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第五章~①
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めまぐるしかった上半期が終わり、遅れて取得した十月の長期休暇も英美は無事過ごすことが出来た。
翌月に入ると十二月一日付の大口契約が成立し、幹事会社からは十一月末に計上も無事終わったとの報告があった。そうなると非幹事のツムギ損保では翌々月に補正数字が入るらしく、一月の成績になることが確実となった。
もちろん古瀬を通して、一課にも成績が算入される。おかげで好調だった上半期に続き、大きな上乗せが確定した下半期の成績も順調に伸びていた。ちなみに代理店の手数料は、さらにその翌月となる。よって二月の古瀬の収入は、一気に膨れ上がるはずだ。
これまでの年収は六百万円台だったのが、八百万円は超えることになるだろう。しかし独身であれば十分だろうが、彼は妻帯者だ。しかも妻の悠里は給与の良い元ツムギ損保で、事務職を十二年余り勤めている。よって八百万円超でも、彼女の退職時の年収をようやく上回ったかどうかというレベルだ。
彼女は結婚するまで、英美と同じ実家暮らしだったと聞いている。よって恐らく貯金は、中古のマンションくらい買える程度あるだろう。そんな彼女が結婚を機に会社を辞めて代理店の事務員となると聞き、周りの女性社員達は止めたという。
同じ共働きなら会社に残った方が稼ぎは良いし、独立したばかりのプロ代理店など収入は不安定だ。下手をすると、代理店を続けることも困難になる可能性だってあった。それでも彼女はそうした意見を聞き入れず、退職して法人代理店の副社長兼事務員となった。
在職中の彼女とはそれほど接点が無かった英美も、担当代理店として書類上の件など電話で話す機会が増えた。古瀬との関係から思うと増収して生活が安定し、さらなる頑張りを期待して応援したくなるのは当然だ。
その為今回の件は、個人的にも担当者としても大変喜ばしいことだった。彼もそう感じていたらしい。そこで忘年会も兼ね、前祝をしようと浦里と英美の他に三箇も誘いを受けていた。日程は第二週の週末にしようと決まった。
しかしそんな十二月の第一週に、総務課でちょっとした騒ぎが起こった。噂レベルだが信憑性は高いらしい。それは総務課長の木戸自らが、別の部下に話していたからだという。
内容自体は小さなことだった。社有車の中が整理されていないと注意された社員がいる、というだけのものだ。
基本的に総務課の社員が、車を使って外に出る機会は少ない。それでも社宅に関する問題などで、提携している不動産会社との打ち合わせに使うことが稀にあるという。その為課長を含め総合職が四人いる総務課用の社有車は一台あり、それを皆で共同使用していた。
営業だと総合職一人に一台割り当てられているが、使用頻度が少ない課だとそうはいかない。SC課でさえ外出する機会のある総合職や賠償主事、技術アジャスター達の社員数より少ない台数を共有使用していた。そう考えると総務課の割り当てが一台というのは、
妥当なところだ。
ごく稀に複数台必要な時は支店長席や業務課等同じように、使用頻度が低い他の課から社有車を借りているらしい。逆に貸し出す場合もある。しかしそんなことは、年に一回あるかどうかだという。
要するに同じ課の社員以外にも使うことが前提の為、社有車の車内は常に整理整頓しておくのが常識となっていた。
だがそうしたルールが守られていなかったので、課長が個別に呼び出したらしい。次に使用した社員が乗車した時、空のペットボトルやコンビニで買ったと思われる弁当の空き箱、そしてビニール袋が散乱していたという。
しかし噂が英美達の耳にまで聞こえてきたのには、理由があった。注意を受けた社員があの久我埼だったからだ。
もちろん入社十九年目の四十歳過ぎた総合職が、新入社員の受けるような叱責を受けた、というだけではない。彼と反りの合わなかった上司が、これまで三人も突然の事故や病気で変わっており、さらにそこへ三箇が絡んでいることが大きな要因だった。
「木戸課長も危ないんじゃない?」
など不謹慎な言葉が付いて噂が広がったから余計だ。もちろん当の課長も、これまで久我埼の扱いは特に注意を払っていたらしい。
死に神という噂はともかく、彼は直近で三年半もの長い間休職している。その前にも一年半の休職を経て復職していた。その上会社としても、ここ数年でパワハラやモラハラといった問題が起こっている為、管理職として気を遣うのは当然だろう。
それでも彼が名古屋に来て五カ月が過ぎようとしているこの時期まで、課長は様々な事を我慢してきたらしい。それは二課で起きた件で平畑を受け入れ、配置換えしたことも影響しているようだ。
こう言っては何だが、本社ではない各地域本部の総務課に配属される総合職は、会社の最前線でもある営業職やSC課に配属される社員と比べ、能力的にやや劣る人材を配置しているのが現状だ。
入社十九年目だが役職は主任の、二度休職した経験を持つ久我埼や、隔月で事故を起こす平畑のような総合職が配属されていることからも想像できる。
しかしそんな問題を抱えている社員ばかりかと言えば、そうでもない。実際平畑の代わりに玉突きで一宮支社へと異動した中堅の総合職は、問題なく働いていると耳にした。それどころか今のところ、大きな戦力になっていると聞いていた。
だからだろう。そうした戦力が奪われ、課長の下には頼りになる次席しかいなくなった。平畑も車を運転しなければ能力的には支障が無いものの、やはりまだ二年目で新しい部署に来たばかりだ。使えるかと言われれば、そうでないと言わざるを得ないらしい。
