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しまおか

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第五章~②

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 通称特高と呼ばれていた特別高等警察は、「国家組織の根本を危うくする行為を除去する為の警察作用」と定義された組織であり、戦前は多くの国民から恐れられる存在だった。
 しかし敗戦後、GHQによる人権指令により特高に在籍していた官僚や警察官は公職追放の対象となる。ただし戦争犯罪人として指定され問責や処罰された者は一人もいなかったという。
 当時一万五千人程いたとされる関係者の内の約五千人が休職となり、その後依願退職の形で罷免ひめんされたそうだ。この時警察の情報収集能力が格段に落ちたと嘆いた者は少なくなかったらしい。
 その為内務省上層部は反政府組織の動静に対処する為にも、全国の特高警察網を温存させる必要があると考えた。そこで代わるべき組織として内務省警保局に公安課が設置され、各都道府県警察部にも警備課が設置されたのである。
 GHQも特高警察の重要性は認識していたらしい。実際通称G2ジーツーと呼ばれる参謀二部は公職追放された関係者を多く雇用し、内務省調査局とその後身である法務庁特別審査局に入局させている。それは公務員や民間企業において、日本共産党員とその支持者とされる人々を解雇したレッドパージ、いわゆる赤狩あかがりと呼ばれる動きに大きく貢献した。
 G2は公安警察とも密接な関係にあり、日本の各地方に置かれた管下の対敵諜報部隊は、各都道府県警察部の警備課、後の公安課と緊密な連絡を取り合って活動に従事していた。後にG2は、中央集権的な警察機構の存続を望む内務省警保局を支持。警察機構の分権化や細分化を進めるGHQ民政局と鋭く対立までしていたという。
 その後GHQの占領政策の転換に伴う公職追放者の処分解除により、一九五一年九月以降、彼らは警察庁、警視庁公安部、公安調査庁やその他各省庁の上級幹部職に復職したようだ。赤狩りが行われたのは一九五〇年頃であり、一万人を超える人々が失職したという。 
 関東近郊に住んでいた保曽井家が、東京へ出てきたのも丁度その時期に当たる。表向きは曾祖父が亡くなったのを機に、子供の教育の為と称し上京していた。だが恐らく地方で一度罷免された慎蔵は再び招集を受け、公安警察に採用されたのだろう。
 おじさんが警察に入った頃、慎蔵は既に公安から身を引いていたようだ。その為接点は全くなかった。だがその頃をかろうじて知る当時部下だった人達に聞いたところ、相当優秀な人物だったと分かったらしい。
 雄太の存在を知った時、慎蔵はもう亡くなっていた。しかもその一人息子の太一は大手銀行の役員にまで上り詰めており、警察との繋がりはなかった。
 けれどもそのDNAと意志は、孫に受け継がれていたらしい。優秀な学歴を持つ父親とは違い、雄太は高卒で就職していた。だがシステムエンジニアとして職に就いたのは、祖父である慎蔵の入れ知恵だった形跡があったのである。
 後に判明したが、慎蔵は彼を警察官にしたかったという。だが補導歴があった事と、太一の反対にあった為断念したらしい。彼の息子は慎蔵の仕事を良く思っていなかったようだ。懸命に勉強して一流の大学へと進学したけれど、国家公務員試験を受けず一般企業に就職したのがその証拠だろう。
 ただその結果、彼は順調に昇進を重ねるだけでなく高収入を得たことで、保曽井家は裕福な暮らしが出来たと思われる。高度成長期の最中だったからでもあるが、公務員ではそこまでの財を築けなかったはずだ。それでも戦前の古い考えを持つ慎蔵と新しい時代を生き抜こうとしていた太一との間では、様々な対立があったらしい。
 そうした事情だけでなく特殊要因が重なり、家庭内は複雑な環境にあったようだ。その犠牲となったのが子供達だろう。中でも雄太は上二人と異なる境遇に置かれていたからか、太一に反発し始めた。それが慎蔵との距離を縮める結果になったと思われる。
 というのも父親と同様に成績が良いけれど運動神経が鈍い兄達を見て、彼は敢えて学校の勉強が嫌いな振りをし、スポーツに打ち込んだという。そうして差別化を図り、意図的に兄弟間での競争を避けていたようだ。
 当初は身分を偽り彼に接近し交流を深めたおじさんと晶は、率直な会話が出来るタイミングを伺っていた。やがてその時が訪れ、正体を明かし彼の本音を探ったのである。
 おじさんが公安警察だと知った雄太は目を輝かした。
「本当ですか。亡くなった僕の祖父も、昔はそうだったんですよ」
 当然知っていた情報だが、その時は初めて聞いたとばかりに驚いて見せ、その先を促した。すると彼は言ったのだ。
「事情があって大学へは進学しませんでしたが、こっそり勉強していたんです。でも自分の部屋でしていたらばれてしまうので、よく祖父の部屋に通っていました。その時、色んな話を聞いたのです。だから将来、祖父と同じ警察官になりたいと思っていました」
