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しまおか

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第三章~⑤

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 彼女と別れ次に連絡があったのはその三日後だった。田北に依頼して何とかリストを入手したという。そこには七人の名が記されていた。だがいくつかの問題もあった。それは連絡先や住所が空欄になっている個所があったからだ。
 ホテルに尋ねて来た和香と、その点を話し合った。
「どういうことなの」
「田北さんの話では、この中の何人かは既に国外へ出てしまっているようです」
「もしかして海外に逃亡したというの」
 彼女は頷いた。
「そのようです。詳しくは教えて頂けませんでしたが、機密情報を盗み出したのはその人達なのかもしれません。警察もその線で捜査している可能性があります。ですから私達が今できるのは、国内での住所が判明している人達を訪ねて話を聞くことです」
「でも二人しかいないわよ。同じ都内だからまだいいけど」
「あとの五人全員が、海外逃亡した訳ではないようです。途中で転居したかして、今の段階では居場所を特定できていない人もいるようです。それは田北さんの方で確認ができ次第、連絡を頂けるようになっています」
 それが何人なのかまではまだ知らされていないという。それでも当たるしかない。また警察の聴取を受けてリストで渡された経緯からすれば、居場所が分かっている人は情報漏洩の疑いがないと考えていいはずだ。
 しかし香港の民主化運動の件で雄太と話をしていないとは限らない。また彼について、警察には言っていない他の何かを知っているかもしれないのだ。
 そうした期待を抱きつつ、藤子は和香と共にまず一人目の男性がいるマンションへと向かった。連絡先として携帯の番号も書かれていた為、事前に在宅しているかを確認しようと思ったが、警戒されては困ると考えアポなしで訪問することにした。
 それが災いしたのか、インターホンを押しても応答がなかった。時間はお昼前だ。どうやら留守らしい。家族と一緒に住んでいれば誰かいるだろうと期待していたが、彼は独身かもしれなかった。念の為携帯にも掛けてみたが、留守番電話に切り替わったのである。
「どうしようか」
「仕事で出かけているのか、プライべートで外出しているのかも分かりませんからね」
 申し訳なさそうに言ったが和香のせいではない。田北の入手したリストがそこまで詳しく書かれていなかったからだ。そこで出来れば連絡が欲しいと藤子のスマホの番号も告げたメッセージを残し、二人目を訪問しようと決めた。
 幸いにもその人物は在宅していた。まだ三十歳前後と若く見える彼はまだ寝ていたのだろう。ぼさぼさの髪のまま、面倒臭そうな様子でドアを開けてくれた。
「お休みの所、突然申し訳ございません」
 藤子は渡部と名乗っていた人物の身内だと説明した上で、雄太について尋ねた。すると彼も同情してくれたのだろう。玄関先ではあったが、しっかりと答えてくれた。
「僕はそれほど親しく無かったですけど、良い人でしたよ。一度システムのバグの修正に悩んでいた時、渡部さんがたまたま通りかかって声をかけてくれたんです。その時にアドバイスを頂いて助かったことがありました」
「そうでしたか。弟とは他に何か話したことはありませんか」
「仕事について少し教えて頂いたぐらいです。年も離れていましたし、僕は余り他人とプライベートの話をしないので。だから渡部さんが実は別の名前を使っていたと聞いてびっくりしました。とてもそんな事をするような人には見えませんでしたから」
 それなら誰か親しい人がいたかと質問したが、彼は首を振った。穏やかで人が良かったからか、誰とでも気さくに話をしていたという。けれど親しくしていた人がいるかと言われたら、特に思い浮かばないようだ。香港の話も聞いたことが無いらしい。
 結局彼から目新しい情報は全く手に入らなかった。
「残念でしたね」
