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第二章 吸血鬼と少年
7、思惑
しおりを挟む雪斗は一人、見知らぬ道を特に宛もなく進んでいた。頭のなかは疑問と不安が混じりいっぱいになっていた。
俺が作られた器だって?──
勿論彼には所謂前世の記憶などない。アベルの記憶も、それ以前の過去の記憶も。リリーと分割されてしまった事に由来するのか、それとも単純に忘れているだけなのか。自分は何者でもなく、神代雪斗であるとアイデンティティを保つ事だけに意識を向けた。既に一時間は街中をさ迷い歩いていた。
ふと顔を上げる。虚ろな目に映ったのは高級そうな黒い車とスーツを着た銀髪の男だった。後ろには一瞬イヴと見間違う容姿の赤目の女性が立っていた。
男はゆっくり雪斗に近づいてゆく。雪斗はその顔を見て固まってしまった。
「神代雪斗くんですね。はじめまして。今の器で会うのは初めてですね」
「ノエ・オリバ……」
軽く口に手を当てて不敵に笑うノエ。
「違いますよ。今はリノです。でもまあ君にならノエと呼ばれても仕方ないか」
「なんであんたまで、一体なんだっていうんだよ!!」
「残念ながら君は一つ勘違いをしていますよ、雪斗くん」
ノエはにっこりと笑う。
「あの吸血鬼に何を言われたのかは想像に易いですが、僕たちは一概に君の敵と言うわけでもありません」
「どういうこと」
「アダムズコードである君が、今日まで目立って吸血鬼に襲われることもなく、平穏に暮らせたのは単なる偶然でしょうか」
「何がいいたいんだよ」
ノエは雪斗に背中を向けた。少し振り替えにっこり笑った。
「そのうち思い出すでしょう。君が選ぶべき道とあの吸血鬼の役割が。今日は折角日本まで来たので、ご挨拶だけ」
そう言い残し、二人は車に乗り込んで去っていった。エンジン音が遠退いていく。
緊張が切れたのか雪斗の膝が崩れる。とたん眠気が襲う。ふと誰かの手で目を覆われた感覚がした。目元は温かく、視界は暗くなった。そっと目を閉じた。耳元で囁くような声がする。
「今はまだ早い、忘れろ」
そんな聞きなれない声がしたかと思えば、次の瞬間には彼の体は直接地面の上だった。アスファルトがひんやりと冷たい熱を肌に伝える。記憶がここで止まる。
「おい、雪斗!!起きろ!!」
イヴが肩を揺らして雪斗を起こした。月に照らされた金色の髪が視界に落ちる。
「ん?俺何してたんだっけ」
「いくら構うなといっても、もう三時間帰って来ないし。探してみれば道端に倒れてるわで……大丈夫か?」
ぼうっとしながら靄がかかる感覚を一生懸命振りきりながら、雪斗は眠る前の出来事を思い出そうとする。しかし、途切れた記憶はそのまま真っ黒だった。
「リリーやイヴ達と別れて、ずっと宛もなく歩いて……それから……気がついたら起こされていた」
呆れ顔でイヴが言う。
「心配したんだぞ!確かにリリーの言うことが正しければお前とアベルは同じ存在ってことになる。血の契約も有効なわけだ」
「そうだな……」
「でも、一つ言っておく」
「なに?」
「ボクはアベルの為にお前の側にいる訳じゃない。雪斗だから力を貸すんだ」
頬をすこし赤らめながらそう言うと、イヴは下を向いてしまった。さっと手が伸び、少し大きな手がイヴの頭をポンポンと叩く。
「ありがとうな」
雪斗が微笑む。イヴはうつ向いたまま小さな声でいった。
「お前はお前だってこと、悩む必要なんてないんだぞ」
「そうだな。俺はアベルさんでもない。誰でもない俺自身だよな」
二人は立ち上がり、ゆっくりと帰路についた。
そんな二人を見送る影がいた。車のウィンドウ越しに様子を伺う。
「アベルさん、余計なことをしてくれますね」
ノエは笑いながらスマートフォンを弄っていた。メールの宛先はリリーだった。
「でも、今日の目的は完了では?」
「そうですね。ひとまずリリーさんを接触させる事は出来ましたから」
「彼女が信用できるとお思いで?」
「信用出来るかどうかじゃないですよ、リリトさん」
「どういうことです?」
「別にこの際信用はどうでもいいのです。今重要なのは二つに分かれてしまったアダムズコード同士が近い場所にいること。いざとなれば彼らをどうこうする事は難しいことではないのですから。彼女の吸血鬼の血はリリトさんのものですしね」
「まるで悪の組織のトップのようなセリフですね 」
リリトは呆れた笑いを浮かべながら、ハンドルを握り、エンジンをかける。ゆっくりタイヤが回り始める。
「僕はいつでも悪役ですよ」
「そうでしたね。貴方はいつも影ですから」
ふふっとリリトの口がゆるむ。ノエは疲れたのか、少しだけネクタイをほどいた。窓を開けて夜の冷たい風を車内に入れる。
「影も影なりに努力はしているのですけどね。ハッタリも大変なんですよ?」
「そういう人は報われる事は無いかもしれませんね」
リリトは首都高へ車を進めた。
「そうだノエ、一つ行きたいところがあります」
「どこでしょう?」
「遠回りですが、レインボーブリッジなるものを見てみたいのです」
「お好きにどうぞ。今日は仕事を入れていないので」
そのままリリトはアクセルを深めに踏む。黒い車はきらびやかな夜景の中へ消えていった。
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