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第一章~①

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 新年度が始まり一ヶ月が経った五月初旬。春も終わりに近づき、新緑の季節に入った。だが近年の環境変化による影響もあるのだろう。東京の気温は、七月上旬並みの高さまで上昇していた。
 その暑さから逃れる為だけではないが、須藤すどう大貴ひろきは楓達と共にN県の山村へ来ていた。この周辺は標高も高く、避暑地と考えれば決して悪くない場所にある。
 ただ余りに辺鄙へんぴで、東京で生まれ育った大貴にとって、生活するにはとても不便な場所だと感じていた。今年のゴールデンウィークが火曜から木曜と、週の半ばの三連休だけなのが逆に幸いした。それ以上長く滞在すれば、間違いなく飽きていただろう。
 月曜日と金曜日に有給を取れば、土日を併せ九連休も可能だ。しかし入社一年目の新人で、そんな真似は出来ない。それどころか研修中の身で、本来こんな所に来ている場合でもなかった。
 資産運用専門のコンサルティング会社に就職したばかりの大貴の仕事は、まだ先輩達から依頼された資料作成の手伝いが主だ。しかし日本の証券市場が閉じていても、他の国やネット上における金融市場は二十四時間動いている。その為情報収集や直近における変動から、今後の動きを予想し続けなければならない。
 幸いこの地域のネット環境は悪くない為、公私共に支障を最小限で抑えられている点が、唯一の救いだった。また現在与えられている見習い仕事程度なら、余裕にこなせる。大貴は学生時代にAFPやCFP、PBプライベートバンカーに加え、税理士や公認会計士の資格を取得していた。だからこうした休みでも、東京を離れられるのだ。
 しかし楓はまだ研修期間中で、覚えることが多いと聞いている。それでもここへ来たのには、しっかりとした目的があるからだ。
 大貴達が通っていた大学の同級生である目黒めぐろ絵美えみが、楓に尋ねた。
「愛しのグランパは、相変わらずなの」
 彼女は肩を落として頷いた。
「うん。完全無視」
「そうなんだ。相当の拒絶反応ね。明らかに警戒しているってことでしょう。やっぱりメモに書いた倉田家の呪いという言葉が、効いているのかな」
「そうかもしれないし、ただ単に私から離れたいだけなのかも」
 これまで何十回と聞いてきた彼女の弱音を、大貴は一蹴した。
「だったらその理由は何だ。それを調べる為に、俺達はわざわざここに集まったんじゃないのか」
 楓達と深く関わったのは、大学に入学して最初の前期試験が全て終わった頃だ。
 結果待ちでその後は長期の夏休みに入る為、多くの学生達がのんびりと過ごせる時期だった。しかも世界的感染症が拡大する前の、二〇一八年の夏である。皆どこへ遊びに行こうか、という話題が主だった。
 けれど大貴は、既に卒業後の目標がはっきりしていた。その為、それに向けての勉強に励んでおり、決して暇では無かったのだ。しかし同じクラスだった彼女達の会話を、たまたま耳にして興味を引かれたのが最後、多くの謎に四年も引きずられて現在に至る。
 大学では入試における語学の成績順で、クラス分けされていた。よって大貴が所属する経済学部、法学部の楓、商学部の絵美のように、他学部の同級生と交流しやすい環境にあった。
 学部やサークル、部活以外で集団を形成できるよう、大学側が意図的に工夫していたようだ。クラス毎での対抗戦があるなど、結束しやすくする為のイベントも行われていた。おかげでサークルや部活に所属しない大貴でも、クラス単位の集まりにさえ顔を出せば、人脈が広げられたのである。
 小学校の低学年から中学三年までは、地域のサッカークラブに所属していた。高校からは受験に専念するため辞めたが、クラブでも常にレギュラークラスで運動神経には自信を持っていた。
 また副キャプテンに指名された事もある。その上学校でも中心的なグループにいるタイプだった為、大学のクラスでも仕切るメンバーに属していたからだろう。友人や知人は、多く得られた。
 そんなある日、試験は終わったけれど出席が必須である体育の授業が残っていた為、大貴は大学へと来ていた。その授業終わりで学食に立ち寄った所、少し隔離された場所に設置された喫茶室で、深刻な表情をしている楓と絵美を見かけたのである。 
