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第二章~明日香
モナコへの想い
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明日香にとって新婚旅行先は、当然モナコしか考えられない。母親の影響で好きになったグレース・ケリーという女性と、彼女の嫁ぎ先であるモナコ公国という小さな国への憧れは、生半可なものではなかった。口で説明させれば何時間でも話し続けることができる。
クールビューティーと呼ばれた彼女は、演じることに喜びを感じて十二歳の時に地元フィラデルフィアのアマチュア劇団に入り、十八歳で地元を離れてニューヨークの演劇学校に入った。
さらにそこから十九歳の時に難関と言われる劇団のオーディションに合格し、二十歳でプロの女優となる。そこからブロードウェイにもデビューし、二十四歳の時に出演した映画「モガンボ」でゴールデングローブ賞の女優賞を取り、世間から注目され始めた。
その後あの有名な映画監督であるヒッチコックに見初められ、「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」に出演してさらに脚光を浴びたのだ。そして別の監督による映画「喝采」に出演し、その演技を評価された彼女はアカデミー主演女優賞を受賞した。彼女が二十六歳の時でそれから一気に大スターへの階段を上り始めたのだ。
グレース・ケリーとヒッチコックの関係は有名だが、実はたった三作しか共演していない。それでも深い繋がりがあった。ヒッチコックの映画に初めて出た作品が「ダイヤルMを廻せ」だ。脇役で出演したこの映画でのグレースの出番はそれほど多くない。
しかし上流階級の女性役らしく上品で知的な、しかし不倫をしている強かで気の強い一面を持ち、かつか弱い一面も持つ女性を上手く演じている。この作品は有名な「裏窓」以上に完成度が高いと後に評されていると聞いて納得したほどだ。
「裏窓」でも同じく上流階級出の上品で知的な女性役だったが、無茶なこともするかと思えば、冷静で度胸がある役を演じていた。実際の彼女も上流階級出の知的な美人で、かつ上品なファッションセンス溢れた女性だったそうだ。しかしそれ以上にか弱さを見せながらも明るく元気な、活発で思い切った行動をする役を演じている彼女の姿は、明日香の幼心を刺激し、とても魅力的に映った。
「裏窓」の脚本家が、ヒッチコックに初めてグレースを紹介された時の印象として、プライベートな彼女はユーモアがあって聡明で、てきぱきして感受性の強い女性だ、と評したという。そこで元々女性が出てこない、三十五頁ほどの短編だった「裏窓」という小説を映画化しようとしたヒッチコックは、彼女が活きるように書き直せと脚本家に指示を出したそうだ。
その結果、ヒッチコック同様彼女に魅了された脚本家が書き足した役は、怪我で動けなくなっていた恋人を助ける、知的でかつ大胆な女性だった。それが大ヒットを記録したのだ。しかしオスカー像を与えられた「喝采」での彼女の演技は、それらとは対照的だった。ある事件をきっかけに落ちぶれた、かつては実力スターだった弱い夫を、懸命に支える妻を演じている。
それまでの彼女とは違い、地味な服を身にまとって酒に溺れる夫を健気に見守る姿は、前二作を見た後では一見してあのグレースだと気づかないほど陰気なオーラを纏っていた。そうかと思えばストーリーが進むにつれ、かつての才能溢れた夫を再び舞台に引き戻そうとする演出家と彼女は、度々激しく対立する。そこで強い信念を持って夫を思いやり、力強く立ち向かう演技は見事なものだった。
それだけでなく弱気な夫に愛想がつき、他の男に求愛され揺れる弱い女の一面も見せ、それでも夫を愛し続ける妻の表現力は他の作品以上に彼女の多面性が見られた。だからこそ「喝采」で彼女がオスカー像を手にしたと映画を観た後で母から教えられた時は、大いに頷いたものだ。
その後モナコ公妃となり、生涯で大輪の花を二度咲かせたシンデレラストーリーに至る過程もまた、様々なドラマがあったようだ。きっかけはヒッチコックの映画「泥棒成金」に出演した際、モナコでのロケ撮影でお城の花園を見かけたグレースは、その溢れんばかりの美しさに心を奪われたという。そしてモナコにも近いフランス南部にあるカンヌの映画祭に招待された時、モナコのレーニエ公と対談して写真を撮るという仕事が入った。運命というものは得てしてこういうものかもしれない。
そこで二人は初めて出会い、意気投合してこっそりと文通を始め、また何度か密会を重ねて過ごすうちに愛を育み、二十六歳の時に婚約し、翌年に結婚したのだ。女優のプロになってわずか七年後の二十七歳で彼女はプリンスとなり、やがて二人の子を授かり、五十二歳の若さで亡くなるまでモナコという小国の公妃として過ごしたのである。
モナコという国もまた魅力あふれる場所だった。初めてその存在を知ったのは明日香が小学生の頃で、すぐにでも行ってみたいと思った記憶がある。しかしある時からモナコへの想いが強くなり過ぎ、そう簡単に訪れてはいけないと考え始めたのだ。
やがて女性は大人になると好きな人と結婚し、新婚旅行をするという知識を得た明日香は、自分が結婚した時の行き先はモナコしかない、と思い込んでしまった。それが小学生のいつ頃だったかは定かでは無い。
それでも結婚まで待っていられない、モナコへ行きたい、行こうという誘惑に駆られることは何度となくあった。明日香が大学生になるまで、年に一回は家族で海外旅行をしていた早乙女家では、
「今年こそは私も明日香も大好きなモナコへ行きましょうか」
と母が言いだしたりするのだ。その度に何とか思い止まらせて別の国へと変更させた。
さらに高校や大学の卒業旅行の行き先も、明日香が恋い焦がれていることを知っている友人達に、モナコなんかどう? と誘われたが、どうにか踏み止まってきたのだ。
しかし明日香が我慢していることなど関係ない母は、父や友人達と一緒に、何度も大好きなモナコを訪問している。通算すれば二十回は超えるだろう。その度に色んなお土産を買ってきてくれたり、旅行中の素敵だった場所の話を聞かせてくれたりした。
そうやって小さい頃から土産話を聞く度に、複雑な思いに駆られたものだ。おかげで一度も行ったことが無い国なのに様々な情報がインプットされ、今では地図を見なくてもあらゆる観光スポットが頭の中に浮かべることができるようになった。
例えば国の西側にはバラ園、そこから北に上がり小さな湾を避けながら東に向かうと、FIのレーシングカーなども置かれているレーニエ大公クラシックカー・コレクションの建物がある。そして南東に向かうと宮殿、さらに南下すると大聖堂が、と空で説明できるほどだ。
明日香にはもう一つ、グレースに関して我慢していることがあった。それは元が「サック・ア・クロア」という名で、グレースがモナコ王妃となり最初の妊娠をした際、お腹の膨らみを隠すため使っていたバッグを手に入れることだ。
彼女が持っている様子を世界の記者達が写真にとって報道したため一躍世界的に有名となり、別の名前があるにも関わらずエルメス社が彼女の名が入った“ケリーバッグ”と呼ぶ許諾を求めたという。
それが許されたバッグは、今もなおエルメスでも根深い人気商品だ。ケリーファンでなくても必ず手に入れたいものの一つだった。グレースが好んだと言われる高級ブランドの洋服は、幼い頃から母がたくさん買い与えてくれた影響もあり、働きだしてからは自分のお金で購入していた。中でもエルメスが一番のお気に入りだ。
それなのに、有名なエルメスのケリーバッグだけは持っていなかった。それは自分で購入したり父や母などからプレゼントされたりするのではなく、必ず将来の旦那様から買ってもらいたい、という願望を持っていたからだ。
クールビューティーと呼ばれた彼女は、演じることに喜びを感じて十二歳の時に地元フィラデルフィアのアマチュア劇団に入り、十八歳で地元を離れてニューヨークの演劇学校に入った。
さらにそこから十九歳の時に難関と言われる劇団のオーディションに合格し、二十歳でプロの女優となる。そこからブロードウェイにもデビューし、二十四歳の時に出演した映画「モガンボ」でゴールデングローブ賞の女優賞を取り、世間から注目され始めた。
その後あの有名な映画監督であるヒッチコックに見初められ、「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」に出演してさらに脚光を浴びたのだ。そして別の監督による映画「喝采」に出演し、その演技を評価された彼女はアカデミー主演女優賞を受賞した。彼女が二十六歳の時でそれから一気に大スターへの階段を上り始めたのだ。
グレース・ケリーとヒッチコックの関係は有名だが、実はたった三作しか共演していない。それでも深い繋がりがあった。ヒッチコックの映画に初めて出た作品が「ダイヤルMを廻せ」だ。脇役で出演したこの映画でのグレースの出番はそれほど多くない。
しかし上流階級の女性役らしく上品で知的な、しかし不倫をしている強かで気の強い一面を持ち、かつか弱い一面も持つ女性を上手く演じている。この作品は有名な「裏窓」以上に完成度が高いと後に評されていると聞いて納得したほどだ。
「裏窓」でも同じく上流階級出の上品で知的な女性役だったが、無茶なこともするかと思えば、冷静で度胸がある役を演じていた。実際の彼女も上流階級出の知的な美人で、かつ上品なファッションセンス溢れた女性だったそうだ。しかしそれ以上にか弱さを見せながらも明るく元気な、活発で思い切った行動をする役を演じている彼女の姿は、明日香の幼心を刺激し、とても魅力的に映った。
「裏窓」の脚本家が、ヒッチコックに初めてグレースを紹介された時の印象として、プライベートな彼女はユーモアがあって聡明で、てきぱきして感受性の強い女性だ、と評したという。そこで元々女性が出てこない、三十五頁ほどの短編だった「裏窓」という小説を映画化しようとしたヒッチコックは、彼女が活きるように書き直せと脚本家に指示を出したそうだ。
