カジノ

しまおか

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第二章

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 深野の時もそうだ。彼女がセクハラを受けているとの噂が耳に入った為、直ちに事実かどうかを確認した。当初本人からは羞恥心や恐怖心があったのか、要領を得ずに肝心な事が聞きだせなかった。
 そこで他の同僚の話や女性の利用者を中心に探ると、彼女が担当している一之瀬いちのせいさむがセクハラをしている瞬間を見たという複数の証言が得られたのだ。さらには施設内の防犯カメラで確認し、いい逃れのできない確たる証拠を押さえることが出来た。
 それらを基にして、もう一度深野本人に確認をしたところ、ようやく彼女は被害の実態を告白したのである。具体的には入浴させる時等に抱きかかえて接触した際、抱き着いた手で胸やお尻を触ったり、揉んだりしたという。その上剥き出しになった自分の下半身を、彼女の体にこすり付けたりもしたらしい。 
 デイサービスが提供するサービスは、主に五つある。利用者の送り迎え、施設における入浴や食事の提供、そしてリハビリの為の機能訓練やレクリエーションだ。
 その中でも入浴サービスは、どうしても利用者との距離が近くなる。特に一ノ瀬は当時七十歳後半で足腰に障害があり、一人で風呂桶に入ることができなかった。その為必ず補助が必要だったのだ。
 五年程前から翔達の施設を利用し始めた彼の家庭環境には、確かに同情すべき問題があった。世話になっている娘夫婦達との確執があり、相当邪険にされていた事も知っている。
 本来ならば居住型老人ホームに放り込まれていてもおかしくなかった程だ。家では放任されているらしく、だからなのか彼はほぼ毎日楽しみにして施設へと通って来た。家庭内でのストレスから解放されるからだろう。
 そのことを良く知る介護士達は、特別扱いとまではいかなくても彼を丁重に扱い、気を使っていた事は間違いない。そうした積み重ねが彼の増長へと繋がったようだ。
 といって羽を伸ばし過ぎても困る。彼の行為はセクハラ等という言葉で済まされない、完全な犯罪レベルの痴漢行為だった。それを許すほど施設側も寛容ではない。
 ほぼ毎日、五年以上も通っているお得意様ではあった。施設としても利用回数の多い固定客は、安定した収入が見込める為とても有り難い。しかし従業員の確保が難しい介護業界で、そのような傍若無人な振る舞いを許す訳にはいかなかった。介護士に辞められて困るだけでなく、他の利用者への悪影響も懸念されるからだ。
 そこで渋る上司を説き伏せ、翔は一ノ瀬に対して強硬な態度で、尚且つ柔らかく接するよう注意しながら対応した。周囲の利用者には聞こえないよう、離れた場所にある部屋に呼び出して言った。
「一ノ瀬さん、これ以上深野さんにセクハラ行為をし続けるのなら、担当者を男性に変更するだけでは済みませんよ」
 しかし彼は恍けた。
「何のことだ。セクハラだって? 俺はそんな事などしてない」
「言い逃れはできませんよ。本人以外の人達からも、そうした行為をしていたと証言を得ています。それだけではありません。証拠の動画もここにあります」
 事前に取り込んでおいたタブレットを使って防犯カメラで撮影した映像を見せると、さすがに罰が悪かったのか彼は黙った。そこで畳みかけるように小声で言った。
「こんなことをしていると、娘さん達に知られたらどうなります? 特にあのお婿さんなら、恥ずかしい事をしてくれたと激怒されるのではないですか? それだけで済めばいいですが、二度とこの施設へ通わせないようにするかもしれません。そしてこれを機に、別の施設へ放り込まれる可能性だってあるでしょう」
「あ、あいつらに言いつけたのか!」
 慌てる彼を宥めて首を振った。
「いいえ。まだ言っていません。しかし一ノ瀬さんが反省し、もう二度とこんなことをしないと言うのなら、娘さん夫婦に報告することは辞めます。ただし担当は彼女から、別の男性介護士に変更しますよ。もし異議があるようなら、こちらにも考えがあります」