そこで総務課における仕事のウェイトが、どうしても久我埼へ重くのしかかることはやむを得ない。彼も能力的にそれ程劣ってはいなかった。問題なのは精神面と体調面だった。その為木戸課長は彼の体を気遣いながら、仕事を回していたという。
そうして総務課ではこの五カ月間、何とかやり過ごしてきた。そんな時に社有車が汚れていると指摘されたのだ。しかも今回が初めてではないらしい。
これまでも何度か久我埼が使用した後に乗った総合職は、気付いていたという。ただ相手が彼だと言うこともあり、黙って代わりに片づけていたそうだ。
しかし同じことが繰り返されるため、さすがに業を煮やした社員が課長へと報告し、今回の呼び出しに繋がったらしい。
個別にどういうやり取りをしたか、口調はどうだったかなどは不明だ。しかし問題は課長が注意した後、久我埼が体調不良を訴えて三日連続休んだことから話が大きくなった。
しかも四日後に出社した際、心配して声をかけた課長に対して彼は冷ややかな態度を取ったという。そこで課長は次席に相談したそうだ。こうこうこういう話し方で今後気を付けるように言っただけだが、問題があっただろうかと話したらしい。
その内容を聞く限り問題は無いと次席は答えたようで、また周りで聞いていた事務職も
「課長が気にすることはないですよ。悪いのは久我埼さんじゃないですか。それくらいで会社を休まれたんじゃ、どうしようもないですよね」
と、皆口を揃えて言ったそうだ。
といっても実際にどう言ったか、またはどう捉えたかは久我埼自身に聞かないと分からない。そこで次席が間に入り、課長から注意された事とその後体調を崩した事と関係があるのか尋ねたという。
すると彼の答えが、さらに周りを惑わしたのだ。
「それは私にも判りません。体調が悪くなった原因が何かなんて、医者も判断が付かないでしょう。ただ何かあればそれはストレスかもしれませんね、としか言われませんから」
社会人として、また会社員のマナーとして守られていないことを指摘しても、ストレスになり体調を崩したと言われれば、指導する立場としては困惑するしかない。
そこで木戸課長も頭を抱えたようだ。そこに来てまた噂好きの事務職達が騒ぎ出した。中でもかつて一宮支社で一緒だった七恵が、相変わらずの大声で騒いでいた。
「あの人、昔も社有車が汚れているって、注意されたことがあったわよ。確か本社から検査が入った時だったと思う。それで当時の支社長に相当怒られていたから。あれは直らないでしょうね。ほらいるじゃない、片付けられない人って。それと一緒でしょ」
営業職の場合は社有車が一人一台に与えられる為、基本的に自分以外は乗らないことが多い。だからつい自分専用の車として扱う社員は少なくない。
それでも代理店や他の社員を乗せたり、お客様が同乗したりするケースもあり得る。だからある程度は綺麗に片づけておくのが普通だ。
しかも社内で行われる監査には、社有車が適正に管理されているかという項目があった。車検が切れていないかどうか確認する意味もあるが、車内に不適切なものがないかも検査されるのだ。
例えば申込書や社外秘の書類などが、それに当たる。個人情報を記載しているものがあれば、車上荒らしにあった際盗まれてしまうと大問題になってしまう。さらには社内にあってはまずい、他人印などが隠されていないか等もチエックされた。
他人印とは文字通り、自分の名ではない印鑑のことだ。保険の申込書は昔ながらの慣例で捺印欄があり、基本的には印鑑が押されていないと、不適切な契約としてはねられてしまう。しかし契約者の中には、契約内容などを全て代理店任せにしている人も少なくない。
そうした親密な信頼関係があるからこそ、印鑑を押す手間を省きたがる人がいる。そこで立場の弱い代理店は他人印を使うのだ。例えば“伊藤”という契約者がおり、
「そっちで手続きしておいて」
と頼まれた場合、印鑑がもらえない為に代理店は“伊藤”という三文判を用意して代わりに押しておくのだ。
こうしたケースは、近年まで良く起こっていた。だから代理店は印鑑屋かと思うほど、あらゆる名が揃ったものを箱ごと抱えていることなど普通だった。
それどころか保険会社の営業店やSC課などでさえ、十数年前まではそうしたものが隠し持たれている時代があったと聞いている。しかし今は更改契約などだと、電話で確認が取れた場合は捺印が無くても、その旨が記載されていれば良いケースが増えた。
さらに他人印が押されていないか、申込書を確認するなどチエックが厳しくなったこともあり、今はそうした問題は少なくなっている。だが社有車内の監査は、昔と同じく必ず行われていた。他にもそこに置かれていてはいけない物が、多く存在するからだ。
しかし久我埼の場合は、ただ社内にごみが散乱していただけらしい。それでもやってはいけない事に違いない。しかも彼は総務課へ来る前はSC課にいた。
そこでも営業課と違って総務課と同様社有車は共有するもので、他の社員も乗ることが多いとの認識はあったはずだ。それなのに未だ私有車のような感覚で使用していることは、明らかに問題だった。
しかもこれまで何度か注意された経験があるというから、質が悪い。それまで見逃してきた木戸課長も、指導せざるを得なかったのだろう。
不穏な空気が再び八階フロアに漂い始める。そして嫌な予感がしたまま、英美達は約束していた古瀬との飲み会へと繰り出した。するとそれが的中した。途中までは古瀬の大口契約の成立を祝って盛り上がっていたのだ。
