10 / 35
第一部
10 点火(貴志視点)
しおりを挟む
「…あれ?…あれ?」
ベッドの脇の小さなテーブルの上で、飛鳥さんは手をさまよわせている。
―――残念だけど、君の探し物はそんなところにはないよ。
「…あれー?」
弱気な声があまりに可愛くて、俺は寝たフリをしたままでいることができなくなった。
「どうしたの?」
腹ばいになっておたおたと手を動かしている彼女の体の下に、手を滑り込ませる。男物のパジャマの生地の感触。
「あ、課長、おはようございます。」
…がっくり。
愛しの彼女と向かえる日曜の朝というこの上なく幸せな状況を、彼女の口癖がぶちこわす。
「なあ…。頼むから、課長っていうのやめてくれないかな。」
「ああ、すみません。でもね、そんなことより…。」
そんなこと、ときた。俺にとってはかなり重要な事項なんですけどねえ、飛鳥さん。
「メガネがないんです。昨日確かにここに置いたのに。」
そう言ってこちらを見上げてくる彼女の顔は、なんともあどけない。化粧をして仕事モードで背筋をピシッと伸ばしている彼女からは程遠い。
あー可愛い…。
「そりゃ困ったねえ。」
俺の口調は、口先ばかりに聞こえただろう。彼女の曲線を描いた背中に、力が入る。
「課長、離してください。メガネ、探さなくちゃ。」
こちらの動きなどお構いなしといった風情で、彼女はベッドからおりる。パジャマの上着だけを身につけた彼女の体のラインが目に入り、俺は目を細めた。
よく見えないからなのか、彼女は四つんばいであちこちに動き回り、きょろきょろと辺りを見回す。しばらくそうしていたかと思うと、急にこちらに這って戻ってきた。
…猫みたいだな。
「課長が、犯人なんですか。」
「え?」
「私のメガネ、隠したでしょう!」
気づくのが遅いよ、飛鳥さん。寝起きで頭の回転が円滑ではないにせよ。
「今、この部屋に課長なんて人はいないよ。」
「何言ってるんですか。」
「確かに俺はA化粧品会社営業一課課長の肩書きは有しているけれど、今日は出勤日じゃない。」
「屁理屈言って…。」
大層不満げな表情のまま、飛鳥さんはぺたんとその場に座り込んだ。両方のふくらはぎでお尻を包むように座る、女性が得意なあの座り方だ。
彼女は本当に体が柔らかい。おかげで色々助かっている。
「どこにあるか教えてあげようか。」
「やっぱり課長が犯人なんじゃないですか。」
まだ課長って言うか。
「条件があるんだけどね。」
「なんですか。」
「キスしてくれる?」
点火。
彼女の顔が真っ赤になる。
「なんでそんなに赤くなるのかな。昨日散々リクエストしてきたのは君のほうだろう?」
「やめてくださいよ、もう!」
「俺はたっぷり応えたんだから、君だってこの要求を呑むべきじゃないの。」
俺の言葉に、両肩をがっくりと落として、恨みがましい視線を寄越す。もしも嫌なのなら、粘ってメガネを探し続けるなり、すればいいのだ。そんなこと、俺もわざわざ言わないけれど。
「ほら。…いい子だから。」
右手の親指で、すっぴんの彼女の頬を撫でる。透き通るような彼女の肌。少し乾いた唇が、大層控えめに触れてくる。
「…よくできました。」
「……どこですか、メガネ。」
「条件は一つきりだなんて言ってないよ。」
俺の言葉にとうとう彼女は立ち上がり、先程よりももっと顔を赤くする。
「もう、課長の意地悪!」
「貴志、だってば。」
「貴志の意地悪!」
怒りがもはや恥ずかしさを通り越したらしい。あっさりと名前を口にしてくれた。
「ごーめん。」
細い腰をつかまえて、抱き寄せる。パジャマがだぶだぶとしていて、彼女の感触がいつもより遠い。
「もう1個だけ。」
「…もう1個だけですよ。」
「んーとね。………。」
ぼそぼそと呟くと、彼女の両手の爪が俺の二の腕に食い込んだ。
「馬鹿なこと言わないでください!こんな明るい時間から…!」
「そう?じゃあ、暗ければ喜んで躊躇なくしてくれるっていうこと?」
「そういう意味じゃなくって…!」
彼女は俺の両肩を必死に揺さぶる。でもそれは長くは続かず、額を胸元に押し付けてきた。
「…なんだかどんどん意地悪になってるみたい…。」
そうだね。そうかもしれない。
「それは飛鳥さんのことをどんどん好きになってる証拠です。」
さすがに温度は伝わってこないけれど、おそらく彼女の顔は真っ赤になっていることだろう。
ベッドの脇の小さなテーブルの上で、飛鳥さんは手をさまよわせている。
―――残念だけど、君の探し物はそんなところにはないよ。
「…あれー?」
弱気な声があまりに可愛くて、俺は寝たフリをしたままでいることができなくなった。
「どうしたの?」
腹ばいになっておたおたと手を動かしている彼女の体の下に、手を滑り込ませる。男物のパジャマの生地の感触。
「あ、課長、おはようございます。」
…がっくり。
愛しの彼女と向かえる日曜の朝というこの上なく幸せな状況を、彼女の口癖がぶちこわす。
「なあ…。頼むから、課長っていうのやめてくれないかな。」
「ああ、すみません。でもね、そんなことより…。」
そんなこと、ときた。俺にとってはかなり重要な事項なんですけどねえ、飛鳥さん。
「メガネがないんです。昨日確かにここに置いたのに。」
そう言ってこちらを見上げてくる彼女の顔は、なんともあどけない。化粧をして仕事モードで背筋をピシッと伸ばしている彼女からは程遠い。
あー可愛い…。
「そりゃ困ったねえ。」
俺の口調は、口先ばかりに聞こえただろう。彼女の曲線を描いた背中に、力が入る。
「課長、離してください。メガネ、探さなくちゃ。」
こちらの動きなどお構いなしといった風情で、彼女はベッドからおりる。パジャマの上着だけを身につけた彼女の体のラインが目に入り、俺は目を細めた。
よく見えないからなのか、彼女は四つんばいであちこちに動き回り、きょろきょろと辺りを見回す。しばらくそうしていたかと思うと、急にこちらに這って戻ってきた。
…猫みたいだな。
「課長が、犯人なんですか。」
「え?」
「私のメガネ、隠したでしょう!」
気づくのが遅いよ、飛鳥さん。寝起きで頭の回転が円滑ではないにせよ。
「今、この部屋に課長なんて人はいないよ。」
「何言ってるんですか。」
「確かに俺はA化粧品会社営業一課課長の肩書きは有しているけれど、今日は出勤日じゃない。」