 断固とした翔の言葉から本気だと思ったらしい彼は頷いた。
「わ、分かったよ。もう二度としない。担当も変わって構わないから、あいつらにこの映像を見せることだけは止めてくれ」
「了解です。その代わり、担当変更する前にきちんと深野さんには謝って貰いますよ。しっかり頭を下げて、反省してください。もし彼女がこれを機に施設を辞めるようなことになれば、責任を取って貰いますからね」
「も、もちろんだ。すまなかった。謝る。謝るよ。それに施設を辞めない様、俺からもしっかりお願いするから」
 そうしてしっかり言質を取った上で待機していた彼女を部屋に呼び入れ、きちんと詫びを入れさせたのである。
 翔は相手を黙らせる手口として、日頃から蓄積しておいた各利用者の弱点を上手く使い、今回のように軽く耳打ちする手を良く使っていた。長い間弱者だった自分がいかにして強者から逃げられるか、または黙らせることができるかと苦労して考えた末に生み出した護身術の一つである。
 人には誰だって通常一つや二つは人に突かれたくない、触れられたくないものを持っている。その弱みを掴めば、揉めた際などに利用することが出来た。長く勤めている間に翔は人当たりの良さを利用し、そうした情報を聞き出す習慣がついていたのだ。それを問題が起こった際、活用していただけに過ぎなかった。
 強者に怯え弱者に強く出る姿は、自分が最も忌み嫌っていた学人と何ら変わらない。ただそれが恥ずべき行為だと己で気付き、私利私欲の為には使わないと決めていた事だけが彼と異なる点であり、最後の矜持だった。
 その後一ノ瀬は大人しくなり、新たな担当の男性介護士の世話を素直に受け入れた。嫌な目に遭った深野も、それから問題のある高齢者に対する対処方法を学び、施設を辞めることなく引き続き働いてくれた。
 そして翔が退職する頃には中堅介護士として活躍しており、施設全体の運営まで考えられる程頼もしく成長したのである。翔が施設を去ると決めた際、この施設には立川さんが必要です、辞めないでください、と必死に引き留めてくれた程だ。
 そんな翔が介護士を辞めてカジノで働くようになったのは、自分を育ててくれた伯母のさくの転院がきっかけだった。
 翔の母は短大を卒業後、二十三歳で転勤族だった父と結婚した。当初は仲睦まじい夫婦だったようだが、二十七歳の時に翔を産み、各地を転々とし始めた頃から状況が変わりだしたという。
 結婚するまで深く考えていなかった母は、実際に知人のいない見知らぬ土地を渡り歩き始めて、ようやく精神的苦痛が伴うことに気づいたらしい。そんな状況で翔が生れ、子育てという苦労が加わったのである。 
 高給取りだったらしい父は、朝早く出かけ夜も毎日のように遅かったという。また休日出勤もあり、接待ゴルフなどに出かけることも多く、子供の事は母に任せっきりだったようだ。
 そうした生活が続き、土地にも馴染み切れないまま新たな土地へと移り住むことで、母の精神は擦り切れてしまったのだろう。
 さらに翔も幼稚園や小学校等の転入先で上手く友人ができず、苛められることが多かったことも影響していたと後に聞かされた。毎日のように、行きたくないと愚図る我が子を宥めることにも疲れ果てた母は、父に悩みを相談しても埒が明かなかったらしい。
「俺は忙しく働いて、十分な生活費を稼いでいるじゃないか。子育ては専業主婦のお前の仕事だろう」と聞く耳を持たなかったという。 
 そこで我慢の限界が来たのだろう。母は決心をし、父に別れて欲しいと切り出した。その結果両親は離婚したのである。翔が小学校三年生の九歳の夏の事だ。母は翔を連れて実家のあるO県へ戻り、祖父母と伯母夫婦と共に暮らすことを選択した。
 しかしそこに至るまでは、かなり苦労したらしい。母から離婚を切り出したことで父は激怒し、時には暴力を振るうようになったからだ。その為一刻も早く別れたかった母は、慰謝料も翔の養育費も受け取らないとの条件を飲まされたという。
