偽りの街

しまおか

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エピローグ

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 徹の告白を受け、警察は急いで忠雄の健康状態を改めて検査した。すると長期間ヒ素を摂取したことで、多臓器不全に陥っていたと判明したのだ。
 彼に飲ませていたヒ素は、会社で取り扱っていた農薬から少しずつ盗み取っていたものだ。この計画を忠雄に恨みを持つ女達に仄めかしたところ、最も協力的な反応を見せたのが良子だった。その為彼女を家に住ませ、愛人として囲むようになったのである。
 検査結果を受けて、徹と良子は殺人未遂により再逮捕された。だが起訴され本格的な裁判が始まる前に、忠雄は治療の甲斐なく病死してしまったのである。もちろん原因は、ヒ素中毒によるものと診断された。
 よって良子と共に、徹は改めて殺人罪に問われたのである。この事は、和美の裁判に大きな影響を与えた。
 というのも彼女が後藤達幹部三人の殺害を全て認め、供述し始めたのだ。どうやら徹達が忠雄を殺そうと画策し、結果忠雄が亡くなったと耳にしたからだという。
 最も憎み復讐したかった相手がいなくなり、思い残すことは無いと考えたのかもしれない。己の犯した罪を素直に反省すると共に、死刑を受け入れる覚悟ができたようだ。
 三人を殺した時に使用した物的証拠となるロープも、彼女の家から少し離れた公園で発見された。彼女はそれをビニール袋に入れ、地中に埋めていたのだ。忠雄さえ殺すことが出来れば、最初から自首しようと思っていたのかもしれない。
 良子には悪い事をしたと思っている。忠雄は春香が中学に入った頃、肝臓を傷めて通院し始めた。その機会を利用して、ほんの少量ずつのヒ素を食べ物や、彼の好きな酒の中に混入しようと思いついたのだ。その協力者として彼女を選んだのである。
 長い時間をかけて、ヒ素は彼の体を蝕んだ。その間何度も病院へは通院していたし、入院したこともあるがそれでもバレなかった。その為あのまま黙っていれば、単なる病死として処理されていたかもしれない。
 そうなれば二人共単なる窃盗罪により、数年程の実刑を受けるだけで済んだだろう。しかし徹はそれができなかった。何故なら春香の部屋で和美と睨み合った時、彼女が放った言葉が忘れられなかったからだ。
 彼女は言った。天に唾を吐けば、己の身に帰ってくる。ただそれだけのことだと。
 そうなのだ。祖父を始めとする街の住民達は、代々己の罪を自覚した上で外れた道だと理解し生きて来た。安易に逮捕されないよう注意していたが、罰せられる覚悟はしていたはずだ。それが堅気の世界に対する自分達の矜持だと、幼い頃から教えられたではないか。
 特にここ最近では、嘘をつき罪を犯しても堂々と開き直る者が多発している。そんな人間達と同じであってはならない。悪い事は悪い。そう自覚することを子供達に教えた上で、罪を犯してきたのが山塚の人間達なのだ。
 そうした教えを守り通せず、薄汚れた外の社会と同じレベルになってしまった自分達に、徹は気付いた。そう感じたからこそ街の解体を決意し、全ての罪を明らかにしたのだ。
 徹の決意と主張は、多少なりとも世間にインパクトを与えたらしい。街は壊滅状態となったものの、マスコミ等は住民達のその後について、厳しい目を向ける風潮が和らいだ。
 また自治体等が積極的に動き出し、経済状況が悪化している者に対しては、積極的に生活保護を勧め始めた。例えば街で雇っていた障害者達の雇用を守る為、国や自治体が受け入れを表明したのである。
 当然と言えばその通りだ。彼らは民間に二%以上の雇用を義務付け、違反した場合は罰金も課していたにも関わらず、自ら立てた目標を改ざんしていた。
 その後も雇用を増やそうとしていたが、思うように数値達成が出来ていなかった。その点をマスコミが指摘し、山塚の街で保護してきた彼らを積極的に採用するよう促してくれたのである。
 また虐待には至らなくても、不十分な環境や発育の遅れがある児童に対しての対策も取られた。児童相談所が窓口となり。それぞれの状況にあった施設を紹介する等の対応をし始めたらしい。