「屁理屈言って…。」
大層不満げな表情のまま、飛鳥さんはぺたんとその場に座り込んだ。両方のふくらはぎでお尻を包むように座る、女性が得意なあの座り方だ。
彼女は本当に体が柔らかい。おかげで色々助かっている。
「どこにあるか教えてあげようか。」
「やっぱり課長が犯人なんじゃないですか。」
まだ課長って言うか。
「条件があるんだけどね。」
「なんですか。」
「キスしてくれる?」
点火。
彼女の顔が真っ赤になる。
「なんでそんなに赤くなるのかな。昨日散々リクエストしてきたのは君のほうだろう?」
「やめてくださいよ、もう!」
「俺はたっぷり応えたんだから、君だってこの要求を呑むべきじゃないの。」
俺の言葉に、両肩をがっくりと落として、恨みがましい視線を寄越す。もしも嫌なのなら、粘ってメガネを探し続けるなり、すればいいのだ。そんなこと、俺もわざわざ言わないけれど。
「ほら。…いい子だから。」
右手の親指で、すっぴんの彼女の頬を撫でる。透き通るような彼女の肌。少し乾いた唇が、大層控えめに触れてくる。
「…よくできました。」
「……どこですか、メガネ。」
「条件は一つきりだなんて言ってないよ。」
俺の言葉にとうとう彼女は立ち上がり、先程よりももっと顔を赤くする。
「もう、課長の意地悪!」
「貴志、だってば。」
「貴志の意地悪!」
怒りがもはや恥ずかしさを通り越したらしい。あっさりと名前を口にしてくれた。
「ごーめん。」
細い腰をつかまえて、抱き寄せる。パジャマがだぶだぶとしていて、彼女の感触がいつもより遠い。
「もう1個だけ。」
「…もう1個だけですよ。」
「んーとね。………。」
ぼそぼそと呟くと、彼女の両手の爪が俺の二の腕に食い込んだ。
「馬鹿なこと言わないでください!こんな明るい時間から…!」
「そう?じゃあ、暗ければ喜んで躊躇なくしてくれるっていうこと?」
「そういう意味じゃなくって…!」
彼女は俺の両肩を必死に揺さぶる。でもそれは長くは続かず、額を胸元に押し付けてきた。
「…なんだかどんどん意地悪になってるみたい…。」
そうだね。そうかもしれない。
「それは飛鳥さんのことをどんどん好きになってる証拠です。」
さすがに温度は伝わってこないけれど、おそらく彼女の顔は真っ赤になっていることだろう。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」
私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!?
ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。
少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。
それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。
副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!?
跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……?
坂下花音 さかしたかのん
28歳
不動産会社『マグネイトエステート』一般社員
真面目が服を着て歩いているような子
見た目も真面目そのもの
恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された
×
盛重海星 もりしげかいせい
32歳
不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司
長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない
人当たりがよくていい人
だけど本当は強引!?
女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集
春
恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。
妻がエロくて死にそうです
菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。
美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。
こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。
それは……
限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
女の子にされちゃう!?「……男の子やめる?」彼女は優しく撫でた。
広田こお
恋愛
少子解消のため日本は一夫多妻制に。が、若い女性が足りない……。独身男は女性化だ!
待て?僕、結婚相手いないけど、女の子にさせられてしまうの?
「安心して、いい夫なら離婚しないで、あ・げ・る。女の子になるのはイヤでしょ?」
国の決めた結婚相手となんとか結婚して女性化はなんとか免れた。どうなる僕の結婚生活。
恋愛コンプライアンス
奏井れゆな
恋愛
ハラスメント対策上、グループ会社内の恋愛は禁止。
ただし、社内マッチングアプリにて成立した場合を除く。
そんな恋愛コンプライアンスは、恋愛に関心のない伊伏琴子にとって打って付けだ。
けれど、それをものともしない男がいた。
その男、里見道仁は創業者一族の出であるせいか社内規程を無視する嫌いがある。
なんとか切り抜けているなか、互いの親しい者同士がマッチングアプリで付き合い始め、琴子はやむなく巻きこまれてしまった。
そこにはある策略があって…
恋愛に関しては男を信用しない彼女(24歳)と、つれない彼女に狩り本能を掻き立てられた不届きな彼(29歳)の、危ういオフィスラブ。
*R18性表現、ちょっとした犯罪要素あり
*2022.1/17より一時的に非公開
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる