真実の先に見えた笑顔

しまおか

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第一章~③

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 その為腹を立てた英美と、揉めることがあった。こんな嫌な思いを、いつまでもしている余裕など無い。さっさと新人総合職に声をかけ、白黒はっきりさせて終わらせるべきだ。
 そう考えて浦里に相談すると、意外な答えが返って来た。
「しかし厳密に言えば、窃盗は犯罪だ。しかも相手が他所の課の総合職となれば、言い逃れ出来ないようにした上で、しっかり教育してやらなければいけないんじゃないかな」
 ちょうどそこには既に事情を聞かされた古瀬の他、SC課の三箇もいた。たまたま事故の件か何かで、浦里達と打ち合わせがあったらしい。その二人が同じことを言いだした。
「そうだよ。もうフロア中で話題になっているくらいだから、下手な言い方をすると問題が大きくなるぞ。ただでさえ最近はすぐにパワハラだ、なんだと騒がれる風潮があるから。それに開き直られると厄介だしな」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
 苛立ちを隠せずつい厳しい口調になった英美に対して、四人の中で一番年上の三箇が宥めながら言った。
「ちょっと落ち着けって。俺に考えがある」
 彼は四人だけが聞こえるような小声で、ある方法を口にした。それを聞いた古瀬は、首を傾げてやや懐疑的に言った。
「上手くいくかな。すぐバレない? それに冷蔵庫の中の物全てに仕掛けるのは、無理でしょう」
「もちろん、そこは工夫しなければならない。仕掛けたものの一部を、手に取らせるようにする必要がある」
 三箇はそこで具体的にどうすればいいか、手続きの仕方を英美に詳しく教えてくれた。最初は古瀬と同様の感想を持っていたが、聞いている内にダメ元でやってみるのもいいだろうと思い直した。
 そこで早速昼休みの間にコンビニで、リンゴジュースのパックとシュークリームを二個ずつ購入し、三箇の言う通りの仕掛けを施した上で、冷蔵庫の中に閉まっておいた。
 だが残念ながら、その日は空振りに終わった。しかし次の日の十時過ぎに、早速動きがあった。丁度その時、隣に浦里が在席していた為思わず声をかけた。
「ちょっと、見て、見て! 動いている!」
「え? 本当に?」
 英美の机の上には、着信音をオフにしたスマホを置いていた。すぐ目が届く場所にあった為、二人で画面を覗き込んだ。間違いなく、点滅した点が移動している。
「早く追いかけなきゃ!」
 慌てる英美を、浦里が制した。
「ちょっと待って。三箇さんが言っていただろ。追いかける場合は、点滅した点が止まった場所を確認してからの方が良いって。どこで飲み食いするか、判らないからね」
「そうだった」
 そこで点がどのように動き、どこに向かっているかを確認する。事前にどこの部署へ移動すればどう動くかをテストしていた為、どこの場所かは途中ですぐに分かった。
 やはり予想していた通りの人物がいる課だ。
「あっ、止まった!」
「よし! 行こう。俺も一緒に行くから」
「ありがとう。お願いね」
 浦里や三箇は、日中外出してしまう可能性が高い。その為基本的に一日中ビル内にいる英美が、動きのあった場合は一人で決行する予定だった。
 しかしたまたま彼がいてくれたおかげで、明らかに心強かった。英美は正面に座っていた後輩に少しの間席を外す、と声をかけてから急いで廊下に出た。そして目的の部署へと真っすぐに向かう。
 すると目を付けていた人物が、まさしく英美が昨日買ってきたと思われるシュークリームに手を付けていた。驚いたことに、包装フィルムをはがしてゴミ箱に捨てたかと思うと、二口で食べ終わっていた。
 英美達はその様子を見ながら速足で彼に近づき、横に立った。いきなり知らない事務職と、見かけて挨拶ぐらいしたことはあるかもしれない総合職が現れたからか、相手は目を丸くしている。
 動かしていた口が、中の物を飲み込んだ。それを確認し、話せる状態になった時点で英美は小声で尋ねた。