 それでも当時祖父母は共に年金暮らしだったが、伯母の夫が地銀に勤めていて伯母も共働きしていたことと、母も小さなスーパーの事務員として働いていたことで、何とかやり繰りできていたようだ。
 ちなみに伯母夫婦の間に子供がいなかった為、翔は祖父母と共に彼らからとても可愛がられた。また実家の間取りは五LDKと広く、翔達二人が転がり込むスペースが十分あったことも幸いした。
 そんな環境の中、翔は実家から通い始めた小学校でも馴染むことが出来なかった。そして友達も出来ずに孤立していた所で学人と出会ったのだ。しかも小三の二学期から転入し、一学年に三クラスあったにも関わらず、不幸にも卒業までの三年半を彼と同じ教室で過ごすことになる。この事が後に翔のその後の人生を狂わす程の出会いだったとは、その時知る由もなかった。
 学人の父親は、地元で不動産業を営んでいた。地域の顔役でもあり、IR施設の誘致にも一役買った程だ。裕福な家庭で育った学人はそこの三男坊で、長男は四つ上の天馬てんま、次男は二つ上の大地だいちという。現在もそうだが、親や兄達のような他人の強い力や立場を利用して威張りちらす学人の性格は、昔と全く変わっていない。
 実の所本人はそれほど体も大きくなく、恐らく喧嘩も強くない。だが腕っ節に自信がある兄達の威を借り、弱い者苛めが大好きだった。後に知ったが、兄弟の中では虐げられていたらしく、その反動から同級生や下級生をいたぶるようになったようだ。翔はその中の一人として目を付けられ、中学を卒業するまで苛められ続けた。
 合計六年以上もそんな学校生活を過ごしたおかげで、翔には嫌な癖がついてしまった。学人とその取り巻き達の機嫌を損ねないよう愛想笑いをする日々が続いたからだろう。人前に出るとその習慣が反射的に出てしまうのだ。それは大人になった今でも抜けていない。
 だが卑屈になってしまった翔の性格に気付いた祖父は心配し、なんとかしようと友人が近所で開いていた合気道の道場へ通わせるようになった。
 これが剣道や柔道、空手やボクシングだったら、当時から闘争心の欠片も無い性格の為長続きはしなかっただろう。なぜなら合気道には流派がたくさんあり、武器も木製の剣や杖、木製やゴム製の短刀を使うものはあったが、あくまで護身術で基本的には試合も行わない。よってこちらから仕掛けることなど、ほとんど教わらないからだ。
 それが翔の気質には合っていたらしい。その為後に実家を出てからも別の道場へと通い、成人してからも続けた。その結果指導責任者にもなれる四段を取得する程になったのだ。
 しかし実際の学生生活で役に立つ場面など、一度たりとも訪れたことはない。なぜなら翔に対する苛めは、殴られたり蹴られたりする類《たぐい》ではなく、じわりじわりと周囲から圧力をかけ、反抗出来なくさせる方法が主流だったからだ。
 それでも学人達の命令に従わなければ、胸倉を掴まれる位はされたかもしれない。そうすれば相手の手首を捻る程度の抵抗もできただろう。しかし翔にそんな勇気は無かった。
 合気道により肉体はそれなりに鍛えられたが、相手に楯突く程の精神的な強さは持てなかった。あくまで受け身の姿勢を変えることができなかったのである。
 そんな学人と距離を置くことが出来たのは、中学を卒業して別の高校へと通うようになってからだ。翔は厄介な人間関係を清算したくて堪らず、平和な学生生活を送りたいと常日頃から考えていた。 
 さらに決して裕福とは言えない環境の中、将来どうやって生活していくかも真剣に悩んだ。自分が何をやりたいのか必死に模索していたのもその時期である。
 そして最終的に選んだのが介護士への道だった。
 きっかけは翔が中学二年の時、伯父の運転する車とセンターラインオーバーしてきた対向車のトラックが正面衝突した事故だった。そこで彼が亡くなったのである。さらには助手席に同乗していた母までもが命を失ったのだ。
 祖父母も辛かっただろうが、それ以上に苦悩したのが伯母だろう。妹と夫を一気に亡くしたのだ。その胸の内がいかばかりか、想像を絶した。