しかし話題がひと段落した後、三箇が切り出した。
「ところで最近の久我埼に関する噂だが、どう思う?」
一瞬にしてその場に緊張が走った。しばらく沈黙した後、浦里が口を開いた。
「どう思うと聞かれても、な。一人目の上司の時は違っただろうが二人目、三人目の時はこうして彼は追い詰められていったのか、と感じたよ」
英美が同意する。
「そうね。本人にも、上司と上手くいかなかった原因があったと思う。でもそれ以上に普段接する時の空気や周囲の見る目が無言の圧力になっていたんだろうと、今回の件でよく判った」
「七月末に話した件だが、二人は覚えているか」
忘れる訳がない。あの時三箇が警察を辞めてこの会社に転職してきた理由は、久我埼にあったとの告白を聞いた。そこで英美と浦里は言ったのだ。過去の事件を調べ直すことに協力する、と。
ただし三箇には、表向き大人しくしていた方が良い、決して単独では動かないようにと忠告した。そう言ってからすでに四カ月以上が過ぎている。その間、色々なことが起こったこともあり、英美は具体的な行動が取れていない。
だからそろそろこの話題が出て、彼は動きだすだろうと危惧していた。それに七月末の際にはいなかった古瀬も、ここ数カ月で三箇との関わりが深くなったこともあり、事情を聞いている。そして彼も英美達と同様に、調査する時は力になると言ってくれていた。
その為おそらく三箇はこのタイミングで、話を切り出すかもしれないと恐れていたのだ。
「もちろん覚えているさ。ただ最近は他の問題が立て続けに起こっていたから、そちらにまで手が回らなかった。しかしこうなると、あの件を避けて通る訳にはいかないようだな」
浦里の意見に、英美も頷かざるを得なかった。
「フロアの雰囲気が、また悪くなったのは確かよ。こんな状態が続いたら、周囲の人の仕事に差し障りがでてくるでしょう。何か悪い事が起こるんじゃないかと怯えながら働くなんて嫌だから、どうにかしなければいけないとは思っていたんだけどね」
「俺は代理店だし、外回りや自分の事務所にいることが多いから廻間さん達程ではないけど、今月に入って急に社内の空気が変わったことは判るよ」
古瀬も同意した所で、三箇が言った。
「三人には申し訳ないが、そろそろ俺は本格的に再調査したいと思っている。以前単独行動は取らないと約束したから、今日ここで皆に相談したい。だけど三人には、本来やらなければならない仕事がある。協力すると言ってくれて嬉しかったが、無理はして欲しくない。だから俺がこれから動くことだけでも、了承してくれないかな。見守ってくれさえすればいいんだ」
「三箇さんはどうするつもりだ。確かに俺達は、これまでたいした動きをしていない。それでも久我埼さんの件は忘れてないし、少しだけだが俺なりに調べてはみたよ。ただし一宮の件じゃなく、十五年前の自動車事故のことだけどな」
「そういえば、浦里さんの前任地は京都だったね。久我埼の上司が事故を起こして亡くなったのも、京都だからか」
「久我埼さんが会社に入って最初に配属されたのが京都東支社で、今は京都総合第二支社と名称が変わっている。俺が四年前にいたのは京都総合第一支社だから、部署は違う。だけど十五年前に当時の東支社にいた事務職が、今第一支社で働いていると教えて貰った。俺とは入れ違いだったから直接面識はなかったけど、電話で少しだけ話は聞けた」
「どういう話だ?」
「三箇さんは既に知っていることかもしれないけどね。亡くなったのは久我埼さんにとっては二人目の上司で、一人目とは違って亡くなった門脇という支社長はかなり厳しかったようだ。そういえば、当時も社有車の中が汚れていると、よく注意を受けていたらしい」
浦里は当時の時代背景を含めて、説明しだした。
久我埼がツムギ損害保険の前身である高林火災海上保険に入社したのは、十九年前でまだ就職氷河期が続いていた頃だ。バブルが去ってしばらく経っていたものの、積立保険の契約が満期を迎える度にその名残を感じていた時らしい。
当時を知る社員によれば、五年以上前に預けた五十万円が、怪我をして亡くなった場合や入院や通院した場合の補償が付いているにもかかわらず、六十万円以上になって戻ってくる契約がいくつもあったという。
しかし高金利時代が終わったことで、それらの契約を更改する際は大変だったようだ。なぜなら更新後の契約内容は保険期間が同じ五年でも、傷害保険や死亡保険金などの補償金額をかなり引き下げた上で、辛うじて元本割れはしない程度しかなかったらしい。長期金利は下がる一方で、運用益が出せない時代へと入っていた為だ。
それでも銀行に預けるよりは、補償も付いているからまだマシだと更改してくれる人はそれなりにいたらしい。だが必ず言われたことがあったという。
「以前は契約をしたら、たくさんノベルティなんかくれたけど、今は全く貰えないのね」
バブル時代はしっかりしたお皿やマグカップなどといった、良いノベルティが営業店の倉庫に山と積んであったらしい。それがせいぜいタオル一枚出す程度しかなかったようだ。
ちなみに今は、それさえ渡せない状況だった。業績は上がらず厳しい環境が続く中、保険の自由化で保険料計算も複雑になりつつあった時期だったことも影響したのだろう。
さらには生保など新しい契約を取らなければならない状況も加わり、業務が増えた時期でもあったらしい。生損保の垣根が解消され、損保会社は子会社を作り生命保険を扱い始めた頃だ。
生命保険会社も同様だったが、しばらく経つと一部では損保を扱う子会社を持つよりも損保会社と提携した方が得策だと考えたところが出て来た。
