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第一章~③
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「話を戻すけど、目黒さんが言った通り、君のお祖父さんは何らかの理由があって姿を消したはずだ。でも今持っている情報だけで予想を立てただけでは、それが何なのか答えが出ないだろう。山内さんだって、五年以上考え続けてきたんだろ」
「う、うん。私なりには、ね。でも大学に入るまでは余計なことは考えないようにして、目の前の勉強に集中していたから。でもこれからは違う。大学に入って自由な時間が出来れば、本気で探したいと思っていたの。だから今まで我慢して来た分、真剣にやりたい」
小柄でやや幼げな彼女は、クラス内だとどちらかといえば目立たない部類に入る。だが大貴に向かって言ったその言葉は力強く、目の奥にも熱い想いが見て取れた。表情はとても知的に感じられ、本気度の高さが十分に伝わった。
「だったらまず専門家に頼み、居場所を掴むことだ。そんなに難しく無いと思うよ。完全な失踪者じゃないからね。例えば山内さんの資産管理をしている弁護士とは、連絡を取り合っているはずだろう」
「それは分かっているけど、連城先生は守秘義務があるからって、絶対に教えてくれないの」
「連城というのが、資産管理をしている弁護士の名前なのか」
「そう。連城亮平先生。お祖母ちゃんが受け継いだ、磯村不動産の顧問弁護士をやっているの。その繋がりもあって、お祖父ちゃんは遺産の管理を任せたんだと思う」
「確かお祖母さんが残した遺言は、一部を除く財産の全てを孫の山内楓に遺贈する。山内楓が成人するまでの間、遺贈財産の管理は楓の父、健一やその妻梨花を含めた親権者ではなく、夫に遺贈財産の管理をさせる、だったね」
「夫の部分は、お祖父ちゃんの個人名が書かれていたけど、そんな感じ。ちなみに梨花っていうのが、私を産んでくれた母の真由が亡くなった後、父が再婚した相手の名前ね」
「山内さんが二歳の時に母親が亡くなって、その三年後に父親が梨花さんと結婚したんだろ。山内さんは新しい継母になる人が、好きじゃなかったんだね」
彼女は顔を顰め、大きく頷いた。
「私だけじゃなく、お祖母ちゃん達もそうだった。五歳だったから余り覚えてないけど、二人が引き取りに来た時、私はすごく嫌がったんだって。その様子を見てそのまま祖母達に育てられる事になったの。でもその判断が間違っていなかったと、今では確信している」
「それはどういう意味かな」
「お祖母ちゃん達は、私を養子に迎える話もしたの。それは父達が私を引き取る気が無いと気付き、最初から仕掛けた罠だったみたい。養子に取られて、親権を奪われるのを嫌がるかどうか試したのよ」
「なる程。親権を失ったら、お祖母さんが亡くなった際、山内さんが多額の遺産を受け取った後、お金を自由に使えなくなるからか」
「そうみたい。その頃は既に前のお祖父ちゃんが、二十年以上前に山の滑落事故で亡くなっていて、一人娘の私の母も死んじゃっていたから、遺産相続人は私しかいなかったからね」
「楓が探しているのは、その後籍を入れたお祖父さんなのよね」
絵美の問いかけに楓が頷く。彼女が五歳の時、祖母は六十四歳だったという。成人する十五年後には七十九歳だ。よってそれまでに亡くなれば、遺産は親権者が管理できる。両親はその可能性に賭けていたのかもしれない。そう推論を立てると、彼女は同意した。
「だと思う。だってお母さんが亡くなった後、引き続き祖母達が私を預かる話になった時、父は養育費を払うと約束したのね」
もしよければと断った上でいくらだったかを尋ねた所、彼女はすんなり教えてくれた。
「月十万円。当時母と同じ三十歳だった父の年収は、八百万円を超えていたんだって。そこから計算して決めたらしいの」
「お母さんが亡くなるまでは、支払われていなかったんだよね」
彼女を産んで直ぐ、父親の転勤が決まった。それを機に、二人は彼の元を離れ、祖母達がいる都内の実家に引き取られたというのだ。