「今、シュークリームを食べたでしょ? それ、あなたが買ってきたもの?」
 一瞬間があったけれど、彼は素直に首を横に振った。
「い、いえ、違います」
「そうよね。私が昨日買って、冷蔵庫の中に入れたものだから」
 先程彼が放りこんだ包み紙を、ゴミ箱から拾い上げて告げた。
「あ、ああ、そうだったんですか。すみません」
 驚きながらも謝っていた彼に、再び質問した。
「どうして人の物を、勝手に食べたりするの? あの冷蔵庫の物って皆、名前を書いてあるんだけど」
 英美は手にした、“はざま”とひらがなで書かれているフィルムを見せる。本人は、全く気付いていなかったらしい。
「あ! 本当だ。すみません。知りませんでした」
「あそこの冷蔵庫は、このフロアにいる人達が各々買ってきたものを冷やして置くところなの。後で飲んだり食べたりできるようにする、共有の場所って知っていた?」
 ここまでくれば小声で話していても、周囲の事務職や席に付いていた総合職達が気付き始める。業務時間中、新人総合職の席に他部署の事務職と総合職が立ったまま、何やら呟いているのだ。何かあったと思うのは当然だろう。
 案の定、彼の席の正面にいた英美より年下の事務職が、恐る恐ると言った調子で尋ねて来た。
「あ、あの、何かあったんですか?」
「ちょっとね。で、どうなの? 知っていた?」
 彼女の問いかけをさらりと交わし、改めて新人総合職に質問した。彼は曖昧な調子で頷いた。どうやらその事は、誰かから聞いていたらしい。
「だったらどうして、自分が買ってきていない物を勝手に食べたりしたの? 怒っている訳じゃないよ。さっきのシュークリームも食べちゃったんだから、もういいの。ただどうしてそんなことをしたのか、聞きたいだけだから」
「す、すみません。食べていいものかと思っていました」
「誰かにそう教わったの?」
「え、えっと」
 はっきりしない答えに苛つきながら、静かな口調でさらに続けた。
「これまでにもリンゴジュースとか、飲んだりしたことがある? ここ最近、同じように買ったものが無くなったと言う人が何人かいたから」
「あ、あります。すみません」
「自分が買ってきたものとか、食べたり飲んだりして良いと言われたものだけしか、口にしちゃいけないって分かる?」
 時々どこかに出張してきた総合職や長期の旅行をしてきた人達が、お土産といって大量に食べ物や飲み物を持ってくることがある。英美自身も業務主任になった時、全国各地の対象者が本社へ研修で呼び集められた。その際、東京ばななを買って配った事があった。
 そうしたお菓子の中には日持ちさせる為、冷蔵庫に冷やして置いた方が良いものがある。もしかすると彼は、一度冷蔵庫の中の物を食べて言いとだけ教えられ、そのまま勘違いした経験があったのかもしれないと思いついた。
「は、はい。判りました。名前が書いてあるなんて、全く見ていなかったものですから」
「そう。今後は気を付けてね」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
 そこで彼はようやく席を立って、頭を下げた。それまでは座っていたので、見下ろしていた二人の迫力に押されていたのだろう。
「分かってくれたらそれでいいから。じゃあね」
 英美はそのまま席を離れたが、後ろで黙って立っていた浦里が企営の事務職や総合職に捕まっていた。恐らく事情を聞かれているのだろう。これまでの経緯など、ややこしい話などしたくなかったため助かった。
 彼なら上手く説明してくれるはずだ。これからさらに忙しくなる月末最終日に近づく直前で、面倒な案件を片付けられたことに英美は胸を撫で下ろす。これも三箇のアイデアのおかげだ。後でお礼を言っておかなければならない。
 彼が教授してくれたのは、まずこれまで紛失したリンゴジュースやシュークリームと同じものを、複数用意することだった。そこにGPSシールを張り付け、冷蔵庫から移動すれば英美のスマホで感知するよう設定し、その後を追いかけ現行犯で問い詰めるという作戦だった。
 GPSシールとは、財布などが紛失した場合に場所を特定するため使用される、縦二センチ強、横三センチ弱、薄さ三ミリという極薄で重さ三グラムと超軽量のものだ。