 和香に慰められながら、どこかで昼を食べてから帰ろうかと話していた。そこで近場にあったイタリアンの店に入り、パスタなどを注文して食べ終わった所で電話がかかってきた。それは最初に訪問して留守だった男性からだった。
 残した伝言を聞いて連絡をしてきたのだろう。和香に伝えて一旦席を外し電話に出る。相手は買い物に出かけていたらしく、お昼を食べる為に一旦戻って来てメッセージに気付いたようだ。
「電話を頂いていたようですが、渡部さんの何をお聞きになりたいのですか」
 明らかに警戒している様子だった為、正直に自己紹介をした上で雄太の職場における様子を尋ねた。けれど帰ってくる答えは、柳瀬や先程の人とほとんど変わらない。期待した話は少しも聞けないまま、電話を切られてしまったのである。
 席に戻ってそう説明したが、彼女は落胆しなかった。
「まだ二人目です。それに話を聞けただけでもいいじゃないですか。後は田北さんに残りの五名の内でまだ国内にいる人の住所を確認して貰って、連絡を待ちましょう」
 そう励まされ、その日は解散をした。
 すると翌日和香から連絡があった。リストに載っていた中の一人、川村かわむら昌雄まさおという名の同僚の住所が分かったという。しかも彼は雄太と比較的親しかったらしい、との新たな情報ももたらされた。
 同じシステム関係に携わっていた人物で、会社を辞めた後一旦実家の長野に戻り、再び就職活動の為に東京へ上京したようだ。よって一時的に居場所不明となっていたのだろう。その住所を田北達が突き止めたと説明された。
 その為和香と共に、彼の元を訪ねることにしたのだ。マンションの扉を開け現れた彼は、雄太より四つ年下で独身らしい。体形は同じ位で中肉中背だが、まだ再就職先が見つかっていないからか無精ぶしょうひげを生やしていた。そのせいもあり少し老けて見える。
 突然現れた中年女性二人に、彼は驚き戸惑いを見せていた。だが、
「急に押しかけて申し訳ございません。私は以前あなたが勤めていた会社で、渡部亮と名乗っていた保曽井雄太の姉、藤子と言います。決して怪しいものではありません。ご存知ないかもしれませんが、白井真琴という名で作家をしております。もしお疑いになるようなら、ネットでお調べになって頂ければ本人だと分かるでしょう」
 そう告げると気付いたらしく、目を見開いて頷いた。
「この度はご愁傷さまです。テレビで拝見しました。あの渡部さんが、実はホソイという別名だったと聞いて驚きましたよ。しかもお姉さんが芥山賞作家だったなんて、全く知りませんでしたから」
 そう聞いて安心した。こちらの素性を認識しているのなら、余計な警戒を誘うリスクが少なくて済む。そこで言った。
「ご承知なら、何故私がここへ伺ったのかも理解して頂けると思います。横にいる彼女は、あなたと同じく昔同じ会社に勤めていた同僚の南和香さんです。今日は川村さんにお話を聞きたくて参りました。あなたは弟と親しかったそうですね」
 用件に納得したらしい彼は、軽く頷き言った。
「そういう事情なら、こんな所で立ち話もなんでしょう。中でお話ししませんか。余り綺麗ではありませんが、宜しければお入り下さい」
 そう促され、藤子達は彼の後に続き部屋に入った。間取りは一LDKでそれ程広くはない。本人が言うほど汚れておらず、一人暮らしの割には整頓されている方だと感じた。
 ダイニングテーブルが置かれた四つの椅子の内の反対側に座るよう促され、和香と並んで腰を下ろす。彼は冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を、お客様用らしき湯飲みに注いで出してから正面に座った。
「こんなものしかありませんが、宜しかったらどうぞ」
 藤子は勧められるまま一口だけ飲んだ。四月も中旬を過ぎ、東京も暑くなり始めていた。冷房を付ける程ではないが、彼の部屋の窓は少し開けられている。よってやや冷たく感じたが、しばらく放っておけば飲みやすくなるだろう。
 そう思いながら藤子は早速本題に入った。
「弟が突然亡くなっただけでもショックなのに、別名を名乗っていたと聞かされた私達は、色んな疑問が湧きました。そこで彼がこれまでどう生きて来たのかを調べているのです。あなたが知る渡部亮という男はどんな人でしたか」