その結果、ヒッチコック同様彼女に魅了された脚本家が書き足した役は、怪我で動けなくなっていた恋人を助ける、知的でかつ大胆な女性だった。それが大ヒットを記録したのだ。しかしオスカー像を与えられた「喝采」での彼女の演技は、それらとは対照的だった。ある事件をきっかけに落ちぶれた、かつては実力スターだった弱い夫を、懸命に支える妻を演じている。
それまでの彼女とは違い、地味な服を身にまとって酒に溺れる夫を健気に見守る姿は、前二作を見た後では一見してあのグレースだと気づかないほど陰気なオーラを纏っていた。そうかと思えばストーリーが進むにつれ、かつての才能溢れた夫を再び舞台に引き戻そうとする演出家と彼女は、度々激しく対立する。そこで強い信念を持って夫を思いやり、力強く立ち向かう演技は見事なものだった。
それだけでなく弱気な夫に愛想がつき、他の男に求愛され揺れる弱い女の一面も見せ、それでも夫を愛し続ける妻の表現力は他の作品以上に彼女の多面性が見られた。だからこそ「喝采」で彼女がオスカー像を手にしたと映画を観た後で母から教えられた時は、大いに頷いたものだ。
その後モナコ公妃となり、生涯で大輪の花を二度咲かせたシンデレラストーリーに至る過程もまた、様々なドラマがあったようだ。きっかけはヒッチコックの映画「泥棒成金」に出演した際、モナコでのロケ撮影でお城の花園を見かけたグレースは、その溢れんばかりの美しさに心を奪われたという。そしてモナコにも近いフランス南部にあるカンヌの映画祭に招待された時、モナコのレーニエ公と対談して写真を撮るという仕事が入った。運命というものは得てしてこういうものかもしれない。
そこで二人は初めて出会い、意気投合してこっそりと文通を始め、また何度か密会を重ねて過ごすうちに愛を育み、二十六歳の時に婚約し、翌年に結婚したのだ。女優のプロになってわずか七年後の二十七歳で彼女はプリンスとなり、やがて二人の子を授かり、五十二歳の若さで亡くなるまでモナコという小国の公妃として過ごしたのである。
モナコという国もまた魅力あふれる場所だった。初めてその存在を知ったのは明日香が小学生の頃で、すぐにでも行ってみたいと思った記憶がある。しかしある時からモナコへの想いが強くなり過ぎ、そう簡単に訪れてはいけないと考え始めたのだ。
やがて女性は大人になると好きな人と結婚し、新婚旅行をするという知識を得た明日香は、自分が結婚した時の行き先はモナコしかない、と思い込んでしまった。それが小学生のいつ頃だったかは定かでは無い。
それでも結婚まで待っていられない、モナコへ行きたい、行こうという誘惑に駆られることは何度となくあった。明日香が大学生になるまで、年に一回は家族で海外旅行をしていた早乙女家では、
「今年こそは私も明日香も大好きなモナコへ行きましょうか」
と母が言いだしたりするのだ。その度に何とか思い止まらせて別の国へと変更させた。
さらに高校や大学の卒業旅行の行き先も、明日香が恋い焦がれていることを知っている友人達に、モナコなんかどう? と誘われたが、どうにか踏み止まってきたのだ。
しかし明日香が我慢していることなど関係ない母は、父や友人達と一緒に、何度も大好きなモナコを訪問している。通算すれば二十回は超えるだろう。その度に色んなお土産を買ってきてくれたり、旅行中の素敵だった場所の話を聞かせてくれたりした。
そうやって小さい頃から土産話を聞く度に、複雑な思いに駆られたものだ。おかげで一度も行ったことが無い国なのに様々な情報がインプットされ、今では地図を見なくてもあらゆる観光スポットが頭の中に浮かべることができるようになった。
例えば国の西側にはバラ園、そこから北に上がり小さな湾を避けながら東に向かうと、FIのレーシングカーなども置かれているレーニエ大公クラシックカー・コレクションの建物がある。そして南東に向かうと宮殿、さらに南下すると大聖堂が、と空で説明できるほどだ。
明日香にはもう一つ、グレースに関して我慢していることがあった。それは元が「サック・ア・クロア」という名で、グレースがモナコ王妃となり最初の妊娠をした際、お腹の膨らみを隠すため使っていたバッグを手に入れることだ。
彼女が持っている様子を世界の記者達が写真にとって報道したため一躍世界的に有名となり、別の名前があるにも関わらずエルメス社が彼女の名が入った“ケリーバッグ”と呼ぶ許諾を求めたという。
それが許されたバッグは、今もなおエルメスでも根深い人気商品だ。ケリーファンでなくても必ず手に入れたいものの一つだった。グレースが好んだと言われる高級ブランドの洋服は、幼い頃から母がたくさん買い与えてくれた影響もあり、働きだしてからは自分のお金で購入していた。中でもエルメスが一番のお気に入りだ。
それなのに、有名なエルメスのケリーバッグだけは持っていなかった。それは自分で購入したり父や母などからプレゼントされたりするのではなく、必ず将来の旦那様から買ってもらいたい、という願望を持っていたからだ。
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