バッテリーは数カ月持つが、電波をキャッチする範囲は約三十メートルとそれほど広く無い。しかしビルの冷蔵庫の中に仕掛けた物なら、それで十分だった。
 ジュースには底に貼り付け、名前もそこに書いてわざと判り難くしていた。シュークリームも包み紙に貼られたシールの下に貼り直して隠し、一見すると分からないようセットして手前に置いたのだ。
 そして仕事が終わった勤務時間外に、企業営業部へ移動する場合はこう動く、総務課へ移動した場合は、などと事前シュミィレーションを行った。
 おかげでGPSの信号が動きだした時点で、すぐに今回の犯人が事前に目撃情報があった企営課の新人総合職だと判ったのだ。
 英美は自分の席へ戻る前に給湯室へ寄り、冷蔵庫の中から用済みとなったジュースともう一つのシュークリームを回収した。一課に戻ると、すでに浦里が帰ってきていた。
「お疲れ様。ありがとう。これ、お礼ね」
 GPSシールを剥がしてから、ジュースとシュークリームを彼に手渡す。もう一つのジュースは後で三箇に持っていくつもりだ。ついでといってはなんだが、これまで机上に配られまだ手を付けていないお菓子を付けておこうと考えていた。
「ありがとう。あの後掴まって色々聞かれたけど、それ程問題にはならないと思うよ。意図的ではなく、単なる勘違いだと理解されたみたいだから。それに課の人達からもちゃんと注意して貰ったので、二度と同じことはしないはずだ」
 彼の話では、英美が途中で予想した通りだった。彼が着任して間もない頃、企営課の課長がお土産を買って来たことがあったらしい。その時冷蔵庫に冷やしてあるから、飲んだり食べたりしてくれと言われたことがあったそうだ。
 そこであの場所にあるものは、飲んだり食べたりして良いものばかりが入っているものだと、彼は勝手に勘違いしていたという。
「じゃあ、もう大丈夫ね」
「そう思う。企営課でも冷蔵庫の中のものが紛失している件は、知れ渡っていたよ。でもまさか自分の課の新人君が犯人だとは、思っていなかったらしい。一部の人は怪しいと睨んでいたようだけど。でも解決したから助かったと、お礼を言われたよ。本当は廻間さんと三箇さんの手柄なのに。さっさと出て行っちゃったもんだから、廻間さんにはくれぐれもよろしく伝えておいてくれ、って課長にまで言われたよ」
「分かった。この間あの課の事務職でここへ来てくれた人達がいたから、後で顔を出しておく。課長にも余り怒らないでやってと、言っておかなくちゃ」
「それはもう言った。向こうも恐縮していたよ。自分達が言葉足らずだったって。最近の若い子にはそれぐらい判るだろう、では済まないことが多いらしい。具体的に教えないといけないんだなって、しみじみと言っていたのには笑ったけど」
「管理職も大変よね」
「いい大学を出ている新人らしいけど、こんな事が起こるんだからそうだろうな」
「私もこの会社に入って、何十人と高学歴の総合職達をみてきたけど、全くと言っていいくらい、どこの大学を出ていたかって関係ないからね」
「全くってことは無いと思うけど、まあそうかもしれないな」
そういえば浦里も早慶出身者よりも偏差値の高い、某国立大学出身者だったことを思い出す。ただ彼の場合はいい意味で、高学歴を感じさせないタイプだから問題無い。
「じゃあ、三箇さんにこのGPSシールを返しがてら、上手くいったって報告をしに行ってくる」
「だったらこのシュークリームは、三箇さんにあげてよ。俺はジュースだけでいいから」
「いいの? じゃあそうしよう」
 彼から受け取ると、速足で階段へと向かった。下の階のSC課に行くのなら、エレベーターを使うより早い。左手にジュース、右手にシュークリームを持ったまま転ばないよう駆け下りる。
 その後、しばらくは冷蔵庫から物が無くなったという話は聞かなくなった。煩わしい問題が早期に片付いたことで、祥子も喜んでくれた。英美自身も肩の荷が下りたと同時に、これまで味わったことのない充足感を覚えた。
 だがこの騒ぎが、その後次々と起こる問題のきっかけに過ぎなかったことを、英美達は追って知ることになる。
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