 何故ならなかったのかと尋ねた所、彼は教えてくれた。
「高校時代、ちょっとした騒ぎに巻き込まれ補導されたのです。不可抗力とはいえ汚点がつきました。それが原因で、こっそり応援してくれていた祖父から諦めろと言われました。とても厳しい人だったので、警察官になろうとしている者が一度でも捕まる側になったのだから、資格は無いと思ったようです」
 元々父親が反対していた事情もあり、その夢はすっぱり諦めたという。ただ警察官にならなくても国の為に役立つ仕事は他にあると考え、彼はシステムエンジニアを目指すようになったらしい。
「それも祖父から聞いた話がきっかけでした。これからは、情報を制する者の力がますます必要になる、と断言していました。戦時中も敵方にやり取りを隠す暗号を使ったり、逆に解いたりする作業はとても重要な任務だったそうですね。その後も捜査対象者がどういう動きをしているか、探る仕事を私達はしてきたんだと誇らしげに語っていました」
 まさしく戦前の特高や公安警察が行ってきた働きだ。そこで得た経験や知識を慎蔵は彼に伝え、叩きこもうとしていたのだろう。その頃パソコン等の情報処理する機械が普及し始めていた為、そうした能力を持っていなければ取り残されると教えられたそうだ。
「君のお爺さんは、先見の明を持っていたんだね」
 おじさんが褒めると、彼は少し照れたように笑った。
「一番期待されていた仕事に就けなかった分、そっちの分野で頑張ろうと思いました。それにネットワークを介して得た情報は、とても貴重ですよね。戦時中もそうした機器は開発されていたようですが、今は相当発達しています。それにかなりのスピードで機能が向上していますから、遣り甲斐を感じました」
 そうした話題で盛り上がっている際、情報の流出を防ぐ技術を学ぶ内に、そのスキルはライバル企業等から重要機密を盗み出すノウハウと表裏一体だと気付いたらしい。セキュリティを高めるには、ハッキングの技術も知る必要があった。そこで自ずと両方に通じる知識や知恵が身についたようだ。
「今は金融関係の会社で、システムの開発や保守に携わっています。将来的には政府の機関等で、そうした仕事に関われたらと思っていました。警察官にはなれませんでしたが、別の形で祖父のようにお国の為に役立てたら、天国で喜んでくれるんじゃないかな」
 そこから特異な事情を抱えて育った経緯や、諸々の悩みを持っていると打ち明けてくれたのである。そのような経歴を持つ彼に、晶達と通じるものを感じたのだ。
 その一つは孤独感だった。晶には妹の薫がいたけれど両親を失った。もちろん親戚等からは完全に縁を切られている。それに比べて雄太には両親が揃っていて、しかも立派な大学を卒業し有名企業に勤めている兄達もいた。
 しかし彼と母親だけが高卒であり、また異質な事情を抱えていたからだろう。話を聞いている内に、家族間では彼だけ特別視されている状況が分かってきた。しかもそうした反発心から高校生の時にはヤンチャなグループに属し、学校で騒ぎを起こしたという補導歴に繋がったと思われる。
 それからは心を入れ替え真面目になり、高校卒業後には親のコネで就職をしていた。その後会社が倒産する憂き目に遭いながらも、システム関係にいた経歴を活かし再就職している。晶より四つ年上だが高卒の分、システム歴は一年程度先輩なだけでほぼ能力は同等だった。
 そうした事情は、自治体や国が主催する企業向けのハッカー対策を中心としたセキュリティ関連のセミナー等に、晶と雄太も参加していた為に把握していた。そこで思いきって、おじさんはエスにならないかと雄太を誘ったのだ。
 すると彼は興味を持ってくれた。その為仲間に引き込む手段として既にエス歴六年目だった晶と顔を合わせし、交流を深めるようになったのである。
 おじさんの目論見は功を奏し、晶達はすぐに意気投合し共に情報提供者として動くようになった。その翌年には無事大学を合格し養護施設から出た薫が、晶と二人で住み始めるようになった。それを機に雄太との交流も深め、さらには女子大学生のエスとして活動を開始したのだ。
 女性でさらに学生としての身分を持ったエスなど、他の公安刑事達だって抱えていなかったらしい。それだけに薫は潜入捜査等あらゆる場面で使い勝手が良く、また頭も良かったのでとても重宝されたようだ。
 しかも大学卒業後、出版社への就職が決まってからはマスコミ関係の情報を得たり、裏で偽の噂を流して撹乱したりする重要な役割を担うまでに成長していたのである。
 晶達三人はとても気が合い、また連携しながら様々な任務を遂行し、公安には欠かせないエスとして活躍し続けた。けれど出会ってから二十数年後、晶達が取り返しのつかない事件を起こしてしまうなど、当然おじさんは予期できるはずもなかったに違いない。
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