 さらにはいくつかのNPO法人なども、積極的に支援を申し出てくれたという。おかげで最も心配していた街の崩壊における児童や社会的弱者が被る被害は、最小限に食い止められたようだ。
 こうして七十年以上続いてきた山塚の街は、完全に消滅した。徹と良子は窃盗罪に加えた殺人罪で、懲役十五年の実刑判決を受けた。これでも性的虐待を受けていた事情を考慮し、情状酌量された結果だ。
 また春香は窃盗罪等により、初犯にしては比較的重い三年の実刑となった。自ら自白したとはいえ、被害金額の総額の大きさや長い期間生活の糧として行ってきたという業務性や、反復性が認められたからだろう。
 それでも死刑判決が出るだろう和美は別にして、徹達は再び社会へと出なければならない。そこに自分達を保護してくれるあの街は、もう存在しないのだ。
 よって自らの力で自立し、生活することを余儀なくされる。その頃の社会はどうなっているだろう。やはりこれまでと同様に、裁判が終わった直後のような熱は薄まり、冷たい視線に晒される心づもりが必要かもしれない。
 しかし後悔は全くなかった。街の消滅によって、生活基盤を失ったことは間違いない。他にも多くのものを手放さざるを得なかった。とはいえ手に入れたものも多くある。
 例えば自由だ。少なくとも街の掟などからは解放される。これまで築き上げた人脈が分断された為、新たな人生を一から歩み直せるのだ。
 もちろん逮捕されずに生き残った仲間達や、同じく出所する者もいるだろう。彼らから恨みを買っている徹達は、下手をすれば命を狙われるかもしれない。または生きる糧を得る為、再び集結しようと動きだす可能性だってある。
 社会は犯罪者にとって住み辛く、更生して安定した堅気の仕事に就くことは困難を伴う。だからこそ一度罪を犯した者は、再犯を繰り返す。傷を舐め合うようにして集まる仲間達がいるからだ。
 街が長く存続しえた理由もそこにあった。犯罪者達にとっては居心地がいいからだろう。よって新たな街が作られることを止めるのは、難しいかもしれない。
 けれども徹は、二度とそうした道に戻らないと心に決めていた。そうしなければ街を解体した意味がないだけでなく、いつまでも祖父達や父の影に怯え続け抜け出せないからだ。
 またできれば、春香と一緒にやり直せればと考えていた。彼女がどう思っているかは分からない。突き放されても仕方が無かった。
 それでも徹は信じていた。生き続けてさえいればいずれ傷は小さくなり、苦しみも和らぐ。幸せだと感じる瞬間も訪れるだろう。そうでなければ父達のような卑劣な加害者に、負けを認めたことになるからだ。
 それだけは絶対に避けなければならない。生き抜いて前向きな人生を歩むのが、彼らを見返す唯一の道である。また傷ついた心を救う近道なのだ。
 出来れば出所した後でも、街の創立当初にあった信念だけは引き継ぎたいと思っていた。その為今度は犯罪に頼らず、これまで避けてきた国や自治体の力を借りてでも、虐待を受けている人達を救いたいと考えていた。
 樋口家が運営してきた会社の資産は、優先的にこれまで盗難被害に合った人々への賠償金へと当てるよう、弁護士に依頼していた。それでも正当な運営で得た資産も相当あるので、少しは残るかもしれない。
 不動産や店舗の他にも農地がある。そうした土地の一つでも残れば、野菜などを作って暮すのもいいだろう。大量生産する必要は無い。自分達が食べられる分だけで十分だ。
 作り過ぎれば食品ロスを減らす為、フードドライブ等を利用すればいい。そうすればNPO法人を通じて、子ども食堂や貧困家庭などに配られるだろう。かつての志に近いし、償いにもなるはずだ。
 そうした行為を、外の社会が許してくれるかは不明だ。それでも出来る限りの事はしたい。それが街を潰し、多くの仲間を裏切った自分の責任だと思う。
 そんなことを考えている時、収監されていた徹の元に春香からの手紙が届いた。検閲を通っている為、下手な事は書いていないと思われたが、どんな内容だろうと恐る恐る開いて読んでみた。
 そこにはこう書かれていた。

