれまでの全ての努力が泡と消えそうになる。
「ん?」
「気分でも悪いの?」
 悪いよ。おかげさまでとっても。
「ちょっと…人ごみに酔ったかな。あと、犬にも。」
「そうね。ちっちゃい子供がたくさんいたしね。」
 先ほどの空気の重さなどすっかり取り払い、飛鳥さんは笑っている。
 ―――今すぐ彼女の頭の中を俺でいっぱいにして、彼に関する記憶なんて全て消してしまいたい。
 彼と突然再会した瞬間、飛鳥さんは何を思ったのだろう。彼と別れたときのこと?幸せだった時のこと?
 過去の‘彼女’や‘彼女’や‘彼女’から向けられた嫉妬の感情はとても窮屈だった。それは、‘彼女’のことも‘彼女’のことも‘彼女’のことも本気で愛してはいなかったからなんだろうか。
 あー、もう。
 参ったな。これ以上考えると抜け出せない泥沼にはまりそうだ。
 いや、ある意味では、もうはまっている。
「飛鳥さん。」
「なあに?」

―――どんな風に彼の前で笑ってたの?

―――どんな風に彼と愛しあってたの?

 追いつめるような言葉しかとっさに浮かばない俺はどうしようもないな。
「もう少し、犬と遊ぶ?」
「うん。」
 嬉しそうに笑う飛鳥さん。
 本当は早く2人きりになりたい。でも今すぐに2人きりになったら、彼女をどう扱ってしまうのか怖い気がする。
 俺は手のひらが汗で滲んでないことを確かめ、彼女の手をとった。
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