 伯母達が祖父母と同居し始めたのは事故が起こる二十五年程前で、二人の間に男の子が生まれたからだと聞いている。その前は伯父の働く銀行が用意した借り上げ社宅に住んでいたらしい。
 当時地元企業に勤めていた伯母は、出産を機に仕事を辞めることを躊躇したという。そこで出産後も子育てできるよう、近くに住む祖父母と暮らすことを決めたそうだ。もちろん社宅で生活しながら、手助けして欲しい時は祖父母に来て貰うことも考えたらしい。しかし周囲の目が気になり、引っ越しを決めたという。
 なぜならその頃は銀行に勤めている夫の妻が共働きしていること自体珍しかったそうだ。そうした異質な生活をしていることが目障りだったのだろう。同じ社宅の奥様達から疎んじられ、余り良い関係が保てなかったという。
 そんな理由もあり、伯母は実家で祖父母と同居したいと夫に相談した所、了承されたそうだ。伯父の実家は隣の県で両親は伯父の兄である長男夫婦と住んでいた為、そちらから反対はされなかったという。そして祖父母と暮らし始めてから伯母が二人目を妊娠したことを機に、実家を増築して部屋数を増やしたらしい。
 最初の子は可愛らしい女の子だったという。だが不幸な事に小学校へ上がる前に病死したのだ。さらには同じ年に長男が、通っていた幼稚園でプールに入っていた時、溺れて亡くなった。どうやら保育士が目を離した隙に起こった事故だったらしい。
 立て続けに起こった災難で、伯母夫婦の関係は一時期悪化したようだ。娘の死も息子の事故死も、伯母が仕事を辞めていれば起こらなかったのではないかと無責任な近所の悪口が聞こえて来たからだという。恐らく口には出さないが、夫も本音ではそう思っているに違いない。そんな疑心暗鬼に伯母は捉われていたのだろう。
 それでも時が経つにつれて傷が癒え始めたが、夫婦間の関係は無くなっていたらしい。しかし翔達親子が出戻って来たことで、新たな関係が生れたと思われる。それなのに翔一人置いて、二人だけがこの世から去ったのだ。もちろん残された翔と祖父母や叔母との関係も大きく変わった。
 離婚した父に翔を引き取らせることも考えたそうだ。しかし祖父母が母の死を告げる際に連絡を取った時点で既に父は再婚していたという。しかも新たな家庭を築き、二人目の子供が生まれる予定だったたからか、受け入れる気など全く感じられなかったらしい。その為止む無く祖父母達は引き続き翔を育てる事になったのだ。
 そうした経緯もあり、成人した今でも父とは関係を絶っている。そんな環境の中、祖父母が共に七十歳となり古希の祝いを行った際の会話を聞いて、翔はハッとしたのだ。
「父さん、母さん、おめでとう。これからも元気で長生きしてね」
 伯母の言葉は感謝の意味の他に、現実的な意味も込められている。当時は祖父母もまだ健康に問題はなく、毎日それぞれの趣味を通じた友人達との暮らしを満喫していた。それでも贅沢なお金の使い方はしていない。
 祖父は福祉センターの囲碁クラブに出入りし、祖母は手芸教室へ通っていた。共に市民は利用料がかからない。支払うとすれば、お仲間達との食事やお茶代程度だった。
 当時伯母が正社員として働き稼ぎ出す給与は、年収五百万円程度だったのだろう。手取りはもっと少なかったはずだ。それに対し祖父母達の年金は、二人合わせて年三百万近くあったらしい。その上持ち家もあり、伯父や母が亡くなった際の死亡保険金や賠償金があったことで、暮らしは貧しくなかった。
 それでも翔の学費や将来の蓄え等を考慮すれば、無駄遣いはできない。その為祖父母達が病気にもかからず元気に生きていて貰わなければ、年金という大事な収入源が絶たれてしまう。そして翔と二人だけにしないで欲しいとの思いから出る、心の底からの伯母の願いに聞こえたのだ。
 その時翔は、将来病気になって寝込む祖父母達を想像し、猛烈な不安に駆られた。そしてそれまでも頭の中によぎったことはあるものの、それほど真面目に考え無かった事が、高校の進学先をどこにするか迷っていた事と重なったのだ。