「うん。経済的余裕があったのは当然だけど、自分の子供と孫の面倒を看るのは当たり前だから、そうしていたと聞いた覚えがある」
「だけど母親が亡くなって、孫だけを育てるとなればそう甘えてはいられないと、君の父親は考えたんだろう」
「そうみたい。それでお祖母ちゃんが養子として引き取りたいと話を持ち掛けた際、断った父は言ったらしいの。養育費は引き続き同じ額を支払うだけでなく、私が十五歳を越えた時には十四万円に引き上げるって。それを聞いたお祖母ちゃん達は、確信したらしいわ」
ずっと預けたままにしておくつもりだったのだろう。確かに養育費は、十五歳を境に引き上げられるのが通常だ。加えて支払う側の年収が上がれば、養育費の支払いも多くなる。
月々十四万と言えば、年収一千万円以上のケースだから妥当といえば妥当だし、もっと多くてもいいくらいかもしれない。
そう告げると、彼女はその点を既に理解していた。
「私も大きくなってからネットで調べたけれど、そうみたいね。私が十歳の時にN県へ引っ越した頃、父の年収は一千万を超えていたはず。今は一千五百万近くあるって言っていたし」
それなら相場と照らし合わせれば、もっと貰っていてもおかしくなかった。とはいえ母方の実家で資産家という事情を考えれば、それ程支払う必要が無いとも言える。
「でも父は払うと言ったの。当時まだ結婚して間もなかったし、将来二人の間に子供を産むとなれば、結構な負担になるはずなのに」
「それだけ支払っても、遺産を受け取れば十分回収できると踏んだからかもしれないな」
「お祖母ちゃんもそう言っていた。だからお祖父ちゃんと籍を入れたんだって」
「前のお祖父さんが三十歳で亡くなった後、訳あってお祖母さんが引き取った人なんだよね。山内さんのお母さんは、まだ九歳だった」
「そう。お祖母ちゃんが四十歳の時。今から約四十年近く前になるかな。あの時代には、まだ稀なケースだったと思う」
彼女の祖母、由子の実家である磯村家は、戦前から不動産業を営んでいたそうだ。けれど由子の父であり唯一の息子は、戦争で亡くなったという。その為磯村家では、由子の祖父母と母の八重の四人で暮らしていたらしい。
その後当時としては珍しく大学に入った由子は、卒業後祖父の伝手で別の不動産会社に就職した。ゆくゆくは、一人娘か結婚相手に後を継がせるつもりだったと思われる。通常なら順番としては八重を再婚させ、その夫を婿入りさせるのが先だ。
しかしこの時すでに四十近かったからか、戦死した夫に操を立てたのか、はたまた磯村家の血を引かない八重やその夫候補に家業を継がせることを、遠慮したのかもしれない。彼女はその後、独身を貫いたのだという。
よって予定通り由子が二十九歳になった年、真之介というまだ十九歳だった男性を婿に迎え、彼を磯村不動産に入社させた。二人の出会いはN県の、後に楓達が住む家の近くに住む村だったらしい。
普段は東京に住んでいた磯村家だが、管理物件に住んでいた人の借金の担保として手に入れたその土地や家を、別荘代わりに使用していたようだ。特に夏は涼しかった為、長期間滞在していたという。
そこで由子はかなり幼い頃から十歳年下の真之介と出会っており、縁があって一緒になった。そして婿入りした彼が祖父の元で働き、修行をしていたと思われる。
結婚して二年後、楓の母である真由をお腹に宿した為由子は会社を退職し、家庭に入った。しばらくは、専業主婦として子育てに励んでいたようだ。けれどもその五年後に、七十八歳になった祖父が病気で亡くなってしまったという。
その為一人娘で不動産会社に約九年勤務していた経験がある三十六歳の由子が、磯村不動産に入社したらしい。 社長は、当時五十四歳だった八重が引き継いだ。真之介はまだ二十六歳と若く、いきなり会社を率いるには経験も浅い。もちろん入社したての由子にも、荷が重いと判断されたのだろう。
元々一族経営の会社の為、直系の息子の嫁である八重が引き継ぎ、その後経験を重ねた孫の由子が後に続いてくれればと、病の床に伏していた頃から祖父は考えていたそうだ。それに五歳になった真由の面倒は、高齢になった祖母が看ればいいと思っていたという。