“樋口徹様
 ここでは敢えて、お父さんと呼ばせてください。お父さん、あなたがソヴェだったのですね。母の裁判で証言したと弁護士を通じて知らされた時は、とても驚きました。
 と同時にお父さんがあの人から私を守ろうと日々努力し、罪を犯していたとも教えられました。
  もちろん人の命を奪う行為は、決して許されません。それが例えあの人のように、残虐な行為をしていたとしても同じです。だからお父さんは街の教えの通り、罪を償おうとしたのですね。
 街の解体を決意し、私を助けようとしてくれたことは素直に感謝します。あのような街は、やはり無くした方が良かった。守られた者もいたでしょうが、傷ついた者も大勢いたから止むを得なかった。私もそう考えます。
 それにお父さんも私と同じ、いやそれ以上長く苦悩し、耐え忍んできたのですね。だからソヴェの言葉は、私の心の奥底にある傷に届き、勇気を与えてくれたのだと思います。
 正直、私はお父さんを恨んでいました。だから一彦を失った時、その命を奪った良子さんと手伝った中川さんに復讐しようと考え、その計画に母やお父さんを巻き込もうとしました。しかしそれは大きな過ちでした。
 お父さんや良子さん、母が持っていた心の奥底にある本当の気持ちに気付けなかったのです。憎いけれど、憎み切れない。愛しているけれど、愛しきれない。
 これは私がお父さん達に持っていた、複雑な感情と同じだったのではないか。今ではそう思えるようになりました。
 それに母が私の部屋で、お父さんに言った言葉が今でも頭から離れません。先に母を殺そうとしたから、母は私を殺そうとした。そう言いましたよね。
 また殺された三人だって、私の誘いに乗らなければあんな目に遭わなかった。自業自得。最初からおかしな事をしなければ、死ぬ事も無かった。天に唾を吐けば、己の身に帰ってくる。ただそれだけ。
 お父さんもあの時は、何も言い返せませんでしたね。あれが一つの真実だったからではないですか。犯罪や復讐、嫉妬や憎しみ、殺人や自殺は、悲劇しか生み出さない。
 今回の事件を通じ、私は改めて生き直そうと決心しました。外に出ても、あの人はもういません。それでも私が負った傷は、簡単に癒されないでしょう。
 それでもソヴェの名を使って教えてくれた数々の言葉を思い出し、一歩でも前に進もうと思います。それに私の命は、実際お父さんの手で助けられたことも忘れません。
 一度は死のうと覚悟した人生です。折角生き延びたのですから、少しでもこの腐りかけた社会の役に立ちたい。もちろん再び死んでしまいたい、と思う時もあるでしょう。
 でもお父さんがかつて言ったように、私があの人から受けた仕打ちに関しては、完全に被害者です。卑劣な加害者に負けない為にも、生き続けて打ち勝たなければなりませんからね。
 私はお父さん達より、早く外に出られるでしょう。だから出所した後は、私と同じような虐待を受けてきた人達を救うような仕事、役に立てるような事をしたいと思っています。
 その為には今度こそ真面目に一生懸命働いてお金を貯め、そうした活動をしながら少しでも罪を償い、自らの傷も癒していきたい。そう考えています。
 といっても実際の社会では、そう簡単にいかないかもしれません。でも頑張りたいと思います。だから応援していてくださいね。
 ではまた何かあれば、手紙を書きます。それまで健康には気を付けてください。
                                     春香より“

 独居房の窓から差し込む光を浴びながら、何度もこの手紙を読み直した徹は、新たな希望を持つことができた。
 そして時折訪れるPTSDが引き起こす恐怖や痛みに打ち勝つために戦い続け、外に出たならば彼女の一助になろうと強く心に誓ったのだった。(了)
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