そこで当時生保業界三位だった安岡生命が、高林火災海上保険と組んだ。つまり安岡生命の生保レディー達が、高林の損保商品を販売し始めたのだ。その代わりに、高林に所属し生命保険を販売する意欲がある一部の代理店は、安岡生命の保険も売るようになった。
だが高林はそれ以前から外資系生保を買収し子会社化して、国内生保会社の販売する商品の弱点を突く独自の生命保険を販売していた。
その商品販売の手法がようやく定着し始めた所に、これまで敵視して来た国内生保の商品を扱えと、会社が言い出したのだ。これには当然代理店だけでなく、社員も混乱したという。一部では猛反発もされたらしい。
当時の社員、特に新人は相当苦労したそうだ。本業での損保商品知識や販売手法を確実に取得するだけでなく、生命保険の商品知識と販売手法の勉強もしなければならなくなったからだろう。
それだけでも大変なのに、別の保険会社の契約内容も頭に叩き込んだ上で、代理店達に販売して貰えるよう説明する必要があった。その為には社員が代理店に対しこれまで以上の教育、指導をしなければならない。
その上これまでどんどん作れ、増やせと言われてきた取引代理店数自体を整理する時代へと突入し始めた。要するに業績が上がらない、社員に負担ばかりかけ手間がかかる代理店との取引解消を促し始めたのだ。
これは仕事の質の変化だけが原因ではなかった。丁度その頃、九〇年代から始まった銀行業界の再編と同様に、損保業界でも多くの会社が合併し始めたことが影響していた。重複する店舗、拠点の統廃合を進めながら、取引先の見直しも行うようになったからだ。
高林火災海上自身も二〇〇三年に、中堅のワールド火災海上と合併してツムギ損害保険と名称を変えている。吸収合併された形のワールド火災海上も二〇〇〇年に第二火災海上を吸収合併しており、短期間で三社が統廃合したため効率化を進めることは急務だった。
ちなみにツムギ損保はその後も二社の中堅損保と合併しており、合理化の推進はいまだに続いている。
しかし代理店との取引が無くなれば、その分扱う契約が減少してしまう。それを補うために新たな取引先を作れ、または既存の代理店の販売を強化せよと、会社は無茶な指示を出していたらしい。
ただでさえ長年付き合ってきた取引先との関係を解消する交渉自体、かなりの困難を伴うにもかかわらず、だ。当然首を切られる相手にだってプライドがある。
かつてはよく頑張ってくれましたと、会社から表彰されたところもあったはずだ。しかしそうした代理店は、高齢化が進んでいた。そこで複雑化する保険設計の流れについていけず、また徐々に販売意欲が減退していった為、契約も年々減少していった。
そこで会社は生保の販売業務が増えた分、そちらに力を注ぐ為に小さな代理店の首を切り始めた。だが現実問題として、現場ではかなりてこずっていたのだ。
代理店にとっては入社して間もない孫のような社員から、取引停止などと言い渡されれば、怒るのも無理はない。上を呼んで来い、と担当者はよく怒鳴られていたらしい。
それでも年間の保険料扱い高が三〇〇万円以下の代理店は整理するよう、上からノルマが与えられていたという。その為社員はやるしかなかったのだ。
久我埼が最初に配属された京都東支社では、そうした整理対象代理店数が二十近くあったようで、その内の八つが彼の担当だったらしい。
課長の下に担当を持つ総合職が四名いた事を考えると、明らかにバランスが悪い。新人にそのような仕事を多く配分するのは酷だと、他の事務職達も思っていたという。
しかし当時の彼は、右も左も良く分らない立場だ。数字が生み出すことを要求されても、それはそれで難しい。その為上からやれと言われたことを、こなすしかなかった。当の本人は目の前の事を片付けることが精一杯で、これはおかしいなどと疑問を持つ余裕などなかったのだろう。
それでも最初の上司で担当分けを行った支社長は、久我埼が受け持つ整理対象代理店の元へ同行していたようだ。さらに交渉の仕方などを実践し、手本を見せていたという。
その上彼が困っている時には必ずと言っていいほど間に入るなど、しっかりとフォローしていたらしい。手間がかかるけれど増収に繋がらない仕事の為、数字を増やす仕事を他の総合職に割り当てることで、支社全体のバランスを取ったのだろうと当時を知る事務職は説明していた。
久我埼は某有名国立大学を卒業していた為、就職難の時代だったが内定を取るまではスムーズで比較的楽に入社できたようだ。しかしその反動なのか、入ってからの風当たりが厳しかったらしい。特に二人目の上司が門脇になってからは、酷いものだったという。
これは門脇が、第二火災出身の管理職だったことも無関係ではなかったらしい。吸収合併された側の会社出身の管理職が、生き残りの為に成果を出そうと必死になっていたこともあるだろう。加えて旧高林火災海上出身の社員に対するコンプレックスもあったようだ。
また久我埼の家庭環境が複雑だったことも影響していたという。十歳の時に父親が会社での激務が祟り、四十歳の若さで過労死したらしい。それから母子家庭になったが、労災や死亡保険金のおかげで彼はなんとか進学できたそうだ。
しかしパートで働いていた母も、彼が一浪して大学に入った途端に脳梗塞で倒れ入院し、長いリハビリ生活が始まった。そこで彼は大学に通いながらどうにか介護していたが、就職活動をし始めた頃から完全介護の施設に入ったらしい。息子の邪魔になりたくないとの母の強い希望によってだという。
当時経済的余裕はまだあったらしいが、将来の生活費を稼ぐためにお金は必要だ。転勤があるけれども、高給で福利厚生がしっかりしている損害保険会社を選んで入社したのは、経済的理由が大きかったと久我埼は言っていたらしい。
翌月に入ると十二月一日付の大口契約が成立し、幹事会社からは十一月末に計上も無事終わったとの報告があった。そうなると非幹事のツムギ損保では翌々月に補正数字が入るらしく、一月の成績になることが確実となった。
もちろん古瀬を通して、一課にも成績が算入される。おかげで好調だった上半期に続き、大きな上乗せが確定した下半期の成績も順調に伸びていた。ちなみに代理店の手数料は、さらにその翌月となる。よって二月の古瀬の収入は、一気に膨れ上がるはずだ。
これまでの年収は六百万円台だったのが、八百万円は超えることになるだろう。しかし独身であれば十分だろうが、彼は妻帯者だ。しかも妻の悠里は給与の良い元ツムギ損保で、事務職を十二年余り勤めている。よって八百万円超でも、彼女の退職時の年収をようやく上回ったかどうかというレベルだ。
彼女は結婚するまで、英美と同じ実家暮らしだったと聞いている。よって恐らく貯金は、中古のマンションくらい買える程度あるだろう。そんな彼女が結婚を機に会社を辞めて代理店の事務員となると聞き、周りの女性社員達は止めたという。
同じ共働きなら会社に残った方が稼ぎは良いし、独立したばかりのプロ代理店など収入は不安定だ。下手をすると、代理店を続けることも困難になる可能性だってあった。それでも彼女はそうした意見を聞き入れず、退職して法人代理店の副社長兼事務員となった。
在職中の彼女とはそれほど接点が無かった英美も、担当代理店として書類上の件など電話で話す機会が増えた。古瀬との関係から思うと増収して生活が安定し、さらなる頑張りを期待して応援したくなるのは当然だ。
その為今回の件は、個人的にも担当者としても大変喜ばしいことだった。彼もそう感じていたらしい。そこで忘年会も兼ね、前祝をしようと浦里と英美の他に三箇も誘いを受けていた。日程は第二週の週末にしようと決まった。
しかしそんな十二月の第一週に、総務課でちょっとした騒ぎが起こった。噂レベルだが信憑性は高いらしい。それは総務課長の木戸自らが、別の部下に話していたからだという。
内容自体は小さなことだった。社有車の中が整理されていないと注意された社員がいる、というだけのものだ。
基本的に総務課の社員が、車を使って外に出る機会は少ない。それでも社宅に関する問題などで、提携している不動産会社との打ち合わせに使うことが稀にあるという。その為課長を含め総合職が四人いる総務課用の社有車は一台あり、それを皆で共同使用していた。
営業だと総合職一人に一台割り当てられているが、使用頻度が少ない課だとそうはいかない。SC課でさえ外出する機会のある総合職や賠償主事、技術アジャスター達の社員数より少ない台数を共有使用していた。そう考えると総務課の割り当てが一台というのは、
妥当なところだ。
ごく稀に複数台必要な時は支店長席や業務課等同じように、使用頻度が低い他の課から社有車を借りているらしい。逆に貸し出す場合もある。しかしそんなことは、年に一回あるかどうかだという。
要するに同じ課の社員以外にも使うことが前提の為、社有車の車内は常に整理整頓しておくのが常識となっていた。
だがそうしたルールが守られていなかったので、課長が個別に呼び出したらしい。次に使用した社員が乗車した時、空のペットボトルやコンビニで買ったと思われる弁当の空き箱、そしてビニール袋が散乱していたという。
しかし噂が英美達の耳にまで聞こえてきたのには、理由があった。注意を受けた社員があの久我埼だったからだ。
もちろん入社十九年目の四十歳過ぎた総合職が、新入社員の受けるような叱責を受けた、というだけではない。彼と反りの合わなかった上司が、これまで三人も突然の事故や病気で変わっており、さらにそこへ三箇が絡んでいることが大きな要因だった。
「木戸課長も危ないんじゃない?」
など不謹慎な言葉が付いて噂が広がったから余計だ。もちろん当の課長も、これまで久我埼の扱いは特に注意を払っていたらしい。
死に神という噂はともかく、彼は直近で三年半もの長い間休職している。その前にも一年半の休職を経て復職していた。その上会社としても、ここ数年でパワハラやモラハラといった問題が起こっている為、管理職として気を遣うのは当然だろう。
それでも彼が名古屋に来て五カ月が過ぎようとしているこの時期まで、課長は様々な事を我慢してきたらしい。それは二課で起きた件で平畑を受け入れ、配置換えしたことも影響しているようだ。
こう言っては何だが、本社ではない各地域本部の総務課に配属される総合職は、会社の最前線でもある営業職やSC課に配属される社員と比べ、能力的にやや劣る人材を配置しているのが現状だ。
入社十九年目だが役職は主任の、二度休職した経験を持つ久我埼や、隔月で事故を起こす平畑のような総合職が配属されていることからも想像できる。
しかしそんな問題を抱えている社員ばかりかと言えば、そうでもない。実際平畑の代わりに玉突きで一宮支社へと異動した中堅の総合職は、問題なく働いていると耳にした。それどころか今のところ、大きな戦力になっていると聞いていた。
だからだろう。そうした戦力が奪われ、課長の下には頼りになる次席しかいなくなった。平畑も車を運転しなければ能力的には支障が無いものの、やはりまだ二年目で新しい部署に来たばかりだ。使えるかと言われれば、そうでないと言わざるを得ないらしい。
そこで総務課における仕事のウェイトが、どうしても久我埼へ重くのしかかることはやむを得ない。彼も能力的にそれ程劣ってはいなかった。問題なのは精神面と体調面だった。その為木戸課長は彼の体を気遣いながら、仕事を回していたという。
そうして総務課ではこの五カ月間、何とかやり過ごしてきた。そんな時に社有車が汚れていると指摘されたのだ。しかも今回が初めてではないらしい。
これまでも何度か久我埼が使用した後に乗った総合職は、気付いていたという。ただ相手が彼だと言うこともあり、黙って代わりに片づけていたそうだ。
しかし同じことが繰り返されるため、さすがに業を煮やした社員が課長へと報告し、今回の呼び出しに繋がったらしい。
個別にどういうやり取りをしたか、口調はどうだったかなどは不明だ。しかし問題は課長が注意した後、久我埼が体調不良を訴えて三日連続休んだことから話が大きくなった。
しかも四日後に出社した際、心配して声をかけた課長に対して彼は冷ややかな態度を取ったという。そこで課長は次席に相談したそうだ。こうこうこういう話し方で今後気を付けるように言っただけだが、問題があっただろうかと話したらしい。
その内容を聞く限り問題は無いと次席は答えたようで、また周りで聞いていた事務職も
「課長が気にすることはないですよ。悪いのは久我埼さんじゃないですか。それくらいで会社を休まれたんじゃ、どうしようもないですよね」
と、皆口を揃えて言ったそうだ。
といっても実際にどう言ったか、またはどう捉えたかは久我埼自身に聞かないと分からない。そこで次席が間に入り、課長から注意された事とその後体調を崩した事と関係があるのか尋ねたという。
すると彼の答えが、さらに周りを惑わしたのだ。
「それは私にも判りません。体調が悪くなった原因が何かなんて、医者も判断が付かないでしょう。ただ何かあればそれはストレスかもしれませんね、としか言われませんから」
社会人として、また会社員のマナーとして守られていないことを指摘しても、ストレスになり体調を崩したと言われれば、指導する立場としては困惑するしかない。
そこで木戸課長も頭を抱えたようだ。そこに来てまた噂好きの事務職達が騒ぎ出した。中でもかつて一宮支社で一緒だった七恵が、相変わらずの大声で騒いでいた。
「あの人、昔も社有車が汚れているって、注意されたことがあったわよ。確か本社から検査が入った時だったと思う。それで当時の支社長に相当怒られていたから。あれは直らないでしょうね。ほらいるじゃない、片付けられない人って。それと一緒でしょ」
営業職の場合は社有車が一人一台に与えられる為、基本的に自分以外は乗らないことが多い。だからつい自分専用の車として扱う社員は少なくない。
それでも代理店や他の社員を乗せたり、お客様が同乗したりするケースもあり得る。だからある程度は綺麗に片づけておくのが普通だ。
しかも社内で行われる監査には、社有車が適正に管理されているかという項目があった。車検が切れていないかどうか確認する意味もあるが、車内に不適切なものがないかも検査されるのだ。
例えば申込書や社外秘の書類などが、それに当たる。個人情報を記載しているものがあれば、車上荒らしにあった際盗まれてしまうと大問題になってしまう。さらには社内にあってはまずい、他人印などが隠されていないか等もチエックされた。
他人印とは文字通り、自分の名ではない印鑑のことだ。保険の申込書は昔ながらの慣例で捺印欄があり、基本的には印鑑が押されていないと、不適切な契約としてはねられてしまう。しかし契約者の中には、契約内容などを全て代理店任せにしている人も少なくない。
そうした親密な信頼関係があるからこそ、印鑑を押す手間を省きたがる人がいる。そこで立場の弱い代理店は他人印を使うのだ。例えば“伊藤”という契約者がおり、
「そっちで手続きしておいて」
と頼まれた場合、印鑑がもらえない為に代理店は“伊藤”という三文判を用意して代わりに押しておくのだ。
こうしたケースは、近年まで良く起こっていた。だから代理店は印鑑屋かと思うほど、あらゆる名が揃ったものを箱ごと抱えていることなど普通だった。
それどころか保険会社の営業店やSC課などでさえ、十数年前まではそうしたものが隠し持たれている時代があったと聞いている。しかし今は更改契約などだと、電話で確認が取れた場合は捺印が無くても、その旨が記載されていれば良いケースが増えた。
さらに他人印が押されていないか、申込書を確認するなどチエックが厳しくなったこともあり、今はそうした問題は少なくなっている。だが社有車内の監査は、昔と同じく必ず行われていた。他にもそこに置かれていてはいけない物が、多く存在するからだ。
しかし久我埼の場合は、ただ社内にごみが散乱していただけらしい。それでもやってはいけない事に違いない。しかも彼は総務課へ来る前はSC課にいた。
そこでも営業課と違って総務課と同様社有車は共有するもので、他の社員も乗ることが多いとの認識はあったはずだ。それなのに未だ私有車のような感覚で使用していることは、明らかに問題だった。
しかもこれまで何度か注意された経験があるというから、質が悪い。それまで見逃してきた木戸課長も、指導せざるを得なかったのだろう。
不穏な空気が再び八階フロアに漂い始める。そして嫌な予感がしたまま、英美達は約束していた古瀬との飲み会へと繰り出した。するとそれが的中した。途中までは古瀬の大口契約の成立を祝って盛り上がっていたのだ。
しかし話題がひと段落した後、三箇が切り出した。
「ところで最近の久我埼に関する噂だが、どう思う?」
一瞬にしてその場に緊張が走った。しばらく沈黙した後、浦里が口を開いた。