「彼と親しかったなんてどなたが言ったのか知りませんけど、話をするようになったのは去年の六月からで一年も経っていませんよ。私があの会社に転職したのは五年前ですが、彼は昨年入ってきたばかりでしたからね」
 五年前と言えば、雄太が警備会社のシステム部門に転職した年だ。
「その前はどちらの会社にいらっしゃったのですか」
「警備会社です。同じシステム部門でしたが、彼とは別の会社です。話をするようになったきっかけも、前の仕事が同じ業界だったからだった気がします。あと私も彼と同じ様に、転職を繰り返していたという共通点があったので話が合ったのかもしれません。それに二人共独身でしたしね。でもそういう人は他にもいましたよ」
 それは誰なのか聞きたかったが、まずは話を戻した。
「それでも短い期間の中で、話す機会も多かったのではないですか。一緒にお酒を飲んだりしませんでしたか」
「ありますよ。でも人当たりは悪くないですが、真面目でしたから仕事の話が多かったですね。特に彼は転職して間もなかったので、職場について色々質問されました。私の方が年下ですけど会社では先輩だったので、教えられる事も多かったからでしょう。といっても大した話ではありません」
 これまで耳にしてきた内容とあまり変わらない。それでもさらに質問を重ねた。
「プライベートの話はしなかったのですか。例えば二人共独身だから、女性関係について何か聞いたことは無いですか」
「いやあ、お互い四十を過ぎてますからね。それに私達のような専門職は、いわゆるオタクみたいなものです。その上システム部門というのは、どこの会社でも基本的に男が多かったので、女性と出会う機会も少なかったし。だから南さんでしたっけ。あなたのような異性の友人がいるなんて、全く知りませんでしたよ。隠していたのかな。紹介してくれたって良かったのに」
 川村は藤子に向けていた視線を彼女に移してそう言った。同性愛者だから紹介もしなかったのだろうし、恋愛には発展しなかったはずだとはさすがに言えない。
 話題を元に戻そうと、彼の言葉を無視して再び尋ねた。
「将来どうしようとか、結婚したいなんて話はしませんでしたか」
「結婚は諦めていたんじゃないのかな。いえ、しっかり聞いた訳じゃないですけど、なんとなくそう思います。だから老後の為にお互い貯金はしっかりしておかないと、なんて話はしていました。だから私もコツコツ貯めていますよ。特に浪費するような趣味はありませんから。それは彼も同じだったんじゃないのかな」
 天井を見上げながら呟く彼の様子を見て、ここでも収穫は望めないのかと心が折れかけた。それを察したのか、今度は和香が口を開いた。
「雄太さん、いえあなたにとっては渡部さんになりますが、何か気付いた趣味や嗜好はありませんか」
 だが彼は期待に反して首を振った。
「無いですね。彼も私と同じである意味ITオタクでしたよ。中にはゲームだとか、アニメのような二次元に嵌っている同僚はいました。でもこの世界はとても進歩が速いのです。システム部門の多くは不具合等が起きた場合の対応や、起こらないように事前対処することですが、それだけではありません。最近は他所からのハッキングからデータを守る仕事がかなり増えました。そういうセキュリティ専門の部署を創るか、外部の会社に任せる場合もありますが、私達がいたシステム部門ではそういう対応もしていました。だから日々勉強が必要になります。強いて言えばそうした専門書を含め、他に小説など良く本を読んでいた位でしょうか」
「勉強に時間を費やしていたから、他に趣味を持つことも無かったのでしょうか」
「それだけではないでしょうが、そうした要因は大きいですね。あと週刊誌なんかで色々騒がれていましたが、彼が何か犯罪に関わっていたなんてとても信じられません。他人の戸籍を使っていたのは犯罪かも知れませんが、何かしら事情があったのだと思います」
 雄太を擁護する言葉を聞き藤子は安堵していたが、和香は何故そう思うのかと尋ねていた。すると彼は言った。