しかしその翌年、七十五歳になる祖母が祖父の後を追うように、急死してしまったのである。さらにはその翌年、八重までも病死した。一九七八年、まだ五十六歳の時だ。そこで問題となったのが、七歳の真由の世話である。
由子は祖父母と母を相次いで亡くし、磯村家の資産を全て引き継いで社長とならざるを得なくなった。その上時代は一九七〇年代半ばからの経済成長期だった為、会社はとても忙しかったそうだ。しかも相当な利益を出していたという。
そんな時に、子供の世話で身を引くなど考えられない。かといって家政婦を雇い、他人に全てを任せるという選択もしなかった。それは由子自身、物心が付く前の四歳の時に父を亡くし、祖父母がいたとはいえ、片親で育てられた経験があったからだと思われる。その結果、なんと当時二十八歳だった真之介が会社の仕事を減らし、単純な事務作業をしつつ家事をこなす役目を担ったというのだ。
当時としては異例だった。専業ではないものの、今でいえばパートをしながら掃除洗濯、食事の用意や子供の面倒を看る主夫の役目を果たすのだ。周りの目も考えれば、そうそうできることではない。
だが真之介が育った家庭環境もあったのか、そうした才能が備わっていたのだろう。彼は四歳の時に母親が亡くなった為、祖父母と父、弟の五人で生活していた。よって幼い頃から、家事手伝いを当たり前のようにやっていたのが役立ったと思われる。
警察官だった彼の父は母の死を機に、子供を連れてN県の市内から祖父母が住む田舎の実家に戻り、駐在所勤務となったらしい。祖父母も畑仕事でほぼ外に出ていることが多かったからか、四つ下の弟もそうせざるを得ない環境下に置かれていたという。
しかしそうした生活は、二年しか続かなかった。真之介が不慮の事故で亡くなったからだ。その後磯村家にやって来たのが、楓にとってのお祖父さんだった。もちろん彼女は、まだ生まれていない。
「三十二年も磯村家にいて、会社の手伝いをしていた時期だってあるんだよね。山内さんの母親が実家へ戻ってからの世話や、病気だった時の看病もしていたんだろう。磯村家というのは、家事ができる男性しかいられない環境だったようだね。俺にはまず無理だな」
大貴が茶化しながらそういうと、彼女は深く頷いた。
「う、うん。私なりには、ね。でも大学に入るまでは余計なことは考えないようにして、目の前の勉強に集中していたから。でもこれからは違う。大学に入って自由な時間が出来れば、本気で探したいと思っていたの。だから今まで我慢して来た分、真剣にやりたい」
小柄でやや幼げな彼女は、クラス内だとどちらかといえば目立たない部類に入る。だが大貴に向かって言ったその言葉は力強く、目の奥にも熱い想いが見て取れた。表情はとても知的に感じられ、本気度の高さが十分に伝わった。
「だったらまず専門家に頼み、居場所を掴むことだ。そんなに難しく無いと思うよ。完全な失踪者じゃないからね。例えば山内さんの資産管理をしている弁護士とは、連絡を取り合っているはずだろう」
「それは分かっているけど、連城先生は守秘義務があるからって、絶対に教えてくれないの」
「連城というのが、資産管理をしている弁護士の名前なのか」
「そう。連城亮平先生。お祖母ちゃんが受け継いだ、磯村不動産の顧問弁護士をやっているの。その繋がりもあって、お祖父ちゃんは遺産の管理を任せたんだと思う」
「確かお祖母さんが残した遺言は、一部を除く財産の全てを孫の山内楓に遺贈する。山内楓が成人するまでの間、遺贈財産の管理は楓の父、健一やその妻梨花を含めた親権者ではなく、夫に遺贈財産の管理をさせる、だったね」
「夫の部分は、お祖父ちゃんの個人名が書かれていたけど、そんな感じ。ちなみに梨花っていうのが、私を産んでくれた母の真由が亡くなった後、父が再婚した相手の名前ね」
「山内さんが二歳の時に母親が亡くなって、その三年後に父親が梨花さんと結婚したんだろ。山内さんは新しい継母になる人が、好きじゃなかったんだね」
彼女は顔を顰め、大きく頷いた。