「どう思うと聞かれても、な。一人目の上司の時は違っただろうが二人目、三人目の時はこうして彼は追い詰められていったのか、と感じたよ」
英美が同意する。
「そうね。本人にも、上司と上手くいかなかった原因があったと思う。でもそれ以上に普段接する時の空気や周囲の見る目が無言の圧力になっていたんだろうと、今回の件でよく判った」
「七月末に話した件だが、二人は覚えているか」
忘れる訳がない。あの時三箇が警察を辞めてこの会社に転職してきた理由は、久我埼にあったとの告白を聞いた。そこで英美と浦里は言ったのだ。過去の事件を調べ直すことに協力する、と。
ただし三箇には、表向き大人しくしていた方が良い、決して単独では動かないようにと忠告した。そう言ってからすでに四カ月以上が過ぎている。その間、色々なことが起こったこともあり、英美は具体的な行動が取れていない。
だからそろそろこの話題が出て、彼は動きだすだろうと危惧していた。それに七月末の際にはいなかった古瀬も、ここ数カ月で三箇との関わりが深くなったこともあり、事情を聞いている。そして彼も英美達と同様に、調査する時は力になると言ってくれていた。
その為おそらく三箇はこのタイミングで、話を切り出すかもしれないと恐れていたのだ。
「もちろん覚えているさ。ただ最近は他の問題が立て続けに起こっていたから、そちらにまで手が回らなかった。しかしこうなると、あの件を避けて通る訳にはいかないようだな」
浦里の意見に、英美も頷かざるを得なかった。
「フロアの雰囲気が、また悪くなったのは確かよ。こんな状態が続いたら、周囲の人の仕事に差し障りがでてくるでしょう。何か悪い事が起こるんじゃないかと怯えながら働くなんて嫌だから、どうにかしなければいけないとは思っていたんだけどね」
「俺は代理店だし、外回りや自分の事務所にいることが多いから廻間さん達程ではないけど、今月に入って急に社内の空気が変わったことは判るよ」
古瀬も同意した所で、三箇が言った。
「三人には申し訳ないが、そろそろ俺は本格的に再調査したいと思っている。以前単独行動は取らないと約束したから、今日ここで皆に相談したい。だけど三人には、本来やらなければならない仕事がある。協力すると言ってくれて嬉しかったが、無理はして欲しくない。だから俺がこれから動くことだけでも、了承してくれないかな。見守ってくれさえすればいいんだ」
「三箇さんはどうするつもりだ。確かに俺達は、これまでたいした動きをしていない。それでも久我埼さんの件は忘れてないし、少しだけだが俺なりに調べてはみたよ。ただし一宮の件じゃなく、十五年前の自動車事故のことだけどな」
「そういえば、浦里さんの前任地は京都だったね。久我埼の上司が事故を起こして亡くなったのも、京都だからか」
「久我埼さんが会社に入って最初に配属されたのが京都東支社で、今は京都総合第二支社と名称が変わっている。俺が四年前にいたのは京都総合第一支社だから、部署は違う。だけど十五年前に当時の東支社にいた事務職が、今第一支社で働いていると教えて貰った。俺とは入れ違いだったから直接面識はなかったけど、電話で少しだけ話は聞けた」
「どういう話だ?」
「三箇さんは既に知っていることかもしれないけどね。亡くなったのは久我埼さんにとっては二人目の上司で、一人目とは違って亡くなった門脇という支社長はかなり厳しかったようだ。そういえば、当時も社有車の中が汚れていると、よく注意を受けていたらしい」
浦里は当時の時代背景を含めて、説明しだした。
久我埼がツムギ損害保険の前身である高林火災海上保険に入社したのは、十九年前でまだ就職氷河期が続いていた頃だ。バブルが去ってしばらく経っていたものの、積立保険の契約が満期を迎える度にその名残を感じていた時らしい。
当時を知る社員によれば、五年以上前に預けた五十万円が、怪我をして亡くなった場合や入院や通院した場合の補償が付いているにもかかわらず、六十万円以上になって戻ってくる契約がいくつもあったという。
しかし高金利時代が終わったことで、それらの契約を更改する際は大変だったようだ。なぜなら更新後の契約内容は保険期間が同じ五年でも、傷害保険や死亡保険金などの補償金額をかなり引き下げた上で、辛うじて元本割れはしない程度しかなかったらしい。長期金利は下がる一方で、運用益が出せない時代へと入っていた為だ。
それでも銀行に預けるよりは、補償も付いているからまだマシだと更改してくれる人はそれなりにいたらしい。だが必ず言われたことがあったという。
「以前は契約をしたら、たくさんノベルティなんかくれたけど、今は全く貰えないのね」
バブル時代はしっかりしたお皿やマグカップなどといった、良いノベルティが営業店の倉庫に山と積んであったらしい。それがせいぜいタオル一枚出す程度しかなかったようだ。
ちなみに今は、それさえ渡せない状況だった。業績は上がらず厳しい環境が続く中、保険の自由化で保険料計算も複雑になりつつあった時期だったことも影響したのだろう。
さらには生保など新しい契約を取らなければならない状況も加わり、業務が増えた時期でもあったらしい。生損保の垣根が解消され、損保会社は子会社を作り生命保険を扱い始めた頃だ。
生命保険会社も同様だったが、しばらく経つと一部では損保を扱う子会社を持つよりも損保会社と提携した方が得策だと考えたところが出て来た。
そこで当時生保業界三位だった安岡生命が、高林火災海上保険と組んだ。つまり安岡生命の生保レディー達が、高林の損保商品を販売し始めたのだ。その代わりに、高林に所属し生命保険を販売する意欲がある一部の代理店は、安岡生命の保険も売るようになった。