 二人はクラスでも比較的大人しいグループに属していた為、多少会話を交わしたことがある程度で、親しい間柄では無かった。確か楓は大貴と同じくサークルなどに入っていなかったはずだ。絵美は郷土研究会にいると聞いた覚えがある。
 それでも他に知っている人達がいなかったので、大貴はトレーに日替わり定食を乗せ、何となく二人の傍に近寄った。だが彼女達は話に夢中で気付かれなかった為、声をかけず近くの席で黙々と食事をしていたのだ。
 するとうっすら、会話の内容が耳に届いて来たのである。最初は何気なく聞き流していたが、途中からいくつか気になるワードが耳に入った。よってその後は真剣に、じっと聞き耳をたてていたのだ。
 話をまとめると、楓は複雑な家庭事情により、幼い頃から亡くなった母方の祖父母の手で育てられたようだ。やがて高齢になった祖母の事情で、東京からN県の家に引っ越した。そこは以前からある別荘地で、夏の間によく使っていたらしい。 
 しかしいつまでも彼らの手を煩わせたくないと思った彼女は、必死に勉強し、東京の全寮制の中高一貫学校を受験したという。そこは進学校で、尚且つ住む場所と食事もついていた。その為、お金さえあれば一人で暮らしていける。そう考えていたようだ。
 その予感が悪い方で当たった。彼女が入学した年の冬、春先から体調を崩していた祖母が、病気で亡くなってしまったという。
 そこで大きな問題が起こったのだ。母の実家である磯村家は、代々東京で不動産業を営む資産家だったらしい。その為当然多額の遺産相続が発生する。しかしそのほとんどは、一人娘の子である孫の楓に遺贈いぞうされたというのだ。
 さらにもう一人の法定相続人の祖父が死後離婚、つまり姻族終了届けを提出して磯村家を飛び出し、行方不明になっているという。
 本当は直ぐにでも祖父を探したいと楓は思っていたが、当時はまだ十三歳の子供だ。よって一人では無理だと諦めた。しかしようやく大学へ入学し一段落着いた彼女は、これから祖父を捜索し、昔のように暮らしたいと考えているらしい。
 そうした話を絵美に打ち明けていた理由は、かつて住んでいたN県の出身で、実家も近くにあると知ったからのようだ。しかも日本各地にある田舎の研究をし、将来地元に戻り町興しをしたいという彼女なら、興味を持ってくれると期待していたのだろう。
 単なる人探しだけなら、大貴は全く関心など持たなかった。だが多額の遺産を受け取ったと知り、俄然彼女とその会話に心を動かされたのである。
 そういうと時に誤解を生むけれど、自身が多額の金を狙っていた訳ではない。惹かれるのは大金を持つ人物だ。財力を持った人間はいかなる行動を取り、振る舞いや態度がどう変化するのか。そうした点に、最も興味をそそられていたのである。
 父親はいわゆる一流企業のサラリーマンで、母の実家も比較的裕福だ。その為須藤家は日本の中だと、純金融資産保有額が一億以上五億未満の富裕層に分類される。
 純金融資産とは、預貯金、株式、債券、投資信託、一時払い生命保険や年金保険等、世帯として保有する金融資産の合計額から、負債を差し引いたものを指す。不動産など直ぐに処分できない、出来ても安く処分しなければならない実物資産と呼ばれるものは、そこから除かれる。つまり急に資金が必要となった時、処分できる資産だけを表すのだ。
 五億以上の超富裕層を併せると、上位四%が日本全体の二割余りの富を占めると言われていたが、世界に目を向ければさらにその格差は大きい。日本ではバブル時代から始まり、リーマンショック後に、そうした傾向は一段と顕著けんちょになった。
 小学校の高学年頃から経済に関心を持った大貴は、大学卒業後の就職先を中学時代から決めていた。それは富裕層のみターゲットにする、資産運用専門の独立系コンサルティング会社だ。
 そこで経験と知識を積み、やがては起業し独自のビジネスを展開することが、将来の目標となったのである。そうすればより多くの、いわゆる“金持ち”と言われる人物達と接する機会が増え、その人となりを観察できると思い付いたからだ。 
 そうした大貴の知的欲求を、楓が刺激した。その為彼女の生い立ちや、これからの行動に意識が向いたのだろう。
 よって頃合いを計り、こちらから声を掛けた。
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