「私だけじゃなく、お祖母ちゃん達もそうだった。五歳だったから余り覚えてないけど、二人が引き取りに来た時、私はすごく嫌がったんだって。その様子を見てそのまま祖母達に育てられる事になったの。でもその判断が間違っていなかったと、今では確信している」
「それはどういう意味かな」
「お祖母ちゃん達は、私を養子に迎える話もしたの。それは父達が私を引き取る気が無いと気付き、最初から仕掛けた罠だったみたい。養子に取られて、親権を奪われるのを嫌がるかどうか試したのよ」
「なる程。親権を失ったら、お祖母さんが亡くなった際、山内さんが多額の遺産を受け取った後、お金を自由に使えなくなるからか」
「そうみたい。その頃は既に前のお祖父ちゃんが、二十年以上前に山の滑落事故で亡くなっていて、一人娘の私の母も死んじゃっていたから、遺産相続人は私しかいなかったからね」
「楓が探しているのは、その後籍を入れたお祖父さんなのよね」
絵美の問いかけに楓が頷く。彼女が五歳の時、祖母は六十四歳だったという。成人する十五年後には七十九歳だ。よってそれまでに亡くなれば、遺産は親権者が管理できる。両親はその可能性に賭けていたのかもしれない。そう推論を立てると、彼女は同意した。
「だと思う。だってお母さんが亡くなった後、引き続き祖母達が私を預かる話になった時、父は養育費を払うと約束したのね」
もしよければと断った上でいくらだったかを尋ねた所、彼女はすんなり教えてくれた。
「月十万円。当時母と同じ三十歳だった父の年収は、八百万円を超えていたんだって。そこから計算して決めたらしいの」
「お母さんが亡くなるまでは、支払われていなかったんだよね」
彼女を産んで直ぐ、父親の転勤が決まった。それを機に、二人は彼の元を離れ、祖母達がいる都内の実家に引き取られたというのだ。
「うん。経済的余裕があったのは当然だけど、自分の子供と孫の面倒を看るのは当たり前だから、そうしていたと聞いた覚えがある」
「だけど母親が亡くなって、孫だけを育てるとなればそう甘えてはいられないと、君の父親は考えたんだろう」
「そうみたい。それでお祖母ちゃんが養子として引き取りたいと話を持ち掛けた際、断った父は言ったらしいの。養育費は引き続き同じ額を支払うだけでなく、私が十五歳を越えた時には十四万円に引き上げるって。それを聞いたお祖母ちゃん達は、確信したらしいわ」
ずっと預けたままにしておくつもりだったのだろう。確かに養育費は、十五歳を境に引き上げられるのが通常だ。加えて支払う側の年収が上がれば、養育費の支払いも多くなる。
月々十四万と言えば、年収一千万円以上のケースだから妥当といえば妥当だし、もっと多くてもいいくらいかもしれない。
そう告げると、彼女はその点を既に理解していた。
「私も大きくなってからネットで調べたけれど、そうみたいね。私が十歳の時にN県へ引っ越した頃、父の年収は一千万を超えていたはず。今は一千五百万近くあるって言っていたし」
それなら相場と照らし合わせれば、もっと貰っていてもおかしくなかった。とはいえ母方の実家で資産家という事情を考えれば、それ程支払う必要が無いとも言える。
「でも父は払うと言ったの。当時まだ結婚して間もなかったし、将来二人の間に子供を産むとなれば、結構な負担になるはずなのに」
「それだけ支払っても、遺産を受け取れば十分回収できると踏んだからかもしれないな」
「お祖母ちゃんもそう言っていた。だからお祖父ちゃんと籍を入れたんだって」
「前のお祖父さんが三十歳で亡くなった後、訳あってお祖母さんが引き取った人なんだよね。山内さんのお母さんは、まだ九歳だった」
「そう。お祖母ちゃんが四十歳の時。今から約四十年近く前になるかな。あの時代には、まだ稀なケースだったと思う」
彼女の祖母、由子の実家である磯村家は、戦前から不動産業を営んでいたそうだ。けれど由子の父であり唯一の息子は、戦争で亡くなったという。その為磯村家では、由子の祖父母と母の八重の四人で暮らしていたらしい。
その後当時としては珍しく大学に入った由子は、卒業後祖父の伝手で別の不動産会社に就職した。ゆくゆくは、一人娘か結婚相手に後を継がせるつもりだったと思われる。通常なら順番としては八重を再婚させ、その夫を婿入りさせるのが先だ。