「具体的にはっきりした証拠を出せと言われたら困りますが、本当に真面目な人でした。悪い事をするようには見えませんでしたし、少しでもそう感じていたら私も付き合いなんかしてなかったでしょう。限られた職場ですけど、何度か転職して色んな会社で多くの人と接してきましたから、それなりの嗅覚きゅうかくは持っていると自負しています。まあそんな私の言葉なんて、何の確証にもなりませんけど」
 それほど親しく無いと言いながらも、世間から非難されている雄太を責めない態度はとても好感が持てた。
 しかしそれを無視するかのように、彼女は次々と質問した。
「データを守る為に、外部からのハッキングを防ぐ仕事もしていたと言いましたよね。そうした攻撃は、海外からもあるのですか」
 それでも彼は嫌な顔一つせず、丁寧に答えてくれた。
「海外からがほとんどですね。アフリカを経由してロシアや北朝鮮らしきものも少なくないですが、特に近年多いのは中国です。アメリカからもありますが、そのアメリカが中国を目の敵にしているのは、そういう専門の集団がいると思われるからです」
「中国ですか。そんなに大変なんですか」
「当然です。あちらは人数も膨大ですし、政府がバックに控えているというか、国自体が仕掛けているといっても過言じゃないでしょう。それに対処していくには、相当な知識と技術が必要になります。ハッキング技術も日進月歩なので気が抜けません。だから同じ会社に長く勤めないで、転々とするのはそういう事情もあります。少しでも待遇が良い会社に移らないとやっていられませんからね。後は対策が甘い企業へ行けば最先端の知識が無くても、何とかこれまでの技術力や経験で対応出来る場合があります」
 中国と聞いて藤子はドキリとした。彼女も同じだったのだろう。雄太の過去の調査を開始してから、ここで初めて香港に通じるキーワードが出てきたのだ。
 和香はその点を更に掘り下げて質問した。
「渡部さんから香港の話を聞いた事はありますか」
「いえ、それはないですね。突然、何ですか。香港がどうしましたか」
 彼に尋ね返された和香は、藤子に視線を向けた。話していいものか、確認する意味だろうと気付く。そこで躊躇した。
 彼と雄太との付き合いは、期待していたよりも短く浅そうだ。これまで話してきた様子から感じ悪くはない。だが信頼できる人物かどうか判断できなかった。しかも慎重に扱わなければならない話題だ。
 しかし迷っている態度に業を煮やしたのか、彼女は川村に言った。
「実は渡部さんが前の会社にいた三年前、香港に出張していたようです。当時は民主化運動が激しかった頃でした。だからでしょう。正義感が強かった彼は、帰国後に現地で知り合った活動家達と頻繁に連絡を取り合い、民主化運動の支援をしていた形跡がありました」
 見切り発車した発言に慌てたが、もう取り返しがつかない。どういう反応を示すか気になり彼を注視した。
 当然初耳だったらしく目を見張っていたが、ふと何か思い出した表情をしながら首をひねった。その仕草を見て、何かあると感じたらしい和香は再び尋ねた。
「何か気になることがあるのですか」
 彼は頷いた。
「そう言われれば同じシステム部門の同僚と、そんな話をしていた所を耳にした事がありました。私は参加していませんでしたが、政治的な問題だったので珍しいと思った記憶があります。普段の彼なら、そうした話題を避けるタイプでしたからね」
「関心が無かった、ということですか」
「いえ、そういう訳ではありません。ただその手のネタって宗教問題のように、それぞれの思想に関わってくるでしょう。デリケートなものだし、下手に深く関わると厄介じゃないですか。なので余程信用できるか同じ考えを持った人じゃなければ、会話なんてしないと思いますよ」
「川村さんとはそういう関係まで至らなかったのですね」
「まだ一年足らずの付き合いでしたからね。でもその手以外の話なら、他の同僚と比べれば結構した方かもしれません。割と気が合いましたから。それで誰かが彼と私が親しいと言ったのでしょう」
 そこで藤子はやや温くなったお茶を一口飲み二人の間に割って入り、当初から抱いていた疑問をぶつけた。
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