だが高林はそれ以前から外資系生保を買収し子会社化して、国内生保会社の販売する商品の弱点を突く独自の生命保険を販売していた。
その商品販売の手法がようやく定着し始めた所に、これまで敵視して来た国内生保の商品を扱えと、会社が言い出したのだ。これには当然代理店だけでなく、社員も混乱したという。一部では猛反発もされたらしい。
当時の社員、特に新人は相当苦労したそうだ。本業での損保商品知識や販売手法を確実に取得するだけでなく、生命保険の商品知識と販売手法の勉強もしなければならなくなったからだろう。
それだけでも大変なのに、別の保険会社の契約内容も頭に叩き込んだ上で、代理店達に販売して貰えるよう説明する必要があった。その為には社員が代理店に対しこれまで以上の教育、指導をしなければならない。
その上これまでどんどん作れ、増やせと言われてきた取引代理店数自体を整理する時代へと突入し始めた。要するに業績が上がらない、社員に負担ばかりかけ手間がかかる代理店との取引解消を促し始めたのだ。
これは仕事の質の変化だけが原因ではなかった。丁度その頃、九〇年代から始まった銀行業界の再編と同様に、損保業界でも多くの会社が合併し始めたことが影響していた。重複する店舗、拠点の統廃合を進めながら、取引先の見直しも行うようになったからだ。
高林火災海上自身も二〇〇三年に、中堅のワールド火災海上と合併してツムギ損害保険と名称を変えている。吸収合併された形のワールド火災海上も二〇〇〇年に第二火災海上を吸収合併しており、短期間で三社が統廃合したため効率化を進めることは急務だった。
ちなみにツムギ損保はその後も二社の中堅損保と合併しており、合理化の推進はいまだに続いている。
しかし代理店との取引が無くなれば、その分扱う契約が減少してしまう。それを補うために新たな取引先を作れ、または既存の代理店の販売を強化せよと、会社は無茶な指示を出していたらしい。
ただでさえ長年付き合ってきた取引先との関係を解消する交渉自体、かなりの困難を伴うにもかかわらず、だ。当然首を切られる相手にだってプライドがある。
かつてはよく頑張ってくれましたと、会社から表彰されたところもあったはずだ。しかしそうした代理店は、高齢化が進んでいた。そこで複雑化する保険設計の流れについていけず、また徐々に販売意欲が減退していった為、契約も年々減少していった。
そこで会社は生保の販売業務が増えた分、そちらに力を注ぐ為に小さな代理店の首を切り始めた。だが現実問題として、現場ではかなりてこずっていたのだ。
代理店にとっては入社して間もない孫のような社員から、取引停止などと言い渡されれば、怒るのも無理はない。上を呼んで来い、と担当者はよく怒鳴られていたらしい。
それでも年間の保険料扱い高が三〇〇万円以下の代理店は整理するよう、上からノルマが与えられていたという。その為社員はやるしかなかったのだ。
久我埼が最初に配属された京都東支社では、そうした整理対象代理店数が二十近くあったようで、その内の八つが彼の担当だったらしい。
課長の下に担当を持つ総合職が四名いた事を考えると、明らかにバランスが悪い。新人にそのような仕事を多く配分するのは酷だと、他の事務職達も思っていたという。
しかし当時の彼は、右も左も良く分らない立場だ。数字が生み出すことを要求されても、それはそれで難しい。その為上からやれと言われたことを、こなすしかなかった。当の本人は目の前の事を片付けることが精一杯で、これはおかしいなどと疑問を持つ余裕などなかったのだろう。
それでも最初の上司で担当分けを行った支社長は、久我埼が受け持つ整理対象代理店の元へ同行していたようだ。さらに交渉の仕方などを実践し、手本を見せていたという。
その上彼が困っている時には必ずと言っていいほど間に入るなど、しっかりとフォローしていたらしい。手間がかかるけれど増収に繋がらない仕事の為、数字を増やす仕事を他の総合職に割り当てることで、支社全体のバランスを取ったのだろうと当時を知る事務職は説明していた。
久我埼は某有名国立大学を卒業していた為、就職難の時代だったが内定を取るまではスムーズで比較的楽に入社できたようだ。しかしその反動なのか、入ってからの風当たりが厳しかったらしい。特に二人目の上司が門脇になってからは、酷いものだったという。
これは門脇が、第二火災出身の管理職だったことも無関係ではなかったらしい。吸収合併された側の会社出身の管理職が、生き残りの為に成果を出そうと必死になっていたこともあるだろう。加えて旧高林火災海上出身の社員に対するコンプレックスもあったようだ。
また久我埼の家庭環境が複雑だったことも影響していたという。十歳の時に父親が会社での激務が祟り、四十歳の若さで過労死したらしい。それから母子家庭になったが、労災や死亡保険金のおかげで彼はなんとか進学できたそうだ。
しかしパートで働いていた母も、彼が一浪して大学に入った途端に脳梗塞で倒れ入院し、長いリハビリ生活が始まった。そこで彼は大学に通いながらどうにか介護していたが、就職活動をし始めた頃から完全介護の施設に入ったらしい。息子の邪魔になりたくないとの母の強い希望によってだという。
当時経済的余裕はまだあったらしいが、将来の生活費を稼ぐためにお金は必要だ。転勤があるけれども、高給で福利厚生がしっかりしている損害保険会社を選んで入社したのは、経済的理由が大きかったと久我埼は言っていたらしい。
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