しかしこの時すでに四十近かったからか、戦死した夫に操を立てたのか、はたまた磯村家の血を引かない八重やその夫候補に家業を継がせることを、遠慮したのかもしれない。彼女はその後、独身を貫いたのだという。
よって予定通り由子が二十九歳になった年、真之介というまだ十九歳だった男性を婿に迎え、彼を磯村不動産に入社させた。二人の出会いはN県の、後に楓達が住む家の近くに住む村だったらしい。
普段は東京に住んでいた磯村家だが、管理物件に住んでいた人の借金の担保として手に入れたその土地や家を、別荘代わりに使用していたようだ。特に夏は涼しかった為、長期間滞在していたという。
そこで由子はかなり幼い頃から十歳年下の真之介と出会っており、縁があって一緒になった。そして婿入りした彼が祖父の元で働き、修行をしていたと思われる。
結婚して二年後、楓の母である真由をお腹に宿した為由子は会社を退職し、家庭に入った。しばらくは、専業主婦として子育てに励んでいたようだ。けれどもその五年後に、七十八歳になった祖父が病気で亡くなってしまったという。
その為一人娘で不動産会社に約九年勤務していた経験がある三十六歳の由子が、磯村不動産に入社したらしい。 社長は、当時五十四歳だった八重が引き継いだ。真之介はまだ二十六歳と若く、いきなり会社を率いるには経験も浅い。もちろん入社したての由子にも、荷が重いと判断されたのだろう。
元々一族経営の会社の為、直系の息子の嫁である八重が引き継ぎ、その後経験を重ねた孫の由子が後に続いてくれればと、病の床に伏していた頃から祖父は考えていたそうだ。それに五歳になった真由の面倒は、高齢になった祖母が看ればいいと思っていたという。
しかしその翌年、七十五歳になる祖母が祖父の後を追うように、急死してしまったのである。さらにはその翌年、八重までも病死した。一九七八年、まだ五十六歳の時だ。そこで問題となったのが、七歳の真由の世話である。
由子は祖父母と母を相次いで亡くし、磯村家の資産を全て引き継いで社長とならざるを得なくなった。その上時代は一九七〇年代半ばからの経済成長期だった為、会社はとても忙しかったそうだ。しかも相当な利益を出していたという。
そんな時に、子供の世話で身を引くなど考えられない。かといって家政婦を雇い、他人に全てを任せるという選択もしなかった。それは由子自身、物心が付く前の四歳の時に父を亡くし、祖父母がいたとはいえ、片親で育てられた経験があったからだと思われる。その結果、なんと当時二十八歳だった真之介が会社の仕事を減らし、単純な事務作業をしつつ家事をこなす役目を担ったというのだ。
当時としては異例だった。専業ではないものの、今でいえばパートをしながら掃除洗濯、食事の用意や子供の面倒を看る主夫の役目を果たすのだ。周りの目も考えれば、そうそうできることではない。
だが真之介が育った家庭環境もあったのか、そうした才能が備わっていたのだろう。彼は四歳の時に母親が亡くなった為、祖父母と父、弟の五人で生活していた。よって幼い頃から、家事手伝いを当たり前のようにやっていたのが役立ったと思われる。
警察官だった彼の父は母の死を機に、子供を連れてN県の市内から祖父母が住む田舎の実家に戻り、駐在所勤務となったらしい。祖父母も畑仕事でほぼ外に出ていることが多かったからか、四つ下の弟もそうせざるを得ない環境下に置かれていたという。
しかしそうした生活は、二年しか続かなかった。真之介が不慮の事故で亡くなったからだ。その後磯村家にやって来たのが、楓にとってのお祖父さんだった。もちろん彼女は、まだ生まれていない。
「三十二年も磯村家にいて、会社の手伝いをしていた時期だってあるんだよね。山内さんの母親が実家へ戻ってからの世話や、病気だった時の看病もしていたんだろう。磯村家というのは、家事ができる男性しかいられない環境だったようだね。俺にはまず無理だな」
大貴が茶化しながらそういうと、彼女は深く頷いた。
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