 普通に進学して大学に入れば、就職する頃に祖父母達は七十八歳と喜寿を超える。それまで二人が健康でいるとは限らない。特に祖父は当時の男性の平均寿命に近い年齢となる。伯母だってその頃には五十を過ぎる年だ。その為翔自身が一日でも早く自立し、生活できるようにならなければいけない、と考えさせられたのである。
 そこで当時の担任教師に相談した所、手に職を付けるか資格を取るのが一番だと教えられた。さらに高校を卒業してすぐに就職するにはどうすればいいか、様々な方法を一緒に探してくれたのだ。
 その時候補として挙がったのが、福祉系の高校だった。翔にとって、そこへの進学は大変魅力的に映った。というのもその学校なら間違いなく学人とは一緒にならない。しかも地元から少し距離があった為、彼らと関わる確率も薄まると考えたからだ。
 その上そこへ入学すれば、介護福祉士に必要な資格の勉強もでき、実習講習も受けられる。そして三年目には筆記試験を受けて合格すれば資格が取れ、その後すぐに就職もできる事を知った。
 けれども給与はそれほど高くないと言われた。しかし超高齢化社会に突入した日本では必ず必要とされる職業であり、失業する心配の少ない職種だという言葉にも心を動かされたのである。
 加えて祖父母という、将来介護が必要となるかもしれない人物が身近にいたことも影響した。彼らは本当に優しく接してくれていた。また残された翔を責めることなく育てて貰った恩義もある。
 その為彼らが弱った時には、自分が助けなければいけないという使命感を持った。そうした複数の要因から、在学中に介護福祉士の資格取得の勉強ができる、福祉系高校の受験を決めたのだ。
 結果合格したおかげで、狙い通り学人達との関係を断つことが出来た。そして卒業後に筆記試験を受け無事資格を取得した翔は、デイサービスに特化した介護施設へと就職することができたのである。
 しかし介護施設で働き始めて六年目の冬、翔が二十五歳の時に祖父はすい臓癌で亡くなった。八十一歳だった。亡くなる二年前までは、二人共本当に元気だった。
 けれどその年の冬、祖母が急性の心筋梗塞になり、一時は医師から覚悟するようにと言われたほど危険な状態にまで陥ったのである。だが何とか退院できて伯母と胸を撫で下ろしていたところ、今度は祖父が体調不良を訴え始めた。そこで検査を受けた結果、すい臓に癌が発見されたのだ。既にステージⅣの段階で、手術も難しく余命半年と宣告された。
 そこから約一年、時折通院はしながらも最期を迎える直前まで、祖父は自宅療養した。やがて意識が無くなり、いよいよ危ないとなった時は病院へ運ばれた。そして昏睡状態になったままその二日後にこの世を去ったのである。
 祖父が自宅にいた頃、翔は介護も少しばかり手伝ったが、ほとんどは祖母がつきっきりで面倒を看ていた。祖父もその方が気楽だといい、最後まで甘えていたように思う。
 しかし祖父の死後、それまでは気力で何とか乗り切っていた祖母も、心臓を悪くしていたことから寝込むようになった。その時の世話は伯母と二人で役割分担をしたが、結局一年も経たない内に祖父の後を追う形で、心不全により亡くなったのだ。
 両親の度重なる死を経験し、翔と二人残された伯母は精神的に大きな衝撃を受けたのだろう。その後塞ぎ込むことが多くなり、時には朝起きることが出来ず、会社を休むことも増えた。
 これまでも二人の子供を早くに失い、夫と妹にまで先立たれるという波乱の人生を送ってきた彼女である。そうした心痛と五十歳を過ぎて更年期が重なったこともあったのか、朝起きるといつも体がだるいと口にするようになったのだ。
 その症状は長引き、治るどころかますます酷くなるばかりだった。その為病院で診察を受けたところ、うつ病と診断されたのである。結果仕事場にも行けなくなり、会社を辞めざるをえなくなったのだ。 
 それは伯母が五十七歳、翔が介護施設で働き始めて九年目の二十八歳の時だった。そこから血の繋がらない伯母と二人きりの生活を、翔が支える事になったのだ。これも必然な運命だったのだろう。
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